アートな気分で田舎とふれあおう

よみがえれ、我が母校の木造校舎よ、ギャラリーに!
「西会津国際芸術村」と周辺の四季を写真と共に紹介します

GW 八重の桜プチ紀行(一休み) 

2013-05-27 23:43:51 | 福島・東北を応援

『八重の桜プチ紀行』、あと少しだけ続きがあるのですが、
ちょっと一休みしています。(いや、かなりのお休みか?)

昨日のNHK大河ドラマ『八重の桜』では、とうとう・・・

もうオープニングからラストまで目が離せない展開で、
三郎や修理が出てくるだけで、今日この人たちは・・・
と思うと、まだ生きているうちから涙がジワ~っと。
なので当然のことながら、観終わった時には号泣でした
(BSプレミアムとNHK、2回観たのに両方とも)

心優しい殿だから、ここで修理を自分の代わりに死なせてしまったことを、
きっと、ずっとずぅ~っと一生後悔し続けるのでしょうね。
「なぜわしは不信感を抱きつつも、今まで散々騙され続けてきた慶喜と一緒に
家臣を大阪に置き去りにして、江戸にトンズラしちゃったんだろう!」と。
まぁ、これだけじゃなく、更なる悲劇が会津には待ち受けているわけで、
殿は死ぬまで苦悩を抱え続け、今の綾野さん演じる殿の表情と同じように、
もう一生心から笑うことはなかったんじゃないかと思ってしまいます。

若い命を散らした三郎の戦死も悲しかったけど、
修理の理不尽な最期には、どうにも心の持っていきようがなく、
今日一日ずっとどんよりとした気分で過ごしました。

あ~、来週からは殿のお傍にお仕えする修理様(斎藤工)のお姿を
もう見ることはないのですね。
修理の父上や妻の雪は、あと何回出番があるのでしょうか?

これから少なくても7月いっぱいまでは、毎回こんな気持ちになるのかと思うと、
早く明治維新後の京都パートになってほしいと思ってしまいます。
(救いは、『八重の桜』の後に、苦悩の殿が純真で無邪気な空井くん変身すること。)

そうそう、あまりにも会津戦争までが長すぎて、ジョーの出番が省略されちゃうんじゃ!?
という心配の声も出始めています。う~む、確かに。
敗戦から斗南の時代も今と同じように丁寧に描いてほしい(八重は出なくても)。
大人の山川健次郎や捨松もキャスト紹介されてるから、当然二人のことはやるんだろうし、
斎藤一が新撰組の中で一番クローズアップされているってことは、時尾とのことも・・・。
是非やってほしいと思いながらも、そうすると本当にジョーの出番が・・・

それならばいっそのこと、どなたかの意見にあったように、
今年の大河は『八重の桜 幕末編』にして、また別の年に『明治編』を!
なんてマジで期待してしまったりするのですが・・・。
山本むつみさんの脚本で、今回残念ながら割愛されてしまったストーリーを見てみたい。

例えば、今回の大河ドラマでは前半出番の少なかった修理にもっとスポットを当ててほしい。
長崎での修理のことも、もっと知りたいです。
敗戦後の斗南から陸軍での大蔵のことも、詳しくやってほしいし、
秋月や広沢など生き延びる藩士たちのことや、会津と新撰組の関係、
そしてもちろん殿のその後のことなども詳しく知りたい。

あ、これだともはや『八重の桜』じゃないですね。もう、タイトルは『会津の桜』でいい。
『八重の桜』だから、主人公がどうだとかってとやかく言われてしまうわけで、
初めから群像劇にしとけば、もっと視聴者の見方が変わったと思うんですが。

1年のドラマって長い気がするけど、1回わずか45分足らずなのでけっこう短く感じる。
大河ドラマじゃなくてもいいから、会津に視点を当てたドラマ、
もっといろいろやってもらえないかなぁ。白虎隊以外にも。

なんか、取りとめのない文章になってしまいましたので、この辺で


GW 八重の桜プチ紀行(大河ドラマ館)

2013-05-20 23:09:23 | 会津フォトギャラリー

先週末からいろいろあって、更新ができませんでした。
GWの話題に今更感がありますが、とりあえず続きを・・・。

鶴ヶ城での昼食後は、近くにある八重と覚馬の生家跡へ行ってみようかと思いましたが、
時間がないし路地に石碑が建っているだけらしいので、今回はパスすることに。

で、次の目的地は、鶴ヶ城のお隣、県立博物館側にある「大河ドラマ館」へ。



入り口では、ふくしま八重隊の方々がお出迎え。
左から2人目が八重さんで、一番右が尚之助様か・・・、と思ったら、
webサイトの人物紹介を見ると、どうやらあんつぁま覚馬のようですね。



