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ちゅう年マンデーフライデー

すごい!長谷川等伯は元祖琳派か

 雨の土曜日なら空いていようと上野・国立博物館に「長谷川等伯」展を観にいった。ほどよい混み具合、けっこうじっくり鑑賞できた。帰りに、上野公園の陶器市で妻の茶碗を買った。

 等伯といえば「松林図」だが、僕の「松林図」体験は、15年ほど前、安土桃山絵画に興味をもち始めた頃、織部の陶器を観たくて国立博物館の平常展示に行ったとき、たまたま桃山絵画のコーナーに展示してある「松林図」に出会ったのだった。誰もいない展示室、その六曲一双の屏風の前で動けなくなった。霧だが靄だかから静かに立ち現れる荒々しい筆づかいの薄墨の松。僕ひとりが松林の中に佇んでいるような心持だった。その前に長椅子が置いてあって、たぶん30分ほどはそこで見入っていただろう。その間、ほかの鑑賞者はいなかったと記憶している。「松林図」の独り占めなど今では僥倖というものだろう。以来、等伯は狩野永徳、古田織部以上に僕の桃山アイドルになった。だが、残念ながら京都・智積院の楓図も息子久蔵作といわれる桜図(今回展示されていないのが残念)も実物を観ることはなかった。

 だから今回の没後400年記念展示には大いに期待していた。そして、これまで知らなかった等伯に出会うことができた。一体この人の画風はどれなのというほど、実に多彩なスタイルにチャレンジした絵師であった。

 画集では観ていた巨大な仏涅槃図、牧谿に学んだ枯木猿猴図、千利休像、秋草図などをはじめ、写真だけの展示だが大徳寺山門の壁画のダイナミックな色彩。再認識したのは狩野派とは異なった、むしろ琳派につながるであろうスタイリッシュな装飾性にあふれた金地の屏風群だ。柳橋水車図屏風、萩芒図屏風、柳に柴垣図屏風、波濤図には心底驚嘆した。これらの作品に特有の空白、過剰な反復は、元祖琳派は等伯ではなかったかと思わずにいられない。等伯は歌舞いていたのだ。様式から出られない狩野派をあざ笑うかのように歌舞くスピリットを発揮した。そして、死ぬまで旺盛な創作意欲にあふれていたのだ。だが、竹林七賢図など水墨画特有の題材を描いた晩年の水墨画群は?だ。熟慮した線ではないし、松林図を描いた絵師と同じ人物が描いたとは思えない。松林図は心象風景だ。そこがすごいところだと思う。そんなことを思いながらも、ただただ絵師としての圧倒的な迫力に感嘆した展覧会であった。
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