ちゅう年マンデーフライデー

ライク・ア・ローリングストーンなブログマガジン「マンフラ」

たぶん、ティファニーでは売っていない聖クリストフォロスのメダル

2008年11月04日 | 
 トルーマン・カポーティ作「ティファニーで朝食を」を新潮社の村上春樹翻訳版で読んだ。ティファニーブルーのカバーに金の箔押しで名無しの猫があしらってある装丁が気に入って思わず買ってしまったのだが、中身もとても面白い。

 タイトルにティファニーが出てくるほど、小説の中でこの店が頻繁に出てくるわけではないのだが、物語の主役であるホリー・ゴライトリーが説明しようのない心の不安感のようなもの(ブルーではなく「アカ」になると表現している)を癒すものとしてあげるのがティファニーという空間なのだ。酒でもなく、マリファナでもなくティファニーなのである。ホリーは自らの名前をホリデー・ゴライトリー・トラヴェラーと名乗るほど、自由気ままな根無し草である。そのホリーに、主人公の「僕」がクリスマス・プレゼントとしてあげるのがティファニーで買った「聖クリストフォロス」のメダル。ここではじめて、ティファニーの商品が登場するのだが、聖クリストフォロスとは、旅人を守る聖人なのだそうで、だからホリーには、とてもふさわしい贈り物なのだった。

 でも、ホリーと僕は一時けんか別れし、このメダルも部屋のどこかに捨てられてしまうのだが、いざホリーがブラジルにエスケイプしようというときになると、ホリーはあのメダルを探しきてと「僕」に頼み、旅のお守りとして携えてブラジルに渡るという顛末なのである。そういう意味で、ティファニーはさりげなく登場しながら、実に重要な役割を担っているのである。舞台は第二次世界大戦中のニューヨークである。日本とくらべものにならないほどアメリカ人は贅沢に過ごしているのだが、小説の至るところに、戦争の不安の影が落ちていて、だからこそティファニーの凛とした空間は、その不安の意味と静かに対峙できる場所なのだろう。その対極が、いわくありげなセレブの喧騒とパーティに明け暮れるホリーのアパートの部屋なのである。

 ところで、この聖クリストフォロスのメダルというものをティファニーでは売っていたのだろうか。たぶん、おそらくいまは売っていないのだろうが、旅のお守りとして売り出したらきっと売れるのにな、と思うのだった。

 さて、この原作を読めば、ブレイク・エドワーズ監督、オードリー・ヘップバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」が気になる。村上版「ティファニー」のあとがきで、ヘップバーンをイメージしないで読んでほしい旨のことが書いてあった。この映画は、大分以前にたぶん日曜洋画劇場あたりで観たと思う。でも、小説のホリーは20歳くらいで、髪を赤や黄色に染めていたり、読み進めていくうちにヘップバーンのイメージはすっかり消えていたのだった。

 改めて1,500円のDVDを買って観ると、舞台は1960年代の繁栄のニューヨーク、しかもケネディ大統領が誕生した1961年公開。冷戦の危機が高まりつつあった時代とはいえ、じゃじゃ馬娘と新進作家という知的な男とのラブストーリーに組みなおされた映画では、時代を覆う不安のようなものは一掃されている。それゆえなぜティファニーなのかという小説が持っている意味合いは失われ、お菓子のおまけのリングにも名入れしてくれる顧客を差別しないサービスを提供する高級宝石店としてのみ機能しているという具合なのだった。村上春樹は原作の持ち味を生かしてリメイクしてほしいと「あとがき」に綴っていたが、では、ホリーは誰が演じたらいいのか、ホリーが窓辺でギターを弾きながら歌う歌は、「ムーンリバー」ではなく、どんな曲がいいのだろうか。ヘンリー・マンシーニの「ムーンリバー」は名曲だけれど、ワルツではないだろう。ホリーはファドも歌うと書いてある。あるいは牧場を営む獣医のドクに拾われ、ギターも教えられたというからフォーキーな曲がいいのか。そんなことに思いをめぐらした秋の休日だった。
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