ーー 歴史の見方 ーー
『抜粋』
日本国の将来にとっての大きな問題は、家の外でも抑制があ
り、家のなかでも単に従順ではない個人を、いかにして育て
るか、ということに係っている。その「いかにして」は、ま
さに、自国の歴史をつき離して客観的に評価し且つ批判する
知的誠実さから、始めるほかはないだろう。
文化的成熟とは、みずからを批判し、みずからを笑うことの
できる能力である。徳川時代の狂歌師にはそれがあった。い
つの世の中でも、大真面目の自慢話ほど、幼稚で、愚劣で、
しかも危険なものはない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『本文』
加藤周一、と云えば、日本の「知性」の代表として、世界に広く知られた人である。
1986年に、氏は「歴史としての20世紀を語る」という著書を出している。その中で、加藤氏は、「歴史の見方」について、下記のように、語っていた。
《《 みずから成功を称え、失敗を隠す。善事を誇張し、悪事をご まかす。これは自慢話である。自慢話の用途は多く、世に広く行われて久しい。たとえば商品の売りこみであり、政治家の、殊に選挙前の、演説である。しかし一国の歴史の叙述を自慢話に還元しようとするのは、その国の文化の未熟さを示す。
不幸にして文部省による学校教科書の検閲には、その傾向が著しい。軍国日本の大きな政治的失敗は、中国侵略であったが、それを「進出」といいつくろって、中国政府から抗議された。悪事の際立ったものは、日本軍の残虐行為であったが、それをあいまいにしようとして、再び中国側から警告された。
日本軍の残虐行為の集中的表現は、いわゆる「南京虐殺」である。1937年、激戦の後、上海を抜いた日本軍は、はじめの「不拡大方針」を変更して、そのまま南京へ向かい、南京を占領した。それと同時に、多数の捕虜と中国人の非戦闘員、女や子供を含めての市民を、南京市の内外で虐殺したのである。
この事件は、戦時中の日本では報道されず、大部分の日本人は知らなかったが、被害者の中国人はもとより世界中の多くの人々は知っていた。
虐殺が行われたか、行われなかったかは、問題とするに足らない(それが行われたとする当事者の証言は、十分に多い)。被害者の数については異説がある。南京市文史資料研究会編の『証言 南京大虐殺』(日本語訳)によれば、「三十余万」、それよりも早く大戦後の戦争裁判法廷によれば、「二十万以上」である。
最近私は三人の著名なジャーナリストの回想録を読んだ。すなわちエドガー・スノウ『抗日解放の中国』(サイマル出版会、1986。原題Edgar Snow's China , ed. by Lois Wheeler Snow)、松本重治(聞き手・国弘正雄)『昭和史への一証言』(毎日新聞社、1986)、ロベール・ギラン『極東』(Robert Guillain , Orient Extreme , Une Vie en Asie , Le Seuil ,1986)である。
いずれも「南京虐殺」に触れる。『中国の赤い星』の著者スノウは、中国側からみて、「日本軍は南京だけで42000人以上の中国人を殺害したが、そのかなりが女子供であった」といい、1937年当時同盟通信社の上海支局長で、占領の五日後に南京に入った松本重治氏は、日本側からみて、捕虜と一般市民を併せた犠牲者の数を、「三万人ぐらい」と推定している。ギラン氏は、数の推定はしていない。しかし残虐行為の存在については、三人のうちの誰も疑っていない。
犠牲者の正確な数を知ることは、おそらく不可能であり、それを議論することには、あまり意味がないだろう。しかしその規模について、虐殺が数百人程度のことか、万あるいは十万単位のことか、およその推定には意味がある。エドガー・スノウが故意に犠牲者の数を低く見積もる理由は考えられず、松本重治氏が故意に高く見積もる可能性も考えられない。両者が万を以って数えているとすれば、虐殺の規模を「少なくとも数万」として大過あるまい。これは戦闘の目的を離れた「大量殺人」である。
