8月12日(FRI)
広島県呉市吉浦町の海上自衛隊呉造修補給所貯油所の警備犬 「金剛丸」 が死んだ。
広島の地元紙 中国新聞に掲載されていた今朝の記事だ。
海上自衛隊に2匹しかいない国際救助犬の試験に合格した雄のジャーマンシェパード。 肺炎のため4歳4ヶ月の生涯を閉じた。
今朝の新聞記事
東日本大震災発生翌日から仙台で生存者の捜索に従事し がれきで脚をけがしてもひるまず、水の中でも泳いで捜索に当たったと言う・・・。
私達の為に必死で使命を果たしていたのだ。
自分以外のすべての為に使命を果たす。 東日本大震災から5ヶ月。
様々なかたちで使命を持った人々や使命感を持った方々が活躍している。 頭がさがるばかりだ。
昨年、USAバーモントキャスティングス社の薪ストーブ アンコールNCが嫁いで入った島根県簸川郡斐川の “Gさん” 宅 で 先の第二次世界大戦最中の体験を聞いた事を思い出した。
当時、斐川に在った飛行場に各地から召集された兵隊さん達の世話を町をあげてされていた時のことだ。
そこから鹿児島の知覧飛行場へ集まり 「特攻」 として出陣される兵隊さん達はみんな若者ばかりだったと聞いた。
お世話をしたその若い兵隊さんが出発する当日、斐川の飛行場を離陸すると手ぬぐいを片手になびかせながら “Gさん” 宅の上空を旋回し飛び去って行ったと感動の話だ。
そんな兵隊さん達だ。 生きておられたら戦後なんらかのアクセスが有ったはず・・・。 と 胸が詰まる。
昨日、山口県長門市で住宅リフォームが進む “Tさん” 宅へ ノルウェー王国の 薪ストーブ ヨツール F400 が嫁いで入った。
“K&Mくん” 達 の搬入を手伝った後、長門市内に嫁いでいる 同じヨツール F400 のOBさん “I さん” 宅を訪問した。
お父さんが折に触れ戦時中の体験談をよく話されるという。 聞けば他界した父と同じく終戦当時シベリアに抑留されていたそうだ。
私が小~中学生の頃、理解できる歳になったと思ったのか少しお酒が入ると戦争当時の話やシベリア抑留中の体験談を父からよく聞かされた。
晩年 入退院を繰り返す様になるまでは回を増すごとに人数の減る戦友の集まり事にもよく出席していた父だった。
生死を共に過ごした仲間意識は何よりも強固に違いない。 御国の為に! の使命を背負って戦った仲間達だ。
戦争は人を変える! “Iさん” のお父さんがよく口にされる言葉だそうだ。
大戦も敗戦色が濃くなり武器弾薬、食料も底を尽き空も海も それぞれ「特攻」の出番となってきた。
“Iさん” のお父さんが所属した陸軍の40名程の部隊も 「特攻」 の志願を募られたと言う。 10kgの爆弾を抱えて掘った穴に潜み、敵戦車が上を通過する時にもろとも爆発させるのだ。
その40名程の中で最年少だった “Iさん” のお父さんはすぐさま挙手した。 だが志願兵はお父さん一人だけだった。
全員が手を挙げると思っていたお父さんはその時まで上官、先輩達の言動・態度は何だったのかを悟らされたに違いない。
その出来事以来、最年少と言うだけでみんなから小間使い的な扱いを強いられてきた “Iさん” のお父さんが隊の中で一目置かれる様になったと聞く。
結局、「特攻」のかたちで終戦まで護っていたその場所へ敵戦車はやって来なかった。
戦争は人を変える! “Iさん” のお父さんの口癖ともなった体験談は死をも恐れずただひたすら使命に向けて突き進む中で良くも悪くも様変わりする人間模様を描き出した大きな意味を持つ言葉だ。
警備犬 「金剛丸」 が死んだ今日の新聞記事。
・・・使命・・・とは・・・を改めて・・・教えてくれた気がする。
そんな 「金剛丸」 の冥福を祈る 私もひとりでありたい
合 掌
Mr.Gnome