李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

  【  「 倭 」  と い う 漢 字 の 解 釈 】 

2020-12-25 05:54:09 | Weblog

   ーー 倭 の 末 裔 は 、 自 意 ( 夷) 識 が 過 剰  ーー

 

「倭」という字は、正式に「記紀」で使われていた列島の古代名称で、古くは、列島に関する最古の文字記録として、唐土の「漢書」地理志に始まり、三海経、論衡、後漢書、三国史、晋書、好太王碑文、宋書、南斉書、梁書、南史、惰(耳偏)、北史、旧唐書、新唐書、朝鮮の三国史記、更に、列島の古事記、日本書紀、続日本紀と、八世紀に至るまで ずっと公式の史書、文書で使用されていた日本の古称であった。

所が、自分のふるさとである「倭」という「漢字名」の意味が、未だによく分からない倭人の末裔が結構多い。 意味はよくは分からないのに、不思議にも、「倭」という字には、人をバカにする意味があると思っている人が結構居る。尚且つ、面白い事に、その「卑しめられている」という意味の解釈がまちまちで、十人十色になっている。

書物やウエブなどで、目に留まった解釈の例を幾つかここに挙げて見る ;

例 一、「倭」は「背が曲がって丈(たけ)の低い人」を表し、古代中国で日本・日本人を指した字。 まあ、中華思想は昔からあって、自分たちが世界で一番素晴らしいと思っている国ですから周りの国々を常に低く見て蔑称で呼んでいたんです。

例 二、 倭というのは字義が「小さい」という意味。 古代中国人は周辺民族の呼称に何らかの悪い字を用いることが多かったようです。

例 三、 「委」(現代中国語の発音wei)はその解字が禾(曲がった稲)と,女で、「しなやかに 力なく倒れること。」

例 四、 「倭」とは遠く曲がりくねったという意味があり、中国から見て遠かったから。

例 五、 「倭」とは曲がりくねったという意味があり、倭人が腰が曲がっていて見にくかったから。

例 六、 「倭」を矮小の「矮」に通じるので、矮小化した蔑称。

例 七、 「和」とか「日本」とか名乗ること自体、嫌っていた証拠なので、当然、「倭」 という呼称 に侮辱、軽蔑の意図を感じたから嫌ったのである。

例 八, 中国語では「倭」は「醜い」「曲がってる」「歪んでる」だという意味だと聞いたことが あります。

 

以上の如く、例を挙げて行けばきりがないほど、「倭」という字にはバカにされている意味がある、と思っている。特に,「今の列島」と強調したのは、昔はそうではなかったという事実と対比する為です。

「昔の列島」はどうだったか、昔は、列島自体が、七世紀まで堂々と「倭」と自称し、他称も容れていたし、 八世紀になっても大和国の意味で使われた他、神武天皇の名の一部に使われていた。それで、数多くの漢学や歴史の権威が指摘するように、「倭」が悪い意味だから嫌ったというのは史実ではない。

 

阿部吉雄 編集の旺文社「漢和辞典」によると、「倭」という字は、形声文字で、人 と、まかせる意とともに、音を表す委とから成り、意味するのは、 (1) 従順なさま。すなをなさま。つつしむさま。 (2) まわり遠いさま という風に解説し、特に、「卑しめる」という意味があるとは言っていない。

更に、「広辞苑」を見てみる。

『倭』 (1) 中国、朝鮮で用いられた日本の古称。 (2) 日本の自称。 やまと。和。 と、たったの二行で簡単に済ましている。

このように権威辞典の解説には、前述の、背や腰が曲がっているとか、背が低い、醜い、歪んでいる、しなやかに倒れる などなどの意味はないのに、何故、今の列島で多くの人が、昔は、「倭」という字によって、卑しめられていたと思うのであろうか。臍( へそ ) 曲がり( perverseness ) だとしか思えない。

 

ここで、ウエブの「知恵袋」に出ていた現代列島人の質問例を参考までに見てみる。

質問; 「倭」と呼ぶときは、最近は日本を蔑称して使われているようですが、 「倭」は人と稲と女で作られていますよね。 なぜこの「倭」が蔑称の意味を持つのか教えてください。