かくして日本人が、過去において、大した悪事を働かなかったという話は、中国人はもとより、どういう外国人に対しても全く説得的でないだろう。そればかりでなく、その話を聞く側の関心は、過去の誤りに対して現在の日本人がどういう態度をとるか、ということである。誤りを隠し、ごまかし、いいつくろう態度から、彼らがどういう結論を抽きだすかは、政府の公式抗議があろうとなかろうと、あまりにもあきらかである。立場を換えて、たとえばヴィエトナム戦争当時、われわれ外国人が米国に対する敬意を失わなかったのは、ヴィエトナム戦争を弁護する米国人の議論に説得されたからではなく、自国の戦争を批判する米国人の存在に、米国の文化の成熟をみたからである。
逆に米国人が日本の文化に敬意をもつとすれば、日本国では何もかもめでたい、という話に説得されるからではなく、自国の侵略戦争をそういうものとして直視し、弾劾し、そこから教訓を抽きだそうとする日本人の存在によってのみであろう。
日本国内で、中学生や高校生に、日本国の過去には何も悪いことがなかったという話を聞かせたら、「愛国心」の涵養に役立つだろうか。彼らに対してもそういう話が説得的であるかどうかは、大いに疑わしい。もし彼らがそう簡単にだまされぬとすれば、必ずや学校に対する不信感を強める効果しかないだろう。もし彼らがその話を真に受けるとすれば、「愛国心」の涵養に役立つかもしれない。しかしその「愛国心」は、事実をふまえず、批判精神を媒介としない盲目的な感情にすぎないだろう。盲目的「愛国心」が、国をどこへ導いてゆくかは、軍国日本の近い歴史が教える通りではなかろうか。
私は昔フランスに住んでいた頃、同じ事件を、政治的傾向を異にする新聞が、いかに異なって報道するか、例を示して高校生に教えている教師に出会ったことがある。その教師は、どれが正しいかを教えず、どれが正しいかを生徒自ら『考える』ことを、教えていた。けだし盲目的「愛国心」の涵養は、考えるための教育の反対物であり、つまるところ愚民政策の一つの形式にすぎない。
ギラン氏は、その回想録のなかで、中国における日本兵の残虐さに触れ、「日本の外で、敵に対しては、すべてが許されていたのだ」と書き、16世紀のキリスト教宣教師が日本人を定義した「家の外では虎、家のなかでは羊」という言葉を引いている。「20世紀のまっただ中でも、その定義は正しかった」と。
ヨーロッパのジャーナリストのなかで、ギラン氏ほどの親日家はおそらく少ない。そのギラン氏にして、この言あり。
日本国の将来にとっての大きな問題は、家の外でも抑制があり、家のなかでも単に従順ではない個人を、いかにして育てるか、ということに係っている。その「いかにして」は、まさに、自国の歴史をつき離して客観的に評価し且つ批判する知的誠実さから、始めるほかはないだろう。
文化的成熟とは、みずからを批判し、みずからを笑うことのできる能力である。徳川時代の狂歌師にはそれがあった。いつの世の中でも、大真面目の自慢話ほど、幼稚で、愚劣で、しかも危険なものはない。》》
さすがに、国際的な知識人として認められている 加藤氏の言である。真に国を愛する人とは、この人の事であろう。
南京虐殺に限らず、物事の真実を究めようとする「論議」はあって然るべき事であるが、ただ、論議の為にする論議では、感情的な「欝憤晴らし」に走る場合が多く、然程の意味を成さない。
近年に始まった、列島に於ける南京虐殺論議に、そのような傾向が強く感じられる。一介の、平凡ではあるが、常識のある市井人、そして、又、昭和ヒトケタ生まれで先の戦争を体験した者の角度から、南京事件について、書き残しておきたいという考えのもとに、本文を書いたもので、心ある人の、なにがしかの参考になれば、幸いだと思う。