李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 二 束 と 二 足 の けじめ 】    仁目子

2022-02-24 11:41:14 | Weblog
ーー 金剛草履 か  春の筍 か  ーー 
ーー  日本語に多い トンチンカン 用語 ーー       

ウエブの「徒然なるままに、、」というHP で『筍』という日記が目に付いた。  「掘ってきましたー大量大量 うっふふー これでしばらく筍食べられる今日の収獲数は、大小ありますが50本程度。                                                                                  

大きいお鍋で4つ分です。 それを3家族で分けて、尚且つ知り合いの家に上げたりしてもお 鍋2つ分余りました。

「 ? どうするんだあれ 」 という書き出しで、筍好きの、撰那という珍しい名の学生さんが、春の筍狩りで、収獲が多過ぎて持て余し、「どうするんだ」と自分に問うている日記なんです。

昔、唐土に「白居易」( 字は白楽天) という、日本でも有名な詩人が居て、「食筍」という「詩」を一つ作っていました。

全文十六句のうちに、次のような面白い五つの句がある。                                        

   春筍 満山谷     春筍 (しゅんのたけのこ)、山谷に満つる    
   山夫折盈抱     山夫 (やまびと) 、盈折(たくさんと)りて抱える        
    抱来早市鬻      抱え来て、朝市で売る
   物以多為賎     物は、多きを以って賎( いや ) しと為(な)る   
    双銭易一束     一束を、双銭 ( 二文 ) に易える

これは、雨後の筍の収獲が多過ぎて困っている山夫も、筍を「どうするか」を詠ったもので、現代人の学生はそれを3家族で分けて、尚且つ知り合いの家に上げたりして処分したが、白楽天の山夫は一束を双銭に易えて処分した。

「双銭」というのは「二文」のことで、「一束双銭」は、すなわち「一束二文」になる。昔の唐土で安売りを「一束二銭」とも表現していた事がほぼこれで分かる。

日本語で、捨て売りの値段を、二束三文と云う。 昔、金剛草履 ( ぞうり) が二足で三文であったことから、この言葉が使われ出したと言はれている。これが一般辞書の説明である。

「 と言はれている、、、」という説明は、普段、実証を伴はない臆説に使はれる場合が多い。

草履は一足二足と云うが、捨て売りの値段は「二束三文」と通常云はれている。この間に、「足」と「束」の微妙な用語の違いがある。伝えるところに依れば、昔は、足を束に言い替えることもあったからだという。

この「、、、からだという」説明もすっきりしない物の言い方である。 ウエブ サイトで、「にそくさんもん」を検索してみたら、「二足三文」の当て字用例が 1、230 件だったのに対し、「二束三文」の当て字用例は 20、580 件あった。語源が二足のわらじに始まったというのに、圧倒多数の人が二足を二束に言い換えて使っている。どうしてだろうかと、多いに、首を傾げたくなる。

広辞林や広辞苑などのような権威辞書をめくると、共に、「二束三文」となっており、「二足三文」の項目は出ていない。つまり、天下の大辞書は「二束三文」だけ認め、「二足三文」は認めていないという事になる。 ウエブサイトで使用している日本語用語を、広辞林や広辞苑は認めていない事になる。これも、大変可笑しい事である。

二足のわらじに始まった言葉を、なぜ、二束三文に言い換えるのか、人々ははっきり訳が知らないままに、「わらじ二足」を「わらじ二束」に言い換えて使っている事になる。妙なこともあるものだと思う。

二束三文はことわざだから、ことわざ辞典なら、もう少し詳しい説明が載っているかも知れない。試しに、「故事ことわざ辞典」を見てみる。故事ことわざ辞典というのは 、言葉の意味を説明するだけに留 (とど)まらず、その出典、つまり、由来をも併せて紹介するという点で一般辞書と異なる。

有名な東京堂出版の「故事ことわざ辞典」に出ている「二束三文」の項目には、ーー  量が多くて値が非常に安いこと、捨売りの場合などにいう  ーー、という意味の説明はあるが、その由来には全くふれていない。

故事ことわざ辞典が由来を紹介しないのは、由来がはっきりしない為に記載を避けたものだと思われる。 だとすれば、「二束三文」の由来は必ずしも金剛草履の安売りに決まったものではないということも言えるのではなかろうか。

