李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【  負 け ず 嫌 い か 、 負 け 嫌 い か  】   

2011-02-27 02:47:45 | Weblog

    ーー   な ぜ 、 「 勝 ち た い 」 と ,

                        ス ッ キ リ 言 わ な い   ーー

 

『抜粋』 

「上」という字は、原産地の中国に於いて、二通りの書き

 方で数千年来通用して来た。別に支障もなく、殊更筆順を

 問題にする人も居ない。所が、列島ではそれを一通りだけ

 にしなければ気が済まない、云うなれば、日本人の一徹な

 気性がそこにありありと現われている。

 

 ところが、一つの字に対する一徹な気性が、こと日本語全

 般に関わることに対しては、殆ど現われて来ない。なんと

 も、ちぐはぐな気性である。

 

「上」という、僅か三画の筆順に拘る人間が、「負け嫌い」

 と「負けず嫌い」、この二つの全く相反する言葉を同義語

 として長期に亙って存在させ、しかも、「負けず嫌い」と

 いう意味不詳の方が優先して使はれているのを、そのまま

 見逃している。

 一般世間では、一寸考えられないことである。

 

      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

   『本文』   

 

外国人が日本語について語る時、どうしても避けて通れない不思議の一つに「負けず嫌い」というのがある。

前世紀の八十年代、日本がバルブ景気に湧いて、世間に驚異の目で見られていた頃、米国の媒体はよく「働き蜂日本人」を取り上げて報道していた。酒を飲むのも仕事のうち、残業に加えて、土、日の休日出社、そして、年中休暇返上などなど、、、。つまり、日本人会社員の日々は、二十四時間中、常に何らかの形で仕事に繋がっていることになる。傍目にはとても正気だとは思えない。

 

一度、ニューヨークのテレビ局の「働き蜂二十四時間」という特別番組を見たことがある。日本で実地探訪して作成した番組であった。その中で米人記者が酒場で一緒に飲んでいた数人の会社員に向かって、「日本人は、なぜそこまで骨身を惜しまずに働くのか?」という、核心に触れる質問を出す一場面があった。

数人の会社員は予期しなかった質問に若干戸惑ったようだが、ややして、一人が「我々は、負けず嫌いだから」と日本語で答えた。しかし、米人記者に日本語は通じないので、会社員のうちの一人が 「我々は、victory が好きだ」と言って、負けず嫌いを victory に訳した。

victory という英語は、中学か高校卒であればよく知っている筈だが、負けず嫌いとは意味合いは同じではない。通常、日本の和英辞書で、負けず嫌いの英訳に当てている単語は、unyiielding ( 譲らない),unbending ( 屈しない), 又は stubborn ( 頑固 ), などのように抵抗の意味合いを持つ字面ばかりで、victoryや win などのような、積極的に勝ち取るという意味合いを持つ英単語は使はない。使はないのは、そのような意味合いを持っていないからに外ならない。

米国人なら、「我々は、勝ちたいから」( because we like to win) と言うところ、日本人は、一歩下がって 「負け」という言葉を先に出す、しかるのちに、「嫌い」というホンネを後に付け足す。このような意思表示の仕方は、本来、常道ではない。寧ろ、変則的な表現の仕方に属する。

それも、「負け」は「嫌い」である、というなら、まだ良く分かるが、その通りに言はずに、「負けず」は「嫌い」であるという具合に言い換える。 数多くある、極めて日本的な諸々の事柄、あるいは言行のうちでも、このような変則表現の特徴は、日本以外の世間では珍しい。

 

ーー  相反する言い方の 同義語  --

 

負け嫌いか、 負けず嫌いか、 この二つの言葉は、日本では一般に同義語として使はれているようだが、権威ある辞書の解釈はどうなっているのだろうか、試しに見てみる。

 

三省堂の広辞林 ;                                 

ーー  【負け嫌い】 まけずぎらい。

ーー 【負けず嫌い】 負けることを嫌う性質。強情でがまんづよいこと。    まけぎらい。

 

岩波の広辞苑 ;

ーー  【負け嫌い】 強情で、他人に負けることをとりわけいやがること。 まけずぎらい。「子供のときからーーだった」。               

ーー 【負けず嫌い】 人におくれをとるのがいやで、いつも勝とうと意地 を張ること。まけぎらい。 「ーーな男の子」。

 

両者の解釈に僅かながら食い違いがあるように見えるものの、負け嫌いには 「まけずぎらい」、負けず嫌いには 「まけぎらい」が決まったように同列されている点では、両辞典に共通している。それは、この二つの言葉が実際には同義語であることを意味していることに外ならないだろう。

恐らく、何百年来に亙り日本で抵抗なく使はれて来た言葉を、改めて辞書で検索してみようとする人はまず居ないでせうが、この二つの言葉、及びその解釈を目の前にすれば、大半の人は、不思議な思いに、ふっと首を傾げたくなるのではなかろうか。

 

更に興味をそそるのは、この二つの言葉の違いはたった一字の「ず」であること。「ず」は、はっきりと辞書に否定の助動詞として載っている。打ち消しの意を表す助動詞を「負け」に付ければ、負けないことになる。 だから、「負けずにやれよ」と言って人を激励する。

 

