英語を話さない ーー
―― 言葉は、話さなければ、話せるようには成り得ない ーー
「英語が話したい」という文句を,ウエブに入力してみた。 関連記事の数が、約90,700,000件 と出て来た。 九千七十万件だと云う事になる。 この数字を、単純に、了解するなら、幼児、児童を除いて、絶対多数の日本人が、英語を話したい、という欲望がある事を示している事になる。
高校卒なら六年、大学卒なら十年、日本人は学校で英語を勉強した。それだけで、簡単な英語は話せる。 ところが、絶対多数の日本人は、簡単な英語ですら話せない。事実は、話せないのではなく、話さない,とというのが実態である。
具体的な例を挙げると、good morning 、how are you という英語は誰でも知っているのに、誰もそれを口にしない。 なぜかと聞いてみると、周りの人が言わないから、自分も言わなない、という答えが戻って来る。極めて「日本的」な答えで、「世間体」への思惑が、横文字開口の妨げになっている。
ロスのゴルフ場で、たまたま一緒に回った、帰国を前にした、商社駐在員の奥さんが、「お先真っ暗」だと言って、帰国を厭がっていた。折角、米国でマックダーノという英語を覚えたのに、帰国すれば、「世間体」の柵(しがらみ)で、又、マクドナルドという野暮ったい発音に戻らざるを得ない。それを思うと、お先が暗くなる、と言う。 分かる話である。
「日本特殊論」という言説がある。
「日本的」特性の独自性を強調する言説は,日本人の文化的衝撃や不適応の要因を日本人の行動特性に求めようとする議論である。
ーー 厚い「ウチ」の壁 ーー
日本人の異文化不適応の要因として、一つ良く挙げられているのが,日本人の人間関係に存在する「ウチ」と「ソト」の概念である。日本人はウチ(内側)にいる人間との関係は大事にするが,ソト(外側)の人間とはおそろしく疎遠である。これは日本人の,異質を認めない連続の思想に起因する。したがって異質なものを異質と認めて,そのうえで付き合っていくということができず,国際的な人付き合いの弊害となっている。
Mc Donalds (マックダーノ)という英語は、外国の言葉で、本来は「ソト」に属する。それを、マクドナルドという日本語のカタカナに変えて読むと、「ソト」を「ウチ」に変えた形になるから、日本人は老若男女問わず、喜んで、マクドナルドと言う。
Rori Macilroy (マックロイ)も同じである。ローリー マックロイと言わずに、ローリー マキロイ と言う。これらは、日本人はウチ(内側)との関係は大事にするが,ソト(外側)とはおそろしく疎遠である。これは日本人の,異質を認めない思想に起因する。
世の中、物事、全てに両面性がある。ウチを重んじれば、ソトが疎遠になる。マクドナルドも、マキロイも、日本人には通じるが、外国人には全く通じない。
英語が話せるように成りたい、と思う日本人は、日本人口の圧倒多数を占めている。動機は何かというと、誰しも、外国人との講話が出来るように成りたい、と言う。
英語が日本に上陸し、日本人が一生懸命に習い覚え始めて、既に、百六十年の、長い歳月が過ぎた。が、大半の日本人は、未だ英語が話せない。
ウエブに、「なぜ 英語が話せない」という記事が約8,200,000件ある。お分かりのように、日本語の特殊性、学校英語教育の不当、日本の社会は日本語だけで十分やっていける、などなどの自己弁解や自己欺瞞や自己安慰に満ちた記事が大半を占めている。
所が、肝心の「話せない」原因を、率直に言い表わす記事が見当たらない。上述したように、大半の日本人は英語教育を長年受けて、英語を知っているのに、それを使わない、つまり、話さない。結果的に、話せないようになる。それが、本当の原因である。
朝出勤したら、「お早う」の代わりに、時折り「good morning 」と、「調子はどう?」の代わりに「how are you 」と、同僚に声を掛けてみる。周りが、マクドナルド や マキロイ の単細胞発音に飽きている時に、マックダーノ や マックロイの変わった多細胞発音で、皆さんを「目ざめさせ」、同時に。「俺も、英語が口から軽く出るようになった」という自信を付ける助けにもなる。
世の中、万事、突破口を要する事が多々ある。今の日本人には、英語の基礎知識は十分ある。が、使わない、話さない、という事で、自分を「語学音痴」の境地に追い込んでいる。使う、話す、という突破口さえ掴めれば、英語が話せるようになるのは、左程の時間は掛からない。
ウエブサイトで、ああでもない、こうでもない、と、詰まらぬ能書きや論議を論じるより、話す、という勇気を如何にして持つか、それと真剣に取り組んだ方が、役に立つ。
語学音痴の汚名を消すのは、これが最善の方法である。英語の本場米国から、太平洋を隔て、遥かなる日本列島に、「言葉は、話さなければ、話せるようには成り得ない」という金科玉条を贈る。
語学音痴の汚名返上の参考に成れば、幸いだと思う・