もう、記憶もまばらですが、入ってすぐのところだったかに
スペンサー銃を持つ八重のポスター。



よく見ると、銃口のところには、綾瀬はるかさんの可愛らしいサインが。


館内のほとんどは撮影禁止エリアで、ドラマの登場人物の衣装が展示してあったりします。


「八重の桜」綾瀬さんのポスターでおなじみ、鮮やかなピンクの桜柄の着物や
いつも八重が着ていた縦縞の会津木綿の着物、尚之助様の白い羽織と紫の袴(?)、
そして殿が御召しになられている光沢のある緞子(どんす)の御衣装やらが並んでいます。

あとは、体験で銃を撃たせてもらえるコーナーがあったり、
山本家の間取りがわかる模型が置いてあったり、
ドラマのメイキング映像が流れていたり・・・。

そのメイキング映像観賞エリアの脇の通路(?)には、
出演者の方々が書いたサイン入り色紙が展示してあるのですが、
皆さんわりとありきたりな一言を添えている中、印象深いコメント発見!

「父です 娘をよろしく」 by おとっつぁまの権八さん(松重豊さん)
しかも、字と書き方が可愛いらしいんです。

「会津の過去を知り 日本の未来を行く」 by 秋月悌次郎(北村有起哉さん)

う~む、流石ドラマの中でもいい味だしてるお二人です!
それと、綾瀬さんの字が綺麗だということも印象に残っています。




昨日の放送では、ついに鳥羽・伏見の戦いが始まり、
林権助(「白虎隊」で容保だった風間杜夫)が戦死。
権助の訃報に、殿(綾野剛)が珍しく取り乱しておりました。
殿が取り乱すのは、帝が崩御された時以来ですね。

誤算だらけの慶喜(小泉孝太郎)は、ちょん髷にフランスの軍服姿。
もしかして、あれはナポレオン三世から送られたという軍服?
着物姿だとなで肩ぎみなので華奢に見えるけど、
軍服だとガッチリ肩幅で凛々しくて、けっこう似合っています。
それだけじゃなく、なんかいつもと違う!と思ったら、
ちょん髷はちょん髷でも月代から総髪になっている!!
※凛々しく軍服着てるといっても、戦の為ではありません。

そういや、西郷モニカどん(吉川晃司)も、いきなりちょん髷がなくなってた。
ここ数週間で、覚馬や大蔵などの髪型が月代から総髪になっているし、
こんなところからも、時代が変わっているのが感じられます。


あ~、あと何週間は、辛くて重い場面を観なくてはいけないんですね


 「ハンサムウーマン 八重と会津博 大河ドラマ館」
 ※町中周遊バスのチケットで、入館料が割引になります。


(2013年5月1日)



GW 八重の桜プチ紀行(鶴ヶ城③)

2013-05-15 23:17:40 | 会津フォトギャラリー

「奈与竹(なよたけ)之碑碑前祭」が終わると、お昼時。
コンビニでお昼ご飯と飲み物を買って、鶴ヶ城へ。




3日前に比べると、随分桜の花が散ってしまいました。




本丸入り口付近のベンチに腰をおろし、鶴ヶ城を眺めながら桜の木の下で昼食。

本丸入り口で「お城ボくん」がある(いる)こともあり、ここで多くの人が記念撮影。
会津藩士の格好をしたサムライシティー会津隊の方々が、観光客をお出迎えしていて、
「写真撮ってもらっていいですか?」と思われる言葉をひっきりなしにかけられている。

見ていて面白いのが、「一緒に写真を撮ってください」という意味ではなく、
多くの人がカメラのシャッターを押してほしいとカメラマンを頼んでいること。
一緒に写真を撮っている人がいると、その次の人も同じようにお願いする。
しかし、サムライシティーの人達だけが立っていると、遠慮している(?)のか
カメラマンを頼んで自分たちだけで写真に収まるケースが多い。



私は自分は写らなくていいので、サムライシティーの人と
お城ボくんだけを入れて、写真を撮らせてもらいました。

一番右の若いお兄ちゃんは、白虎隊士なんだそう。
銃を持たせてもらうとけっこう重い。
ゲベール銃らしいが、それでも本物よりは1Kg軽い3Kg。





すみません、眠くなったので、今日はこれまで・・・。



(2013年5月1日撮影)



GW 八重の桜プチ紀行(善龍寺)

2013-05-14 23:33:22 | 会津フォトギャラリー

GWの混雑を避ける為、平日の5月1日に再び若松へ。

5月1日といえば、昨年知った「奈与竹之碑碑前祭」の日。
今年も建福寺に寄った後に、善龍寺を訪れました。

恥ずかしながら、去年は西郷頼母やその一族のことを
実はほとんど知らずに案内してもらったのですが、
今年は『八重の桜』の影響で、幕末と明治維新について
少しずつではありますが会津の歴史の勉強もしているので、
去年とは違う気持ちで頼母と妻・千恵子、
そして自刃した一族のお墓参りをしました。

頼母と千恵子のお墓は21人のお墓とは少し離れた場所にあります。
頼母の家柄からすると、先祖の墓に比べてとても小さな墓石で、
案内の看板がなければ見過ごしてしまうほど。
これは、本人の遺志でわざと小さなお墓にしたと書いてあったような・・・。


