李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 世 界 は 日 本 次 第 の 怪論二つ 】    仁目子

2021-05-26 02:48:34 | Weblog
ーー  第一論   『世界の未来は日本次第』  ーー

ウエブで、「世 界 は 日 本 次 第」を検索すると、件数は、323,000,000 件あって、『世界の未来は日本次第』 (Japanese) Tankobon Hardcover – February 21, 2015 、by 長谷川 慶太郎 (著), 渡邉 哲也 (著) の広告が真っ先に出て来る。 それも、最初の二ページ、件数にすると、凡そ十件程度迄で、其の他の厖大な件数の内容は「日本次第」とは関係が無い。

世界を相手に、大上段に振りかざした「未来は日本次第」の長谷川流評論は、出版後六年経った今日で、読者による評価が九件あった。ウエブは、特に、肯定的な評価と、批判的な評価を、一例ずつ挙げて、両極の対比をしているので、それを見てみたい。

先ず、Top positive review (肯定評価のトップ);

日本の展望がそう悲観したものでは無いと感じられる本
Reviewed in Japan on September 22, 2015

好きな点
オンリーワンの日本企業をいくつも例示している点
ルールを守ってもらえないと日本は困るということを書いてる点。

嫌いな点
人口減少や国際政治における発言力あるいは政治の安定性、安全保障の問題について触れられていないこと。

進める人 (筆者註,進めるは、勧めるの誤字だと思われる)
日本人

評価の理由
大前研一さんの本で日本の競争力は無いと思っていたが、実際にはまだ無くなる前の過渡期なんだなという印象になって少し気がらくになったから。

One person found this helpful  (良い参考になったと言う人、一人)


次に、Top critical review (批判的評価のトップ}

殆ど内容が重複  6ヶ月に1階発刊でいい。
Reviewed in Japan on April 5, 2015

3か月前の内容と変化なし 年間2冊でいい 年間6冊以上は多すぎる。

9 people found this helpful  (良い参考になったと言う人,九人)

著者は、経済専門家のようで、論旨も経済を基盤にしたものが多く、標題から見て、不景気に喘ぐ列島の次第で、世界の未来が左右されるという「意気軒昂」なる発言をしているが、それよりも、そして、先ず何よりも、「未来」では無しに、「現在」の列島の逆境打破に貢献するような方策を考え、国の為に脳味噌を絞る事をなぜしないのかと、不思議に思う。

「世界の未来」は決して短い時間帯では無い。この本の主著者は、1927 年生れの高齢者で、此から先の、短くない「未来」の推移を見届けるのは、常識で考え、到底無理だと思われる。

にも拘らず、未来について大言壮語を吐くのは、失礼ながら、無責任であるし、単なる気休めの「はったり」だとしか思えない。 或いは、ただ 単に、本の販路を良くする為に、日本人好みの「カッコ良い」書名を付けたものだとしか思えない。

2017年、この本は、米国の U.S.A. Yahoo に、広告を出していた。『世界の未来は、日本次第』という書名で、強敵米国の道場破りかと思ったが、日本語そのままで、英語は一言も付いて居ないから。相手は米国人では無しに、米国在住の日本人相手の広告である事が分かる。

この広告にも、六件の読者評価が明記されており、内四件が五つ星、一件が二つ星、一件が一つ星、となっている。その一つ星の評価は、『大局を読めない老人と自称経済評論家のたわいもない話。居酒屋で聞く酔っ払いの話と同レベル』と書いてあった。

日本人の「カッコ良い」日本論を、日本人が「居酒屋で聞く酔っ払いの話と同レベル」と酷評する人もいる。

さぞかし、漱石の雲雀が鳴くように、「美しき 、極 み の 歌 に 、悲 し さ の 、極 み の 想 い が籠 る 本」 と言う事になるになるようだ。


ーー 第二論  「日本の寿命」  ーー

日本の寿命 (PHP文庫) (Japanese) Paperback Bunko – November 1, 1994
by 日下 公人 (著) の本が、ウエブにも広告が出ている。

