ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

ノロと牧野信一と小沼丹

2008年01月31日 | 
 風邪がようやく治りかけたら、今度はノロにやられた。金曜の夜中、急に来た。吐き気とピーヒャラ、熱少々。翌日めったに行かない医者に行くと、ノロの疑いが強いとのことで、3日間寝込む。幸い軽症だったが、そんなわけで、正月明けから合わせると4キロ痩せた。ようやく市販のお弁当類が食べられるようになったが、あまり量は食べられない。酒もあまり飲みたくない。食べられないと元気も出ない。仕事は忙しいのにやる気が湧かない。それにしても、どこで感染したか。

 元気がないなかで、牧野信一と小沼丹の短編を読んで、短編小説の面白さを再認識した。牧野の作品は、いわゆる幻想文学に入るのかもしれないが、『繰舟で往く家』は大変美しい恋愛小説の傑作。川をわたっての逢瀬という距離感、川の流れという横の運動と、繰舟で川をわたる縦の運動に二人の思いの深さが表されている。海棠の花の家も美しい。

 小沼丹は、堀江敏幸とか現代の作家に通じる雰囲気をもった作家で、家に迷い込んだ図々しい猫と妻の死を重ねてゆるい日常世界を小津映画のようなリズムで描く『黒と白の猫』(講談社文芸文庫「懐中時計」)など、主人公を「大寺さん」と表現する小沼ワールドのぬくとさがここちいい。

 こんな世界にばかり浸っていてはいけないのだけれど。
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アキラとキヨシでズンドコ!

2008年01月25日 | 
 今年は黒沢明没後10年、2010年は生誕100年になる。「椿三十郎」がリメイクされたりするのも、そんな背景があるのだろうか。「プレイボーイ」も特集を組んでいる。ぼくは、「別に!」黒沢明のファンではない。同じ黒沢なら、黒沢清だろう。まるで、アキラとキヨシのズンドコ対決みたいだけれど。

 晩年の「影武者」や「乱」は退屈だったが、そうはいっても、『七人の侍』や『蜘蛛巣城』などは面白く観た。「トラ・トラ・トラ」を黒沢が撮るというのも中学のとき話題になったので記憶しているが、いつの間にか監督が変わっていたくらいの認識しかなかった。その降板劇のことが再び話題になったのは、「影武者」で勝新太郎とトラブルがあったときではなかったか。あのときも僕は当然ながら勝新びいきだった。

 「トラ・トラ・トラ」の監督をなぜ黒沢は解任されたのか。その真相をまとめた『黒沢明vsハリウッド「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(田草川弘著)は出色のドキュメンタリーだ。その面白さは伝え聞いていたものの、買ったまま書棚の飾りになっていたのを気が向いて読んでみたのだが、評判どおりの面白さだった。現場での黒沢の奇行の数々、はては癲癇もちであったとか、黒沢がアメリカ側監督のリチャード・フライシャーを格下に見ていたといったエピソードやら、撮影日誌による撮影現場のドラマはもちろん、スタジオ外の日米の駆け引きも含め、当時の日本映画界の現場の雰囲気がよく分かるドキュメントではないかと思う。なんといっても仁侠映画全盛の東映京都撮影所で撮影されたというのが面白い。撮影所内をやくざ姿の俳優たちが往来していることに、黒沢は嫌悪感をもっていたらしい。喧嘩別れした加藤泰もいたらしいし。

 アメリカに保管されていた資料を丹念に集め、さあ、皆さんはこの解任劇をどう思いますかと読者に提示する作者のストイックな姿勢には、本音をいったら、といいたくもなるのだが、それはそれで好感がもてる。おそらく、もっと日本側のプロデューサーがフォックス側との契約内容をしっかり伝えていたら、黒沢監督そのものがこの仕事を請けていなかったのではないかと思う。何も知らないバカ殿のご乱心ぶりをこれでもかと提示されると、このテーマはそれほどまでに黒沢にとって魅力的だったのだろうかと思ってしまうのだった。
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日曜の終わりはスターダスト

2008年01月24日 | Jazz★TANKA
星屑を集めて流る天の川
トランペット吹き 
恋のリフレーン

芭蕉をぱくりながら、「スターダスト」を詠んでみた。
「スターダスト」はホギー・カーマイケルが、ブルーミントンにある母校インディアナ大学で星空を見ながら失恋の気持ちをメロディにしたものといわれる。この曲は50代ならたぶん「シャボン玉ホリデー」のエンディングで、「beside the garden wall ~」とザ・ピーナッツが歌うのを聴いて知ったという人が多いのではないだろうか。なんとなく日曜日が終わってしまうというエンディングのテーマのようでもあった。名演、名唱も多い。定番は歌ならナット・キングコール、演奏ならライオネル・ハンプトンというところだが、やはりこの曲にはトランペットが向いている。クリフォード・ブラウンがストリングスをバックに浪々と吹いているけれど、モダンよりロイ・エルドリッジあたりが渋い。そういえば、ニコラス・ローグ監督、デヴィッド・ボウイの初主演作「地球に落ちて来た男」のエンディング・ロールでかかっていたビッグ・バンドとトランペットの「スターダスト」が印象的だった。映画の内容も忘れたが、あれは誰の演奏だったか。
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エレニの旅と緋牡丹お竜の愛と悲しみ

2008年01月18日 | 映画
「緋牡丹博徒 お竜参上」(加藤泰)なら有名な雪舞う橋上の別れ。白い雪の上を鮮やかなオレンジ色のみかんがころころと転がるシーンに2人の深くも叶わぬ愛の姿が鮮烈に映像化されていた。

 だが、テオ・アンゲロプロス監督「エレニの旅」のアメリカへ行くアレクシスとエレニの別れのシーンほど美しく悲しい映像があったろうか。赤い編みかけのセーターをエレニが渡すとアレクシスの手から毛糸がほつれ、一本の赤い糸となって、遠のく二人をつなぎあう。タグボートで沖の大型客船に向かうアレクシスの手からは一本の赤い毛糸が果てしなく伸びているのだが、やがてそれは、「エレニ!」というアレクシスの絶叫を残し、ぷつりと切れて海に落ちてしまう。長い2ショットで2人の深い愛とその行方が見事に暗示される。全ての映像が美しく悲しく力強い。そして、いわゆる映画音楽というものがいかに無用であるかということに気づかされる。だから、劇中で奏でられる音楽が美しい。サックス吹きが一人奏でる「アマポーラ」の悲しさよ。同時代にこの映画が観られることにただただ感謝だ。そして、J-POPのプロモのような、TVドラマのような昨今の凡百の日本映画に死を!

 残念ながらこの映画は劇場で観られなかった。だからDVDが出たときほしいと切に思った。でも6,300円は高い。去年の暮れに紀伊国屋が自社のDVD20%オフのセール、さらに全品10%オフ、おまけに図書カードが使える、3,400円で買えた。実は、これをもって息子へのクリスマスプレゼントにしたのだった。親父が見たいという下心はすぐ見透かされたが、結構喜んでいたっけ。

 アンゲロプロスの映画は、特別な企画でもなければなかなか劇場で見ることはできない。2番館、3番館の衰退によって、シネコンを中心に全国どこも同じ映画ばかりがかかっている現状はなんとかならないものか。「エレニ」は、ギリシャ現代史3部作の一作目だという。次回作は必ず劇場で見なくてはなるまい。それまでは、DVDとビデオで我慢しよう。

 そういえば東映の任侠映画シリーズも廉価版DVDが出ている。「緋牡丹博徒 お竜参上」(加藤泰)「昭和残侠伝 死んで貰います」(マキノ雅弘)は必見だろう。
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天草四郎は天正少年使節の怨霊なのか

2008年01月18日 | 
そうこうするうちに新年を迎え、仕事が始まって早2週間。遅ればせながら謹賀新年。先週は久々に風邪で熱を出し、ダウンした。週半ばで発熱。仕事の締め切りがあったので、悪寒を抑えながら2日間仕事。その後3日間寝込んだ。熱にうなされながら、子どもと別れる寂しい夢を見たり、寝ながら2段組500ページの「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」(若桑みどり)をとうとう読破して、首を痛めたり、1週間お酒を口にしなかったこともあって3キロ体重が減った。ようやく正常に戻りつつあり、本格的な始動は来週かなー。すっかり遠赤外線効果のある股引が離せなくなってしまった。

そんなわけで新年になって読んだのは、なぜかキリシタンもの。以前読んだ定番「天正遣欧使節」(松田毅一)を読み直しているうち、暮れに若桑みどりさんが亡くなっていたことを知り、追悼の意をこめて買ったままになっていた「クアトロ・ラガッツィ 天正少年使節と世界帝国」に手を出した。とまらない。圧倒的におもしろい。たとえば、使節の随員の一人だったコンスタンチン・ドラードについて、松田氏は日本人で、ドラードという名前から金細工職人に関係あるのではとするのに対し、若桑さんは、日本人とポルトガル人の混血で髪が金髪だったので、金を意味するドラードと呼ばれたのではと推理する。「活版印刷人ドラードの生涯」(青山敦夫)は、ドラードを主人公にした小説仕立ての伝記だが、ここでも混血説がとられている。金髪の混血のほうが絶対におもしろい。そのほか、少年使節の一人で、帰国後キリシタン迫害の嵐が吹き荒れる中で、唯一棄教した千々石ミゲルの子どもが天草四郎という珍説を紹介したり、宣教師たちの記録を読み解きながら秀吉は6本指だったのではないかといったエピソードも披露するのだが、信長・秀吉の時代をポルトガル・スペインの世界制覇、イエズス会の世界戦略のなかでとらえながら、例えば本能寺の変を、天皇を超えようとする信長の存在、キリシタンをめぐる公家と信長の対立の中で起きた公家の陰謀とするところは圧巻である。

かの南蛮屏風ではないが、あらためてこの時代の都市の風景を想像して見ると、信長時代の日本、とりわけ九州、関西地区は、国際都市の様相を呈していたということだ。宣教師のほか、ポルトガルの商人や船員、奴隷などが跋扈していたことだろう。当然、混血も生まれただろう。ブラジルでは、そうした混血のことをムラートといったはずだが、この国ではなんと呼んでいたのか。歴史にもしはないけれど、もっとも世界に開かれていた16世紀の日本が、そのまま発展していたら、この国の姿は大きく変わっていたのではないか。

それにしても千々石ミゲルの子どもが天草四郎との説は魅力的だ。4人のなかで結婚し子どもを作れるのは棄教者であるミゲルしかいないのだから。ところで、これに関連して読んだ「信長と十字架」(立花京子)では、信長暗殺の黒幕はイエズス会でその糸を引いたのが細川藤孝との説を唱えているのだが、これははたしてどうだろうか。イエズス会に信長暗殺の理由があるとは思えないのだが。

この天正少年使節の話は、その結末を思うと神話的な悲劇といってもいいだろう。後の隠れキリシタン、天草四郎の乱から遡り、6本指の秀吉や、背徳的な宣教師などを絡めながら少年使節の物語を組みなおすと、結構面白いお話になるのではないかと思う。さらに映画にできたらなお面白いのだが、などと思いをめぐらす今日この頃なのであった。
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