 

この質問に対して、ベスト回答として掲載されたのは、次のようなものであった;

回答 ; 中華思想の表れで、野蛮な周囲のクニ(日本だけではありません) には、わざと悪い漢字を当てたそうです。発音は独自のものですが (古代中国語では「和」でもほとんど一緒らしいです)、どの字をあてるかはあちらさま次第ということです。

中国語では「倭」は「醜い」「曲がってる」「歪んでる」だという意味 だと聞いたことがあります。

この遣り取りを目にして、先ず、不可解に思うのは、質問者は、何故「倭」の意味を漢和辞典で調べようとしなかったのかという事。辞典をめくれば、一発で疑問は解消するのに、それをせずに、敢えて在野の素人に問うて、トンチンカンな知恵を得ている。 何故トンチンカンなのか、この回答者の口調は、 「、、、当てたそうです」、「、、、一緒らしいです」「、、、聞いたことがあります」というように終始して、自分でも肯定しかねる口調で答えている事。このような答えがベストであるか、トンチンカンであるか、多少漢字の知識がある人なら、一目了然です。

しかし、知恵袋で、ベスト回答と唱っているので、質問者を始め、その他不特定人数の読者は、それを真に受けて信じる可能性が大いにある。昨今、かなり多くの人が「倭」という字を目にして、バカにされたと過敏に思うのは、恐らく、このような全く「いい加減」な言い分を、そのまま鵜呑みにしているからではないだろうか。

 

「倭」という呼称が最初に記載された文書は唐土の「漢書」である。 その記載内容は次のようになっている ;

        然して東夷は天性柔順にして、三方の外に異なる。故に

     孔子、道の行なはれざるを悼み、浮を海に設け、九夷に居

     らむと欲するは以( ゆえ)有るかな。楽浪海中に倭人あり。

     分かれて百余国と為り、歳時を以て来たり献見すと云ふ。

          ( 原文は漢文)

つまり、東夷は天性柔順で、他の北狄,南蛮,西戎とは異なっており、孔子が東夷の地に渡海しようとしたのも理由のある (無理はない) ところであると記している。 これは、明らかに東夷を良く評価している記載である。その東夷の中に、倭人が含まれているのである。

この記載のどこに、「卑しめ」の意味を見つけ出すのであろうか。且つ、孔子ですら九夷の地に渡りたいと云っているのに、何故、「倭」の子孫は自ら、自分を卑下するのだろうか。それが先ず不可解である。

唐土の古書「旧唐書」に、倭国が自ら其名を悪(にく) む、 という記載がある。 その内容は次のようになっている;

      日本国は倭国の別種なり、其の国、日辺に在るを以て、

      故に日本を以て名と為す。或は曰く「倭国、自ら其の名

    の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す」と。

   或は云う、「日本は旧(もと) 小国にして、倭国の地を併

   (あわ) すと」。  

      其の人、朝に入る者、自ら大を矜(ほこ)るもの多く、実を

   以て対(こた)へず。故に中国焉(これ) を疑ふ。      

         ( 原文は漢文)

 

この記載によると、列島が、名を「倭」から「日本」に変えた理由は、二つの可能性がある。

一つは、自ら其の名雅ならずを悪( いや)がり日本に改めた、というもの。

いま一つは、日本旧 ( もと) 小国にて倭国の地を併合したので、国の名も日本に変わった、というもの。

その何れが真相なのか、唐土の人にはよく分からない。しかし、入朝する者、自ら大を矜(ほこ)るものが多く、実を以て対さないので、中国はその言い分を疑問視している。さすがに、古い国だけあって、第六感は鋭い。

言い分を疑問視していたが、列島が自分の名前を変えたいというのだから、唐土は別に深く詮索もせず、また、する必要もないと思ったでしょう、その後、列島に関する記述を、「倭国伝」から「日本国伝」に書き変えた。やはり、大人の国である。

列島の使いが、「実を以て対さない」ので、唐土側は改名の真相をよく知らない。となると、改名の真相は列島自体に求める外はない。

 