内容(「BOOK」データベースより)

「日本の寿命」はあと何年か―アメリカ・ロシアの凋落、アジアの勃興など、新たな枠組みを模索している国際社会。日本繁栄のカギは、世界を不安定な「政治・外交」の時代から、再び安定的な「経済」の時代に戻せるかどうかにある。自主外交、経済のソフト化、規制緩和の必然性を早くから予見していた著者が、独自の視点から描く二十一世紀日本の国家像。

【目次】(「BOOK」データベースより)

序章 日本のどこに問題があるのか/1章 それでも世界の未来は「日本次第」-地球劇場の第二幕「経済力」の場ですべきこと/2章 日本の寿命を延ばした「四捨五入」主義とは-「日本クラブ」入会資格は日本的体質の有無/3章 「日本の寿命」はあと何年か-超先端化社会への脱皮を妨げる制度と恵まれた人々/4章 これだけやれば日本の寿命は延びる-ニッチ化日本を長生きさせるのはあなた自身。

今年2021年の商品レビューの、ブックスのレビューでは 「まだレビューがありません」。 と明記してある。

この本の第一章見出しが 《 それでも世界の未来は「日本次第」》 となっており、そのあとに、あっと思わせる小さい見出しが数珠 ( じゅず) のように 並べられている。

曰く、デタントもペレストイカ も 日本が原因
   世界は日本のショックに震えている
   中国天安門事件も日本が原因だった
   崇洋媚外の胡耀邦をひきずりおろした日本の大学生
   アメリカ共和党政権の今後も「日本次第」
   アジア N I ES の発展も「日本次第」
   大恐慌の可能性も「日本次第」
   ソ連、東欧も「日本次第」
   ペレストイカの行方も「日本次第」

このように、これでもかこれもかと、食傷気味になるほど「日本次第」が本書の主な献立になって、至る所で強調されている。正( まさ) しく、一部の日本人が好んで使う言葉 日本版の偽りの「中華思想」をそのまま具象化しているようなものである。


筆者は、ロスの古本屋でこの本が目に付き、 日本という「国」の寿命を占うような書名に興味をそそられ、当たるわけがないと知りつつも、好奇心に駆られ、外れても一ドルだからまあいいやというので買った。

結構知名度もある著者の作品だから、という期待は、その晩、床に入り本をペラペラとめくってみた際、次のような文句が目の中に飛び込んだ為に、期待は、全く吹っ飛んでしまった。
 
《 いまや世界のあらゆる問題は、その結果が吉 (きち)
と出るか 凶 ( きょう) と出るか、すべて「日本の出
方次第」になっていると思う》

続けて、今や世界は、「日本次第の時代」に入っている、と著者は言い切る。

この本が、「玉」か「石」か、人によりそれぞれ評価は異なるだろう、が、私の読後感は、「一ドル(百円)で購入して良かったと、ほっとした。

この二つの論を「怪論」と言ったのは、日本は、実質、米国属國である、と多くの日本人は言う。米国ですら、まつろわせる事が出来ないのに、世界が日本次第になる訳がない、と言う、単純思考による結果である。


【 日本の美意識 について 】  仁目子

2021-05-22 20:21:13 | Weblog
ーー  混沌とした 美の意識 ーー

ウエブサイトで、「日本の美意識」という項目をたまたま覗いて見た所、項目の一番目は、「日本の美意識 説明出来ますか ? 」 で始まっている。 非常に、興味深い「始まり」である。

項目の件数が、約48,400,000件あるので、 拾い読みしか出来ない。先ず、初めの九項目に、目を通して見た。最初に外国人のドナルド キーン氏の見解から紹介している。 