日本人は、 負けず嫌い な民族 だと、自他共に認めている。日本列島の形は細くて長い。米国、あるいはロシヤ、あるいは中国などのような広大な大陸国に比べると、見た目には、どちらかと云うと、痩せ馬のような感じがする。痩せ馬だけれども、負けず嫌いだから、先走りを好む。 過去僅か百年の間に、大国ロシヤ、中国に戦争を仕掛け、こともあろうに、米国にまで武力戦争を仕掛けて敗れて仕舞った。それでも、負けず嫌いだから、次に、経済戦争に持ち込み、緒戦で勝つたものの、終盤で、これにも負けて仕舞い、苦労をしているのみならず、識者に言わせると、今の日本は実質米国の属国に等しいと言う。

 

負けずにやれよ、というのは、負けないでやれよ、ということに外ならない。 すると、負けず嫌いという表現は、負けない嫌いを意味する ことにもなる。言い換えると、負け好きになって仕舞う。

私は、知人、友人、幾人かに、この素朴な疑問を持ち出し、意見を聞いてみたことがある。戻ってきた答えは、「どうしてでしょうね ?」 という、 同じ疑問であった。

日本人の喧嘩早い、乃至、戦さ好きは、負け嫌いの気性に負うものであって、負けず嫌いの気性に負うのではあるまい。もし、負けず嫌いの気性に負うものであれば、もともと意味するのは負け好きだから、米国との戦に負けるのは、元より承知、あるいは覚悟していたことになる。

日本人の気質は、果して、負け嫌いなのか、それとも、負け好きなのか、それを言葉の上ですらすっきりさせることが出来ないなら、仕掛た戦争もいい加減なものである。 いい加減に仕掛た戦争だから、あとで、「こりゃいかん」 と気が付いた時には、日本はすでに負け戦でどうにもならなくなっていた。

負け嫌い と 負けず嫌い が同じ言葉なら、何故、簡単で明瞭な 負け嫌い の方を使はないで、語義がすっきりしない 負けず嫌い を好んで使うのか。私を含め、多くの人が疑問とするところである。

 

ーー 上という字は、どうやって書く ? ーー

 

一九八十年代の終り頃、ニューヨークで放送された 富士サンケイの T V 番組に、漢字の書き方についての街頭質問が画面に映し出されていた。 「上」 という字の筆順はどうやって書くのか、という質問を五人の通行人に出したところ、正しい答えを出したのは、戦後育ちの若者一人だけで、その他、漢字に強い筈の中年年配の人達は全員間違っていた。

辞書によると、漢字の書き方は、片仮名の書き方と同じように、筆順に三つの大原則があり、上から下に、左から右へ、ヨコ から タテ へ、の順に書くのが原則となっている。

「上」という字は、左から右へ、まづ立て棒を先に引くことも出来る、または、ヨコからタテに、ヨコ棒を先に書くことも出来る。つまり、 I - 上でも、- I 上 でもよいことになるので、昔から、二通りの筆順が一般に使はれていたが、戦前の学校は、- I 上の順で教えていた。

それが、戦後しばらくして、戦前の教科書筆順に問題ありとして、教育当局が五人の著名書道家に是非の審議を依頼した所、五大書道家は I - 上 が正しいという結論を出した。それで、戦前の教科書の筆順を取り消して、新たに、I - 上 の筆順に変えてしまった。

一人だけ戦後育ちの若者が正解を出したのはこのためである。

I - 上、 - I 上 、 の何れが正しいか ? 明らかに喜劇じみている。だから、富士サンケイはこれを娯楽番組で取り上げたに違いない。 だが、これは喜劇だ、娯楽趣味だというだけで済むものではなさそうだ。だいいち、この筆順を決めるのに、日本の五大書道家が審議に当たったというから、事は真剣である。因みに、ある書籍には、審議に当たったのは五大書道家だけでななく、総勢十二人の権威学者が審議に当たった、と書いてあった。正に国家の一大事である。

 

「上」という字は、原産地の中国に於いて、二通りの書き方で数千年来通用して来た。別に支障もなく、殊更筆順を問題にする人も居ない。所が、列島ではそれを一通りだけにしなければ気が済まない、云うなれば、日本人の一徹な気性がそこにありありと現われている。

ところが、一つの字に対する一徹な気性が、こと日本語全般に関わることに対しては、殆ど現われて来ない。なんとも、ちぐはぐな気性である。

「上」という、僅か三画の筆順に拘る人間が、「負け嫌い」と「負けず嫌い」、この二つの全く相反する言葉を同義語として長期に亙って存在させ、しかも、「負けず嫌い」という意味不詳の方が優先して使はれているのを、そのまま見逃している。一般世間では、一寸考えられないことである。

ついでに、手許にある三省堂の和英辞書をめくってみた。

「makezugirai」(負けず嫌い) は出ていたが、「負け嫌い」( makegirai) の方は出ていなかった。

日本人の思考、あるいは性格の軸、果して、世間で思はれているように、几帳面で、いい加減無しであるかどうか、使う言葉一つを取り上げてみても、大いに疑問があると思はざるを得ない。それは、使う言葉の表裏が余りにも違い過ぎるからである。 はっきりと「負け嫌い」と云はずに、ぼかして「負けず嫌い」という人間と、三画の筆順に過敏に拘る人間。共に、日本人であるが、どちらが実像であるのか、疑問を解く興味は、津津として尽きないものがある。

 

「負け嫌い」と言うべきところを、「負けず嫌い」に言い換えるのは、一種の暈 ( ぼか) しであり、虚像でもある。

戦時中、戦況がどうであろうと、「戦争を続ける」事が軍部の至上命題であり、戦争さえ続けられれば,日本国民が全滅しようと構わなかった。その為に、「大本営発表」という、国民に勝ち戦(いくさ) の虚像をデッチ上げる道具があった。

