ーー 金剛草履 か 春の筍 か ーー
ーー 日本語に多い トンチンカン 用語 ーー
ウエブの「徒然なるままに、、」というHP で『筍』という日記が目に付いた。 「掘ってきましたー大量大量 うっふふー これでしばらく筍食べられる今日の収獲数は、大小ありますが50本程度。
大きいお鍋で4つ分です。 それを3家族で分けて、尚且つ知り合いの家に上げたりしてもお 鍋2つ分余りました。
「 ? どうするんだあれ 」 という書き出しで、筍好きの、撰那という珍しい名の学生さんが、春の筍狩りで、収獲が多過ぎて持て余し、「どうするんだ」と自分に問うている日記なんです。
昔、唐土に「白居易」( 字は白楽天) という、日本でも有名な詩人が居て、「食筍」という「詩」を一つ作っていました。
全文十六句のうちに、次のような面白い五つの句がある。
春筍 満山谷 春筍 (しゅんのたけのこ)、山谷に満つる
山夫折盈抱 山夫 (やまびと) 、盈折(たくさんと)りて抱える
抱来早市鬻 抱え来て、朝市で売る
物以多為賎 物は、多きを以って賎( いや ) しと為(な)る
双銭易一束 一束を、双銭 ( 二文 ) に易える
これは、雨後の筍の収獲が多過ぎて困っている山夫も、筍を「どうするか」を詠ったもので、現代人の学生はそれを3家族で分けて、尚且つ知り合いの家に上げたりして処分したが、白楽天の山夫は一束を双銭に易えて処分した。
「双銭」というのは「二文」のことで、「一束双銭」は、すなわち「一束二文」になる。昔の唐土で安売りを「一束二銭」とも表現していた事がほぼこれで分かる。
日本語で、捨て売りの値段を、二束三文と云う。 昔、金剛草履 ( ぞうり) が二足で三文であったことから、この言葉が使われ出したと言はれている。これが一般辞書の説明である。
「 と言はれている、、、」という説明は、普段、実証を伴はない臆説に使はれる場合が多い。
草履は一足二足と云うが、捨て売りの値段は「二束三文」と通常云はれている。この間に、「足」と「束」の微妙な用語の違いがある。伝えるところに依れば、昔は、足を束に言い替えることもあったからだという。
この「、、、からだという」説明もすっきりしない物の言い方である。 ウエブ サイトで、「にそくさんもん」を検索してみたら、「二足三文」の当て字用例が 1、230 件だったのに対し、「二束三文」の当て字用例は 20、580 件あった。語源が二足のわらじに始まったというのに、圧倒多数の人が二足を二束に言い換えて使っている。どうしてだろうかと、多いに、首を傾げたくなる。
広辞林や広辞苑などのような権威辞書をめくると、共に、「二束三文」となっており、「二足三文」の項目は出ていない。つまり、天下の大辞書は「二束三文」だけ認め、「二足三文」は認めていないという事になる。 ウエブサイトで使用している日本語用語を、広辞林や広辞苑は認めていない事になる。これも、大変可笑しい事である。
二足のわらじに始まった言葉を、なぜ、二束三文に言い換えるのか、人々ははっきり訳が知らないままに、「わらじ二足」を「わらじ二束」に言い換えて使っている事になる。妙なこともあるものだと思う。
二束三文はことわざだから、ことわざ辞典なら、もう少し詳しい説明が載っているかも知れない。試しに、「故事ことわざ辞典」を見てみる。故事ことわざ辞典というのは 、言葉の意味を説明するだけに留 (とど)まらず、その出典、つまり、由来をも併せて紹介するという点で一般辞書と異なる。
有名な東京堂出版の「故事ことわざ辞典」に出ている「二束三文」の項目には、ーー 量が多くて値が非常に安いこと、捨売りの場合などにいう ーー、という意味の説明はあるが、その由来には全くふれていない。
故事ことわざ辞典が由来を紹介しないのは、由来がはっきりしない為に記載を避けたものだと思われる。 だとすれば、「二束三文」の由来は必ずしも金剛草履の安売りに決まったものではないということも言えるのではなかろうか。
そこで、また唐代の有名な詩人 白居易が作った「食筍」という詩に戻って見てみる。
春筍 (しゅんのたけのこ)、山谷に満つる
山夫 (やまのひと) 、盈折(たくさんと)りて 抱える
抱え来て、朝市で売る
物は、多きを以って賎( いや ) しと為る
一束を、双銭 ( 二文 ) に易える
昔の人は、一厘の穴あき銭を文と言っていた。だから、双銭は二文になる。春の筍が一束で二文というのは賎(やす)い。すると、日本語で安く売る事を「一束二銭」という言い方もあるのは、白楽天のこの詩が出典の元であるのは、殆んど間違いない。
春の筍は、年に一度しか取れないから珍品である。珍品を一束(たば)二文に易 (か)える、" こりゃ、安い! " という実感が伴う。それが、二束で三文だという事になれば、間違いなく捨て売りの値段になる。