日本文学者であるドナルド・キーン氏は「日本人の美意識」で日本人の美の概念に対して中心的な特徴として以下のように述べている。

《《 「暗示、または余情」、「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、「ほろび易さ」である。こうした互いに関係する美的概念は、日本人の美的表現の、最も代表的なものを指し示している。とはいえ、これらの反対概念、すなわち「誇張」、「規則性」、「農饒」、そして「持続性」なども、決してなくはないこと、これは繰り返すまでもない。
引用元:ドナルド・キーン著「日本人の美意識」 》》

続いて、日本人筆者による、説明が、次のように書かれている。

《《  日本人は太古より「不完全さ」や「不規則さ」を良しとし「あいまい」であることを「美」と感じました。また、「所作」を追求し美しいものとして昇華さえ、「おもてなし」を様式化する事でモノや空間だけでなく時間や移ろいに対して美しさを見出しました。「作法」や「手順」の拘りに見られる「物事を極める」姿勢が日本独自の美の概念を育んできたのです。

古来の日本人は職人気質でありながら、精神的で哲学的な内側の世界へ美に対する思想を抱き、完璧な空間を演出しながらも「移り変わり」や「滅び」に対して抵抗することなく自然のままに受け入れる変化を好む性質がありました。

そして、日本人はモノや空間だけでなく、その場の雰囲気や精神的な心構えに対して「美」を感じ追求していきました。

今回は、そんな日本人が抱く美意識を古代から現代にかけて紹介していきます。

  目次 ;  1. 日本人の自然観と神道  2. 無常 3. もののあはれ  4. をかし
       5. 雅  6. 幽玄 7. 風情  8. 風流  9. 侘び 10. 寂び 11. 婆娑羅
       12. いき 13. 渋さ 14. かわいい 15. 萌え 16. 盛る 17. 映える
       18. まとめ:美意識と個性 》》

の如く、目次だけで、十八項目あって、内容は、ドナルド キーン氏 と大変異なっている。同じ「日本の美意識」を語っているのに、中心的な特徴が重なっているのが、一つもない。


美意識は、英語で Aesthetic consciousness と言う。 中国語では「審美意識」と言う。参考までに、英語のweb site を検索して見たら、項目件数は、日本語の四分の一弱の 12、600,、000 しかなく、中国語に至っては、日本の三十分の一にも満たない、1,470,000 件しかない。これを、ただ単純に、米中両国の「美意識」は、日本よりはるかに劣ると解釈出来るのか。その通りには行かない筈である。

米国人である ドナルド キーン氏の論点を見れば分るように、自然観と神道 無常 もののあはれ をかし. 雅.  幽玄  風情  風流 . 侘び. 寂び 婆娑羅. いき 渋さ かわいい 萌え盛る  映える などのような極めて抽象的で、どちらかと言うと「曖昧模糊」を好む日本人の表現が見られない。つまり、具体的、具象に対して興味があるという感覚の特徴に違いの根本原因があり、優とか劣の問題とは全く関係ない。 中国に至っては、合理的、実務的を好む民族性で認められているから、抽象的な審美意識を好まない事が了解出来る。

日本語の「意識」は、概念がすっきりせず、単なる「感情」や、「情緒」なども一緒くたにしているようで、極めて曖昧な概念になっている。 実際は、それぞれに異なる。辞書にその違いを聞いてみよう。

意識(いしき、Consciousness)は、一般に、「起きている状態にあること(覚醒)」または「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」を指す。

情緒(じょうちょ、Emotion ) は、
①  おりにふれて起こるさまざまなおもい。喜怒哀楽などにつれて起こる複雑な感情。
②  心理学で、感情経験の一種。喜び・怒り・悲しみ・恐れ・憂い・驚きなど身体的表出を伴う感情の動きをいう。

感情(かんじょう、Feeling)は、物事に感じて起こる気持ち。外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる、ある対象に対する態度や価値づけ。快・不快、好き・嫌い、恐怖、怒りなど。

これで分かるように、意識は、単なる主観的な現象であるが、情緒は、喜怒哀楽などにつれて起こる複雑な感情であり、 感情は、物事に感じて起こる気持ちの変化が伴う。明らかに、この三者は異なる。上述の過去から現代にかけての十八項目の「美意識」は、明らかに、大半は、情緒や感情に属するものである。

