ヴォーゲル先生の副題を真に生かすには
数日前に、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」(1979年6月出版、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授 著)の30周年の出版セミナーが東京で行われた。副題は「米国のための教訓」である。
米国が日本から学ぶことは沢山あるという教えに変わりはないが、今回は過去の雰囲気とは180度変わったと言っていいだろう。当時は日本のよいところを学ぶべきである、という内容であったが、今回は日本の失敗から何を学ぶかが中心であった。即ち、外国人にとって、日本の過去の「模範」は反面教師になった。
○反面教師として参考に
反面教師の面があることは否定できない。バブル後の政策反応は、甘く、遅かった。既得権益の延命策として、土地や物件が均衡価格に下落することを10年間延ばした。政治も細分化し、与野党とも利益団体の支持を狙い、国民全体の声を聞かなくなった。そのようななか、縦割行政が続き、政治指導力の欠如を利用し制度改革を遅らせた。企業も危機に陥らない限り、必要な事業再構築を遅らせた。「建設的な破壊」を極度に嫌がり、非効率部門を温存した。正社員、年金受給者の利益を考え、国全体の政策決定プロセスがデフレを許し、非効率のツケを若者や次世代に回した。高齢化が進めば進むほど、これらの問題が深刻化してくる。
海外でも、日本と酷似している問題は多い。もちろん、問題が発生したことは全て自国の責任である。だが、解決策を考えるとき、外国人が日本の失敗を参考にすることが役立つと思うのは良く分かる。事実、連銀は早い段階から日本を勉強していた。2002年6月、連銀は調査報告として、「デフレの予防: 90年代の日本の経験からの教訓」を発表している。リーマンショック以後、いくつかの連銀を含む米政府の高官などが来日し、日本が採ったデフレ対策を勉強した。連銀が、リーマンショックが発生した2008年8月からの一年間で、ベース・マネーを倍以上増やしたことは、「デフレの疑いがあれば、迅速に、大量に措置を取るべきである」という日本からの教訓が参考になったのである。
このような教えがあったため、日本が行わなかった(あるいは、遅すぎた)措置を米国が速い段階から採ったものもある。ヴォーゲル先生の副題は忘れられたわけではなかったのである。
ただ、「日本は反面教師である」という見方には盲点もある。日本が正しく行って、一方、米国が行っていない政策も少なくない。
最近の米議会が(特に上院の選挙制度において)、非民主的であることは指摘されている。1990年代前半の日本の国会でも、一票の格差問題が指摘された。この問題は新しくもなかったが、最高裁からの刺激もあって、議席配分が直された。その結果、人口の少ない地方から人口の多い都市部に議席が移った。一方、米国では似たような議論さえしていない。むしろ、この前の最高裁の判決(2010年1月)で、企業の政治献金は「言論の自由」の一つであり、制限をしないということになった。今回の中間選挙でも、この判決が大きな影響を与えたと思われる。開示されない企業献金で民主主義が改善し、資源配分が良くなり、経済が活性化するとは思いにくい。
○金融監督再編は日本がうまく対応
もう一つ、日本が米国より早く、うまく行った改革は金融監督の再編である。今回の金融危機は、米国の金融監督の細分化が原因の一つであることが広く言われている。保険業界の問題は特に大きく、各州が監督責任を持っている。1990年代前半の日本もそうであった。だが、いくつかの銀行、証券会社、保険会社が問題になった1997年の秋以降、やはり、全ての業界を一つの監督機関の下で監督することはより合理的な制度になるという判断が下った。これによって金融庁が誕生し、今では業界からでさえ高い評価を得ている。しかも、1997年の危機から新制度が立法されるまで1年間しかかからなかった。
これは米国の結果と対照的である。リーマンショックは2008年9月であったが、金融制度改革が立法されたのが2010年の秋。かかる時間は日本の倍であった。加えて、監督制度の改善はいくつかあったが、細分化は相変わらず維持され、各省庁の縦割り問題は増幅し、共同行動は可能かという懸念が残る。反面教師どころか、日本のほうが模範的態度を見せた。
日本人でさえ、ここ20年間の日本経済、政治経済が反面教師であると思っているのだから、外国人がそう思うのもおかしくはない。しかし、この考え方は都合のいい、怠慢な思い込みに過ぎない。ここ20年間、日本は模範的な面も見せてきた。
世界議論に貢献できる日本は、自分の失敗だけではなく、自分の模範も宣伝する必要がある。そうなって初めて、ヴォーゲル先生の副題が完全に活性化される。
2010年11月05日 新聞案内人
