李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 アンポンタン に見る ヤマト人種の 「自慢嗜好」】    仁目子

2022-05-29 10:46:58 | Weblog
ーー  なぜ、アンポンタン というシナ語が必要 ?? ーー
ーー  アンポンタンの語源を 日本語にする 国粋バカ ーー
ーー  正しく アンポンタン  ーー 

「アンポンタン」というカタカナは、通常「馬鹿」という意味で使われている。「馬鹿」は「バカ」とも書き、「莫迦」とも書く。それだけではなしに、日本語の「馬鹿」の同義語が、Weblio 辞書によると、下記の如く、九十四の多きに達する。信じ難い事である。

鈍ま・ひょうろく玉・半端・甚六・たわけ・戯者・与太郎・馬鹿垂・脳たりん・抜け作・昧者・愚婦・おたんちん・あほんだら・阿房・薄野呂・のろま・薄のろ・薄ぼんやり・脳足りん・空け者・鈍間・愚か者・馬鹿野郎・阿呆・烏滸・あほ・すかたん・戯け者・馬鹿・頓馬・槃特・薄馬鹿・馬鹿たれ・安本丹・痴者・痴れ者・魯鈍漢・駑馬・呆助・痴・薄ばか・愚夫・空者・鈍物・半ぱ・馬太郎・ぽんつく・虚者・莫迦・頓痴気・とんちき・間ぬけ・表六玉・鈍付・戯け・箆棒・愚か人・とんま・痴人・あんぽんたん・滑稽者・惚者・うっそり・虚け・虚仮・虚け者・愚人・空け・鈍つく・馬鹿垂れ・呆気者・芋助・薄鈍・抜け・愚物・下愚・惚け者・馬鹿者・愚者・あほう・鈍才・三太郎・おたんこなす

人口、国土、人種の大国である米国で、「馬鹿」は、stupid か fool の二通りで事足りているようで、それよりきつく言う時は knukle head (まぬけ)と言うが、それでも三つの言い方で十分足りている。試しに、上述の Weblio 辞書を見たら、全部拾い上げても、stupid、slow、dumb、obtuse、dense、dull、dim、extreme、crackbrained、idiotic などの十しかなく、日本語の約十分の一しかない。

列島のすぐ隣に、人口十四億を越す、とてつもない大国、中国がある。この大国で普段使われている「馬鹿」という言葉は Weblio には「笨蛋」(ben 4 dan 4 ) や「傻瓜」(sha3 gua1) の二つしか出ていない。

国が小さい程、「馬鹿」の表現が多岐に亙るのは、何を意味するのだろうか。こんなものが多いのは、ちっとも自慢の種子(たね) にならない。 所が、weblio 辞書は 九十四もの同義語を挙げている。世界で最も多いので、自慢嗜好の強い日本では、此れも自慢のタネになると思って居る、のかも知れない。

アンポンタンは、阿呆・馬鹿などの意味で使われている俗語で、ウエブサイトに、623,000件の関連記事が掲載されている。その第一件の記事は、「語源由来辞典」で、アンポンタンを下記のように紹介している。

《《 あんぽんたんの語源・由来
あんぽんたんは、「阿呆」と愚か者の意味の「だらすけ」が複合された、「あほだら」「あほんだら」が転じた言葉である。
「阿呆」は「あっぽ」とも言われ、「陀羅助(だらすけ)」という薬(「陀羅尼助」の略)もあったため、「反魂丹(はんごんたん)」や「萬金丹(まんきんたん)」という薬の名から、漢字で「安本丹」ともじられた。》》

1988年 岩波新書出版の安藤彦太郎『中国語と近代日本』によれば、『 さかのぼって日清戦争の時にもすでに「兵隊支那語」があって、例えば「ポコペン」(だめ)、「アンポンタン(ばか)、「ペケ」( 不可) などである』、と書いている通り、アンポンタンの語源は中国語である。戦前、戦中の日本人は、それをよく知っている。

安藤彦太郎(1917年 - 2009年)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。妻は早稲田大学名誉教授・中国文学者の岸陽子で、中国語の泰斗であるから、冒頭に書いたウエブサイトの「語源辞典」の素人解説とは、全く比較にならない程の権威と信憑性を有する。 つまり、アンポンタンの語源は、支那語である事がはっきりしている。 それでも、アンポンタンは「国粋語」であると、日本の、「語源由来辞典」は主張する。正しく、アンポンタン。

アンポンタンの元は「王八蛋」( ワンパータン) であるという中国通がいるが、大変疑問の余地がある。なぜかと言うと、王八蛋(ワンバダン) とは、王八は亀、蛋は卵のことを指し、相手を亀の子孫と罵る言葉になる。「王八蛋」( wang 2 ba 1 dan 4 ) は、ーー 恥知らずの 人でなし ーー という強烈な侮蔑ことばであり、「馬鹿」とは全然意味合いが違うから、アンポンタンと「王八蛋」( ワンパータン) は結びつけようがない。  上述「語言辞典」と同じく,似非(えせ)中国通の胡説八道( 口から出任せを言う,うそ八百を並べる)である。 兎に角、知らなくても、知ったふりして、自慢したがる。典型的な、ヤマト人種の「自慢嗜好」である。

中国語で「馬鹿」と言う時に使うのは、前述の Weblio 辞書に出ている「笨蛋」や「傻瓜」(sha3 gua1) の二つである。中でも、「笨蛋」(ben 4 dan 4 ) がもっともよく使われる。だから、アンポンタンの語源を求める場合は、「笨蛋」「や「傻瓜」、の何れかに落ち着くというのが筋であろう。

すると、明らかに、「笨蛋」という、発音が、ben 4 dan 4 になる言葉が最右翼になる事に気が付く。アンポンタンは、明らかに漢字三つから成り立っている。 ポンタンが、ben 4 dan 4 から転じて来たのは、疑いの余地が無く、残るのは 「アン」の漢字が何であるか、を見つけるだけである。

日本語に「俺」という自称がある。この自称の元は中国語で、自分を大きくしたり 小さくしたりして、茶化す時に良く使う。「オレはバカだ」と言う人はいる、が、「私はバカだ」と言う人は居ない。中国でも、同じ様に、「俺笨蛋」と言うが、「我笨蛋」とは言わない。


この「俺」という中国語のピンイン(発音記号)は ǎn (an3)と読む。 日本語のカタカナ読みだと「 アン」になる。 それで、「俺笨蛋」の発音は、中国語で an3 ben 4  dan 4  になり、日本語のカタカナ読みで アンポンタン になる、という事が分かり、日本語学史上の謎が、あっけなく解ける。

