ーー なぜ、アンポンタン というシナ語が必要 ?? ーー
ーー アンポンタンの語源を 日本語にする 国粋バカ ーー
ーー 正しく アンポンタン ーー
「アンポンタン」というカタカナは、通常「馬鹿」という意味で使われている。「馬鹿」は「バカ」とも書き、「莫迦」とも書く。それだけではなしに、日本語の「馬鹿」の同義語が、Weblio 辞書によると、下記の如く、九十四の多きに達する。信じ難い事である。
鈍ま・ひょうろく玉・半端・甚六・たわけ・戯者・与太郎・馬鹿垂・脳たりん・抜け作・昧者・愚婦・おたんちん・あほんだら・阿房・薄野呂・のろま・薄のろ・薄ぼんやり・脳足りん・空け者・鈍間・愚か者・馬鹿野郎・阿呆・烏滸・あほ・すかたん・戯け者・馬鹿・頓馬・槃特・薄馬鹿・馬鹿たれ・安本丹・痴者・痴れ者・魯鈍漢・駑馬・呆助・痴・薄ばか・愚夫・空者・鈍物・半ぱ・馬太郎・ぽんつく・虚者・莫迦・頓痴気・とんちき・間ぬけ・表六玉・鈍付・戯け・箆棒・愚か人・とんま・痴人・あんぽんたん・滑稽者・惚者・うっそり・虚け・虚仮・虚け者・愚人・空け・鈍つく・馬鹿垂れ・呆気者・芋助・薄鈍・抜け・愚物・下愚・惚け者・馬鹿者・愚者・あほう・鈍才・三太郎・おたんこなす
人口、国土、人種の大国である米国で、「馬鹿」は、stupid か fool の二通りで事足りているようで、それよりきつく言う時は knukle head (まぬけ)と言うが、それでも三つの言い方で十分足りている。試しに、上述の Weblio 辞書を見たら、全部拾い上げても、stupid、slow、dumb、obtuse、dense、dull、dim、extreme、crackbrained、idiotic などの十しかなく、日本語の約十分の一しかない。
列島のすぐ隣に、人口十四億を越す、とてつもない大国、中国がある。この大国で普段使われている「馬鹿」という言葉は Weblio には「笨蛋」(ben 4 dan 4 ) や「傻瓜」(sha3 gua1) の二つしか出ていない。
国が小さい程、「馬鹿」の表現が多岐に亙るのは、何を意味するのだろうか。こんなものが多いのは、ちっとも自慢の種子(たね) にならない。 所が、weblio 辞書は 九十四もの同義語を挙げている。世界で最も多いので、自慢嗜好の強い日本では、此れも自慢のタネになると思って居る、のかも知れない。
アンポンタンは、阿呆・馬鹿などの意味で使われている俗語で、ウエブサイトに、623,000件の関連記事が掲載されている。その第一件の記事は、「語源由来辞典」で、アンポンタンを下記のように紹介している。
《《 あんぽんたんの語源・由来
あんぽんたんは、「阿呆」と愚か者の意味の「だらすけ」が複合された、「あほだら」「あほんだら」が転じた言葉である。
「阿呆」は「あっぽ」とも言われ、「陀羅助(だらすけ)」という薬(「陀羅尼助」の略)もあったため、「反魂丹(はんごんたん)」や「萬金丹(まんきんたん)」という薬の名から、漢字で「安本丹」ともじられた。》》
1988年 岩波新書出版の安藤彦太郎『中国語と近代日本』によれば、『 さかのぼって日清戦争の時にもすでに「兵隊支那語」があって、例えば「ポコペン」(だめ)、「アンポンタン(ばか)、「ペケ」( 不可) などである』、と書いている通り、アンポンタンの語源は中国語である。戦前、戦中の日本人は、それをよく知っている。
安藤彦太郎(1917年 - 2009年)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。妻は早稲田大学名誉教授・中国文学者の岸陽子で、中国語の泰斗であるから、冒頭に書いたウエブサイトの「語源辞典」の素人解説とは、全く比較にならない程の権威と信憑性を有する。 つまり、アンポンタンの語源は、支那語である事がはっきりしている。 それでも、アンポンタンは「国粋語」であると、日本の、「語源由来辞典」は主張する。正しく、アンポンタン。