そこで、また唐代の有名な詩人 白居易が作った「食筍」という詩に戻って見てみる。

   春筍 (しゅんのたけのこ)、山谷に満つる
   山夫 (やまのひと) 、盈折(たくさんと)りて 抱える
   抱え来て、朝市で売る
   物は、多きを以って賎( いや ) しと為る
   一束を、双銭 ( 二文 ) に易える

昔の人は、一厘の穴あき銭を文と言っていた。だから、双銭は二文になる。春の筍が一束で二文というのは賎(やす)い。すると、日本語で安く売る事を「一束二銭」という言い方もあるのは、白楽天のこの詩が出典の元であるのは、殆んど間違いない。

春の筍は、年に一度しか取れないから珍品である。珍品を一束(たば)二文に易 (か)える、" こりゃ、安い! " という実感が伴う。それが、二束で三文だという事になれば、間違いなく捨て売りの値段になる。

白居易という詩人の名は、日本であまり良く知られていないようだが、詩人白楽天は良く知られている。実際は同一人物である。白居易が本名で、字 ( あざな) を楽天という。「後宮佳麗三千人、三千寵愛一身にあり」、と詩に詠い、唐の玄宗皇帝が後宮に美女三千人(非常に多数の意味 ) を待機させていたにも拘らず、楊貴妃一人だけを終始溺愛したという秘話を広く世間に曝露したのは、外ならぬ白楽天だった。

歴代の史家は、玄宗皇帝の物語について色々と多く書き残しているが、中国の全土から選りすぐった美女三千人を、なぜ、玄宗は後宮に置き去りにして寵愛しなかったのか。このような謎に触れ、それを解き明かそうとする文献を我々は殆ど見た事がない。不思議なことである。

春の筍、山谷に満つれば、賎しく為る 取り立ての春の筍を煮物にして食べる。味は天下一品に違いない。しかし、一度に十皿、眼の前に並べられたら、食欲は一気に減退して、箸を付ける気にもならんだろう。  天下の美女、三千人ごろごろ居たらば、賎しく為る  如何なる好色男でも、げんなりするのではないかと思う。そう考えてみると、美女三千人を置き去りにした玄宗皇帝の気持も分かるような気がする。

三千の美女は可憐な一妃に如かず、春( しゅん) の筍も過剰生産になれば価格は暴落する。二束三文という言葉が、春筍の過剰生産による安売りに由来するものだという説があってもおかしくない。少なくとも、なぜ、「二足」が「二束」に、という疑問が生じないだけ、筍の方が実感が供なって面白い。

昔から、春筍は、男女老幼を問わず、日本人の大好物であった。それに較べると、金剛草履を使用する人は非常に限られていた。安い値段で日本大衆に喜ばれるのは、春筍であって 金剛草履である可能性は低い。そして、春筍は今でも人々の大好物だが、金剛草履は、とうの昔に消えてしまった。 


そこで思うのだが、言葉を正しく使うなら、人により、金剛草履の語源説を好んで取る場合は、やはり、「二足三文」と表現すべきであろうし、「二束三文」と云う表現を好む場合は、春 (しゅん)の筍の安売りが語源である、という二本立ての語源説を並立させるべきだと思う。

さもなくば、なぜ、「わらじ二足」を「わらじ二束」に言い換える必要があるのか、その訳をはっきり説明し、言葉の正しい用法を庶民に納得させてこそ、言葉の正しい用法が期待できる。 そうではなかろうか。

【 トンチンカン と 頓珍漢   何 ジャラホイ 】   仁目子

2022-02-22 23:27:04 | Weblog
ーー  なぜ ちゃんとした言葉を 金槌の音に 言い換える ?  ーー
ーー  原始縄文文化 への郷愁か ーー

ウエブで、トンチンカン、或いは、頓珍漢を入れてみると、『トンチンカンとは何の意味ですか?』、という質問が止め処なく出て来る。

少なくとも江戸時代から使われて来た言葉の意味が分からないという厖大な質問が意味するのは、語源辞典の解釈に、列島の人びとが「納得し難い」と意思表示をしている事に他ならない。

この言葉について、日本の語源辞典は、極めて、異色で、人びとの意表を付く解釈をしている、のは 何故か という 「謎」が 残る。

『 とんちんかんは、鍛冶などで師が鉄を打つ間に弟子が槌を
入れるため、ずれて響く音の「トンチンカン」を模した擬
音語であった。音が揃わないことから、ちぐはぐなことを
意味するようになり、さらに間抜けを意味するようになっ  
  た。漢字で「頓珍漢」と書くのは当て字である 』トンチンカン 

このように、擬音語でもって、「さっぱり見当が付かない」、或いは、「さっぱり分からない」という意味の言葉の由来を解釈するのは、外国語に例がなく、また、言語文化の筋からも外れている。文化水準の高い日本に於いて、信じ難い言葉の解釈である。

先ずなによりも、鍛冶などで師が鉄を打つ間に弟子が槌を入れることを相槌という、相槌だから、異なる音は二つしかないから、「トンチンカン」という三つ擬音語になり得ない。それに、刀剣作りの鍛冶は、音楽のように、調子を揃える必要は毛頭ないのに、 「音が揃わないことから、ちぐはぐなことを意味するようになり、さらに間抜けを意味するようになった」、と解説する事自体がトンチンカンである。 且つ、この言葉の漢字表記で分かるように、明らかに、「漢字漢文」が難点になっているのに、その難点を避けて、鍛冶屋に舞台を移してトンチンカンな解釈をしている。

だから、ウエブで、トンチンカン、或いは、頓珍漢を入れてみると、『トンチンカンとは何の意味ですか?』、という質問が止め処なく出て来る。明らかに、このような解釈は、納得しかねるという日本人が多い、という事の証左になる。

先ず、文豪 漱石先生にお出ましいただくが、作品「猫」で、漱石は次のように書き出している。

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いて居た事丈は記憶して居る 」

漱石の猫、どこで生まれたか頓と見当がつかぬ、とは、言い換えれば、どこで生まれたかさっぱり分らない、ということで、「頓と」が意味するのは 「さっぱり」である、というのが分かる。

英語の「トンチンカン」は It's all Greek to me と言う。 意味は、英語しか知らないボクに、 ギリシャ語は さっぱり分からない、と言う。
スペイン語の「トンチンカン」は、 Me suena a Chino. (メ スエニャ ア チーノ)、つまり、「それは私には中国語に聞こえる」 から さっぱり分からない、という言い方をする。

日本語でも、トンチンカン に 頓珍漢 という漢字表記がある。 何れも 同じ意味の言葉で、つまり、一部の日本人に取って、漢字、漢文 は 「頓と 見当が付かない」、という事を意味するもので、上述の It's all Greek to me や Me suena a Chino. と全く同じ表現法になる。 明らかに、トンチンカンは、ちゃんとした言葉であり、金槌の音ではない。


ーー 「 言わぬが花」「 秘すれば花」 ーー


(古代民族研究所代表)大森亮尚氏がウエブに、『[日本人の謎]なぜ、ことばを省略したがるのか? 』という一文を載せ、その中で、幾つかの極めて代表的な「省略」の例を挙げている。

例えば、「さようなら」は接続詞で、別れの意味を含まず、当然、その後に続くはずの「これで失礼します」という別れの挨拶語が省略されている。
関西弁の「おおきに」は副詞で、「ありがとう」につけて強調して「おおきにありがとう」ということばになるはずだったのに、「ありがとう」という肝心のことばが省略され、「おおきに」だけになった。

英語で例えると、感謝のことば「サンキュー」を強めると「サンキュー ベリーマッチ」となるが、それを「ベリーマッチ」だけで切ってしまったようなものになる。
「ベリーマッチ」という副詞だけではなんの意味もない。論理的には間違いなのですが、そうした省略が日本語に多く見られる。

主語が省略されたり、肝心なことばが略されたり、日本語は言語学的に見ても欠陥だらけで未成熟言語のように思われるかもしれません。その点、英語は主語・述語・目的語がはっきりしていて、主張すべきことを論理的によどみなく展開できる構造になっている。日本人が外交などでいつも自己主張ができないと言われるのも、こうした言語上の欠陥があるからだと指摘する人もいる。