ウエブサイトに、日本で中国語を教えている人(中国人)が、中国語教授の宣伝広告に、アンポンタンの川柳を一首載せていた。

 曰く、  俺笨蛋 これが日本語 「あんぽんたん」

成程、何と微笑ましい川柳だと、目にして、微笑んでしまった。日本語に堪能な、中國語教授が、そう言うのだから、間違いはない。


始めから「俺笨蛋」と原語をそのまま使えば、中国語を覚える事にもなり、魚の名やら、薬の安本丹とやらの、単に「奇を衒う」歪説に振り回される事も無い。所が、「カタカナ」表示にしてしまった為に、意味も素姓も全て曖昧糢糊になってしまい、列島を「語学音痴」の国にしてしまった。

なぜ、漢字や横文字を片っ端からカタカナに直して使うのか、想像するに、江戸時代の本居宣長が唱えた「国風化」の遺伝子が、未だに列島で根強く生き延びているのではないかと思う。

世界広しといえど、「カタカナ」文字があるのは日本だけである。そして、日本語というのは、漢語、ひらがな、カタカナの三種の文字の混合語であり、これまた、他国に例がない。これが、外国語( 英語) 学習の優等生である日本人の語学能力が世界の末席に甘んじている根本原因である。

「俺笨蛋」という表意文字を避けて、「アンポンタン」と書く。横文字の「arbeit」を「アルバイト」に、「glass」を「グラス」と「ガラス」の二通りに、「Mc Donalds」をマクドナルドに、Macilroy をマキロイに、書き換えるのは、その方が日本人には発音し易い為だと思うが、裏返して言うと、日本人は外国語を覚える「才覚」に乏しい事を、自分で晒(さら)している事に外ならない。 

日本語は、漢語、ひらがな、カタカナの三種の言葉混合で成り立っている。漢語は嫌な中国の言葉だから、避けたいと思って使わない人も居るだろうが、厳格に言うと、ひらがらもカタカナも漢語の切れ端(きれっぱし)である。言うなれば、漢語は日本語の「本家」になる。

その本家を貶し、見下すのみならず、戦争で、折角文化の国(本家)に行った日本の兵士が、故国日本に持ち帰った「お土産」が、アンポンタン「バカ」、ポコペン(駄目)や ぺケ(不可)などのような低次元中国語だから、全く、自慢にならない。日本人の語学音痴は、今に始まった事ではない事が分かる。 李白杜甫の詩句を土産にするのは、無理だとしても、せめて、 早安(おはよう)ZAO AN 、 你好嗎 (いかがですか) NI HAO MA 、謝謝你(ありがとう)XIE XIE 程度の初頭会話の ABC を土産に持って帰るべきでは無かったか。

冒頭に述べたように、日本語の「馬鹿」の同義語が、Weblio 辞書によると、九十四の多きに達する。それでも足らずに、シナ語のアンポンタンまで引用する。という事は、自生の文字を持たなかった列島は、外国語を借り、使用せざるを得ない星の下に生まれたからであろう。それは、自慢にならない宿命(さだめ)である。

それならば、つまらない我を張らずに、素直に、外国語を学び、特に、漢語に敬意を表して学び、外国語を使うように心掛けて行かなければ、未来永劫、列島の語学は「アンポンタン」の域から抜け出すのは無理であろう。

【 島国 独善気質 の 極み 】   仁目子

2022-05-27 12:25:49 | Weblog
――  隣人は扱き下ろすが、 自分は棚に上げる  ーー

日本人の「独善性格」を形容するのに良く使われる例え俗語がある。

一つ、  隣の人が、夜逃げした、と聞いて喜ぶ。
二つ、  隣の人が、ベンツを買った、と聞いてムッとする。

如何に、日本 或いは、日本人の隣人との付き合いが、不得手であるか、此れで、充分に納得出来る。


『 徹底解明 ! ここまで違う日本と中国―中華思想の誤解が日本を亡ぼす 』 Tankobon Hardcover – July 1, 2010 by 石 平 (著), 加瀬 英明 (著)  という本がある。

日中文化の違いはイスラム教文明とキリスト教文明の差より大きい、と喝破する著者。

・相手に悪いと思う日本人
 相手が悪いと思う中国人

・公(おおやけ)が共有される日本
 公の概念がない中国

・中国は「大きな皿に盛った砂の山」
 日本は「さざれ石が集まって巖となる」

と言った所が、喝破した日中文化の核心内容であるようだ。

五つ星で、八十三人「役に立った」という、「うまやど」のコメントを、写し出して見る。

《《 日本人は、日本文化の深いところと、中国文化の深いところは一緒だと錯覚している。とんでもない誤りだ。しかし、どこが違うんだ、となれば、中国も論語を大切しているし漢字を使っている。日本もじゃないかと、となって解らなくなってしまう。
本書は、中華帝国が復興し、我が国が世界の経済大国第2位を転がり落ち、中華の門前の小国に戻りつつあるからこそ読んでおきたい。中華に飲まれないように。
彼我の根本的な違いについて、中国に造詣の深い石平と加瀬英明が縦横に語りつくした対話本。日中ビジネスに関わるもの、行政、政治、外交、留学生教育に関わるもの、隣人に中国人をかかえているものなど、広い読者に読んでいただきたい本である。 》》

ほぼ、このコメントで分かるように、「 中華の門前の小国に戻りつつあるからこそ読んでおきたい。中華に飲まれないように 」 と言ったところが、本書出版の動機であるようだ。

相手に飲まれないように、相手を「悪」とし、自分を「善」とする。これは、ヤマト人種の伝統的な「独善気質」である。

両国文化は違うと言う。どこが違うんだ、となれば、中国も論語を大切しているし漢字を使っている。日本もじゃないかと、となって解らなくなってしまう。要するに、分からずに論じているのが「日本式解明」だという事になる。


実体はどうであるか、「相手に悪いと思う日本人」は果たして多いのだろうか、と思って、ウエブに、「相手に悪い」を入れて検索してみた。

出て来た記事数は、143,000,000 件あった。確かに,相手に悪いと思う人は多いなあーと思った。が、内容記事をみると、驚くことに、全て、「相手が悪い」になっている。念のため、「相手に悪い」を再度入れてみたが、出て来た記事は、相変わらず、「相手が悪い」であった。

極端な言い方をすれば、「相手に悪いと思う」日本人が居ないから、そのような記事も無いと云う事になる。 143,000,000 件というのは億単位の件数であり、それが、全て「相手が悪い」と言う記事であれば、「相手に悪いと思う日本人」が果たして居るのだろうか、と首を傾げざるを得ない。

相手に悪い、という思いやりから 謙虚な気持ちになる。
「謙虚」の「虚」とは、心を空っぽにすることで 、中国哲学、特に老荘思想では重要な漢字の1つになっている。 現実的な利益を追い求めることをやめ、よけいなことは考えない。 そうやって心を「虚」の状態、つまり空っぽにすることによってこそ、人生の真実に到達することができるというのだ。

日本人は周知のように、勝つか、負けるか、強気か、弱気か、の両極気質を持ち、中道的な「謙虚」には、左程興味はない。このような、現実の姿を参照すれば、「相手に悪いと思う日本人 相手が悪いと思う中国人」 の解明は、全然、解明になっていない。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 によると、

《《 公(こう)は、古代の中国語では個々に細かく分かれた「私」を包括した全体を意味する語である。また、一部に偏らないという意味を含む。このことから「公平」という熟語を生ずる。》》

と書いてある通り、「公」という概念は、古代中国が生み出した概念である。所が、本書では 「公の概念がない中国」と解明している。それは、日本に公あれば、中国にはない、という独善気質によるもので、二つの文化の違いの解明にはほど遠い。

・中国は「大きな皿に盛った砂の山」
 日本は「さざれ石が集まって巖となる」

に至っては、噴飯ものである。日本国歌「君が代」では「さざれ石が巌となりて」と唱っている。 本書では、「さざれ石が集まって巌となる」と言う。さざれ石であろうと、さざれ石が集まろうと、それが巌になるという教えは、学校で習った事がない。
 
日本のさざれ石,或いは、その集いだけが巌になる、という事なのか。そうだとするなら、「世界の非常識」が、又、一つ増える事になる。

中国の国際的に有名な文人 林語堂が、嘗て、花崗岩(日本)と沙(中国)を次のように解明した、日本が世界相手に戦を始める前の事である。

氏曰く、花崗岩は炸裂すれば、粉々になる、が、沙は粉々になっても相変わらず沙である。そう言って、氏は、見掛けの良い日本と、中身のしっかりしてる中国を比較し、日本は弱いと判断したが、氏の予想に違わず、二次大戦で、日本は敗北した。

この様な解明こそ、意味があるというもので、ただ、単に相手を「悪「、自分は「善」である、という解明は、中学生でも出来る。

明治以降、「桃太郎の鬼退治」を真似て、帝国日本は、 全て「相手が悪い」という解明のもとに、魯西亜、中国、米国の三大大陸国を退治するべく、戦を挑んだ。結果は、承知のように、帝国日本は、脆くも、あっけなく滅びてしまった。

今だに、帝国日本から生まれ変わった「日本」は、相変わらず、「相手が悪い」という解明にのみ興味を示し、「自分を検討する」事は一切しない。歴史は繰り返す、という古くからの言い伝えは、自分は桃太郎で、相手は全て鬼である、という日本の伝統的な「思考形態」(mentality) が、如何に、危険なものであるかを、物語っている。


米国在住の筆者(私)は、「中」でもなければ、「日」でもないという立場から、日中関係については、次のように考えている。言うなれば、岡目八目か、傍観者 清 の言である。

ーー 千年以上の隣人付き合い 今さら、何を解明する, 
   何時まで 中国を解明すれば 分かるのか  ーー 

ーー 文字から食べるお米まで、頂いた恩人 なぜ、
   悪人扱いにする  ーー

ーー 鬼畜米英と同じ自卑感で、今、悪の中華の洗脳に
   一生懸命、 僻みと妬み 解消の為に ーー

ーー そして、何よりも 版税と印税の稼ぎの為に、
   文士がせっせと、中国貶しに筆を振るっている  ーー

ーー この様な本が良く売れる、という事は、日本人は 
   お目出度い人が 如何に多いかが分かる  ーー

辞書の解説を、念のために、添えて置く。

 《《 「めでたい」とは、もともと「とても素晴らしい」という意味です。 しかし、そこに「お」をつけて丁寧にすることで、かえって皮肉な意味にしてしまうのですね。 「おめでたい人」とは、「お人好し」、あるいは「何も知らない人」という意味になってしまいます。 》》

本文は、狭い島国列島の人々の参考になれば、と思って書いたものです。

【 白髪三千丈の誇張説は 恣意的である 】     仁目子

2022-05-24 10:50:40 | Weblog
ーー  なぜ、李白と漢詩 を 冒涜する ? ーー
ーー  詩句の鑑賞は 明鏡止水の境地が必要 ーー

ーー  序言  ーー

しい‐てき「恣意的」とは、辞書に、 気ままな、自分勝手なさま。 自分の好きなようにふるまうさま。 論理的な必然性がないさま。 という解説になっている。
日本国語大辞典は、特に、次のような注釈を付け加えている。
《《  或る目的を遂行することを急務とする人々は、往々にして歴史を恣意的に利用することを敢へてする。》》

ーー 歴史の実例 ーー

列島の隣大国ロシアを、日本はずっと嫌っていた。別に、ロシアが日本を虐めたわけでも、侵略をしたわけでもない。

ロシアの漢字名は、明治以前は「魯西亜」だったものが、明治以後、「露西亜」に変更した。「魯」字は単なる発音の当て字だが、「露」字には、発音の当て字以外に、もっと重要な意味が含まれている。 朝日が出ると、露は消えて無くなる。日本は朝日の昇る東の方に位置しているので、西の方にあるロシアに「露」の字を当てれば、日本という朝日が昇れば、西の方にあるロシアは消えて無くなる。 という呪術的な意味を持たせて、明治日本は「魯」を「露」に換えた。

目的遂行の為に、歴史を恣意的に利用すること、の分り易い実例である。
なぜ、ロシアを消すのか、世界制覇を目指す明治日本の道路に立ちはだかっているからである。
そして、腹下しの薬に「征露丸」という名前を付け、ロシア征服の決意のほどを国民に示した。 「露」も「征露」も、共に、「恣意的」で、辞書にもはっきり書いてある通り、気ままな、自分勝手にふるまう、 論理的な必然性がない幻想でしかない。今日の歴史がそれを証明している。

日本は戦後、「征露丸」を「正露丸」に言い換えた、が、「露」という漢字を、本来の「魯」に戻さなかった。古代から「呪術」の盛んな列島だから、何れ、ロシアは消える、という呪いを込めて、「露」字を残しているものと思われる。