アンポンタンの元は「王八蛋」( ワンパータン) であるという中国通がいるが、大変疑問の余地がある。なぜかと言うと、王八蛋(ワンバダン) とは、王八は亀、蛋は卵のことを指し、相手を亀の子孫と罵る言葉になる。「王八蛋」( wang 2 ba 1 dan 4 ) は、ーー 恥知らずの 人でなし ーー という強烈な侮蔑ことばであり、「馬鹿」とは全然意味合いが違うから、アンポンタンと「王八蛋」( ワンパータン) は結びつけようがない。 上述「語言辞典」と同じく,似非(えせ)中国通の胡説八道( 口から出任せを言う,うそ八百を並べる)である。 兎に角、知らなくても、知ったふりして、自慢したがる。典型的な、ヤマト人種の「自慢嗜好」である。
中国語で「馬鹿」と言う時に使うのは、前述の Weblio 辞書に出ている「笨蛋」や「傻瓜」(sha3 gua1) の二つである。中でも、「笨蛋」(ben 4 dan 4 ) がもっともよく使われる。だから、アンポンタンの語源を求める場合は、「笨蛋」「や「傻瓜」、の何れかに落ち着くというのが筋であろう。
すると、明らかに、「笨蛋」という、発音が、ben 4 dan 4 になる言葉が最右翼になる事に気が付く。アンポンタンは、明らかに漢字三つから成り立っている。 ポンタンが、ben 4 dan 4 から転じて来たのは、疑いの余地が無く、残るのは 「アン」の漢字が何であるか、を見つけるだけである。
日本語に「俺」という自称がある。この自称の元は中国語で、自分を大きくしたり 小さくしたりして、茶化す時に良く使う。「オレはバカだ」と言う人はいる、が、「私はバカだ」と言う人は居ない。中国でも、同じ様に、「俺笨蛋」と言うが、「我笨蛋」とは言わない。
この「俺」という中国語のピンイン(発音記号)は ǎn (an3)と読む。 日本語のカタカナ読みだと「 アン」になる。 それで、「俺笨蛋」の発音は、中国語で an3 ben 4 dan 4 になり、日本語のカタカナ読みで アンポンタン になる、という事が分かり、日本語学史上の謎が、あっけなく解ける。
ウエブサイトに、日本で中国語を教えている人(中国人)が、中国語教授の宣伝広告に、アンポンタンの川柳を一首載せていた。
曰く、 俺笨蛋 これが日本語 「あんぽんたん」
成程、何と微笑ましい川柳だと、目にして、微笑んでしまった。日本語に堪能な、中國語教授が、そう言うのだから、間違いはない。
始めから「俺笨蛋」と原語をそのまま使えば、中国語を覚える事にもなり、魚の名やら、薬の安本丹とやらの、単に「奇を衒う」歪説に振り回される事も無い。所が、「カタカナ」表示にしてしまった為に、意味も素姓も全て曖昧糢糊になってしまい、列島を「語学音痴」の国にしてしまった。
なぜ、漢字や横文字を片っ端からカタカナに直して使うのか、想像するに、江戸時代の本居宣長が唱えた「国風化」の遺伝子が、未だに列島で根強く生き延びているのではないかと思う。
世界広しといえど、「カタカナ」文字があるのは日本だけである。そして、日本語というのは、漢語、ひらがな、カタカナの三種の文字の混合語であり、これまた、他国に例がない。これが、外国語( 英語) 学習の優等生である日本人の語学能力が世界の末席に甘んじている根本原因である。
「俺笨蛋」という表意文字を避けて、「アンポンタン」と書く。横文字の「arbeit」を「アルバイト」に、「glass」を「グラス」と「ガラス」の二通りに、「Mc Donalds」をマクドナルドに、Macilroy をマキロイに、書き換えるのは、その方が日本人には発音し易い為だと思うが、裏返して言うと、日本人は外国語を覚える「才覚」に乏しい事を、自分で晒(さら)している事に外ならない。
日本語は、漢語、ひらがな、カタカナの三種の言葉混合で成り立っている。漢語は嫌な中国の言葉だから、避けたいと思って使わない人も居るだろうが、厳格に言うと、ひらがらもカタカナも漢語の切れ端(きれっぱし)である。言うなれば、漢語は日本語の「本家」になる。
その本家を貶し、見下すのみならず、戦争で、折角文化の国(本家)に行った日本の兵士が、故国日本に持ち帰った「お土産」が、アンポンタン「バカ」、ポコペン(駄目)や ぺケ(不可)などのような低次元中国語だから、全く、自慢にならない。日本人の語学音痴は、今に始まった事ではない事が分かる。 李白杜甫の詩句を土産にするのは、無理だとしても、せめて、 早安(おはよう)ZAO AN 、 你好嗎 (いかがですか) NI HAO MA 、謝謝你(ありがとう)XIE XIE 程度の初頭会話の ABC を土産に持って帰るべきでは無かったか。
冒頭に述べたように、日本語の「馬鹿」の同義語が、Weblio 辞書によると、九十四の多きに達する。それでも足らずに、シナ語のアンポンタンまで引用する。という事は、自生の文字を持たなかった列島は、外国語を借り、使用せざるを得ない星の下に生まれたからであろう。それは、自慢にならない宿命(さだめ)である。
それならば、つまらない我を張らずに、素直に、外国語を学び、特に、漢語に敬意を表して学び、外国語を使うように心掛けて行かなければ、未来永劫、列島の語学は「アンポンタン」の域から抜け出すのは無理であろう。
ーー アンポンタンの語源を 日本語にする 国粋バカ ーー
ーー 正しく アンポンタン ーー
「アンポンタン」というカタカナは、通常「馬鹿」という意味で使われている。「馬鹿」は「バカ」とも書き、「莫迦」とも書く。それだけではなしに、日本語の「馬鹿」の同義語が、Weblio 辞書によると、下記の如く、九十四の多きに達する。信じ難い事である。
鈍ま・ひょうろく玉・半端・甚六・たわけ・戯者・与太郎・馬鹿垂・脳たりん・抜け作・昧者・愚婦・おたんちん・あほんだら・阿房・薄野呂・のろま・薄のろ・薄ぼんやり・脳足りん・空け者・鈍間・愚か者・馬鹿野郎・阿呆・烏滸・あほ・すかたん・戯け者・馬鹿・頓馬・槃特・薄馬鹿・馬鹿たれ・安本丹・痴者・痴れ者・魯鈍漢・駑馬・呆助・痴・薄ばか・愚夫・空者・鈍物・半ぱ・馬太郎・ぽんつく・虚者・莫迦・頓痴気・とんちき・間ぬけ・表六玉・鈍付・戯け・箆棒・愚か人・とんま・痴人・あんぽんたん・滑稽者・惚者・うっそり・虚け・虚仮・虚け者・愚人・空け・鈍つく・馬鹿垂れ・呆気者・芋助・薄鈍・抜け・愚物・下愚・惚け者・馬鹿者・愚者・あほう・鈍才・三太郎・おたんこなす
人口、国土、人種の大国である米国で、「馬鹿」は、stupid か fool の二通りで事足りているようで、それよりきつく言う時は knukle head (まぬけ)と言うが、それでも三つの言い方で十分足りている。試しに、上述の Weblio 辞書を見たら、全部拾い上げても、stupid、slow、dumb、obtuse、dense、dull、dim、extreme、crackbrained、idiotic などの十しかなく、日本語の約十分の一しかない。
列島のすぐ隣に、人口十四億を越す、とてつもない大国、中国がある。この大国で普段使われている「馬鹿」という言葉は Weblio には「笨蛋」(ben 4 dan 4 ) や「傻瓜」(sha3 gua1) の二つしか出ていない。
国が小さい程、「馬鹿」の表現が多岐に亙るのは、何を意味するのだろうか。こんなものが多いのは、ちっとも自慢の種子(たね) にならない。 所が、weblio 辞書は 九十四もの同義語を挙げている。世界で最も多いので、自慢嗜好の強い日本では、此れも自慢のタネになると思って居る、のかも知れない。
アンポンタンは、阿呆・馬鹿などの意味で使われている俗語で、ウエブサイトに、623,000件の関連記事が掲載されている。その第一件の記事は、「語源由来辞典」で、アンポンタンを下記のように紹介している。
《《 あんぽんたんの語源・由来
あんぽんたんは、「阿呆」と愚か者の意味の「だらすけ」が複合された、「あほだら」「あほんだら」が転じた言葉である。
「阿呆」は「あっぽ」とも言われ、「陀羅助(だらすけ)」という薬(「陀羅尼助」の略)もあったため、「反魂丹(はんごんたん)」や「萬金丹(まんきんたん)」という薬の名から、漢字で「安本丹」ともじられた。》》
1988年 岩波新書出版の安藤彦太郎『中国語と近代日本』によれば、『 さかのぼって日清戦争の時にもすでに「兵隊支那語」があって、例えば「ポコペン」(だめ)、「アンポンタン(ばか)、「ペケ」( 不可) などである』、と書いている通り、アンポンタンの語源は中国語である。戦前、戦中の日本人は、それをよく知っている。