日本人筆者が、十八項目を紹介するに先立ち、「 日本人は太古より「不完全さ」や「不規則さ」を良しとし「あいまい」であることを「美」と感じました 」と述べたのは、この事実を指している事に他ならない。


日本の美意識に触れる時、日本人は、得てして、「自然を愛する」というのを、一番最初に持ち出す。上述の日本人が抱く美意識を古代から現代にかけての紹介、十八項目のうち、筆頭も「自然観と神道」になっている。筆者は、自然をこよなく愛し、庭に、花木を沢山植えてあるが、盆栽や生け花は好きではない。理由は至極単純で、人工的に、自然を不自然に変えたからである。

国語辞書によると、「自然」とは、

1山や川、草、木など、人間と人間の手の加わったものを除いた、この世のあらゆるもの。 2 人間を含めての天地間の万物。宇宙。
3 人間の手の加わらない、そのもの本来のありのままの状態。天然。
4 そのものに本来備わっている性質。天性。本性。

という具合に解説し、重点的に、「人間の手の加わらない」点を強調している。。     

従い、自然を愛するのと、盆栽生け花を愛するのは、明らかに、矛盾している。そういう意味で、日本人は、自然を愛していると同時に、不自然もこよなく愛する、という「両面性」の美意識を共有している、と言わねばならない。

日本人の意思表示が、曖昧であるのは、言葉の選択使用が、不適切である場合が多い。例えば、もののあわれ, わびさび、などは、本来、日本文学の形容字句であったが、それがいつの間にか、日本の「美意識」として、使われるようになったが、哀れ、侘び、寂びは人間感情の「喜怒哀楽」の一種であって、むしろ「悲哀」に属する。それが「美の意識」であるというのは、列島でしか言われていない。世間一般の感覚からすれば、それらは情緒に属する。具体的に、英語に言い換えると、もののあわれ, わびさび、などは「情緒」に属し、「emotion」「feeling」「pathos」などと言うが、日本語は、美意識「Aesthetic consciousness」という勿体ぶった表現を使用し、得意になっている。他国語に見られない、言葉のいびつな使い方である。

パトスというカタカナ語は、日本で良く使われる。元来はギリシャ語のpathosで、 哀愁, パトス, 哀感, 悲痛, 哀れ, 情緒など、ものの哀れ、侘び、寂びなどの情緒を表現する言葉だが、その様な情緒の直接表現を好まない為に、日本人はカタカナのパトスに言い換えて使っている訳で、反対に、「美意識」は、自分を喜ばせる為の恣意的表現である、という事が分かる。

良く耳にし、目に止まる「日本の美意識」とは、何なのかと思って、ウエブを覗いてみたが、第一ページの二、三件に目を通した時点で、外国人のキーン氏の見解と、日本人筆者が紹介する意識内容に、全く接点が無い事に驚いてしまった。先に進めば、進むほど、ますます、混沌の度合いが深まるのは、簡単に、予想出来るので。日本の美意識の探求は、断念する事に決めた。

本文の冒頭で触れたように、 この項目は、『「日本の美意識 説明出来ますか ? 」で始まっている。 非常に、興味深い「始まり」である。』、実際に 目を通して見て、正しくその通りだと思った。

なぜ止めたか、その訳を書いたのが。本文である。


【 言葉に見る、 日 本 文 化 の 一端 】 仁目子

2021-05-19 22:54:49 | Weblog
  ーー  得 手 勝 手  とは 何の事 ? ーー

得手勝手、えてかって、と読む漢字日本語を、中国語に直すと、自私になる。この自私という中国語を、また日本語に直すと、我がままになる。

言葉遊びのように見える、が、実際は、真面目に、日本語の「不思議」について、語って見たい、と思っている。


得手勝手の解説 - 三省堂 新明解四字熟語辞典
.
えて-かって【得手勝手】
.
他人に構わず自分の都合ばかりを考えて、わがまま放題にするさま。▽「得手」は本来は得意なものの意。

