人はしばしばある数式を「美しい」などと表現するし、数学とは美しい学問だなどと言う話は「博士の愛した数式」などにも登場するので、文系人間でも限りなく並んだ円周率の数字の列を見ていると、その美しさも納得できるし、美しい女性だとか、美しい文字だとか形のあるものを美しいと愛でる習性も、審美眼の差こそあれ人は誰でももっているのだが、これが「美しい国、日本」、さらには「美しい国づくり内閣」などと政治家の口から発せられると、途端にそれは何か胡散臭いいかがわしさを身に纏うことになる。夜9時のニュースを見ようとつけていたテレビ画面に現れ、まるでどこかの生徒会長がしゃべるような、丸暗記したごとき面白みのない演説の中で、新しくこの国の首相になった粘土細工のような顔をした男が「美しい国」などと語るのを聞いてしまうと、「美しい」という平易な言葉も、これが「国」などという言葉と結びつくと、抽象的なわけのわからないものになってしまい、むしろ危険な悪臭さえ発散させているではないか。そうなると、優生思想、ダーウィニズムと結びついた人種差別政策によってアーリア人よる美しき健康帝国を築かんとしたナチズムだとか、彼の北の国の統制されたマスゲームに見る均一な笑顔だとかが想起されてしまうのは、そう的外れなこととは思えない。おそらく拠るところの思想の傾向が同じなのだろうが、政治家が口にするなら中身はどうあれ「所得倍増」とか「日本列島改造」とか「NOといえる日本」などのほうが健全で分かりやすいし、「汗して働いた人が報われる社会」などといわれると、オイオイそりゃー、ちょっと前の経営者が成果主義の名のもとにリストラの旗印に掲げたお題目じゃないかと、サラリーマンならこんなキャッチフレーズのインチキ臭さにしらけるばかりだろう。こうなると「人生いろいろ」と居直ったライオン丸のチャランポランさのほうがまだましというものだ。世の中朝もあれば夜もあり、おいしい食物も糞に変わり、若者もやがては老い、葉は落ちてもまた若葉をつけるのだ。とりあえず「美しい日本の文化」などと口にする政治家を信用してはなるまいよ。
だからというわけではないが、日曜日に読了した村上春樹「アフターダーク」の世界は、まぎれもない「反・美しい国」だと思うのだった。読んだ後は大して共感したわけでもないのだが、日が落ちてからの一夜の物語に登場するラブホテルを職場とする女たちも、中国に留学するマリも、地下室でバンド練習をする高橋も、中国人娼婦も、決して「美しい国」の住人ではないし、国のお世話になる再チャレンジなどに関心もない連中だ。世界にぽっかり開いた何もない夜。それこそ私たちの棲家だととりあえず言っておこう。
だからというわけではないが、日曜日に読了した村上春樹「アフターダーク」の世界は、まぎれもない「反・美しい国」だと思うのだった。読んだ後は大して共感したわけでもないのだが、日が落ちてからの一夜の物語に登場するラブホテルを職場とする女たちも、中国に留学するマリも、地下室でバンド練習をする高橋も、中国人娼婦も、決して「美しい国」の住人ではないし、国のお世話になる再チャレンジなどに関心もない連中だ。世界にぽっかり開いた何もない夜。それこそ私たちの棲家だととりあえず言っておこう。