白居易という詩人の名は、日本であまり良く知られていないようだが、詩人白楽天は良く知られている。実際は同一人物である。白居易が本名で、字 ( あざな) を楽天という。「後宮佳麗三千人、三千寵愛一身にあり」、と詩に詠い、唐の玄宗皇帝が後宮に美女三千人(非常に多数の意味 ) を待機させていたにも拘らず、楊貴妃一人だけを終始溺愛したという秘話を広く世間に曝露したのは、外ならぬ白楽天だった。
歴代の史家は、玄宗皇帝の物語について色々と多く書き残しているが、中国の全土から選りすぐった美女三千人を、なぜ、玄宗は後宮に置き去りにして寵愛しなかったのか。このような謎に触れ、それを解き明かそうとする文献を我々は殆ど見た事がない。不思議なことである。
春の筍、山谷に満つれば、賎しく為る 取り立ての春の筍を煮物にして食べる。味は天下一品に違いない。しかし、一度に十皿、眼の前に並べられたら、食欲は一気に減退して、箸を付ける気にもならんだろう。 天下の美女、三千人ごろごろ居たらば、賎しく為る 如何なる好色男でも、げんなりするのではないかと思う。そう考えてみると、美女三千人を置き去りにした玄宗皇帝の気持も分かるような気がする。
三千の美女は可憐な一妃に如かず、春( しゅん) の筍も過剰生産になれば価格は暴落する。二束三文という言葉が、春筍の過剰生産による安売りに由来するものだという説があってもおかしくない。少なくとも、なぜ、「二足」が「二束」に、という疑問が生じないだけ、筍の方が実感が供なって面白い。
昔から、春筍は、男女老幼を問わず、日本人の大好物であった。それに較べると、金剛草履を使用する人は非常に限られていた。安い値段で日本大衆に喜ばれるのは、春筍であって 金剛草履である可能性は低い。そして、春筍は今でも人々の大好物だが、金剛草履は、とうの昔に消えてしまった。
そこで思うのだが、言葉を正しく使うなら、人により、金剛草履の語源説を好んで取る場合は、やはり、「二足三文」と表現すべきであろうし、「二束三文」と云う表現を好む場合は、春 (しゅん)の筍の安売りが語源である、という二本立ての語源説を並立させるべきだと思う。
さもなくば、なぜ、「わらじ二足」を「わらじ二束」に言い換える必要があるのか、その訳をはっきり説明し、言葉の正しい用法を庶民に納得させてこそ、言葉の正しい用法が期待できる。 そうではなかろうか。
ーー 日本語に多い トンチンカン 用語 ーー
ウエブの「徒然なるままに、、」というHP で『筍』という日記が目に付いた。 「掘ってきましたー大量大量 うっふふー これでしばらく筍食べられる今日の収獲数は、大小ありますが50本程度。
大きいお鍋で4つ分です。 それを3家族で分けて、尚且つ知り合いの家に上げたりしてもお 鍋2つ分余りました。
「 ? どうするんだあれ 」 という書き出しで、筍好きの、撰那という珍しい名の学生さんが、春の筍狩りで、収獲が多過ぎて持て余し、「どうするんだ」と自分に問うている日記なんです。
昔、唐土に「白居易」( 字は白楽天) という、日本でも有名な詩人が居て、「食筍」という「詩」を一つ作っていました。
全文十六句のうちに、次のような面白い五つの句がある。
春筍 満山谷 春筍 (しゅんのたけのこ)、山谷に満つる
山夫折盈抱 山夫 (やまびと) 、盈折(たくさんと)りて抱える
抱来早市鬻 抱え来て、朝市で売る
物以多為賎 物は、多きを以って賎( いや ) しと為(な)る
双銭易一束 一束を、双銭 ( 二文 ) に易える
これは、雨後の筍の収獲が多過ぎて困っている山夫も、筍を「どうするか」を詠ったもので、現代人の学生はそれを3家族で分けて、尚且つ知り合いの家に上げたりして処分したが、白楽天の山夫は一束を双銭に易えて処分した。
「双銭」というのは「二文」のことで、「一束双銭」は、すなわち「一束二文」になる。昔の唐土で安売りを「一束二銭」とも表現していた事がほぼこれで分かる。
日本語で、捨て売りの値段を、二束三文と云う。 昔、金剛草履 ( ぞうり) が二足で三文であったことから、この言葉が使われ出したと言はれている。これが一般辞書の説明である。
「 と言はれている、、、」という説明は、普段、実証を伴はない臆説に使はれる場合が多い。
草履は一足二足と云うが、捨て売りの値段は「二束三文」と通常云はれている。この間に、「足」と「束」の微妙な用語の違いがある。伝えるところに依れば、昔は、足を束に言い替えることもあったからだという。
この「、、、からだという」説明もすっきりしない物の言い方である。 ウエブ サイトで、「にそくさんもん」を検索してみたら、「二足三文」の当て字用例が 1、230 件だったのに対し、「二束三文」の当て字用例は 20、580 件あった。語源が二足のわらじに始まったというのに、圧倒多数の人が二足を二束に言い換えて使っている。どうしてだろうかと、多いに、首を傾げたくなる。
