ELLの足跡

人は最後は一人だという・・・でも、・・・今は妻が傍にいてくれる・・・

ELL-ヤマウチ

トーションレースの製造企画卸
梅肉エキス販売
和紙健康タオル
トーションレース&細幅テープの試作品の小売りコーナー



日々のパソコン案内板


【Excel関数】   No.1(A~I)   No.2(J~S)   No.3(T~Y)
【Excelの小技】  【HTMLタグ&小技】
【PDFの簡単セキュリティ】
【複数フォルダーを一括作成するんならExcelが超便利だよ!!】
【アップデートが終わらない!? Windowsの修復ツールを使ってみる方法】
【削除してしまったファイルやデータを復元する方法ー其の一(以前のバージョン)】
【削除ファイルやデータを復元する方法ー其の二(ファイル履歴)】
【Excel振替伝票の借方に入力したら貸方に対比する科目を自動記入】
【手書きで書くように分数表記する方法】
【Web上のリンクさせてある文字列を選択する方法】
【Excel2010以降は条件付き書式設定での文字色にも対応!】
【Windows10のWindows PowerShellでシステムスキャンの手順】

震災から2年 今、避難者は・・・

2013-03-09 | 雑記
月曜日(11日)で東日本大震災からちょうど2年を迎えます・・・

京都府によると、京都府内には避難してきた人たちは2月末現在で1008人いらっしゃるといいます・・・

故郷への想い・・・家族が離れ離れで暮らす不安等々・・・

今朝の新聞を読んでいて・・・

まだまだ、色々な手助けや理解が必要なのに私自身の気持ちの中で薄らいでいることを恥ずかしく思いました・・・


今朝は、京都府内に避難されている方の現状を紹介した記事を転載してみたいと思います。

~以下、3月9日読売新聞朝刊より抜粋~

「家族で暮らす」唯一の夢
 「お父さん、誕生日おめでとう」
 3日夜、京都市内の公営住宅で、小中学校に通う3人の子供たちが声を弾ませ、インターネットの無料電話サービスでパソコンに呼びかけた。
 「45歳になっちまったなあ」。照れくさそうな夫の声がマイクを通じて帰ってくる。そんなやり取りを、美雪さん(45)(仮名)は複雑な思いで見つめていた。

 茨城県に残る夫と離れて暮らすようになって、1年2ヶ月になる。2年前、東日本大震災で福島県の原発事故が起きるまでは、2005年に新築した自宅で家族5人、穏やかな生活を送っていた。夕食は必ず全員そろって取り、布団を並べて眠った。誕生日を離れ離れで祝うなんて、考えられなかった。

 原発事故から5日後。約65南にある家族が暮らしていた街で、当時の基準値(毎時5マイクロシーベルト)の3倍以上となる毎時15.8マイクロシーベルトの放射線量が観測された。子どもたちの事を考え、美由紀さんは県外への避難を訴えた。しかし、古里への思いから、夫は首を縦に振らなかった。
 
 家族と離れることへの抵抗と、かつて市職員として働いた地元への思い入れもあり、美雪さんは一時は諦めた。
 食材や日常生活に気を配りながら暮らす日々。専門家らの講演会に足を運び、インターネットで情報を集めるうちに不安は募った。府が福島県の避難指示区域外からの自主避難者にも、公営住宅を無償提供していることを知り、移住を決断した。すでに震災から1年近くたったころ。周囲からの視線が痛かった。

■  □

 父と母子が分かれての二重生活は生活費がかさむ。貯蓄は減り、塾やスポーツ少年団と、子供たちの習い事も断念した。夫の仕送りに頼るが、非難の長期化に伴い、昨年12月からパートで働く。

 月1回、夫は夜行バスで約10時間かけて会いに来てくれる。「お母さんの言うことをちゃんと聞いて元気でいてください」。避難後初めての夏休み、手紙を書いて子供には残暑見舞いも届いた。

 美雪さん達は1度も帰っていない。「またサッカーしようね」。茨木の友人から届いた手紙に、じっと見入る子供の姿に心が痛む。「お母さん、戻りたい」。そう言われるのが怖い。

 美雪さんは「早く家族全員で暮らしたい」と、強く思う。だが、言葉にすると、いつも夫と言い争いになる。震災前、当たり前だったことが、今、唯一の夢になった。

■  □

 府が昨夏、府内の避難者に行ったアンケートでは、回答者184世帯のうち、美雪さん達と同じ母子避難者が62世帯に上った。避難指示区域外からの自主避難も少なくない。

 震災から2年。美雪さんは「かけがえのない家族の時間が失われ、今も理不尽という言葉しか浮かばない」と振り返る。「自主避難者に対する理解が薄らぎつつある」とも感じる。
 非難ではなく、ただの引っ越しでしょ――。関東地方から府内へ母子で避難してきた知人は最近、周囲からそう言われたという。「子供の将来を守るため、母親たちは苦しい決断をしている。『気にしすぎ』の一言で片づけられるのが何よりつらい」と美雪さんは語る。

 避難先での就労、離れた家族が行き来する交通費の支援、公営住宅の無償提供期間(3年)の延長、原発事故による内部被曝の有無を調べる検査の無償実施――。直面する課題の解決に向け、美雪さんは1月に市民グループを結成した。すでにシンポジウムを開き、11日には同じ思いを持つ母親たちと街頭で署名を集める。

 平穏に暮らしてきた自分が、大勢の人に訴える立場になったことに戸惑いもある。それでも「子供を守りたいという母親の思いは、きっと伝わるはず」。そう信じて今日を生きている。

(南 暁子)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする