舟川柔道塾 塾長のブログ

舟川柔道塾の塾長である舟川 操が柔道への思いや柔道の極意を綴ります。

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我(が)が強ーい! ビシーン、ビシーン!!

2016年05月04日 | 極意
高校時代のある日、インターハイ予選の数日前に監督の先生にお寺に連れて行かれました。
もちろん私だけでなく、部員全員でした。高校1年の今頃だった気がします。
精神を統一して、気持ちを一つにするために座禅を経験しようという事でした。
みんな初めて座禅のためにお寺に入るので緊張していました。
が、中には明るい先輩がいてみんなを笑わせようと変顔をしたり、ジョークをとばしたり。
お坊さんも柔道部だと聞いていたので、試合前の緊張に対してのお話などをされていました。

さて、いよいよ座禅の開始です。
正しい座り方ができる人は誰もいませんでしたが、部員約15名が1mほどの間隔で座り、習った半眼というつぶり方で静かにしていました。
ところが、わずか1分もたたない時に、先ほどのいつも笑わせる先輩の隣に座っていた別の先輩がケラケラケラと笑ってしまったのです!何かへんな事を小声で話したのでしょう。
座禅をしに来て笑うなんて、そんなフザケタ人は滅多にいないのでしょう。
お坊さんはその先輩の後ろに走って来て、「我が強いんだよ!」と肩をもの凄い強さでビシーン、ビシーンと10回くらい叩いていました。
それを眼をつぶりながら、イテーという声で誰なのかが分かるものだから、私を含め皆笑いをこらえるのに大変でした。事実、誰かの笑い声で「お前もかー!」ビシーン。もう泣きそうなくらいに可笑しかった。
その後はこの「我が強いんだよ!」が柔道部のブームになりました。もちろん意味も国語辞典で調べたりして。
この言葉を知ってもらうために監督はもしかしてお寺に連れていったのかも。と歳をとってから思うようになりました。なぜなら私は高校1年で入学した時は負ける2年生は僅かしかおらず、天狗になっていた時期があったと思います。(自慢話しのように聞こえましたら申し訳ありません。一つ上の先輩は高校から柔道を始めた先輩が多かったのです。)
でもいい思い出になりました。

我が強いんだよ、君は!

意味は国語辞典で調べたり、スマホで検索しても詳しく出ています。

心当たりがある人は治した方が絶対にいいと思います。


柔道が強くなる秘訣

2015年10月08日 | 極意
今日の稽古もいつもどおり午後5時過ぎに道場を開けて塾長室に入った。
11月の予定表を塾生の手紙入れの中に入れたあとトイレに行った。
小生は小だけで良かったのだが、奥の洋便器の方を念のため見ておく事にしたら、、、

トイレットペーパーはカバーの上がはずされダラーンと紙が垂れ下がり、マットはグシャと曲がっている。

こんな状態でも小学生くらいだと全然気づかないでトイレから出てしまう。

あとにトイレを使う人の気持ちなんてわかるはずもなかろう。

しかし、

あとに使う人の気持ちがわかるようになってこそ、試合で対戦する相手の気持ち(人の気持ち)がわかるようになるのでは?

こんな事で怒ってはいません。
ただ、小学生を卒業するまでには、自分がトイレを使ったあとに、次の人のために気持ち良く入れるような状態にしてから出る子に育てたい。
こんな事も教えるのが柔道を指導する者の役目のような気がします。

トイレだけではなく、私生活できちんとすること、きちんとしなくてはいけないこと、かといってきちんとしなくても自分は痛くも痒(かゆ)くもないことがたくさんあります。
私生活を正していく事が、柔道が強くなる秘訣なのです。


塾長(理事長)の夏休みの読書感想文

2015年08月12日 | 極意
8月の暑い時期は、午前稽古にしたりして、暑さ対策をしている舟川柔道塾です。
でも、こんな時間にできるのは、幼稚園という幼児教育の職で夏休みがあるからこそと思います。
大半の少年柔道の指導者は、接骨院の先生だったり、消防署や警察に勤める方が勤務を終えてから指導をされています。
ですから何て自由のきく仕事なのだろうと、あらためて有り難さに感謝しています。また、舟川柔道塾の子供たちにも、こんなに涼しい時間(午前9時~とか、10時~とか)に稽古できることの有り難さをわかってもらえたらなぁ、と思う次第です。でも、それには保護者の方々がこんな些細な私の気持ちをわかってくれてこそ、子どもたちに伝わることなんだろうなぁ、と思います。  そこまでが非常に下手なわたくしです!すみません。

本題です。
この夏休みになって思い出すのは、中学生時代、高校生時代に夏休みの宿題で書いた読書感想文です。
当然、柔道のことばかり考えていた私は、読書感想文も柔道の本でした。

姿三四郎(富田常雄:著)全3巻です。
 その中でも最初の方の、柔道が強いこと、ケンカに強いことで柔道をやっている自分に満足していた三四郎に、矢野正五郎先生が池に放り投げた時の場面を中心に感想文を書いていました。。
この部分が小学5年生で柔道を始めた私にとって、柔道との向き合い方を大きく方向転換して頂いた本なのです。
この本に出会うまでは、ケンカ(当時は殴り合いのケンカや、先生も平気で生徒を殴っている時代でした)に強くなりたいと思って柔道を始めたのかもしれません。
しかし、池に放り投げられたあとの三四郎の心の変化を、小6でこの本を買った私は、何度も何度も読んで、柔道をする意味や、試合や稽古で人を投げることの尊さ、有り難さを考えました。