ーー  明鏡止水の詩句を、疑心暗鬼の俗語に変えた ーー

ここで、話は一足飛びに、李白詩「白髪三千丈」に変わるが。
原産地の中国で名詩句として鑑賞されている「白髪三千丈」が、日本で、「法螺吹き」の俗語として、使われている。
白髪が増えるという常識を、白髪が伸びるに言い換えて、恣意的に、「法螺吹き」の意味を持たした。
なぜ、そうする ?  中国人を貶す、見下すのが目的である。

   ソクラテスは 人間である
   人間は、死ぬものである
   よって、ソクラテスも死ぬ

これが、論理的という言葉の実例である・
    
    白髪三千丈は 李白の詩句である
    この詩句は  法螺吹き である
    よって 李白は法螺吹きである

と言えば、論理的に問題なく通る。所が、日本では、「李白は法螺吹きである」と言う人は居ない。代わりに、「中国人は 法螺吹きである」と、日本人は皆して言う。
これは、日本の辞書が言うように、「論理的な必然性がない」恣意的な、詩句の利用である事が、歴然としている。
李白は一人の人間で、中国人は十数億の人間集合体である。李白が中国人を代表し得ないのは、今さら、言うまでの事もない。

魯西亜を露西亜に言い換えたのと、全く同じ「言葉の恣意的利用法」である。

ーー  大人 の カンタ  ーー

一頃前、ウエブで、白髪三千丈について、一風変わったブログが目に止まった。
このホーム ページの主人は、「隠居の閑人」と自称しているので、そこそこの年配の方であろうと思われ、李白の詩をよく鑑賞されているようで、「秋浦歌」について、李白が「誇大筆法」で「白髪三千丈」という表現を使用したことについて、次のように深い理解を示している。    

《《  李白が詠んだ河は「秋浦と呼び」長江の支流の様で有る    
   が、恐らく光った河の長さは三千丈だけでは無いだろう。
    李白が見た白髪三千丈の白い河の先には帰りたくても帰
    れない、都を追われた李白の老いた55歳の姿が有った
    かも知れないのです。 》》

解説の是非はともかく、このような好意的な解釈を試みている点から、主人の詩に対する興味と、李白に対する敬慕の程を窺(うかが) い知る事が出来る。 にも拘らず、この方は、迂闊にも、次のような、嫌がらせたっぷりの一言を書き足していた。 曰く 、

《《 「中国人を腐らせる時は「その話は白髪三千丈ですか」
   と問うのが良い。悔しがる事は受けあいで必死に反問の
   言葉を探すに違いない。もともと、この言葉は唐の大詩
   人李白に見られるのですが、中国式誇張の見本として我々   
   日本人には、誠にもって愉快な李白の言葉ではある。》》  

一頃前、「隣りのトトロ」という、非常に好評を得た動画があった。カンタという野暮な男の子は、可愛い、頭のよいサツキに好意を持っていた、が、勿論、相手にされない。それで、 「や~い、お前んち、お化けや~しき~」という嫌がせを言う。 カンタは子供だから、その位の悪さは、別にどうと言う事はない。誰にも似たような童年期の思い出はある。
然し、熟年者は違う。年の功で、熟年者には年に見合うだけの分別があって然るべきであろうという発想、それに、同じ李白詩の愛好者であるという立場から、『 中国式誇張の見本として、 我々日本人には、誠にもって愉快な李白の言葉では有る 』 という非常識極まる一言に、私は、滅多にしないことだが、この一文に短い「コメント」を書き込んだ。       

《《 「白髪三千丈は、正しく解釈すれば、誇張にはならな
   い。 よしんば誇張であっても、それは李白或いはそ
   の詩句に限る事。 中国人への嫌がらせに使うのは大
   人げない。 それと同じ理屈で、もし、大本営発表を
   取り上げ、日本人は 皆、嘘ツキであると言われた
   ら、どうします ?」 》》

明くる朝、どのような返答が戻ってくるかと思って、そのサイトを出してみた。意外にも、その一文は、綺麗にサイトから消えていた。何かの拍子で自然に消えたのか、或いは、意図的に削除したのか、私には確かな事は分からない。が、消えて無くなったのは。確かだった。

本場の中国で、誇張だと思われていない詩仙李白の詩句が、列島で、誇張の意味を持つようになったのは、不思議な事で、漢語に疎い日本人の読解力不足によるものだと、思われて来た。それは、確かに言えることだが、それ以上に、「嫌がらせ」や「見下す事」に強い興味を持っている、列島社会の特性というもの、が、その裏に控えている、という実体を、上述の「隠居の閑人」の一文で推測が出来る。

室町時代の一休和尚が、白髪三千丈を使って作った詩が残っている。
   秋風白髪三千丈  夜雨青灯五十年 ( 中略 )
   青灯白髪之句  復往来子懐遂題一
全文で残って居ないから、詳しい事は分からないが、一つだけはっきり分かるのは、昔の列島では、白髪三千丈は、純然たる詩句であった事。だから、一休和尚は、それで詩を詠った。
江戸時代まで、列島文人の漢文造詣は、非常に深かった。明治の開化で、列島は、一挙に東洋から西洋に向きを変えた。漢字文化は、それから斜陽の道を辿り、珍文漢文という言葉が流行り始め、日本人の漢文素養も可成り疑わしくなった。

ーー  音読 か 訓読み か  ーー

江戸時代、荻生徂来(おぎゅう・そらい、1666-1728)が、漢文訓読法を排斥して、漢詩文は唐音(中国語音)で音読すべきだと主張し、その弟子・太宰春台は、嘗て、漢文訓読の問題点を5つ挙げた。その一つに、「倭訓にて誦すれば字義混同す」というのがあった。

日本語の「長」に、二通りの読み方がある。 一つは、音読で「チョウ」、今一つは、訓読みで「ナガ」、と読む。 「長」は、多音多義字だから、日本語でも、読み方の違いにより、字義も異なる。

具体的に言うと、「ナガイ」と訓読みすれば、意味は、「長い」の一つだけに絞られてしまうが、「チョウ」と音読すれば、多くの字義を持つことになる。 この場合、『広辞苑』には、七通りの意味が載っている。「ながいこと」の意味は、その六番目に出ているが、その前に、「かしら」「としうえ」「最もとしうえ」「そだつこと」「すぐれること」などが挙げられている。