そして、『 省略に加えて、ストレートな表現を避けるのは、日本の言語文化「言わぬが花」「秘すれば花」で、ひとつの奥ゆかしい文化なのです 』と、氏は指摘している。

例えば、
『「カラオケ(中が「空」』。これは、「歌が入っていないオーケストラだけの音楽」のことで、全文ぼぼ二十字の言葉をカラオケの四字に省略したもの。

ドタキャンは、十字のドタンバのキャンセルを、半分の五字に省略したもの。

プレハブは、その正式名称: プレファブリケイティッド・ハウス ( Prefabricated House) を、日本語に訳すと「事前に製作された家 (建物)」という意味の全文十五字の言葉を、僅かの四字に省略したもの。

このような日本語独特の省略は、実は、「頓珍漢」にも同じ応用の実例を見ることが出来る。

「頓珍漢」が意味するのは、全文書き出すと、「頓と分からぬ珍妙な漢字漢文」であるのははっきりしている。

「頓と分からぬ」のは自慢にならないことだから、「秘すれば花」で、「分からぬ」を外して「頓」だけ残せば、「分からない」という恥をかかなくてもよい。

そして、「珍妙な漢字漢文」を、カラオケ同様に、「珍漢」に省略すれば「頓珍漢」の三字で、言わんとする意味は通じて、事は済む。そうして何よりも、漢字漢文に弱い日本人は、自分の弱点を露出せずに済む。

そして、漢字漢文そのものが珍妙な文字であるから分からない、という自己弁明の役にも立って、一石二鳥、引いては、一石三鳥の目的を達する事も出来る。

上述大森氏の一文で、氏は、「日本人の謎」として、『省略』に加えて、『ストレートな表現を避ける』の二つを挙げている。このストレートというのは、日本語の「素直」になるが、全文を日本語で書いた氏は、この「素直な表現」の一言だけは素直の替りにストレートというカタカナ英語を使用している。

「さようなら」という接続詞、「おおきに」という副詞、でもって肝腎の挨拶語替りに使用しているのは、勿論、「素直な表現」ではない。言うなれば、一種の「本音を避けている」意思表示になる。

「素直な表現を避ける」、と言うのと、「ストレートな表現を避ける」、と言うのと、意味合いはかなり違う。漢字は一つ一つの字が意味を持っているから、素直でない、と書けば、そのまま、素直でない意味で出て来るが、カタカナ英語で ストレート と書けば、「素直でない」の意味は暈されてしまう。簡単な例を挙げると、セックスと書いて性交と書かない、のと同じ原理である。

他国の言葉に比べると、「日本語は言語学的に見ても欠陥だらけで未成熟言語のように思われるかもしれません」、とは言うものの、その実態を素直に受け入れる日本人は、居るだろうけれど、さ程多くは居ない。そこで、『「ストレートな表現を避ける」日本の言語文化は、「言わぬが花」「秘すれば花」で、ひとつの奥ゆかしい文化なのです 』 という、やや禅問答じみた注釈を付け加えて、体裁をよくする。

頓珍漢も珍文漢文も、突き詰めてみれば、全く同じ意味を持つ言葉で、「頓と分からない珍妙な漢字漢文」、を意味しているが、それを、鍛冶屋の擬音語にしてしまえば、「頓と分からない」という好ましくない意味がごく自然に消失するので、誰かによって、筋の通り難い擬音語の由来解説が発明されたものだ、としか思えない。

「頓珍漢」を素直に解釈すれば、、鍛冶屋には全く関係がなく、「頓とわからぬ珍妙な漢字漢文」の省略体である、という事になる。この方が、言語文化の「話」として、立派に成り立つのではないだろうか。 

漱石先生!、如何でしょうか ?

