【時事(爺)放論】岳道茶房

話題いろいろだがね~
気楽に立寄ってちょ~

日本人の“友”となった「はやぶさ」

2010年06月22日 | 新聞案内人
日本人の“友”となった「はやぶさ」

 6月13日、帰ってきた「はやぶさ」は残念なことに、鳥でもなければ、生き物でもなかった。

 厄介なことに、機械である。重さ0.5トン。日本の技術の粋が詰め込まれた、小惑星探査機であった。

 もしも「はやぶさ」が、人格をもった一個の人間であるなら、筆者はどれほど手放しでこの人をほめても、後悔はしない。

○ついに故郷に

 目のくらむような長い旅路を、事故と怪我に度々みまわれ、挫折しながら、そのつど不死鳥のごとくよみがえり、克服して、ついに故郷へたどりついた。

 しかもその身は消滅しても、旅の本来の目的(カプセル)はきちんと約束通りに届けた。

 聡明で愚直でタフで、そのくせ創意と工夫、負けじ魂にあふれていた。

 小学生の頃、「名犬ラッシー」のモデルになったコリー犬が、スコットランドからヨークシャーまで、800キロをたった1匹で、飼い主のもとへ帰りつく、という話を読んだことがある。感動のあまり、泣けて泣けてしかたがなかった。

 「犬はすべて友だちだ」

 と、その時、思ったことを今も覚えている。以来の犬好きである。

 無論、これは少年期特有の精神現象といってよい。しかし生き物に関する思い出は、おそらく誰の胸の内にも、濃淡の差こそあれ、存在するはずだ。

 だが、困ったことに「はやぶさ」は、生き物ではない。「はやぶさ」が飛び立った平成15年(2003)に、漫画の世界では誕生したことになっている、「鉄腕アトム」と同じ機械であった。

 機械やその部品で組み立てられたロボットに、“心”は存在しない。感情もない。

 ところが、われわれ日本人のおもしろさは、この“心”なき物体にも感情を移入してしまうところにあった。江戸時代の武士は、毎日、刀をみがいており、現代のサラリーマンはマイカーを、休日のたびに洗い、清める。欧米の人々は日本人ほど几帳面ではない。おそらく機械は、生き物と区別されるものであるのだろう。

 が、日本人の場合、そこにある種の神性がやどっているかのように接する――。

○胸を躍らせ

 小惑星探査機「はやぶさ」にも、多くの日本人は胸を躍らせ、喝采し、そして泣いた。

 地球と火星の間にある、3億キロ彼方の小惑星「イトカワ」に着陸して、「イトカワ」の砂を採集し、再び地球へ戻ってくるという、これ自体高度なテーマを目標に掲げて出発した「はやぶさ」は、結局、約60億キロもの長旅を敢行することになる。地球に戻ってくるのに3年遅れ、7年の歳月を費やした。「イトカワ」に到着した前後、3基ある姿勢制御装置のうち、2基が故障。さらに着陸・離陸を2回ずつ行った直後に、ガス噴射エンジンの化学燃料が大量に漏れた。

 姿勢がくずれた「はやぶさ」は、アンテナを地球に向けられなくなり、通信は7週間も不能となった。 イオン噴射エンジンは設計寿命を超え、エンジンは1基しか動かなくなってしまう。

 手のとどかない、はるか宇宙の果て、帰還は幾度も絶望視されながら、研究者・技術者たちがその都度、解決策を見つけ出し、「はやぶさ」は地球帰還に最低必要な2基のエンジンを、1基のエンジンの電気回路の切り換えで克服、地球へ帰還した。

 「意地と忍耐と最後は神頼みだった」
 とチームリーダーは新聞で、語っていた。

 しかし、燃料不足のため「はやぶさ」は大気圏に突入し、燃えつきてしまう。その前に、「イトカワ」採取のカプセルをオーストラリアの砂漠に落下させて――。

 「南天の天の川の前を右下から上方へ横切った『はやぶさ』と回収カプセル」のカラー写真を「朝日新聞」(6月14日)でみたとき、筆者は不覚にも涙が出た。

 「はやぶさ」がわれわれ日本人に、60億キロの旅を終え、語りかけてくれたように思えたからだ。

 「あきらめちゃいけない、人生はなんとかなるものだよ」

 と。本当に、そう思った。

2010年06月22日 新聞案内人
加来 耕三 歴史家・作家


最新の画像もっと見る