自分で勝手に「まいった,と声をあげなければ負けではない」という基準を作り,自分で「負け」を認めなければ「負けない」わけだから,まいったと言わなければ負ける事もない。死んでも「参った」と言わなければ,死んでも負けないのだ。と国民を教育していた。云うなれば、列島の民の「負け嫌い」の気性特質を利用した戦争完遂の為の「嘘ツキ」である。

列島の民は、どういうわけだか知らないが、伝統的に「負け嫌い」の精神が極めて旺盛である。その精神の猪突猛進の果てが太平洋戦争であり、敗戦であった。それでも、この精神は相変わらず旺盛である。 「負け嫌いだから」戦後、骨身を惜しまずに働いて、空前のバブル景気を作り上げた。「それは、Victory (勝つ事)が好きだから」と言う表現に変わって、外国人記者に説明する。

 

徳川無声という弁士が、太平洋戦争敗戦の日に、書き残した日記の中に次のような一節がある。

   「これで好かったのである。日本民族は近世において、

    勝つことしか知らなかった。近代兵器による戦争で、

    日本人は初めてハッキリ敗けた ということを覚らさ

    れた。勝つこともある。敗けることもある。両方 を

    知らない民族はまだ青い 青い。やっと一人前になった

    と考えよう」

 

かなり的を射ている。 軍事にしても、経済にしても、猪突猛進の源泉は「負け嫌い」の気性にある。しかし、何の、誰の為に、あれ程猪突猛進せねばならないのか、目的意識は、常に定かではない。進む為には良い気性だかも知れないが、止める術も退く術( すべ ) も皆目頭の中にない。良い気性やら、良くない気性やら。

 

何れにしても、なぜ、意味の相反する「負け嫌い」と「負けず嫌い」の両立無頓着で、「上」という字に二通りの書き方があっては駄目だと言って騒ぐのか。列島の気象は、秋の空の如く、依然としてスッキリしないようである。


    【   心  の  拒  食  症   】      

2011-02-20 11:30:48 | Weblog

   ーー  人 間 は 感 情 動 物 で あ る  ーー

 

万物の霊長と自称している人間は、感情という、極めて微妙な心の動きというものを持ち合わせている為に、自分を楽にする事も、苦しめる事も出来る仕組みになっている。 ウエブの「白髪三千丈」というホームページで目に止まった、次のような一文を見て下さい。           

 

 大げさな言い方は中国人のお得意技ですが、日本語にも大

 げさな表現はありますね。「死ぬ気でがんばります」と言

 って、本当に死なれたらたまったものでもありません。

 死ぬ気で生き抜いてもらいた いものです。「一生のお願

 い」、「命がけで」、「寒くて死 にそう」など一命に関わ

 るような表現は多数あります。                   

 大げさな表現では日本も引けは取りませんが、「白髪三千

 丈」のような叙情的な表現はあまり見当たりません。 万葉

 集の時代には 胸をかきむしられるような比喩が使はれてい

 たが、近は、現実 にはまり過ぎているのかも知れません

 ね。心の中の思いのほどを語るのに大げさな比喩もよいも

   のではないか?

 要は、それを額面通りに受け止めてしまう感受性の乏しさ

   でしよう。 心のダイエットは必要だと思うが、心の拒食症

   は良くありません 。

 

人間は、感情の昂ぶりが高潮に達すると、たった一つしかない「命」を賭けてしまう事を敢えてする、地上唯一の動物であるのが分かります。 嘗ての戦争で、万葉集にあった「討ちてし止まぬ」の一言に酔い、列島は「一億総玉砕」とまで思い詰めた事があったのは、まだ記憶に新しい。感情というのは、恐ろしいものです。それは、得体が良く分からないからでしよう。

 

次の一文を、又見て貰います。 若干、辛抱を要するが、歴史の本よりも抜群に面白みがある。    

   