旺文社『漢和辞典』は、上記の外に、「いつまでも」「おおきい」「あまる」「おおい」「はじめ」などが挙げられている。

試しに、中国の『辞海』も見てみる。そこには、次のような意味が新たに見られる。「速い」「久しい」「引く」「達する」「養う」「進む」「多い」「余り」など。

訓読みの「ナガイ」、即ち「長い」という概念に、日本人は慣れてしまっているから、『広辞苑』、旺文社『漢和辞典』、中国『辞海』の多字義解説を眼にすると、大抵の人は、大変意外に思うであろう。 人によっては、辞書はいい加減な解説をしている、と思う者も居るかも知れない。 が、何れにしても、辞書の方が、博学であるのは間違いない。

要するに、「長」(ちょう)という漢字は、長い、のみならず、「いつまでも」「おおきい」「あまる」「おおい」「はじめ」、「速い」「久しい」「引く」「達する」「養う」「進む」「多い」「余り」など、 極めて,多彩な字義を持っている事を、この際、頭の中に仕舞い込んでも, 損にはならない、と思うべきであろう。

李白の名詩句、白髪三千丈の原文、「白髪三千丈 縁愁似箇長 不知明鏡裏 何処得秋霜」を、日本語では、従来下記のように、読み下して来た;

   白髪三千丈
   愁いに縁 (よ ) って  箇 (かく ) の似 (ごと ) く
   長(なが)し
   知らず 明鏡の 裏 (うち)
   何れの処より 秋霜を得たるかを

一見して分るように、訓読みの読み下しである。 ならば、「長」という字は、「長(なが)し」以外に読み下しようがない。

中國で、誇張だと思われていない 優雅な詩句が、列島に渡って来て、大法螺な表現だと誤解されるようになった、原点は、実に、漢詩を倭語(訓読み)で読み下した為に生じたものであった。

この訓読みを音読に変えれば、読み下しも次のように変わる。

   白髪三千丈
   愁いに縁 (よ ) って  箇 (かく ) の似 (ごと ) く
   長(ふえ)た
   知らず 明鏡の 裏 (うち)
   何れの処より 秋霜を得たるかを

つまり、 愁いに縁 (よ ) って  箇 (かく ) の似 (ごと) く 長(なが)し、が、一挙にして、箇 (かく ) の似 (ごと ) く 長(ふえ)た、に変わる。 これで、白髪は増えるもの、という世間の常識に合致し、また、頭上一面の白い秋霜という概念とも一致する。

基本的に、漢字、漢文に対する素養が、やや半可通である為に、原文の読み下しに問題が生じて、誇張の意味を持たない詩句に、誇張という濡れ衣が着せられた。のみならず、俗語の法螺吹きの代名詞として、列島で使われているようになった。無粋の極みである。

ーー  読める人は 読める のである ーー

ウエブに、 《ウエブ 唐詩試訳集2 追懐集 ( 作者 橋豊)》 というのが、載っている。内容を覗いて見る。
 
『 中国は唐の時代の詩をいくつか翻訳してみたものです。   
ほとんど有名どころばかりですし、元の詩とその出来を
比べれば、もとより雲泥の差と言うよりほかない代物で
はありましょうけれども、 愛着の一 端は示し得ている
のではないかと思います。
  訳詞それ自体が詩になっているかどうか、そのあたりのこ
とについて は読んだ方々のご判断にまつと申し上げてお
きましょう。

   人生の秋   李白
    白髪三千丈
    縁愁似箇長
    不知明鏡裏
    何処得秋霜

    頭はすべて白髪(しらが)となって     
   それもすべては悲しみのため
   鏡の中をしみじみ見ては
   どうしたことかと考えてみる  』

この訳者は上記追懐集で、「 訳詞それ自体が詩になっているかどうか、その あたりのことについては読んだ方々のご判断にまつと申し上げておきましょう」と謙遜されていますが。それで、読者の一人として、感じたままを申し上げます。

『 「白髪が三千丈の長さに伸びた」という専門家による、字面( じつら) に忠実な、味気ない訳詞より、「頭はすべて白髪 ( しらが ) と なった」 という、この唐詩試訳集の訳詞の方が常理に叶 (かな) い、 遥かに実感を伴いますし、晩年の李白の心境を生生しく伝える事 が出来たということ自体、この訳詞は立派な「詩」になっていると思います』

漢詩は分かり難いとよく言われるが、矢張り、読める人には読めるものです。その実例として、多くの人にも味わって貰えればと思って紹介した次第。

白髪三千丈  頭上はすべて 白髪(しらが)となった
何という垢抜けのした詩句の翻訳であろう。

「法螺吹き」の俗語が必要なら、李白の詩句では無しに、衆愚が分かる 列島自生の「大本営発表」を使うべきではなかろうか、と思うので、この一文を書いた次第。 篤と(とくと)吟味されるよう、望む。

【 縄文 弥生   混血 末裔 の 自己喪失 】     仁目子

2022-05-21 16:05:44 | Weblog
ーー  日本社会の両極性 無知蒙昧と良識知性 の併存 ーー
ーー  日本人の矛盾 世界一の負け嫌いと自己卑下 ーー
ーー  未開人種の遺伝子による「語学音痴」 ーー
ーー  独善気質による 排他性  ーー
ーー  未だに問われる 「日本人とは何か?」  ーー

日本人は、主として,二つの人種の混合によって誕生した人間である、一つは弥生渡来人と今一つは縄文在来人である。所が、多くの人は、日本人は単一民族だと言って、自分を誤魔化し、喜んで居る。が、DNA  検定では、75%の日本人は、縄文血統が入っている、と言う結論を出しているから、縄文血統の否定は、単なる自己安慰に過ぎない。

数年前、ウエブに下記のような、実に興味深い記事の数字が出ていた ;
日本人は、何人の末裔であるか、という設問に対して、回答結果が次のように出ていた。

 日本人は、 ユダヤ人の末裔である   106、000
       中国人の末裔 である   292、000
       韓国人の末裔 である   496、000
       縄文人の末裔 である    83、400
       弥生人の末裔 である   123、000
       縄文/ 弥生 の混血末裔 である  75、700

この中で、最も多いのが韓国人の末裔で、二番目が中国人の末裔で、共に、日本人の嫌いな人種である事に、大変な「皮肉」を感じる。 そして、列島の原住民である縄文人と、縄文・弥生の混血が最低になっている、と言うのも、極めて信じ難い事である。
日本列島の人々は、歴史的に、このような 宿命的と言える「矛盾」を多く抱えている人種である。 明らかに、自分を見失っている。