得手勝手は、漢字の四字成語だが、漢字の本家中国には、同じ成語は無い。「得手」の中国語は「擅長」shàn cháng か「拿手」ná shǒu かで、得意を意味する。 「勝手」の中国語は「自私」Zìsī を意味する、つまり、我がままである。これをまとめて、得手勝手を解説すると、「我がままが得意である」という意味になって、三省堂辞典の解説に合致する。

漢語でありながら、得手勝手という成語が中国に無く、日本列島だけにあるという事は、列島独特の文化表現に、その必要性があるものと思われる、ので頗る興味深い。

列島名称の「日本」は、「日出ずる国」を意味しているが、それは、西側にある半島や大陸から見た場合の自然現象であり、実状ではない。日本から見た場合、「日出ずる国」は、ハワイか米国になる。だから、「日出ずる国」と自称できる国は、世界中、何処にも居ない。

国際通用語「Japan」には、日出る意味は勿論無い、「日出ずる国」というのは、漢字を悪用した、という表現であるという事が分かる。一種の「得手勝手」である。 昔、唐土の随煬帝に「日出ずる国の天皇」の国書を呈出して、こっぴどく叱られ、「東の天皇」に書き換えた歴史逸事は、今でも、愚かな得手勝手の笑い話として良く語られているのは、衆知の通りである。

最近の福原愛離婚問題で、報道各誌は、当事者を同等に取り扱い、福原と夫江、福原さんと夫江さん、福原氏と夫江氏、の様に呼称している。が、「東スポ」だけ、福原さんと夫江、と江氏を呼び捨てにした報道をずっと続け、多数の読者の抗議を無視し続けて、今日に至って居る。 大変な得手勝手である。余程の事情がなければ、このような日本語を、報道紙が使用する訳がない。

名前呼び捨ては、相手を見下す、馬鹿にする事を意味する。「東スポ」は、なぜ江氏を見下す必要があるのだろうか。考えられ得るのは、福原を庇う為に、江氏を貶す、としか考えられない。それで、事実の根拠がない「モラハラ亭主」、「モンスター義姉」を紙面で踊らせている訳だが、此の離婚事件は、単なる、夫婦間、或いは、家族間の問題では無く、夫、幼児、老母を置き去りにして、日本で不倫した、という、通常の常識では考えられない行為が「焦点」になっており、それで、社会全般の非難を受けているわけで、モラハラ、モンスター などの怪文字を紙面で踊らせて、社会が騙せる訳はない。

もう一つ、考えられ得る事は、当事者が、日本人対異国人である事から、「東スポ」は、ほこりある日本紙として、日本人の愛の肩を持ち上げようとしている、のではないかと思う。

生前、日本について良く調子の好い話をしていた司馬遼太郎が、一度、歴史文学家の海音寺潮五郎との対談で、次の様な、辛辣な、日本評をした。

《《 「日本国はエライ」と、そういうことで出来る自信じゃなくて、自分の民族と文化についての正しい認識からうまれた毅然としてものが、日本人になければならない。でなければ薄よごれポンチ絵のような日本人像からぬけだせませんね 》》

でなければ薄よごれポンチ絵のような日本人像、、、、とは、如何にも辛辣であるが、二流、三流と言えど、日本の報道社が、ちゃんとした日本語も使用出来ないようでは、理由はどうであろうと、恥ずかしい事だと思は無いだろうか。

列島に、日出ずる国を意味する「日本」(イルボン)という名を付けたのは、西側に位置する半島南部の人々である、と、列島の権威学者は、揃えて言う。そうでなければ、地理的実情に合わないからである。

それを、恰も、太陽が列島から昇ると思って、自慢する日本人も居るが、太陽は何処からも昇らない。 太陽は中空に掛っていて、その周りを、地球がぐるぐる廻っているから、太陽が昇ったり、沈んだり、していると感じるだけの事。

「東スポ」さんよ、薄よごれポンチ絵にならないよう、そろそろ、考えを変えたらどう ? 