  日本民族の中核は心の民族である。心が合わさって一つ

  になってしまっている。 これが日本民族の心である。

  こんな民族は世界で日本民族だけである。                               

  日本民族の始まりは今から三十万年位だと思う。その当

  初から今のようであったらしい。 私は日本民族は他の星

  から来たのだろうと言って自分に説明している。日本民

  族は諸共に地球上の各地を経めぐったと思う。

  もっとも私にかような想像力が働くのは、他の何物にも

  増して日本民族を熱愛しているからである。

 「ににぎの尊」は地球が少し涼しくなり始めた頃、日本

  民族をひきいて西蔵(チベッ ト) 高原を北に下られたと

  思う。今から十万年近く前であろう。皇統は此の時以 来

  連綿として今日に及んでいると思われる。

  尊は稲は持っておられた筈である。それで日本民族は黄

      河の上流で大分ながく稲 を作っていた。 やがて日本民

      族の主流は黄河の上流を去り、一半の残った人たちが支

      那上代の文化を開いていったのだろうと思う。 尭舜の治

      世を聞くとまぎれもない日本的情緒 ( 日本民族の心の色

     どり ) だと思う。

  日本民族はそれから大きな川のない中央亜細亜を足早に

  下り、ペルシア湾の岸に 出た。ここまでが「ににぎの

  尊時代」である。     

  日本民族はその後、大きな川のほとりで止まって稲を作

  りながら海岸を東南に下った。もう大分寒くなって来て

  いるのである。そしてシンガポール辺まで来た。 ここま

  でが 「ひこほほでみの尊時代」である。     

  つぎは「うがやふきあえずの尊時代」であるが日本民族

  はここでしばらく南方の島々を経めぐった。地球極寒の

  時期だからである。

  それからまたシンガポールを通って海岸沿いに北上して

  南部支那へ行き、多分台湾の北部を通り、琉球を通っ て

  九州の南端に上陸した。ここまでが、「うがやふきあえ

  ずの尊時代」である。     

  それからが「神武天皇時代」であるが、日本民族の移動

  した距離は短いが、時間 は石器、銅器、鉄器の三時代に

  またがっているように思われるから存外にながく 一万年

  位だろう。     

  古事記が出来たのは、大八洲のことを言っているから本

     州へ渡ってからだろうが ( 淡路島は琉球か、ことによる

     と南洋諸島も含むだろう) 、この頃はまだ地球は 非常に

     寒かっただろうと思う。 日本民族の人達は南方支那には

     大分残っただろうと思う。南宋の文化にはまさしく日本

     的情緒と思われるものが禅、絵画初め大分あるように思

     う。

  これ等の南宋の文化が、早くは鎌倉、一般には室町時代

  に、日本に輸入したので あるが、よく合うから日本の文

  化を大いに開いたのだろう 。

 

上に引用した一節は、著名な数学者 岡 潔 著 「昭和への遺書」より 抜粋したものです。

 

「もっとも私にかような想像力が働くのは、他の何物にも増し日本民族を熱愛しているからである」 と自分で言われているように、岡 先生は大変な祖国の熱愛者です。

この本は昭和四十三年に初版発行されたカバー付の本で、カバーには、「岡 潔 慟哭の遺書を発表」という文句が綴られていた。

 

熱愛、これも感情の昂揚です。それが、日本の歴史書に載っていない日本民族の歴史を、畑違いである数学者の先生が、殊更に古く、大きく 引き延ばして書くようにさせたものに外ならない。 超人の想像力だ、と形容してもよい。それは、「 私は日本民族は他の星から来たのだろうと言って自分に説明している」という一言からも、十分に納得出来る筈です。

このようなとてつもない感情論をそのまま真に受け、そして、それは、岡先生の「妄想癖」だと言う列島の同胞は居ない。つまり、先生の感情論を額面通りに受け止めていないからでしょう。

 

ーー 感受性の乏しさ ーー

 

同じく、感情論を 唐の詩人李白に当て嵌めてみる。年老いて、ある日突然、頭上一面の真っ白なシラガを目にして大きい溜め息をつく、誰もが感じる心情の昂ぶりで、ごくありふれたことです。

ありふれたことですが、凡人は、溜め息をつく事しか出来ないが、李白は、それを「白髪三千丈」と詩で叙情的に詠った。

本文冒頭引用の一文は、それを 『心の中の思いのほどを語るのに大げさな比喩もよいものではないか? 』 として難なく受け入れた。ところが、列島には、受け入れられない人が結構居る。 要は、それを額面通りに受け止めてしまう感受性の乏しさでしよう 。 

 

  「心のダイエットは必要だと思うが、心の拒食症は良くありません」

という、この一文の締めくくりは、このような感受性に乏しい人達に取っては、非常に適切なる 「健康診断」 に該当するのではないだろうか。


  【  リ ハ ク  か ,  ス モ モ シ ロ  か  】    

2011-02-14 12:53:40 | Weblog

       ーー    音 読  と  訓 読 み  の

            す れ 違 い  ーー

 

『抜粋』

 荻生徂来(おぎゅう・そらい)の弟子・太宰春台が意味じ

 くも「倭訓にて誦すれば字義混同す」と言うた通り、李白

 頭上の「秋霜」は、白髪が「愁いに縁って箇の似

 く長(ふえ)た」のだという具合いに読んで初め

  て本来の意味に辿り着ける。

   

 李白を「リハク」と読めば、詩人の名前になるが、「スモ

 モ ロ」と読めば、果物の品種になるように、白髪は増

 えると読むべきものあり、伸びると読んだら駄目なので

 す。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     『本文』 

 

李白を、音読で「リハク」と読めば、唐土の人名になるが、訓読みで「スモモ シロ」と読めば、果物の品種になる。

 

江戸時代、荻生徂来(おぎゅう・そらい、1666-1728)が、漢文訓読法を排斥して、漢詩文は唐音(中国語音)で音読すべきだと主張し、その弟子・太宰春台は、嘗て、漢文訓読の問題点を5つ挙げた。その一つに、「倭訓にて誦すれば字義混同す」というのがあった。

 

漢文訓読では、原則として漢字(=単語)は音読みではなく日本式に「和訓」(訓読み)を用いて読む。例えば「山」という漢字(=単語)は「サン」ではなく「やま」と読む。この場合、字義に違いは見られない。

しかし、「長」 を ( チョウ ) ではなく ( ナガ ) と読んだ場合、両者の字義にかなりの違いが生じて来る。漢字の「長」( チョウ ) には本来意味が多数あるが、訓で( ナガ ) に読み替えると、字義は「長い」( ナガイ) の一つにだけ限定されてしまう。