【 中華思想 トンチンカンな 日本流解釈 】    仁目子 

2022-02-10 12:40:25 | Weblog
ーー  國敗れて山河あり。 つまり、 國の元は山河である、という事 ーー


(1)   序

料理に「中華」という名が付いても、和風中華と本場中華の違いがあるように、「中華思想」にも、和風と本場の違いがある。
この実情を再認識した上で、本文に目を通すと、かなり分かり易くなるので、冒頭に記しておくこととした。

(2) 「華夏」の意味 ーー 山 と 河

古い昔、中国の呼称は夏、華、あるいは華夏と云はれていた。これが元になって、後日、「中華」という名称が生まれることになる。
この「華夏」について、日本辞書の解釈は、次のようになっている。

  「華」は、花、はなやか、文化のはなやか、などの意。
  「夏」は、大きい、盛ん、などの意。

従い、「華夏」というのは、中国人が自国を誇っていう語である、としている。
このような解釈は、文化意識というものを重点に置いているもので、本場中国版の解説とかなり違う。ラーメンに例えると、醤油スープと豚骨スープほどに違う。

中国の有名な文人魯迅が師と仰ぐ国学者章柄麟又の名を章太炎ともいう学者は、「中華民国解」という権威著書の中で、次のように「華夏」を解説している。
 
「 我が国の民族は古く、雍、梁二州 (今の陝西、甘粛及び四川
一帯)の地に居住して居た。
   東南が華陰で、東北が華陽、すなわち華山を以って限界を
定め,その国土の名を「華」と曰く。その後、人跡の到る
所九州に遍 (行人偏)(あまね)き、華の名、始めて広が   
   る。 
   華は本来国の名であって、種族の号ではなかった。
  「夏」という名は、実は夏水 (河の名前)に因って得たるも
   のなり、雍と梁の際(まじは) りにあり、水に因って族を
   名付けたもので、邦国の号に非らず。漢家の建国は、漢中
   (地名)に受封されたときに始まる。(漢中は)夏水に於いて
   は同地であり、華陽に於いては同州となる故、通称として
   用いるようになった。本名(華夏)ともうまく符合してい
   る。従い、華と云うのも、夏と云うのも、漢と云うのも、
   そのうちどの一つの名を挙げても、互いに三つの意味を兼
   ねている。漢という名を以って族を表している、と同時
   に、国家の意味にもなる。又、華という名を国に付けたと
   同時に、種族の意味にも使はれているのはそ
   のためである 」 (原文は漢文)。

以上の如く、太炎文録の記載説明に依れば、「華夏」の華は華山という山の名前、夏は夏水という河の名前から由来したことになる。つまり、意識的な思想の裏付けのない、単なる地理上の概念から「華夏」の名称が生まれたものになる。

振り返って古代を考ええって見ると、人間の定着する所は山や河のある土地に決まっていた。山河という自然の地理条件は、人類を含む動物の生存に欠かすことの出来ない必須条件であるが、思想は生存の必需品ではない。だから、人類の歴史は、地理上の概念が常に思想より遥かに先行し、発達していた。
黄河は、その大河の中流流域にある黄土台地の黄土を侵蝕して流れる水が常に黄色い色をしているので、「黄河」という名が付けられ、その北側の地域が「河北」、南側が「河南」と称されるようになった。中国最長の河は「長江」という。長いからである。昔の人は、このように、呆気ないほどに素朴単純であった。
「国破れて山河あり」という、人口に膾炙している古い文句がある。「国破れて思想あり」という言い方はしていない。華、あるいは夏、という名前は矢張り「山」と「河」から取ったものだと見るのが妥当であろう。

(3)   思想の始まり ーー 春秋と孔老

黄河流域を発祥地とする漢民族、その祖先は今を去る三千数百年の昔の殷王朝時代、すでに文字というものを知っていた、文字の出現が文化の象徴になり得たとしても、思想を内包しているとは限らない。
中国に思想というものが盛んに唱えられ始めたのは、春秋戦国時代に入ってからのことであり、世の乱れを正す新しい思想が数多く唱えられるようになった。孔子、老子などがその先駆者で、その後、戦国時代に入ると、百花が咲き競(きそ)うように、諸氏百家の出現を見るようになった。

孔老の時代は今からほぼ二千三百余年前のことだから、三千数百年前の殷王朝時代に文字を知ってから一千年以上経ったあとに、始めて思想というものが姿を現し、百家争鳴の活況を呈し始めたことになる。従い、「中華思想」というものが存在するのは、厳格に言うと、この時代以降ということになる。
主な思想は、 
    孔子、孟子に代表される「儒教」。
    老子、荘子に代表される「道家」。
    墨子に代表される「墨家」。
    管仲、韓非子、などに代表される「法家」。
   「白馬は馬に非ず」と説く公孫龍で知られる「名家」。
    陰陽と五行( 水火木金土) を説く「陰陽家」
などの六家がある。この外に、合従連衡の外交策を説いた蘇秦、張儀らの「縦横家」。「君臣並び耕せ」と説いた許行の「農家」。孫子、呉子の「兵家」などがあった。