「なよ竹の風にまかする身ながらもたわまぬ節はありとこそ聞け」
千恵子が詠んだ辞世の歌にちなむ「奈与竹之碑」




ここで、戊辰戦争で犠牲になった会津藩士の妻子ら女性233人を弔う式典が
嫋竹(なよたけ)会の主催で遺族や会員が参加して行われました。
(式典をやっている間に、私は邪魔にならないようお墓参りしてました。)





その後、葵高校の舞踊部員が薙刀の舞を披露。
薙刀を手に戦い銃弾に倒れた中野竹子ら娘子隊の悲劇を厳粛な舞で演じました。










そして、同じく葵高校薙刀部による演武を奉納。








テレビカメラや新聞社の人なども取材に来ていました。
大河ドラマのエンディング、歴史解説でも紹介されるらしいです。







今週日曜日の放送で、ついに「鳥羽・伏見の戦い」が始まってしまいますね。
ああ、三郎・・・(涙)

暫くは辛い展開ばかりになりそうですが、ちゃんと会津戦争を見届けたいと思います。


(2013年5月1日撮影)



GW 八重の桜プチ紀行(鶴ヶ城②)

2013-05-13 23:35:10 | 会津フォトギャラリー

今年は大河ドラマ『八重の桜』効果で、若松への観光客が増加し、
観光客が更に増える4月から、臨時駐車場を多数用意したり、
市内は渋滞対策をしているなどと耳に入っておりました。

その為、神明通りを通って鶴ヶ城近くの合同庁舎が発着場所の高速バスが、
GW期間中は駅前発着になっていて、私が郡山から乗った高速バスも駅前終点。
(荷物を駅のコインロッカーに預けたかったから、まぁいいんだけど・・・。)

その代わりといってはなんですが、町中周遊バスの「ハイカラさん」やら「赤べぇ」の
臨時便が何台も出ていました。(臨時便は、普通の会津バスの車両。)
私が若松に着いた時も、周遊バスとは別に鶴ヶ城直通の臨時バスが出ていて、
直ぐにそのバスに乗り込むことができたのでラッキー!
おまけにバスの運ちゃんが、あれこれガイドをしてくれました。

というわけで、バスが着いた鶴ヶ城三の丸口駐車場は人も車もいっぱい。



GW前半の中日だけあって、城内に入ると観光案内所前は大変な賑わいでした。




桜の方は、毎年お濠より開花が早いので、ほぼ予想通りの咲き具合。






翌日から天気が徐々に崩れるとのことだったので、この日ぐらいまでがお花見日和?
(なので、無理にでもこの日に鶴ヶ城の桜をみておきたかったのです。)






この石の階段(上から見るとわかりずらいですが)、『八重の桜』の最初の頃に
京に行くことに決まった覚馬が謹慎中の官兵衛から想いを託された場所ですね。








茶室麟閣の辺りは、江戸時代の風情があるせいか、ドラマの会津パートによく出てきました。
今まで何度も自分でも歩いた場所だけど、そう思って歩くと感慨深かったりして・・・。




石垣の上の櫓跡から眺める赤い廊下橋。昔は屋根付きだったとか。
ドラマの中では、京からの知らせの早馬が駆け抜けていました。




戊辰戦争の際、籠城戦になっても正確な時を告げ続けたという鐘(石垣の上)です。
時守が撃たれても別の者がこれを鳴らし、開城の時まで止むことがなかったとか。
ここの石段はとても急なので、登りはいいけど下りはちょっと怖い。
というわけで、写真は彼女を心配して両手を広げて下で待っている彼氏。




休日だというのに、去年に比べるとお花見している人が少ない。
今年は大河ドラマで観光客が多いので、自粛令でも出てたのかな?




八重のキャラクター『八重たん』の看板がある記念撮影スポットでは、
次から次へと団体旅行客がプロのカメラマンに写真を撮ってもらっていました。







何年かぶりに天守閣に登りたかったけど、時間がないので次回にお預け。
休日は西会津のデマンドバスの最終便が早いので、のんびりしている時間がないのです。



(2013年4月28日撮影)



GW 八重の桜プチ紀行(鶴ヶ城①)

2013-05-12 09:41:16 | 会津フォトギャラリー

お久しぶりです。

GWに帰省し、急ぎ足ですが若松観光をしました。
タイトルに「八重の桜プチ紀行」とプチをつけたのは、
あまり時間がなくて少ししか周れなかったから・・・。

4月28日帰省途中に、コインロッカーに荷物を預け、
まずはこの時期定番の観光コース、鶴ヶ城を訪れました。

この前の週末は雪が降り、その後も冬のような寒さが続いていたようで、
そのお蔭か、桜の花が長持ちして期待通り散らずにまだ咲いていました。

まずは、お濠の桜です。











(2013年4月28日撮影)