「竹内文書」という歴史文献がある。1928年(昭和3年)3月29日に、その存在が公開されたが、昭和10年代以降加筆されたという説もある。その文書では、神武天皇からはじまる現在の皇朝を「神倭朝(かむやまとちょう)」と呼び、これ以前に「上古25代」(または「皇統25代」)とそれに続く「不合朝(あえずちょう)73代」(73代目は神武天皇のことである)があり、さらにそれ以前に「天神7代」があったとしている。

竹内文書には、漢字伝来以前に日本にあった「神代文字」だという面妖な文字がびっしり書き込まれている。その内容は神武天皇以前にウガヤフキアエズ73代の王朝が数千万年も続いていて、その居ます場所は太古世界の中心で、モーゼ、キリスト、マホメット、釈迦、孔子といった聖人がみなそこを目指してやってきたという。

日本人の多くは、世界でも稀な「日本世界一」の中毒症に掛かっているのは衆知の通りで、外来文明、外来文化の吸収、取入れによって、日本という国の成長発展が始めてあった、という史実から、日本人は外圧に弱く、そして、先進外国に対し、高度の劣等感を持っており、宿命的に、その裏返しとして、「日本世界一」を夢見る中毒症に掛かっている。何でも、日本世界一という文字文言を目にする、或いは、耳にすると、無性に嬉々と喜ぶ、のである。

竹内文書は、日本列島が太古世界の中心である、というのが核心に成っているから、内容は、如何に「荒唐無稽」であろうと、多くの日本人は喜ぶ。逆に、モーゼ、キリスト、マホメット、釈迦、孔子といった聖人が、皆、皇祖に教えを乞う為に、列島に参上した、と書いてあるから、全世界を侮辱している事になる、が、外国では、竹内文書には全く一顧だにされないのは、その文書が如何に荒唐無稽であるかを証明するのに、十分であろう。

ウエブに、『「物語」と「真実」』という一文が、この古文書について、次のように述べている。

《《 古文書学の権威によって徹底的な検証が行われた結果、近代の語彙が混じっていることなどを根拠に偽作と断定された。かくてこの恐るべき「古文献」は葬り去られた……かに見えたが、実はそう簡単にはいかなかった。学問の世界では確かにこの「文書」の真贋は決着ずみのことであり、その結論を見直そうというのは、地球は本当に丸いかどうか考え直そうというに等しいことである。故にこれを古代史の「史料」として扱おうとする学者は一人もいない。それにもかかわらず、この「文書」の信者は、約二百年近く(2021年ー1928年=193年)の今日に至るまで後を絶たないのである。「竹内文書」で検索をかけてみれば、信者のサイトは山ほど見つかる。》》

確かに、事実そのとおりである。
なぜ、信者が後を絶たない ? 多くの日本人が嬉々として、深い興味を感じているからである。

竹内文書をネタにして出版した本が無数にある。 ウエブサイトの出版広告だけでも162件広告掲載されている。その中から、幾つかの例を挙げてみる。

『正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド 』
『日曜はクーポン有/ 正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド』 
『超図解 竹内文書(2) 天翔ける世界天皇 甦るミロク』
『超図解 竹内文書 地球3000億年の記憶 超知ライブラリー/高坂和導』
『「竹内文書」の謎を解く(2) 古代日本の王たちの秘密』
『竹内文書−世界を一つにする地球最古の聖典−』
『竹内文書原典解読集 4 太古代日本の固有文字・仏魔行・葺不合朝前期正統史』 
『竹内文書でわかった太古の地球共通文化は〈縄文JAPAN〉だった』
『卑弥呼は二人いた 『正統竹内文書』が教示する驚愕の古代史』
『天皇即位と超古代史』

以上十書だけを書き出してみたが、竹内文書は、日本が存在する以前の超古代を書いた文書なのに、現在出版されている関連書籍は、殆んど「日本史」に結び付けた内容になっている。竹内文書が、縄文人の超古代史であり、縄文時代の日本史に占める重要性を強調するのが目的であろう。


上述の書籍を購読した日本人の、読後感を、参考までに、幾つか拾って見よう。

五つ星、2019年 9月11日 レビュー
良かった。  一人が参考になった、と言う。

五つ星、2008年 5月23日 レビュー
面白い! 今この瞬間に日本に居て、日本人に生まれてきてよかったと感激。
この文書を否定する者あれば、この文書以上の証拠を用意すべし。 三十三人が 参考になった、と言う。

五つ星、2012年 1月16日 レビュー
何年か前に紹介された本だったのですが、今年に入って無性に読みたくなりました。
以前読んだ時より すんなり入ってきて 自分にとっては2012年に必要な本だったみたいです。日本が今置かれている現状も日本じゃなきゃだめだったんだろうなと感じました。苦しみのむこう側には 輝かしい未来があって幾度となく繰り返されてきたのだと思わされました。いろんな意味でおもしろかった本 小さいので持ち歩くのにもよかったです。 六人が、参考になった、と言う。

一つ星、 2008年 6月21日  レビュー

牽強付会もここまで来ると芸術 。
元々偽書とか、「トンデモ本」と言われる竹内文書であるが、この本はこの文書を正史とした上で、南米での地名、名称などを例示して天皇が超古代世界から世界を統治していた、とするものである。本のタイトルが羊頭狗肉で、竹内文書そのものの解説ではない。
例えば、アメリカはイタリア人の名前に由来すると言うのは俗説で、南米を行幸した天皇が殺害を企てた3人の賊王を指でひねり殺したことから、他の諸王がこれを称え、「天の利(あめのり)」と言ったことに由来する、と強弁している。
正史かどうかは別にして、それなりの評価のある竹内文書の価値を徹底的に貶め、歴史に全く無知で、読む本がない暇人にはお勧めである。  
三十一人が、参考になった、と言う。

このように、五つ星を三つ重ねて、39人の賛同者に対して、一つ星ながらも、一つだけで31人の賛同者を得ているのは、どちらの方に「良識あり」の軍配を挙げるべきか、結果はすっきりしているのではなかろうか 。

今、列島で流行語になっている「中華思想」という言葉は、中華の名を付けているが、中国には、この言葉はない。世界広しと言えど、日本だけが使用している言葉で、且つ、日本人の造語によるもので、牽強付会にして、羊頭狗肉であるのは、言うまでもない。竹内文書と異曲同工である。 縄文遺伝子の末裔は、このような虚構や虚像の偽作が得意のようである。