又、例えば、観・見・視・看の和訓は、いずれも「みる」です。しかし、これらの漢字音読はそれぞれ異なり、意味も微妙に異なる。和訓で「みる」と読んでしまうと、微妙な意味の差が分からなくなってしまうため、漢文を作るときにも間違った字を使ってしまうことになる。これがいわゆる「倭臭(わしゅう)」です。「倭臭」 が混入すると、本格的な漢詩文とは言い難い。

 

近くは、倉石武四郎(くらいし・たけしろう)博士(1897-1975)も中国語の音読を強く主張された。博士が漢文を中国語で音読しなければならない主な理由として、『 漢文訓読は翻訳としては不完全なものであり、現代においてはかえって誤解のもとになっている』 と言う。

 

  --    訓読みの罠  --

 

李白の「白髪三千丈」という詩句は、本場の中国で誇張だと思はれていない。それが、何故、日本で誇張の意味を持つようになったのか、という疑問がある。

その訳は、人によって解釈の違いが見られるが、主観的な、或は、感覚的な要素がかなり混入しているのが多い。 それを客観的に解明しようとするなら、どうしても、唐土漢文 と 列島漢文に多く見られる「同字異義」の発生原因を根本から探ってみる要がある。

その一つの主な原因として、訓読みの問題、即ち 倭臭の問題が深く係わっているとの従来の漢学者の指摘を、前述にて触れたが、又、有名な諸橋大漢和辞典の出版元である「大修舘」はウエブ上で、「音読みと訓読みについて」の読者の質問に対して次のような説明をしている。非常に良い参考になると思う。

 

 『 漢字はもともと中国語を書き表すために考案された文字ですから、中国語の音しか持っていませんでした。漢字が元来持っていた中国語の音を、 日本人なりに聞き取って発音してみたのが、音読みです。中国語の「歩」 は、日本人には「ホ」とか「ブ」とか聞こえたのでしょう。英語でたと えれば、walkという単語を「ウォーク」と発音するのと同じです。 ー (中略) - 日本人が漢字を自分たちのことばを書き表す文字として用いようとすると、中国語の音だけでは不便です。そこで、1つ1つの漢字に訳をつける必要が生じます。walkを「あるく」と訳すのと同じように、「歩」に 「あるく」という訳をつけたわけです。こうして生じたのが訓読みです。 訓読みは訳ですから、1つの漢字に対して1つとは限りません。「あるく」ではなく「あゆむ」という訳をつける人もいたわけで、基本的 には訓読みは多種多様になる傾向があります 』 

 

以上が大修館の説明ですが、舶来横文字の使用にも似たような所がある。周知のように、英語の Glass 、この単語は日本に渡って来て、二通りの言葉になった。グラスと発音すれば、「杯」を指すが、ガラスと読めば「窓ガラス」になって仕舞う。

これで分かるように、漢字に限らず、日本で現在使われている「舶来」言葉は、殆ど似たり寄ったりで、原義そのままで使われる事は非常に少ない。 意味の逸脱、これが日本における舶来言葉の際立った特徴だという事が出来るようである。

 

   --   「チョウ」 か 「ナガイ」 か  --

 

「白髪三千丈」という詩句は、本場の中国で誇張だと思はれていない。それが、何故、日本で誇張の意味を持つようになったのか、その原因は、訓読みと深い係わりを持つ事が大体これで分かる。

 

秋浦歌第十五首は、「白髪三千丈」に始まり、続く第二句が「縁愁似箇長」になっており、その日本語訳は「愁いに縁(よ)って 箇(かく)の似(ごと)く長(なが)し」となっている。 だから、「白髪は長く伸びた 」という解釈に結び付く。

ここで、「長」という漢字が内包する意味を検証してみる。

『広辞苑』に七通りの意味が載っている。「ながいこと」の意味は、その六番目に出ているが、その前に、「かしら」 「としうえ」 「最もとしうえ」「そだつこと」 「すぐれること」などが挙げられている。つまり、「長」という漢字の第一義は 「ながいこと」 ではないのである。

旺文社『漢和辞典』は、上記の外に、「いつまでも」「おおきい」「あまる」「おおい」「はじめ」などが挙げられている。

試しに、中国の『辞海』も見てみる。そこには、次のような意味が新たに見られる。「速い」「久しい」「引く」「達する」「養う」「進む」「多い」「余り」など。

 

これで分かるように、「長」という字の意味はかなり多彩であり、必ずしも「長い」「長くなる」という意味に限定されていない ということである。

「長」という漢字は、「チョウ」と音読すると、多数の意味を持つが、「ナガ」と訓読みした場合、その意味は「長い」という意味一つだけに限定されてしまう。この所が、原義と逸脱するかしないかの分れ目になる。

 

俗語の「無用の長物」、この「長物」は辞書により、「長すぎて使えない物」  「全く役に立たない物」  「余分な物」  「ぜいたくな物」などに分かれて解釈されているが、そのどれが正しいかということより、その場その場の使い様で、このような異なる解釈が生じた、と見る方が妥当ではないかと思う。しかし、いずれにしても、「長い」から無用という解釈にはなっていない。

「長」という字に、「多い」という意味も内包されていることに、大抵の人は意外に思うかも知れないが、 「年長者」は、年の多い人であり、「長者」 は、お金の多い人である。 年が長い人、お金の長い人、とは云うまい。

すると、「愁いに縁って箇の似く長し」 という読み方を、「愁いに縁って箇の似く長(ふえ)たり」 に読み替えた方が、李白詩の原義を正しく伝える事が出来るようになるようで、それは、この句の後に続く、不知明鏡裏、何処得秋霜、の二句を見れば自ずと分かる。