【 面白い 言葉の三国志 】 仁目子

2021-05-18 15:54:45 | Weblog
  ーー  地道 と 道地 について 語る ーー

日本語に「地道」(じみち)という言葉がある。その意味を、国語辞書は次のように解説している。

1 手堅く着実に物事をすること。地味でまじめなこと。また、そのさま。「地道な努力をする」「地道に働く」

2 普通の速さで歩くこと。また、馬を普通の速さで進ませること。なみ足。→早道 (はやみち) 「―に歩む馬に乗り」〈浮・栄花一代男〉

次に語源を検索してみてみると、馬術用語が元だと言って、次の様に、説明している。

《《 じみち [地道] 、 馬術用語で、馬を並足で進ませる基本の乗り方を「地道」という、これをこなさなければ次には進めない。そこから、転じて、手堅く着実に物事をすること、地味で真面目なことを意味するようになったとする説がある。なお、馬術で、馬をジグザグに歩ませること、折れ曲がって続いている坂道や山道を「葛折り(つづらおり)」というが、これは、ツヅラフジの蔓(つる)が折れ曲がって伸びていることから出た語。ちなみに、馬の腹部に拍車を当てて速く走らせる意から、物事の勢いを増すことを「拍車(はくしゃ)を掛ける」という。 》》

この説明は、「 、、、、、を意味するようになったとする説がある。」というから、確かな語源であるかどうか、分からない。

当たり前のように使っている「地道」という言葉だが、少し掘り下げて、意味と語源を知ると、結構面白いと思うが、語源がすっきりしないのであれば、興味半減でも致し方無い。

更に、この言葉が三国志言葉である事を知っている日本人は、多くないと思うので、この際、次いでに語って見たい。

漢字の本家中国にも「地道」という言葉がある。dìdào と読み、本物、純粋、真実などを意味する。 

所変われば、品変わるで、列島の着実、本家の真実、実は実でも、意味合いは可成り違う、それに、中国は、この言葉を「地下道」に結び付ける場合があるが、列島では、馬術に結び付けている、点でも大分違いがある。

台湾にも「地道」という言葉はあるが、殆んど使われていない。代わりに、台湾では、それを逆さまにした「道地」という言葉を使い、本物、純粋、真実などの意味を表わしている。本家と分家,元は一緒でも、現実はこの様に異なる。

この「道地」という言葉は、日本語で見かける事もある、が、ウエブサイトの説明では、
 
《《 電話帳に掲載されている情報によると、「道地」という名字(苗字)の人は全国に約    440人程おり、全国で「15,056番目」に多い名字となっています。
   「道地」の読み方については、一般的に「どうち」の他に「どうじ」とよみます。》》

となっており、明らかに、一般用語としては使われていないようである。

「地道」は日本で、仕事の面で、手堅く着実に物事をすること。地味でまじめなことの形容に使われる場合が多いが、中国では、仕事とは関係なく、食べ物の品評に良く使われる。例えば、「この店の四川料理の味は、本物だね」(這家四川菜館的味道 很地道)と言う具合に使う。

台湾も同じように、食べ物の品評に良く使う、が、(這家四川菜館的味道 很地道)と言わずに、( 這家四川菜館的味道 很道地 )と言う。最終句の 很地道と 很道地 が違う、しかも、逆さになっている。所が、中国人と台湾人が、たまたま宴会で、同席して、食べ物品評に全く逆の表現を使っても、誰も気にせず、宴会は和やかに進行して、一同、食事を楽しむ。

言葉一つを取り上げ、食事の雰囲気を壊す事はしない。漢民族の、大らかな性格が、このような形で、極く自然に表れて来る。

若し、此れが、日本人だったら、同じ品評に、異なる表現を使用する人が居たなら、黙っているのだろうか、と思う。恐らく、「日本では、そいう言い方はしない」と、一言口を挟む、と思うが、いかがなものだろうか。