ことほど‐さように(事程左様に)、二つの血統から成り立った「日本人」は、大なる「矛盾」を内に秘めている。それは、ある意味で、内なる自分の相克に繋がる場合が多々ある。

今一つ例を挙げて見るなら、「語学音痴」が先ず頭に浮かぶ。日本人の英語(外国語全般)は、信じ難い事ながら、世界の末席に名を連ねている。

日本の教育普及度は世界最高に位置している、しかも、英語を習い始めてから、少なくとも、百六十年以上になるのに、日本人の英語(外国語全般)は、世界の末席に名を連ねているのは、何が原因であろうか、上手く説明出来ないので、日本人は、「語学音痴」だと認め、諦めている。 

確かに、音楽の音痴に近い現象であるが、万年以上の歴史を有する「縄文時代」は、外部との接触の記録無く、 残した産物が「土器」「土偶」のみであったという事実から、縄文人の知性は可成り低いものだと認めざるを得ない。そのような遺伝子が、現代日本人の「語学音痴」の形で現れた可能性が非常に高い、と思うのだが。 現実に、日本人は、意地っ張りと「独善的」で有名だが、「知性的」であるという声は殆んど聞かない。
 
竹内文書という、何ら資料も無い超古代史を作り上げる事自体、内容が「荒唐無稽」に成るのは避けようがない。所が、その「荒唐無稽」を、嬉々として受け入れ、喜ぶ日本人が結構居る。

2008年4月出版の『竹内文書―世界を一つにする地球最古の聖典 』(5次元文庫) by 高坂 和導 を読んで喜び、五つ星の評価をした例を見てみる。

《《 神武以前、天皇は世界の天皇だった!超古代、天空浮船(あまのうきふね)による天皇の世界巡行をフィールドワークによって裏付ける高坂和導氏の驚天動地の書!!
面白い!今この瞬間に日本に居て、日本人に生まれてきてよかったと感激。この文書を否定する者あれば、この文書以上の証拠を用意すべし。 》》 33人が参考になったと言う。

縄文血統の濃い一部日本人に取っては、このような評価を目にする事に、無上の喜びを感じるのは間違いない。

鬼畜米英、 征露丸、露助 悪の中華思想、 虫けらチャンコロ、などなど、悪罵雑言の限りを尽くし、世界相手に戦を始めた大日本帝國 、 あっけなく滅亡した大日本帝国 、それを、当世の日本人は、皆して、「何で、そのような愚かじみた戦を始めるのか?」と呆れている。大日本帝国も、当世の日本人も。共に、日本人であるのに、なぜ、他人事のように呆れるのか。

縄文、弥生、二つの未開と開化の極端に違う遺伝子の混血が、日本社会の矛盾、引いては、複雑錯綜とした思考形態の生みの親になったとしか考えられない。 日本列島は、 個人であろうと、国であろうと、誰とも、心を割って付き合う事が出来ない。 未開の縄文遺伝子に負う所が大だと思う。 列島人種の宿命(さだめ)であろう。


 ーーーーーー 以下 注釈 ーーーーーー

 
  ( 牽強付会 ... 道理に合わないことを、自分に都合のいいように
     無理にこじつけること。)
   
  ( 羊頭狗肉ようとうくにく、、、「羊頭を掲げて狗肉を売る」の略で、
    羊の頭を看板に掲げながら、羊の肉を売らずに犬の肉を売るとの意。
    看板は上等でも、実際に売る品物がごまかし物で劣悪であること、転じ
    て、見せかけや触れ込みはりっぱでも、実質が伴わないことをいう。)



【  漱石の雲雀  「日本」 という 世間を詠う 】   仁目子

2022-05-18 16:31:40 | Weblog
     ーー  前を見ては、後(しりえ) を見ては、
           物欲しと、あこがるるかなわれ  --

今から109 年前の西暦1906年 に、出版された「草枕」の、非人情の旅の始めに、漱石は、シェレーの雲雀の詩を引き出している。

     We look before and after   
      And pine for what is not:  
      Our sincerest laughter    
      With some pain is fraught;
      Our sweetest songs are those
      that tell of saddest thought.


   「 前をみては、後(しりえ) を見ては、
      物欲しと、あこがるるかなわれ。
      腹からの、笑といえど、
      苦しみの、そこにあるべし。
      うつくしき、極みの歌に、悲しさの、
      極みの想い、籠るとぞ知れ 」


シェレーの「雲雀に寄せる」( To the skylark ) 詩は、全文二十一首の長篇詩だが、漱石が思い出したのは、そのうちの第十八首だけである。この第十八首の邦訳は、通常、分かり易いように、次のように訳されている。

     前をみたり後ろを見たりして
      我々はないものを探し求める
      心から笑っているときも
      我々は不安から逃れられない
      どんなにやさしい歌の中にも
      悲しい思いが潜んでいる

この二つの訳を較べてみれば、意味は同じでも、漱石の方が凝っていて、より文学的である事に気が付く。


『 春は眠くなる。猫は鼠を捕る事を忘れ、人間は借金のある事を忘れる。時には自分の魂の居所さえ忘れて正体なくなる。ただ菜の花を遠く望んだときに眼が醒さめる。雲雀の声を聞いたときに魂のありかが判然(はんぜん) する。雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない、魂全体が鳴くのだ。魂の活動が声にあらわれたもののうちで、あれほど元気のあるものはない。ああ愉快だ。こう思って、こう愉快になるのが詩である。

たちまちシェレーの雲雀の詩を思い出して、口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある 』

という前口上を述べて、漱石は、シェレーの雲雀を引出したわけだが、『口のうちで覚えたところだけ暗誦して見たが、覚えているところは二三句しかなかった。その二三句のなかにこんなのがある』と言いながら、実際に引用したのは、二三句ではなしに、第十八首全文の五句を、一字の洩れ無く書き出している。


長年、漱石作品に親しんで来た感覚から、これは、漱石の単なる思い付きの暗誦ではなしに、彼が、この第十八首に、何らかの「文明批評」の意味を含ませ、独特の「当たり障りのない」ような調子で、意識的に「思い出して」書いたもの、であるという気がしてならない。

「漱石」という、日本稀代の文豪は、単に文豪であるのみならず、「文明批評家」としても一流である事は、「猫」という作品で、遺憾なく立証されている。

日本に、漱石という作家が居なかったなら、列島の文学はずっと「侘しい」ものであったのだろう。その意味で、漱石の「国に対する」貢献度は非凡である。

その貢献度は、彼が国を愛(いと) しく思うだけでなく、国の弱点に対して、忌憚なく「苦言」を敢えて述べる勇気、或いは、強い個性 (カリスマ) がある所に、その「非凡」な特質を見る事が出来る。