  

   「知らず明鏡の裏(うち)、 何れの処より秋霜を得たるかを」

李白は、ある日、鏡に映る頭上の秋霜に愕然とした。 何処から降って来たのだろう、この秋霜は? と李白は嘆じている。

もともと、髪の毛が白く、それが徐々に伸びたのであれば、李白は気が付かない筈はなく、ある日突然、愕然とする事に至らなかったであろう。 黒い髪の毛が、灰色に、そして白い色に徐々に変色したから、見落としていただけのこと。

ある日、突然鏡に映る頭上の秋霜に気が付く、誰しも、「シラガが増えたなあ!」と溜め息を付く。「シラガが伸びたなあ!」とは言うまい。そうではないだろうか。

念の為、「白髪が伸びる」 と 「白髪が増える」 という二つの言い方をヤフーブロッグで検索してみた。 「白髪が増える」という言い方が294 件に対し「白髪が伸びる」という言い方は7 件しかなかった。

中年を過ぎ、同窓会などで 久しぶりに旧友と再会する。お互いの頭上に目をやる。「 おお、白髪 (しらが ) がふえたね 」 あるいは、「めっきり 白くなったね 」 と驚きの声を発する。「おお、白髪が伸びたね」と云う人は居ないだろう。

 

以上で分かるように、本場の唐土で誇張だと思われていない「白髪三千丈」が、列島で誇張だと言われる由縁は、「長」を和訓で「なが」と読んだ為である事がこれで歴然とする。 言うなれば、優雅な詩句が、列島で「訓読みの罠」に引っかかり、字義が逸脱したもので、荻生徂来(おぎゅう・そらい)の弟子・太宰春台が意味じくも「倭訓にて誦すれば字義混同す」と言うた通り、李白頭上の「秋霜」は、白髪が「愁いに縁って箇の似く長(ふえ)た」ものだという具合いに読んで初めて本来の意味に辿り着ける。

李白を「リハク」と読めば、詩人の名前になるが、「スモモ シロ」と読めば、果物の品種になるように、白髪は増えると読むべきものあり、伸びると読んだら駄目なのです。


    【  漱  石   と   李  白  】    

2011-02-05 09:39:29 | Weblog

     ーー  漱 石 は 古 い 

           と 言 う 人 が 

             列 島 に 多 い (?) ーー


『抜粋』

  漱石文学が読めない人は、「漱石は古いから読まない」

   とう。それに似て、李白詩の鑑賞が出来ない人は、

  「白髪三千丈はホラ吹き」だと言ってバカにする。 

  悲しいかな、実際は読めないのである。 

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       『本文』    

 

日本で、文豪の代名詞とまで云はれている 夏目漱石の作品を読まない人がいま急激に増えているそうだが。読まないのは、「漱石はもう古い」だからだと言う。つまり、古いものはもう時代後れだから読むに値いしない、ということでせう。

 

ベートーベン というドイツの作曲家は 漱石よりずっと古いが、いまだに、彼の「月光の曲」「運命交響楽」などは当世の日本人に愛好されている。ならば、漱石の 「坊っちゃん」や 「猫」 を 当世の日本人が愛読しても何ら可笑しくないのに、古いから読まないと言う。これはいかにも可笑しい。

そこで、古いことが問題ではなく、分かるか 分からないかが問題であることに気が付く。実態は、読まないのではなく、読めないからであろう。それを裏付けるように、近来新たに出版された漱石の著書に、昔無かった注釈が沢山付くようになった。この注釈も、云うなれば、一種の翻訳作業である。 つまり、翻訳しなければ、当世の日本人に、漱石は読めないようになったのである。

 

漱石作品は現代語で書いているから読めない訳がない。読めないのは、文中に多く出て来る「漢字」である。 作品「草枕」に出て来る「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される」という漱石の名句を例に取り上げてみる。

 

所謂、現代の新しい日本語では、「智」という字はいま「知」に変わり、「角」という字はいま「コーナ」に、「情」は「イモーシヨン」に、それぞれ流行のカタカナ文字に取って変わられつつある。そして、「棹」という漢字は殆んど使はれないようになった今日、このような漱石の名句一つですら、今の日本人にはかなり読みずらい。況して、作品の全般に亙って、絢爛 ( けんらん) たる漢字をちりばめた「草枕」をどうやって読みこなすのだろうか。

 

今から、僅か百年程前の明治時代に書かれた現代日本語の文学作品が読めない日本人は、自分の日本語が退化した為であるという現実を認めたくない。面子問題、体裁が悪いからであろう。それで、「漱石はもう古い、だから読まない」と言う。無論それは体のよい言い分であるが、自己欺瞞の一つの手でもある。

 

最大の問題点は、千年以上に亙って使い慣れ、親しんで来た「漢字」を、屑物並みに取り扱い、未練もなく捨て去り、流行を追う、列島の風潮にある。その新しい風潮というのは、「カタカナ」で以って「漢字」の代替品とすること、しかも、その「カタカナ」の中身が西洋から取り入れた舶来言葉の単なる「音読」であり、訳語ではないことである。ここに、奇妙奇天烈 ( きてれつ) な「翻訳文化」の伝統が再度姿を現し、新たな流行の始まりを見るに至るようになった。

 