ロバート・アラン・フェルドマン モルガン・スタンレーMUFG証券 マネジング・ディレクター経済調査部長
数日前に、「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」(1979年6月出版、ハーバード大学のエズラ・ヴォーゲル教授 著)の30周年の出版セミナーが東京で行われた。副題は「米国のための教訓」である。
米国が日本から学ぶことは沢山あるという教えに変わりはないが、今回は過去の雰囲気とは180度変わったと言っていいだろう。当時は日本のよいところを学ぶべきである、という内容であったが、今回は日本の失敗から何を学ぶかが中心であった。即ち、外国人にとって、日本の過去の「模範」は反面教師になった。
○反面教師として参考に
反面教師の面があることは否定できない。バブル後の政策反応は、甘く、遅かった。既得権益の延命策として、土地や物件が均衡価格に下落することを10年間延ばした。政治も細分化し、与野党とも利益団体の支持を狙い、国民全体の声を聞かなくなった。そのようななか、縦割行政が続き、政治指導力の欠如を利用し制度改革を遅らせた。企業も危機に陥らない限り、必要な事業再構築を遅らせた。「建設的な破壊」を極度に嫌がり、非効率部門を温存した。正社員、年金受給者の利益を考え、国全体の政策決定プロセスがデフレを許し、非効率のツケを若者や次世代に回した。高齢化が進めば進むほど、これらの問題が深刻化してくる。
海外でも、日本と酷似している問題は多い。もちろん、問題が発生したことは全て自国の責任である。だが、解決策を考えるとき、外国人が日本の失敗を参考にすることが役立つと思うのは良く分かる。事実、連銀は早い段階から日本を勉強していた。2002年6月、連銀は調査報告として、「デフレの予防: 90年代の日本の経験からの教訓」を発表している。リーマンショック以後、いくつかの連銀を含む米政府の高官などが来日し、日本が採ったデフレ対策を勉強した。連銀が、リーマンショックが発生した2008年8月からの一年間で、ベース・マネーを倍以上増やしたことは、「デフレの疑いがあれば、迅速に、大量に措置を取るべきである」という日本からの教訓が参考になったのである。
このような教えがあったため、日本が行わなかった(あるいは、遅すぎた)措置を米国が速い段階から採ったものもある。ヴォーゲル先生の副題は忘れられたわけではなかったのである。
ただ、「日本は反面教師である」という見方には盲点もある。日本が正しく行って、一方、米国が行っていない政策も少なくない。
最近の米議会が(特に上院の選挙制度において)、非民主的であることは指摘されている。1990年代前半の日本の国会でも、一票の格差問題が指摘された。この問題は新しくもなかったが、最高裁からの刺激もあって、議席配分が直された。その結果、人口の少ない地方から人口の多い都市部に議席が移った。一方、米国では似たような議論さえしていない。むしろ、この前の最高裁の判決(2010年1月)で、企業の政治献金は「言論の自由」の一つであり、制限をしないということになった。今回の中間選挙でも、この判決が大きな影響を与えたと思われる。開示されない企業献金で民主主義が改善し、資源配分が良くなり、経済が活性化するとは思いにくい。
○金融監督再編は日本がうまく対応
もう一つ、日本が米国より早く、うまく行った改革は金融監督の再編である。今回の金融危機は、米国の金融監督の細分化が原因の一つであることが広く言われている。保険業界の問題は特に大きく、各州が監督責任を持っている。1990年代前半の日本もそうであった。だが、いくつかの銀行、証券会社、保険会社が問題になった1997年の秋以降、やはり、全ての業界を一つの監督機関の下で監督することはより合理的な制度になるという判断が下った。これによって金融庁が誕生し、今では業界からでさえ高い評価を得ている。しかも、1997年の危機から新制度が立法されるまで1年間しかかからなかった。
これは米国の結果と対照的である。リーマンショックは2008年9月であったが、金融制度改革が立法されたのが2010年の秋。かかる時間は日本の倍であった。加えて、監督制度の改善はいくつかあったが、細分化は相変わらず維持され、各省庁の縦割り問題は増幅し、共同行動は可能かという懸念が残る。反面教師どころか、日本のほうが模範的態度を見せた。
日本人でさえ、ここ20年間の日本経済、政治経済が反面教師であると思っているのだから、外国人がそう思うのもおかしくはない。しかし、この考え方は都合のいい、怠慢な思い込みに過ぎない。ここ20年間、日本は模範的な面も見せてきた。
世界議論に貢献できる日本は、自分の失敗だけではなく、自分の模範も宣伝する必要がある。そうなって初めて、ヴォーゲル先生の副題が完全に活性化される。
2010年11月05日 新聞案内人
ロバート・アラン・フェルドマン モルガン・スタンレーMUFG証券 マネジング・ディレクター経済調査部長