明治以降の「強国」政策で、流行り言葉となった「大和魂」を、彼は、「猫」を借りて、それは「天狗の類か?」と決め付けたのは、時代が時代だけに、誰にも出来る事ではない。又、有名な「皮相上滑り」の近代日本開化論は、百年後の今日に至るも、列島の有識者に良く引用されている。

作品「三四郎」の中に、次のような一節がある;

『 熊本の田舎から東京大学に入学することになった三四郎は、その東京に向かう汽車の中で広田先生という一風変わった人物に出くわす。広田先生はこれから東海道線の車窓から眺められるはずの富士を話題にして、次のように煙に巻く。

   「あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」 』

このように三四郎を煙に巻いた広田先生は、即ち漱石だから、漱石という人物が「狭い島国」には珍しい、如何にゆとりのある、幅広い気質を備えて居る人物であるかということが分かる。


明治日本の開化は、俗っぽい言い方で譬えるなら、「田舎者」が、ある日突然艶やかな美人「西洋」に邂逅し、すっかり気を呑まれてしまい、しゃにむに「西洋」を追求し始めたようなもので、表面的な真似ごとに終る場合が多かった。それは、昨今の「茶髪」染めの流行りを見れば良く分かる。

このような真似事は、何も「明治」に始まったものではない。

飛鳥時代から平安朝末にかけての期間に、日本は言葉のみならず、宗教も、建築も、哲学、美術、文学、算法、法律、さては政府機構に至るまで、お隣の唐土の事物をとりいれ、そのうち、われも「中華」なり、と自負していた。

明治に到り、西洋摸倣に切り換えたのは、中華という古典美人に厭きて、西洋という近代美人に魅力を感じたからに他ならない。

正しく、「前を見ては、後( しりえ) を見ては、物欲しとあこがるるかなわれ」である。

「前をみたり後ろを見たりして我々はないものを探し求める」の「我々」とは、単なる一羽の雲雀ではなしに、日本という原生文化に乏しい国の歴史的宿命を言い表しているのではなかろうか。

「日本」の歴史は、3000 年、2600 年、2000 年などと、時代によって、異なる説が過去にあったが、今は、「記紀」を基点として、1300 年というのが通説になっているようである。

米国独立後の歴史は僅か二百数十年で、英国の殖民地時代を入れても四百余年にしかならない。

それに比べると、1300 年というのは、結構長い歴史である。

所が、歴史の短い米国に「I d e n t i t y」の問題が無いのに、六倍以上の長い歴史を有する日本は未だに「I d e n t i t y」が問題になっており、「日本人は何処から来た」、「日本は何処へ行く」、などのような論議、書籍が後を断たない。

「I d e n t i t y」は日本で、原語を使わずに、「アイデンティティ」というカタカナで表示している。元々、英語の I d e n t i t y とは、〔人やものの〕正体、身元、身分証明という意味ではっきりしているが、カタカナの「アイデンティティー」に変わった途端に、意味がすっきりしないようになり、「東洋でもなければ、西洋でもない日本」、しからば、「日本とは何か?」というのが、列島でのカタカナ「アイデンテイテイ」の模索対象になっているわけだが、詰めて言うと、「皮相上滑り」の開化がもたらした「迷い」という後遺症である。

漱石は、シェレーの雲雀の詩を思い出し引き出して暗誦した後に、次のような感想を述べている;

『 なるほどいくら詩人が幸福でも、あの雲雀のように思い切って、一心不乱に、前後を忘却して、わが喜びを歌う訳わけには行くまい。西洋の詩は無論の事、支那の詩にも、よく万斛の愁いなどと云う字がある。詩人だから万斛で素人なら一合で済むかも知れぬ。して見ると詩人は常の人よりも苦労性で、凡骨の倍以上に神経が鋭敏なのかも知れん。超俗の喜びもあろうが、無量の悲しみも多かろう。そんならば詩人になるのも考え物だ 』

この一節の中の、「詩人」を「文明開化」に書き換えると、一心不乱に前後を忘却して進めた「明治の開化」は、形ばかりの「一等国」になった喜びをもたらしたが、同時に、無量の「迷い」を今日の列島にもたらした事を意味するものだということが言える。


作品「それから」で、無職で、家を構え、書生と、おばあさんをおいて暮らしている 30歳の長井代助と友人平岡との会話を借りて、漱石は、痛烈な「日本批判」を述べている。

『「何故働かないつて、そりや僕が悪いんぢやない。つまり世の仲が悪いのだ。もつと大袈裟に云ふと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。

第一、日本程借金を拵らへて、貧乏震ひをしてゐる国はありやしない。此借金が君、何時になつたら返せると思ふか。そりや外債位は返せるだらう。けれども、それ許(ばか)りが借金ぢやありやしない。日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでゐて、一等国を以て任じてゐる。

さうして、無理にも一等国の仲間入をしやうとする。だから、あらゆる方面に向つて、奥行を削つて、一等国丈の間口を張つちまつた。なまじい張れるから、なほ悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ 』


このような批判を含め、漱石作品を通じて、彼の「文明に対する思考形態」を辿ってみると、彼が、シェレー二十一首の詩から、第十八首を、特に選んで「思い出した」のは、日本の「何でも欲しがる」習癖によって生じる「文化の迷い」を、雲雀の歌に寄せて書いたものだというふうに読めるのではないか、と思う。

雲雀は、歌に託して喜怒哀楽を表現する事は勿論出来ない。だとすれば、シェレーが「雲雀に寄せる」詩を作ったのは、そして、漱石がその詩を引用したのも、「雲雀の擬人化」、つまり、雲雀を人間に見立てて書いたものであるのはほぼ間違いないと言える。

なぜならば、

    We look before and after
     And pine for what is not:

    前をみては、後(しりえ) を見ては、
     物欲しと、あこがるるかなわれ。

は、感情動物の人間だけが独占する「情緒」だからである。そして、シェレーの原文

 We look before and after

主語が「We」、つまり「我ら」で始まっている。従い、漱石訳文

     物欲しと、あこがるるかなわれ

の「われ」は、一人称複数の「我ら」に解するのが正しい事になる。明らかに、シェレーの雲雀は、自分を歌っているのではなく、「世間」を歌っている事が分かる。

漱石に取っての「世間」というのは、「日本」に他ならない。