☆農園ビギン☆~笑う門にはイモ来たる~

新潟小千谷市で野菜の直売とサツマイモお菓子を作る農園ビギンのつぶやきブログ☆

平成26年10月23日 10年目

2014年10月23日 | おぢやこいこい博
忘れてはいけない10月23日。

中越大震災から今日で10年の時が経った。

思い出すことも少なくなったけど、忘れちゃいけない今日のこと。

これから何年も、何十年も・・・

4年前にあの日のことを鮮明に描いたので
今日はちゃんと思い出し
5時56分に黙とうしよう、と今朝、子供たちに話しました。


平成16年10月23日



前兆という言葉があるけど、あの日にもあったのかな・・・
「地震雲があった」とか「動物の様子が変だった」とか
あとから聞くことはあったけど、私にはやっぱり平和な一日に過ぎなかった。

休日でもめったにそろわない家族が全員そろった夕方で、珍しく私以外の家族全員が居間にいた。

私は夕飯の準備で台所にいた。

忘れもしない天ぷらをあげていたのだ。

一通りの具を揚げると、最後は決まって、義母の大好きなちくわの磯辺揚げを作る。
生地の中に青のりを入れて、ちくわを入れて、ぐーーーるぐる・・・



その瞬間だった!




どーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!!


床をハンマーか何かで叩きあげられたような衝撃!!!!

一瞬
何が起きたかわからなった・・・!

トラックがぶつかった?

何かが爆発した?

なぜか
「地震」というキーワードが出てこなかった・・・
それくらい、その時の衝撃は今まで感じたそれとは違う揺れだったのだ。

悲鳴とともに電気が消え、家族の叫び声。
天ぷらをあげていたことも忘れ、台所から飛び出し子供の名前を叫んだ。
無事を確認すると、次は
ものすごく強い横揺れに代わって、私は這いつくばるように玄関に逃げた!


無我夢中

ただ
ひたすら
子供を抱きしめながら、神様に祈っていた。

どうか・・・
神様
子供たちを助けてください!

自分の靴を履くことも忘れて、外に飛び出すと2回目の大きな揺れ。
その揺れは横揺れだったと思う。

あの時の私の目がとらえた映像は一生忘れられないだろう・・・

地面に這いつくばる私を嘲笑うように、家がくねるように揺れているのだ。
日本中が、いや世界中がおかしくなったんだと思った。
地球上で何かが起こったんだ!
そう思ってしまうほど、私の目の前には現実とはかけ離れた姿が写っていた・・・

屋根から瓦が落ちてくるのを確認した。


「もうダメだ・・・」


義父が言った。

その言葉が一層絶望感を深め、それと同時に妙な落ち着きが私を静めた。

逃げなきゃ・・・
ここにいてはいけない!
何処に行けば?

誰に助けを求めれば?

震える手・・・
それでも気をしっかり持たなきゃ、子供たちを守らなきゃ、
そんな想いで近くの中学校へ逃げた。


一番最初の揺れほどではないが、いつまでも続く大きな揺れが
「これは地震なんだ」と認識させ、車から繰り返し聞こえる「新潟県中越地方で・・・」の言葉に
「ああ、そうか・・・ここだけなんだ・・・東京は無事なんだ・・・」
東京の両親の無事になんとなく安堵したのを覚えている。

でも車の中はいつまでも油断などできなくて、一晩じゅうエンジンをつけていれば、ガソリンがなくなる・・・

その恐怖のため寒さに震え、耐えて、子供と大ばあちゃんを不安にさせないように
私は歌を歌っていた・・・

気がつけば子供たちにご飯も食べさせていない。

となりの人からもらった1個のみかんが心から嬉しかった。


明日どうなるかわからない。
それを考えると、1個のみかんを4等分して子供たちと大ばあちゃんに渡すと
自分の分はこっそりポケットにしまったのだ。

朝を迎えるまで眠れなかった・・・
たまたま持っていた携帯にぽつりぽつりとメールが届く。
しかし、もはや携帯もほとんど機能していなかった・・・


中学校のグラウンドでやっと朝が来たと思った時
それはいつもと変わらない朝で
昨日の夜のことなど嘘のようだった。

でも
道路に広がる亀裂。
瓦が落ち、変わり果てた我が家。
村中の人が外に出て、うつろな疲れ切った表情をしていて、やっぱり昨日のことは現実であったことを物語っていた。