列島古代史は、皇国史観のもとにずっと昔から、国民に知られないように真相を隠し続けて居た。従い、改名の理由は、前述のように、二つの可能性があるにも拘らず、列島では、ずっとそれを「倭という字は良くない意味を持つから」という言い分に絞って、庶民に説明した来た。 それがそのままずっと庶民の頭に残り、今日に至るも、日本人は自分のふるさとの名に卑しい意味が含まれていると思い込んでいるのだろう。

日本古代史の真相は、戦後、皇国史観の衰退につれ、学者達により、徐々に仮面が剥がれ、真実が明るみに出るようになった。 その結果、旧唐書に記載されていた倭国の改名は、「倭」という名を持つ九州王朝が、近畿のヤマト王朝に滅ぼされた為に、「倭」という国が無くなり、新たに、「日本」という名の国が誕生した、というのが真相である事が分かった。

つまり、「日本旧 (もと) 小国にて、倭国の地を併合したので、国の名も『日本』に変えた」 というのが真相なのである。 それは、同時に何を意味するのかというと、従来信じられて来た 「倭の名雅ならず、それで日本に改めた」という説明は事実では無かったという事である。

ところが、庶民というのは単純だから、一旦、そう教え込まれると、なかなかそのような迷信から抜け出せない。だから未だもって、多くの日本人は、立派に「人つくり」のついている「倭」という字に偏見を持ち、自国の古代の呼称を卑しいものだと思って敬遠する。

自国の歴史の虚偽記述と皇民教育により生じた迷信が、他人からバカにされた訳でもないのに、自己軽蔑と言うか、自己卑下と言うような自虐概念を齎( もた)らしたものに外ならないのである。

古代文字を持たなかった列島の呼称に、「倭」という漢字を当てたのは、文字を持った唐土である。 何故、「倭」という字 ? バカにする意図があったなら、獣辺や、虫、鬼などの付いている字を当てたであろうが、そうではなしに、ちゃんと「人辺」の字を当てている。

 

唐土の古書「旧唐書」の記載を見ると;

 「倭国、自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す」   

  或は、「日本は旧(もと) 小国にして、倭国の地を併 (あわ) す

  と」云うので、  その後、列島に関する記述を、「倭国伝」

    から「日本国伝」に書き変えた。

 

この唐書の記載で分かるように、 「倭」にしても、「日本」にしても、列島が自己紹介をした「名称」をそのまま取り入れて使用している。 もし、唐土が意識的に「倭」字でもって列島をバカにしようとするなら、「日本国」に国名を変えても、唐土は依然として「倭」の名称に固執したであろう。 例えば、唐土の正式国名が「中国」であったにも拘わらず、日本はずっと『支那」で通して来たのと同じように、「倭国」で通す事も出来る。 しかし、そうしないで、ただちに、「日本国」に切り替えた。ということは、もともと 「倭」の名称でもって、列島をバカにする意図が無かった、ということの証(あか)しに他ならない。

嘗て、米国のタイム誌が、日本語の第一人称は二十以上ある、ということで特集を出した事がある。英語の一人称は一つしかないから、二十あるのは確かに不思議な事である。そのところに、列島社会の錯綜とした上下の人間関係の実態を見出す事ができる。

 

一人称が、「I」 の一つしかない英語に、バカにした、されたの問題は生じ難い。 日本語だと、俺と君、私と君、僕と君、だけで、バカにするしないの問題が生じる。 況して、 二十もあれば、人々は朝から晩まで、相手の使う言葉に神経を尖(とが)らす事になる。

「自意識過剰」という、列島で良く使われる言葉がある。

デジタル大辞泉によると、「他に対する自己を意識しすぎること。自分が他人にどう見られるかを考えすぎること。

大辞林 第三版によると、「他人が自分をどう見ているかを気にしすぎる状態」

つまり、基本的に、「他人にどう見られているを考え過ぎる」事を意味するもので、列島社会の特殊性格を表し、そして、世界に類例がない二十以上の一人称があるという事が、そのような「特殊性格」の存在を裏付けているのに他ならない。

だから、「倭」という漢字に、侮蔑の意味があると思うのは、根拠のないもので、倭人の末裔の「自意(夷)識過剰」によって生じた妄念であろう、としか解釈の仕様が無い。

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