(4)  「中華」の由来

「中華」という名称は、「華夏」という古代名称から転じて来たもので、つまり、華夏の「華」に、「中」を加えで出来た名称。
古代の日本は「中つ国」と称していた。今の日本にも「中国地方」がある。何れも、世界の中心や、日本の中心に位置していない。これによっても分かるように、「中」という漢字の意味は、「中心」以外にも多様な意味がある。上中下、近中遠、両者の中間、などなど。

日本の国語辞書の解説を見てみる。
  1 国の中央の部分。天子の都のある地方。
  2 諸国の中央の意で、自国を誇っていう語。
  3 律令制で、人口・面積などによって諸国を大・上・中・
    下の四等級に分けたうちの第三位の国。安房(あわ)・
    若狭・能登など。
  4 律令制で、都からの距離によって国を遠国(おんごく)・
    中国・近国に分類したうちの一。駿河(するが)・越前・
    出雲(いずも)・備後(びんご)など。
というように、「中国」とは、国の中央部分、あるいは、諸国の中央、という程度の意味であると解説している。

次に、中国の分厚い辞典「辞海」の解説を見てみる。
 「 漢民族の発祥地が黄河流域であることから、国の都も黄河
   の南北に建てていたので、一応そこが国の「中央」になっ
   ていて「中原」や「中国」などと言っていた。今一つは、
   周り四方の蛮夷戎狄などの異民族とは内と外の関係、地域
   の遠近を表わすため「中つ国」と位置付けしたものだ」
という具合いに解説している。

「中国」の意味を、国の中央部分、あるいは、諸国( 四方の異民族)との内外関係、あるいは、地域の遠近を表わすための位置付けである、と解釈している点に於いて、中国の「辞海」と日本の「国語辞典」は共に一脈通じている。

実際に、日本の本州の西にある「中国地方」の位置付けは、山陰と山陽両道一帯の総称になっていて、日本の中央に位置していない。山陰と山陽両道一帯は、北は日本海に面し、南は瀬戸内海に臨んでいる。この間に位置している意味で「中国地方」という名が付いたのではないか。つまり、二つの「海」の中間にあり、四方八方の中心である必要はない、ということも考えられる。

従来、日本の一般の辞書は、「中国」あるいは「中華」を拡大解釈して、「世界のまん中の国」という中国人の自称であるとしているのが結構多い。「まん中の国」、略して「中国」という解釈は成り立つ。問題は、「世界の中心」という部分はどこから割り出して来たのか大いに疑問が残る。もともと、中国という国は、古い昔から、自分で一つの世界を作り上げ、自分以外の別世界にはさ程関心を持っていなかった。

「漢字文化圏」というのがある。漢字の出現から三千余年、儒教思想の出現から二千余年が経った今日、この漢字文化圏という文化地域の範囲を見てみると、アジア、しかもその一隅である極東の日本、韓国、東南亜の台湾、越南辺りから一歩も外に出たことがない。二千年弱のキリスト文明が、今日全世界の隅々にまで浸透している状態と比較すれば、漢字文化圏というのは全く取るに足らない程の辺境文化圏でしかない。このように見て来ると、

  「中国が世界の中心であり、その文化、思想が
   最も価値のあるものであると自負する考え方」

であるとする解釈の根拠が何処にあるか、疑問が生じて来る。

「中華」という名称の生い立ちを考え、その原点である「華夏」の二字が自然の山河の名前から取ったものだとする中国自体の解説がある以上、そのような解説を尊重することから出発すれば、「中華思想」というものを、孔子、老子などの諸氏百家から切り離し、「世界の中心」であるとする、思想らしくない「思想」であると解釈することには至らなかったであろう。

従い、列島に於ける「中華思想」という名称と意味の解説は、トンチンカンとしか言い様がない。