誰もが立ち上がらなかった。

でもなぜか私の脳裏に車の中にあるコンテナいっぱいのさつまいものことが浮かんだのだ!

ちょうど次の日、さつまいもお菓子の試作日で車に積んでいたのだ。
電気も水道も使えない・・・
そう思い込んでいたけど、プロパンがあるじゃないか!
井戸水があるじゃないか!!!

お湯を沸かし、さつまいもをゆでた。
地震後、最初に口にしたのはさつまいもだったのだ。

ほかほかのさつまいもによって、村中の人たちの頭が働き始める。

「じゃ、倉庫から米持ってくるわ」
「畑にまだ野菜もあるはずだ」

持ち寄れば、食べ物が集まるのはあっという間だった。


その時ほどさつまいもに感謝したのは、この先もないかもしれない。

さつまいも、ありがとう・・・




その後のことは
テレビや新聞で伝えるとおり。

避難生活はいろんなことがあったけど、人の温かさを知ったし、地域のコミュニティの大切さを知った。

不安で眠れなかった夜も、涙の味がした炊き出しのうどんも、10日ぶりに入れたお風呂の気持ちよさも
大きなたらいで子供たちを洗ってあげた日も、埼玉の先輩が地震二日後で駆け付けてくれて家族全員が涙したことも
地元の友達のあたたかさも、農大のネットワークの強さも、普段不器用な父の「帰って来い」の言葉も


すべて


一生忘れない。


本当にありがとう
と伝えたい。


あの経験をしたことは決して無駄ではなかったけど・・・




もう嫌だな。


あんなに怖い夜はもう嫌だ。


同じ年
さつまいもプリンの新しい加工場が決まっていた。
いよいよ保健所の許可をとって本格的な販売を考えていたのだ。

決定したのが10月20日。
地震の3日前。

地震によって、その加工場は半壊し、使うことはできなくなった。

またゼロに戻ったのだ。



その時
心に誓ったのが

5年で新工場を建てよう
5年でカタチにならなかったら諦めよう

そこからは
ただがむしゃらに頑張った。

覚悟を決めたから。

前だけを見て

突っ走ってきた。

平成17年2月にラーメン屋さんを間借りして保健所の許可を取り

それから5年。
この新工場を建てたのだ。
たくさんの想いと夢と希望を詰め込んだ農園ビギンの新しい一歩。


地震によって「小千谷」という言葉が有名になったのなら
マイナスをプラスに変えたい。

その気持ちで頑張ってきた。

今日で10年。
やっと10年なのか
まだ10年なのか。

はっきり言えないけど

小千谷は元気です。

たくさんのご支援に感謝して、今日一日過ごしたいと思います!!!!

10年、ありがとう!!!!
その気持ちが大きいです!!!!!

ほりぎの豆大福☆

2014年10月23日 | おいしいもの食べました☆

社長が日本で一番おいしい!という小千谷のほりぎの豆大福☆

私も大好きです(*´▽`*)

甘じょっぱ系が好きなので、このほんのり塩味の皮がものすごーく好き(≧▽≦)


甘すぎないあんこもおいしい!

ワタシ
別にほりぎさんのまわしもんでもありません(笑)

宣伝しといて
今週のイベント、ビギンで売ります!
とかでもありません(笑)

ただね

ゆっくり座って

おいしいものを
おいしいと、しみじみ感じながら

ほっこりほっこりする時間って

大事だなぁ、と

思ったりする夜なのでした(*^^*)