抜粋すると、
「お前は火の中にあっても、水の中にあっても淡々として死ねるか。」
「..........」
「それが柔道である。すなわち、天地自然の真理のままに生き死にする悟りだ。この真理によって死の安心を得、生の生たるを知るのが柔道だ。姿、お前の柔道は柔道ではなかった。」
三四郎は熟した。
「先生、先生、僕は先生の命令とあれば今でも死ねます。」
「嘘を言え。」
矢野正五郎の叱咤する声が部屋中に響いて、「姿、お前は私が寺の池へ飛び込めと言えば即座に飛び込むか、飛び込んで死ねるか?」
「死ねます。」
(天の巻より)
そして、三四郎は池に飛び込みますが、足がとどいて自分で池を出ようと思えば出られる池から、一晩杭につかまったまま自分の柔道について考えるのです。

塾生にもいろんなタイプの子がいて、指導をしていて楽しみだったりおもしろくもあるのですが、中には、このままだと投げられる子の気持ちをわからないまま育ってしまうなぁ、どう教えたら強いことと偉いこととは共通ではないことをわかってもらえるのかなぁ。
今強い君も中学や高校に行ってから立場が変わること、すなわち小学生の時にまだ弱かった子が強くなって、いじめるように投げつけられていた子がその子に試合で勝ってしまう、なんてこともたくさんあるのに。道場の中でも強くなったら、やさしくなるのが舟川柔道塾の塾生だろ?と心を鬼にして話したい、そして素直に聞ける塾生になってほしい。
小学生には親がいるので、矢野正五郎先生のような教え方はできませんが、指導者である私を信じて、子どもに死ねるか?とは何事?なんて事のないようなご理解をいただけたら、指導していて遠慮しないで教えられるかなぁ、と夏休みの読書感想文の時期になって思ってみました。


〈追記〉
「死ねるか?」とは、命を絶てられるか?という意味ではありません。
「自分を殺せるか?」ということ、つまり、自分は強いという感情を捨て、他人(自分より弱い人間)を思いやれるか?ということです。
誤解ありませんように、、。





超回復をするには

2015年07月24日 | 極意
稽古はたくさんするに越した事はない。しかし、やり過ぎてはいけない。
特に指導者は子供達の疲労の度合を観察し、疲労がたまってきているなぁと感じるときは、遊びを取り入れて積極的に休ませた方が良い。
その辺を考えないで、無理をさせていると確かに成績が良い時もあるだろうが、怪我が多くなったり、燃え尽きてしまうだろう。
きつい稽古を休まずたくさんする事が強くなる方法ではない。小学生くらいだと数ヶ月休んだ方がうんと強くなる時もあるのだ!
そして超回復は、キツイ-キツイ-休み-普通-キツイ~のようなサイクルで起こるようだ。



足取りの掬い投げ(すくいなげ)

2015年05月01日 | 極意

 2年ぶりに母校中央大学柔道部のOB会に六本木まで行って来ました。と言っても同級生は1人と後輩達6人の小OB会です。懐かしい話やら、お互いの技の褒め合いで、気持ちの良い美味いお酒になりました。
 全日本選手権の優勝予想なども好き勝手にしてました。
 その中で出た話ですが、たまに稽古をしていると無意識に相手の技をこらえた時に脚を持ってしまうということです。そういえば私も小学生と稽古していて、つい掬い投げをしてしまう時がありました。もう条件反射なんです。
 中央大学を選んだ理由の一つは、ご存知、岡野功先生が出られた大学だからです。その岡野先生の掬い投げなどが載っているバイタル柔道を見て我々の世代は育っています。とうぜん掬い投げも真似して練習しました。その「後の先の技」は30年経っても手が勝手に動くのですよ!
 体の小さな子が大きな子とする戦術の一つとして、片手のまま袖釣りをかけ、投げれなくても相手への指導狙いだったり(反対の手は離していると掛け逃げに見えるから自分の袖を握り両手を離していないように見せている)、組み際の一本背負投げが増えてきました。そうとでもしないと大きな子にかなわないからかな?しかし将来が心配ですね。  体重別の大会でも組まない反則が重視されていますが、ならば片手でも掛けていれば反則を取られないということで、ケンカ四つの場合など、しまいには片手の襟だけを持って小外刈や大内刈で攻撃しているフリをして、そこから連絡技として逆の一本背負。それを繰り返せば相手に指導。確かに足技からの連絡技なのですが、、、本当に投げるつもりの技なのか?指導狙いなのか?私も審判をしていたら判断は難しい。
 しっかり両手を組んでからというのは最近のルールだと通用しないのでしょうか?
 それもそのはず、今のルールは外国の方が作ったルールです。日本人くらい足技を使う人は西洋人にはいない。だから内股もどきの技は指導というルールがあるが、足技もどきは外国の皆さんやった事もないし、見た事もないからルールに記されなかったのだろう。
 でも舟川柔道塾ではそのような技は極力させず、しっかり持って綺麗な技を追求しようと思います。
 帰りの電車の中でこんな事を考えながら、ウツラウツラして、掬い投げが復活する日を待ち望んでいる人がたくさんいるだろうなぁと思っているうちに大宮駅に着きました。 しっかり組んでから!