ーー 永 六輔   旅中のイライラ  --

         「食堂車は何号車 ?」
         「ビュッフェ ですね ?」
         「食堂車」
         「ビュッフェなら 9 号車です」

          ビュッフェというのは食堂車ではないのか、僕   

   はイライラしてきた。

          その時に老人が車掌に声をかけた。
          「煙草が欲しいんだが」

          「ビュッフェのわきの キオスクにあります」
            当然、老人は自分の耳を疑ぐった。 
           

     僕は老人に通訳した。
          「食堂車の脇の売店です」 
           

     老人は納得した。

 

これは、永 六輔の 「明治からの伝言」という著作の中に出ていた一節です。たまたま汽車の道中で出会った、一老人と車掌の会話に、第三者である永氏がその通訳に介入した逸話である。

 

日本人同士の会話に何故通訳が必要なのか。可成り不可解な列島日本の姿が浮き彫りになっている。永さんがイライラするのも無理はない。

言葉は、人の口から出る。人の口から出て来る言葉が変わるということは、人そのものが変わることを意味する。日本語は変わった、大きく変わった、そして、更に変わりつつある。それは、日本人が変わりつつあることに外ならない。

昔東洋、今西洋、に向きを変えた日本だが、向きを変えても、変わらない事が一つある。それは、相も変わらず「翻訳文化」に頼っているということであろう。

 

昔は、漢字そのものを取り入れて和風に直して使った。例えば、「言葉」ということばは漢字だが、漢語ではない、れっきとした日本語である。「真似事」ということばもそうである。

しかし、今は、横文字を取り入れて使うのではなく、横文字の読み方をカタカナに直して使っている。謂( い ) わば、横文字の「皮相」を真似たものである。

これは、髪の毛を、黒から茶色に染めるのと一緒で、どんなにうまく染めても真似事の域から脱することは勿論出来ない。しかし、染めた本人は、それで「金髪美人」になった積りでいるから、実に始末に悪い。

 

ーー 李白は漱石よりずっと古い --

 

国産の現代文豪夏目漱石の作品ですら満足に読みこなせない現代列島人に、漱石よりも千年以上も古い唐土の詩人李白をこよなく愛する人が少なからず居る。

  智に働けば 角が立つ   情に棹差せば 流される                                     兎角 人の世は住みにくい

 

このような詩情に溢れる漱石の名句に左程の興味を感じない列島の現代人に、李白の「白髪三千丈」のような奥深い世界をどうやって鑑賞できるのか、と疑問に思う。

 

漱石文学が読めない人は、「漱石は古いから読まない」という。それに似て、李白詩の鑑賞が出来ない人は、「白髪三千丈はホラ吹き」だと言ってバカにする。 悲しいかな、実際は読めないのである。 

 

 

 


    【  お  茶  葉   三  千  丈  】      

2011-02-01 09:51:45 | Weblog

   ーー   お 茶  と  李 白  

          繋 ( つ な ) が ら な い 話  ーー

 

『抜粋』

 日本のウエブには、「中国茶の飲み方」に関する記事が、

 何と 85、400 件もあるのです。そのうちの、一、二件

 に目を通せば、中国茶は、「一煎・二煎・三煎と何煎も

 飲みながら会話を楽しみ、お茶の味が変化していくのも

 楽しめます」という、日本茶にはない、独特な賞味法が

 あることに気が付く筈です。

 

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      『本文』   

 

李白が大変な飲兵衛であるのは、誰も知っている事である。
しかし、李白がお茶を好んで飲むという逸話は殆んど聞かない。

たまたまウエブで、お茶と李白の白髪三千丈をくっつけた珍しい記事が目に付いたので、読んでみた。
        

   触ると大変硬い物です。
       
香港へ行って帰った人からお土産にもらったものです。
       
最初これは一体何だろうと悩みました。
       
匂いを嗅いでみると、あっと思い当たりました。
 
  そうです、これはお茶だったのです。

という書き出しに始まり、写真付で話が次のような概要で記事は続いている。
         

   この急須は、ずいぶん以前に中国の人からもらった                    
         
ものです。中国のお茶と一緒にもらいました。
         
、、、、、( 写真)           
         

   これは中国の茶を飲む時のコップ。
         
これも以前、別の中国の人からもらったものです。
         
同じのを人数分揃えてもらいました。一人分の急須            

   という訳ですね。                             

   このコップをもらった時もお茶と一緒にもらいました

   が、そうそう、中国の人って、中国のお茶を下さる時 

   には決まってこう言われます。

   「このお茶は一回で何度でも飲めます。出なくなると         
          
いうことがないから何度でも飲めます。」と。

    まるで、一回の茶葉で永遠に飲み続けられるという       

    風に言われるのです。
     

    さすが、“白髪三千丈”の国です。

 

このように記事は短く、ここで終わっているが、この人は大変お茶が好きなようで、香港帰りの人から中国茶を頂いたり、中国の人から中国の急須や茶杯などを頂いていることから、中国茶にも大変興味があるように見えます。

 

茶の原産地は中国で、それがいつ日本に伝わったのかははっきりしていないようだが、最近の研究によればすでに奈良朝の頃伝来していた可能性が強いと言われている。それなら、今から千二百年ほどの昔に、唐土から列島に伝来したことになるので、かなり古い歴史を持つ。

しかし、土地、気候風土の違いで、従来の中国茶と、列島で改良された所謂日本茶とは、香りも飲み方もかなり違う。

 

このところ、中華料理の繁盛に伴い、列島で中国茶がよく飲まれるようになって来た。だから、「中国茶の飲み方」について、ウエブでも色々と詳しく紹介している。大体、次のような説明から始まるのが普通です。