 【 愛ちゃん 頑張れ ! 】  仁目子

2021-05-16 04:17:29 | Weblog



ーー 意味不明 の 応援 ーー


日本人は当たり前に、頑張ろう、頑張って下さい、と言うが、本当のところの意味を知っているのだろうか、という質問がウエブサイトに出ている。

日本語の辞書によると、【頑張る】とは、

《「が(我)には(張)る」の音変化、また「眼張る」の意からとも。「頑張る」は当て字》
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して—・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「—・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が—・っているので入れない」

となっている。が、(一般的には『努力する』って意味で使われていることが多い。

これを、スッキリした意味を持つ英語に直して見ると、頑張る = I will do my best、と
出ている。 つまり、最善を尽くす、という事で、はっきり分かる。

最近、福原愛が離婚騒動で、非難の声を、豪雨のように浴びている中、偶に、「愛ちゃん 頑張れ !」、と言う声も聴く。 但し、ただ、「頑張れ」の一句だけで、説明は付いていないから、具体的に、何を頑張れと言うのか分りようがない。

「頑張る」ことの本当の意味, つまり、「頑張る」の語源或いは、由来の事だが、宗教思想家で、大正大学客員教授の ひろ さちや 氏に依れば ;

《《 「頑張る」という言葉の語源は、「我を張る」です。自分を押し通す、それが頑張るということです。競争し、自分の利益を優先させることが頑張ることなのです。
私が子どもの頃は「あの人、頑張ってはるなぁ」というのは、軽蔑の意味を込めて言われたものです。「もっとおとなしく温和になればいいのに」という意味でした。それがいつの間にか「頑張る」が美辞になってしまいました。おかしいですね。》》

という事は、「愛ちゃん 頑張れ」と言うのは、「愛ちゃん 我を張れ」で、愛ちゃん 我を通せ、という事になる。果たして、「我を張る」事が、愛の為になるか、極めて疑わしい。

愛は、衆知の様に、夫と離れたい。夫も、その意を汲んで、離婚の訴訟を起こした。それで、万事順調に、離婚に進む筈だが、日刊ゲンダイの池内という記者が、突然、横やりを入れた。『「里帰り不倫」の福原愛 格差婚には“離婚できない”リスクがある(池内ひろ美)』と言うのである。

何の事かと思って、目を通して見たら、下記のようなコメントが目に入った。
   
 《《 福原さんは結婚相手を間違えたは?!
    そう言いたいのは江さんの方でしょう。
    また福原側の擁護記事に思えます。
    いい加減、悪あがきして印象操作するような変な記事出すの
    やめた方がいいですよ。見苦しい限りです。 》》

そして、賛同者が 211人 不賛同者が 13人、と出ている。明らかに、議論の余地すらない記事である。

「愛ちゃん 頑張れ」と声をかける人は、愛のファンであるが、果たして、良い意味での激励になるどうか、愛の離婚騒動が、必要以上に世間を騒がしているのは、愛が中心思想に欠ける,週刊誌の野次、加えて、日本語表現の曖昧模糊性が、重なり合ったものだとしか思えない。

安田女子大学の川岸克己准教授(日本語学)は、ウェブで意味深長な話をしている。

 《《 現代における「頑張る」とは、「自分の持てる力を精いっぱい発揮して、ものごとを成し遂げること」です。、、、、

いつから「頑張る」ことが良いことになったのか。病人が頑張ったら死んでしまうこともある。時に頑張ってはいけないことがある。力を抜いて努力しない方がいいときがある。
 外国では厳密に「頑張れ」にあたる言葉は殆どないという。英語で「DO YOUR BEST」は最善を尽くせで、頑張れとは違う。「Have a fight」は武田鉄矢の言う通りです。一体いつから「頑張る」がいい意味になったのか。何かきっかけがあったのか。いつどこで誰が変えたのか? 》》

確かに、味が深い。