第十四話 【 辺境島国 「独善気質」 の 極み 】
―― 隣人は扱き下ろすが、 自分は棚に上げる ーー
ーー 相手を「悪」とし、自分を「善」とする ヤマト人気質 ーー
‐ーー 独善気質 と 蒙昧 の 懐(フトコロ)を狙う「解明書籍」 ーー
日本人の「独善性格」を形容するのに良く使われる例え俗語がある。
一つ、 隣の人が、夜逃げした、と聞いて喜ぶ。
二つ、 隣の人が、ベンツを買った、と聞いてムッとする。
如何に、日本 或いは、日本人の隣人との付き合いが、不得手であるか、此れで、充分に納得出来る。
『 徹底解明 ! ここまで違う日本と中国―中華思想の誤解が日本を亡ぼす 』 Tankobon Hardcover – July 1, 2010 by 石 平 (著), 加瀬 英明 (著) という本がある。
日中文化の違いはイスラム教文明とキリスト教文明の差より大きい、と喝破する著者。
・相手に悪いと思う日本人
相手が悪いと思う中国人
・公(おおやけ)が共有される日本
公の概念がない中国
・中国は「大きな皿に盛った砂の山」
日本は「さざれ石が集まって巖となる」
と言った所が、喝破した日中文化の核心内容であるようだ。
五つ星で、八十三人「役に立った」という、「うまやど」のコメントを、写し出して見る。
《《 日本人は、日本文化の深いところと、中国文化の深いところは一緒だと錯覚している。とんでもない誤りだ。しかし、どこが違うんだ、となれば、中国も論語を大切しているし漢字を使っている。日本もじゃないかと、となって解らなくなってしまう。
本書は、中華帝国が復興し、我が国が世界の経済大国第2位を転がり落ち、中華の門前の小国に戻りつつあるからこそ読んでおきたい。中華に飲まれないように。
彼我の根本的な違いについて、中国に造詣の深い石平と加瀬英明が縦横に語りつくした対話本。日中ビジネスに関わるもの、行政、政治、外交、留学生教育に関わるもの、隣人に中国人をかかえているものなど、広い読者に読んでいただきたい本である。 》》
ほぼ、このコメントで分かるように、「 中華の門前の小国に戻りつつあるからこそ読んでおきたい。中華に飲まれないように 」 と言ったところが、本書出版の動機であるようだ。
相手に飲まれないように、相手を「悪」とし、自分を「善」とする。これは、ヤマト人種の伝統的な「独善気質」である。
両国文化は違うと言う。どこが違うんだ、となれば、中国も論語を大切しているし漢字を使っている。日本もじゃないかと、となって解らなくなってしまう。要するに、分からずに論じているのが「日本式解明」だという事になる。
実体はどうであるか、「相手に悪いと思う日本人」は果たして多いのだろうか、と思って、ウエブに、「相手に悪い」を入れて検索してみた。
出て来た記事数は、143,000,000 件あった。確かに,相手に悪いと思う人は多いなあーと思った。が、内容記事をみると、驚くことに、全て、「相手が悪い」になっている。念のため、「相手に悪い」を再度入れてみたが、出て来た記事は、相変わらず、「相手が悪い」であった。
極端な言い方をすれば、「相手に悪いと思う」日本人が居ないから、そのような記事も無いと云う事になる。 143,000,000 件というのは億単位の件数であり、それが、全て「相手が悪い」と言う記事であれば、「相手に悪いと思う日本人」が果たして居るのだろうか、と首を傾げざるを得ない。
相手に悪い、という思いやりから 謙虚な気持ちになる。
「謙虚」の「虚」とは、心を空っぽにすることで 、中国哲学、特に老荘思想では重要な漢字の1つになっている。 現実的な利益を追い求めることをやめ、よけいなことは考えない。 そうやって心を「虚」の状態、つまり空っぽにすることによってこそ、人生の真実に到達することができるというのだ。
日本人は周知のように、勝つか、負けるか、強気か、弱気か、の両極気質を持ち、中道的な「謙虚」には、左程興味はない。このような、現実の姿を参照すれば、「相手に悪いと思う日本人 相手が悪いと思う中国人」 の解明は、全然、解明になっていない。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、
《《 公(こう)は、古代の中国語では個々に細かく分かれた「私」を包括した全体を意味する語である。また、一部に偏らないという意味を含む。このことから「公平」という熟語を生ずる。》》
と書いてある通り、「公」という概念は、古代中国が生み出した概念である。所が、本書では 「公の概念がない中国」と解明している。それは、日本に公あれば、中国にはない、という独善気質によるもので、二つの文化の違いの解明にはほど遠い。
・中国は「大きな皿に盛った砂の山」
日本は「さざれ石が集まって巖となる」
に至っては、噴飯ものである。日本国歌「君が代」では「さざれ石が巌となりて」と唱っている。 本書では、「さざれ石が集まって巌となる」と言う。さざれ石であろうと、さざれ石が集まろうと、それが巌になるという教えは、学校で習った事がない。
日本のさざれ石,或いは、その集いだけが巌になる、という事なのか。そうだとするなら、「世界の非常識」が、又、一つ増える事になる。
中国の国際的に有名な文人 林語堂が、嘗て、花崗岩(日本)と沙(中国)を次のように解明した、日本が世界相手に戦を始める前の事である。
氏曰く、花崗岩は炸裂すれば、粉々になる、が、沙は粉々になっても相変わらず沙である。そう言って、氏は、見掛けの良い日本と、中身のしっかりしてる中国を比較し、日本は弱いと判断したが、氏の予想に違わず、二次大戦で、日本は敗北した。
この様な解明こそ、意味があるというもので、ただ、単に相手を「悪「、自分は「善」である、という解明は、中学生でも出来る。
明治以降、「桃太郎の鬼退治」を真似て、帝国日本は、 全て「相手が悪い」という解明のもとに、魯西亜、中国、米国の三大大陸国を退治するべく、戦を挑んだ。結果は、承知のように、帝国日本は、脆くも、あっけなく滅びてしまった。
今だに、帝国日本から生まれ変わった「日本」は、相変わらず、「相手が悪い」という解明にのみ興味を示し、「自分を検討する」事は一切しない。歴史は繰り返す、という古くからの言い伝えは、自分は桃太郎で、相手は全て鬼である、という日本の伝統的な「思考形態」(mentality) が、如何に、危険なものであるかを、物語っている。
米国在住の筆者(私)は、「中」でもなければ、「日」でもないという立場から、日中関係については、次のように考えている。言うなれば、岡目八目か、傍観者 清 の言である。
ーー 千年以上の隣人付き合い 今さら、何を解明する,
何時まで 中国を解明すれば 分かるのか ーー
ーー 文字から食べるお米まで、頂いた恩人 なぜ、
悪人扱いにする ーー
ーー 鬼畜米英と同じ自卑感で、今、悪の中華の洗脳に
一生懸命、 僻みと妬み 解消の為に ーー
ーー そして、何よりも 版税と印税の稼ぎの為に、
文士がせっせと、中国貶しに筆を振るっている ーー
ーー この様な本が良く売れる、という事は、日本人は
お目出度い人が 如何に多いかが分かる ーー
辞書の解説を、念のために、添えて置く。
《《 「めでたい」とは、もともと「とても素晴らしい」という意味です。 しかし、そこに「お」をつけて丁寧にすることで、かえって皮肉な意味にしてしまうのですね。 「おめでたい人」とは、「お人好し」、あるいは「何も知らない人」という意味になってしまいます。 》》
本文は、狭い島国列島の人々の参考になれば、と思って書いたものです。
―― 隣人は扱き下ろすが、 自分は棚に上げる ーー
ーー 相手を「悪」とし、自分を「善」とする ヤマト人気質 ーー
‐ーー 独善気質 と 蒙昧 の 懐(フトコロ)を狙う「解明書籍」 ーー
日本人の「独善性格」を形容するのに良く使われる例え俗語がある。
一つ、 隣の人が、夜逃げした、と聞いて喜ぶ。
二つ、 隣の人が、ベンツを買った、と聞いてムッとする。
如何に、日本 或いは、日本人の隣人との付き合いが、不得手であるか、此れで、充分に納得出来る。
『 徹底解明 ! ここまで違う日本と中国―中華思想の誤解が日本を亡ぼす 』 Tankobon Hardcover – July 1, 2010 by 石 平 (著), 加瀬 英明 (著) という本がある。
日中文化の違いはイスラム教文明とキリスト教文明の差より大きい、と喝破する著者。
・相手に悪いと思う日本人
相手が悪いと思う中国人
・公(おおやけ)が共有される日本
公の概念がない中国
・中国は「大きな皿に盛った砂の山」
日本は「さざれ石が集まって巖となる」
と言った所が、喝破した日中文化の核心内容であるようだ。
五つ星で、八十三人「役に立った」という、「うまやど」のコメントを、写し出して見る。
《《 日本人は、日本文化の深いところと、中国文化の深いところは一緒だと錯覚している。とんでもない誤りだ。しかし、どこが違うんだ、となれば、中国も論語を大切しているし漢字を使っている。日本もじゃないかと、となって解らなくなってしまう。
本書は、中華帝国が復興し、我が国が世界の経済大国第2位を転がり落ち、中華の門前の小国に戻りつつあるからこそ読んでおきたい。中華に飲まれないように。
彼我の根本的な違いについて、中国に造詣の深い石平と加瀬英明が縦横に語りつくした対話本。日中ビジネスに関わるもの、行政、政治、外交、留学生教育に関わるもの、隣人に中国人をかかえているものなど、広い読者に読んでいただきたい本である。 》》
ほぼ、このコメントで分かるように、「 中華の門前の小国に戻りつつあるからこそ読んでおきたい。中華に飲まれないように 」 と言ったところが、本書出版の動機であるようだ。
相手に飲まれないように、相手を「悪」とし、自分を「善」とする。これは、ヤマト人種の伝統的な「独善気質」である。
両国文化は違うと言う。どこが違うんだ、となれば、中国も論語を大切しているし漢字を使っている。日本もじゃないかと、となって解らなくなってしまう。要するに、分からずに論じているのが「日本式解明」だという事になる。
実体はどうであるか、「相手に悪いと思う日本人」は果たして多いのだろうか、と思って、ウエブに、「相手に悪い」を入れて検索してみた。
出て来た記事数は、143,000,000 件あった。確かに,相手に悪いと思う人は多いなあーと思った。が、内容記事をみると、驚くことに、全て、「相手が悪い」になっている。念のため、「相手に悪い」を再度入れてみたが、出て来た記事は、相変わらず、「相手が悪い」であった。
極端な言い方をすれば、「相手に悪いと思う」日本人が居ないから、そのような記事も無いと云う事になる。 143,000,000 件というのは億単位の件数であり、それが、全て「相手が悪い」と言う記事であれば、「相手に悪いと思う日本人」が果たして居るのだろうか、と首を傾げざるを得ない。
相手に悪い、という思いやりから 謙虚な気持ちになる。
「謙虚」の「虚」とは、心を空っぽにすることで 、中国哲学、特に老荘思想では重要な漢字の1つになっている。 現実的な利益を追い求めることをやめ、よけいなことは考えない。 そうやって心を「虚」の状態、つまり空っぽにすることによってこそ、人生の真実に到達することができるというのだ。
日本人は周知のように、勝つか、負けるか、強気か、弱気か、の両極気質を持ち、中道的な「謙虚」には、左程興味はない。このような、現実の姿を参照すれば、「相手に悪いと思う日本人 相手が悪いと思う中国人」 の解明は、全然、解明になっていない。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、
《《 公(こう)は、古代の中国語では個々に細かく分かれた「私」を包括した全体を意味する語である。また、一部に偏らないという意味を含む。このことから「公平」という熟語を生ずる。》》
と書いてある通り、「公」という概念は、古代中国が生み出した概念である。所が、本書では 「公の概念がない中国」と解明している。それは、日本に公あれば、中国にはない、という独善気質によるもので、二つの文化の違いの解明にはほど遠い。
・中国は「大きな皿に盛った砂の山」
日本は「さざれ石が集まって巖となる」
に至っては、噴飯ものである。日本国歌「君が代」では「さざれ石が巌となりて」と唱っている。 本書では、「さざれ石が集まって巌となる」と言う。さざれ石であろうと、さざれ石が集まろうと、それが巌になるという教えは、学校で習った事がない。
日本のさざれ石,或いは、その集いだけが巌になる、という事なのか。そうだとするなら、「世界の非常識」が、又、一つ増える事になる。
中国の国際的に有名な文人 林語堂が、嘗て、花崗岩(日本)と沙(中国)を次のように解明した、日本が世界相手に戦を始める前の事である。
氏曰く、花崗岩は炸裂すれば、粉々になる、が、沙は粉々になっても相変わらず沙である。そう言って、氏は、見掛けの良い日本と、中身のしっかりしてる中国を比較し、日本は弱いと判断したが、氏の予想に違わず、二次大戦で、日本は敗北した。
この様な解明こそ、意味があるというもので、ただ、単に相手を「悪「、自分は「善」である、という解明は、中学生でも出来る。
明治以降、「桃太郎の鬼退治」を真似て、帝国日本は、 全て「相手が悪い」という解明のもとに、魯西亜、中国、米国の三大大陸国を退治するべく、戦を挑んだ。結果は、承知のように、帝国日本は、脆くも、あっけなく滅びてしまった。
今だに、帝国日本から生まれ変わった「日本」は、相変わらず、「相手が悪い」という解明にのみ興味を示し、「自分を検討する」事は一切しない。歴史は繰り返す、という古くからの言い伝えは、自分は桃太郎で、相手は全て鬼である、という日本の伝統的な「思考形態」(mentality) が、如何に、危険なものであるかを、物語っている。
米国在住の筆者(私)は、「中」でもなければ、「日」でもないという立場から、日中関係については、次のように考えている。言うなれば、岡目八目か、傍観者 清 の言である。
ーー 千年以上の隣人付き合い 今さら、何を解明する,
何時まで 中国を解明すれば 分かるのか ーー
ーー 文字から食べるお米まで、頂いた恩人 なぜ、
悪人扱いにする ーー
ーー 鬼畜米英と同じ自卑感で、今、悪の中華の洗脳に
一生懸命、 僻みと妬み 解消の為に ーー
ーー そして、何よりも 版税と印税の稼ぎの為に、
文士がせっせと、中国貶しに筆を振るっている ーー
ーー この様な本が良く売れる、という事は、日本人は
お目出度い人が 如何に多いかが分かる ーー
辞書の解説を、念のために、添えて置く。
《《 「めでたい」とは、もともと「とても素晴らしい」という意味です。 しかし、そこに「お」をつけて丁寧にすることで、かえって皮肉な意味にしてしまうのですね。 「おめでたい人」とは、「お人好し」、あるいは「何も知らない人」という意味になってしまいます。 》》
本文は、狭い島国列島の人々の参考になれば、と思って書いたものです。