 ーー 「日本茶と違って中国茶はありとあらゆる種類がありますので、茶葉によって適した温度・抽出時間・茶器があります」 ーー

 

つまり、お茶はお茶でも、中国茶と日本茶は違う、という事をまず知ることが肝要だと言うことから飲み方の指導が始まっている。そして、そのような前書きを置いた上で、下記のような説明が続く。

         

ーー 「中国茶は茶葉の量を多目に使用して、抽出時間を短くする のが美味しく飲むコツだと申し上げましたが、一煎・二煎・三煎と何煎 も飲みながら会話を楽しみ、お茶の味が変化していくのも楽しめます。抽出時間を短めにすれば爽やかな味わい、長めにすれば濃厚な味わい、時には苦味が 勝る事もあるかもしれませんが、それも味わいの一つとしてお楽しみください」 ーー 
         

ーー 「中国茶を淹れる場合、一煎目を流す(洗茶)という淹れ方もあります。(これは消毒という意味合いもありますが、最初にお湯を注いで直ぐに流すと、一煎目の茶葉の開きが促進されて、その方が一煎目が美味しい という場合もあります。)一煎目のお茶の成分を流し捨てると判断する方もいますが、茶葉の種類で判断することと、実際試してみて良しと思う場合は洗茶をされてください」 ーー

 

さて、皆さん、ここで気が付いたと思うが、「一煎・二煎・三煎と何煎も飲みながら会話を楽しみ、お茶の味が変化していくのも楽しめます」という下りの説明ですが、このような説明は、日本茶、特に伝統的な「茶道」には、 まず出て来ません。特に、抹茶は一度入れたら融けて仕舞うから、二煎、三煎などありえないのです。

 

そこで、話を、冒頭の「茶葉三千丈」に戻しますと。
           
中国人が、中国のお茶を下さる時に、
「このお茶は一回で何度でも飲めます。出なくなるということがないから何度でも飲めます。」という一言を付け加えるのは、まだ中国茶をよく知らない日本人に対する、実に厚意的で親切な説明です。

 

ところが、この親切な説明は、明らかに、この記事の主人には「ホラ吹き」に聞こえて、通じなかったようで、「さすが、“白髪三千丈”の国です」という風に、とんでもない受取り方をしている。

 

この記事の主人は、中国茶に大変な興味があるように見えて、実際は、中国茶について、基本知識すら持ち合わせていないということが、これで分かります。

 

日本のウエブには、「中国茶の飲み方」に関する記事が、何と 85、400 件もあるのです。そのうちの、一、二件に目を通せば、中国茶は、「一煎・二煎・三煎と何煎も飲みながら会話を楽しみ、お茶の味が変化していくのも楽しめます」という、日本茶にはない、独特な賞味法があることに気が付く筈です。

 

昔、自分が米国で仕事をしていた時分、会社には米国人始め、多国籍の従業員が居た。お茶飲みもそれ相応に多彩なものでした。
コーヒーも緑茶も一杯きりだが、中国人だけは、魔法瓶を小さくしたような保温茶杯にお茶っぱを一杯入れて、一日中、何煎も繰り返して飲んでいた。そのような実体験もあって、自分は、中国茶は何度でも煎じて飲めることを知っていた。

それが、中国茶の普通な飲み方なんです。人により、一煎で止める、或いは、二煎で止める、或いは、三煎で止める、というのも居るが、何れにせよ、自分が飲んでお茶の味がしないと思うまで、何煎してもよいわけです。

      

ーー 「中国茶芸は、要はお茶を美味しくいただく為の作法で、日本の茶道のように事細かな決まりがある訳ではありません」 ーー

いう日本語ウエブでも紹介している通りです。

 

それすらも知らずに、中国のお茶、中国茶の急須、中国茶の茶杯、などなどを中国人から頂き、尚且つ、ご丁寧に、

        「このお茶は一回で何度でも飲めます。
          出なくなるということがないから、何度でも飲めます」。

と中国茶独特の飲み方まで、教えて呉れたのに。それを有り難く、率直に受け取らずに、自分の無知から、

           「まるで、一回の茶葉で永遠に飲み続けられる
             という風に言われるのです」

という具合いに、自分勝手に、「何度も」を「永遠に」と、に拡大解釈し、相手の厚意を無視し、尚且つ、「さすが、“白髪三千丈”の国です」の余計な一言まで付け加えた。

 

「何度も」を「永遠に」に拡大表現すること自体、すでに、相手の贈与と、それに伴う懇切丁寧なる説明の、二重の厚意に対する、大なる「失礼」である。加えるに、「さすが、白髪三千丈の国です」という一言を使い、中国を知り尽くしたかのように、得意になる。これは、相手が誰であろうと、他人の厚意に報いるべき道ではないだろう。
もし、立場を逆にしたならば、この人はどのように感じるのであろうか。

 

本当に、お茶賞味の雅趣があるご仁ならば、中国茶の話に「白髪三千丈」を被せるような、無粋な真似をする必要は毛頭無い筈である。

中国茶にしても、李白の詩句にしても、素養が白紙に近い人が、ウエブでこのような恥さらしを自慢げにする要がどこにあるのかと思う。

 

それが、この記事の読後感であり、これをブログ記事にしたのは、外の人も似たような誤解と恥さらしを繰り返さないようにという老婆心が出発点になっている。分かって頂けば幸いです。