広辞林や広辞苑などのような権威辞書をめくると、共に、「二束三文」となっており、「二足三文」の項目は出ていない。つまり、天下の大辞書は「二束三文」だけ認め、「二足三文」は認めていないという事になる。 ウエブサイトで使用している日本語用語を、広辞林や広辞苑は認めていない事になる。これも、大変可笑しい事である。
二足のわらじに始まった言葉を、なぜ、二束三文に言い換えるのか、人々ははっきり訳が知らないままに、「わらじ二足」を「わらじ二束」に言い換えて使っている事になる。妙なこともあるものだと思う。
二束三文はことわざだから、ことわざ辞典なら、もう少し詳しい説明が載っているかも知れない。試しに、「故事ことわざ辞典」を見てみる。故事ことわざ辞典というのは 、言葉の意味を説明するだけに留 (とど)まらず、その出典、つまり、由来をも併せて紹介するという点で一般辞書と異なる。
有名な東京堂出版の「故事ことわざ辞典」に出ている「二束三文」の項目には、ーー 量が多くて値が非常に安いこと、捨売りの場合などにいう ーー、という意味の説明はあるが、その由来には全くふれていない。
故事ことわざ辞典が由来を紹介しないのは、由来がはっきりしない為に記載を避けたものだと思われる。 だとすれば、「二束三文」の由来は必ずしも金剛草履の安売りに決まったものではないということも言えるのではなかろうか。
そこで、また唐代の有名な詩人 白居易が作った「食筍」という詩に戻って見てみる。
春筍 (しゅんのたけのこ)、山谷に満つる
山夫 (やまのひと) 、盈折(たくさんと)りて 抱える
抱え来て、朝市で売る
物は、多きを以って賎( いや ) しと為る
一束を、双銭 ( 二文 ) に易える
昔の人は、一厘の穴あき銭を文と言っていた。だから、双銭は二文になる。春の筍が一束で二文というのは賎(やす)い。すると、日本語で安く売る事を「一束二銭」という言い方もあるのは、白楽天のこの詩が出典の元であるのは、殆んど間違いない。
春の筍は、年に一度しか取れないから珍品である。珍品を一束(たば)二文に易 (か)える、" こりゃ、安い! " という実感が伴う。それが、二束で三文だという事になれば、間違いなく捨て売りの値段になる。
白居易という詩人の名は、日本であまり良く知られていないようだが、詩人白楽天は良く知られている。実際は同一人物である。白居易が本名で、字 ( あざな) を楽天という。「後宮佳麗三千人、三千寵愛一身にあり」、と詩に詠い、唐の玄宗皇帝が後宮に美女三千人(非常に多数の意味 ) を待機させていたにも拘らず、楊貴妃一人だけを終始溺愛したという秘話を広く世間に曝露したのは、外ならぬ白楽天だった。
歴代の史家は、玄宗皇帝の物語について色々と多く書き残しているが、中国の全土から選りすぐった美女三千人を、なぜ、玄宗は後宮に置き去りにして寵愛しなかったのか。このような謎に触れ、それを解き明かそうとする文献を我々は殆ど見た事がない。不思議なことである。
春の筍、山谷に満つれば、賎しく為る 取り立ての春の筍を煮物にして食べる。味は天下一品に違いない。しかし、一度に十皿、眼の前に並べられたら、食欲は一気に減退して、箸を付ける気にもならんだろう。 天下の美女、三千人ごろごろ居たらば、賎しく為る 如何なる好色男でも、げんなりするのではないかと思う。そう考えてみると、美女三千人を置き去りにした玄宗皇帝の気持も分かるような気がする。
三千の美女は可憐な一妃に如かず、春( しゅん) の筍も過剰生産になれば価格は暴落する。二束三文という言葉が、春筍の過剰生産による安売りに由来するものだという説があってもおかしくない。少なくとも、なぜ、「二足」が「二束」に、という疑問が生じないだけ、筍の方が実感が供なって面白い。
昔から、春筍は、男女老幼を問わず、日本人の大好物であった。それに較べると、金剛草履を使用する人は非常に限られていた。安い値段で日本大衆に喜ばれるのは、春筍であって 金剛草履である可能性は低い。そして、春筍は今でも人々の大好物だが、金剛草履は、とうの昔に消えてしまった。
そこで思うのだが、言葉を正しく使うなら、人により、金剛草履の語源説を好んで取る場合は、やはり、「二足三文」と表現すべきであろうし、「二束三文」と云う表現を好む場合は、春 (しゅん)の筍の安売りが語源である、という二本立ての語源説を並立させるべきだと思う。
さもなくば、なぜ、「わらじ二足」を「わらじ二束」に言い換える必要があるのか、その訳をはっきり説明し、言葉の正しい用法を庶民に納得させてこそ、言葉の正しい用法が期待できる。 そうではなかろうか。