安藤彦太郎(1917年 - 2009年)は、日本の日中関係史学者、早稲田大学名誉教授。妻は早稲田大学名誉教授・中国文学者の岸陽子で、中国語の泰斗であるから、冒頭に書いたウエブサイトの「語源辞典」の素人解説とは、全く比較にならない程の権威と信憑性を有する。 つまり、アンポンタンの語源は、支那語である事がはっきりしている。 それでも、アンポンタンは「国粋語」であると、日本の、「語源由来辞典」は主張する。正しく、アンポンタン。
アンポンタンの元は「王八蛋」( ワンパータン) であるという中国通がいるが、大変疑問の余地がある。なぜかと言うと、王八蛋(ワンバダン) とは、王八は亀、蛋は卵のことを指し、相手を亀の子孫と罵る言葉になる。「王八蛋」( wang 2 ba 1 dan 4 ) は、ーー 恥知らずの 人でなし ーー という強烈な侮蔑ことばであり、「馬鹿」とは全然意味合いが違うから、アンポンタンと「王八蛋」( ワンパータン) は結びつけようがない。 上述「語言辞典」と同じく,似非(えせ)中国通の胡説八道( 口から出任せを言う,うそ八百を並べる)である。 兎に角、知らなくても、知ったふりして、自慢したがる。典型的な、ヤマト人種の「自慢嗜好」である。
中国語で「馬鹿」と言う時に使うのは、前述の Weblio 辞書に出ている「笨蛋」や「傻瓜」(sha3 gua1) の二つである。中でも、「笨蛋」(ben 4 dan 4 ) がもっともよく使われる。だから、アンポンタンの語源を求める場合は、「笨蛋」「や「傻瓜」、の何れかに落ち着くというのが筋であろう。
すると、明らかに、「笨蛋」という、発音が、ben 4 dan 4 になる言葉が最右翼になる事に気が付く。アンポンタンは、明らかに漢字三つから成り立っている。 ポンタンが、ben 4 dan 4 から転じて来たのは、疑いの余地が無く、残るのは 「アン」の漢字が何であるか、を見つけるだけである。
日本語に「俺」という自称がある。この自称の元は中国語で、自分を大きくしたり 小さくしたりして、茶化す時に良く使う。「オレはバカだ」と言う人はいる、が、「私はバカだ」と言う人は居ない。中国でも、同じ様に、「俺笨蛋」と言うが、「我笨蛋」とは言わない。
この「俺」という中国語のピンイン(発音記号)は ǎn (an3)と読む。 日本語のカタカナ読みだと「 アン」になる。 それで、「俺笨蛋」の発音は、中国語で an3 ben 4 dan 4 になり、日本語のカタカナ読みで アンポンタン になる、という事が分かり、日本語学史上の謎が、あっけなく解ける。
ウエブサイトに、日本で中国語を教えている人(中国人)が、中国語教授の宣伝広告に、アンポンタンの川柳を一首載せていた。
曰く、 俺笨蛋 これが日本語 「あんぽんたん」
成程、何と微笑ましい川柳だと、目にして、微笑んでしまった。日本語に堪能な、中國語教授が、そう言うのだから、間違いはない。
始めから「俺笨蛋」と原語をそのまま使えば、中国語を覚える事にもなり、魚の名やら、薬の安本丹とやらの、単に「奇を衒う」歪説に振り回される事も無い。所が、「カタカナ」表示にしてしまった為に、意味も素姓も全て曖昧糢糊になってしまい、列島を「語学音痴」の国にしてしまった。
なぜ、漢字や横文字を片っ端からカタカナに直して使うのか、想像するに、江戸時代の本居宣長が唱えた「国風化」の遺伝子が、未だに列島で根強く生き延びているのではないかと思う。
世界広しといえど、「カタカナ」文字があるのは日本だけである。そして、日本語というのは、漢語、ひらがな、カタカナの三種の文字の混合語であり、これまた、他国に例がない。これが、外国語( 英語) 学習の優等生である日本人の語学能力が世界の末席に甘んじている根本原因である。
「俺笨蛋」という表意文字を避けて、「アンポンタン」と書く。横文字の「arbeit」を「アルバイト」に、「glass」を「グラス」と「ガラス」の二通りに、「Mc Donalds」をマクドナルドに、Macilroy をマキロイに、書き換えるのは、その方が日本人には発音し易い為だと思うが、裏返して言うと、日本人は外国語を覚える「才覚」に乏しい事を、自分で晒(さら)している事に外ならない。
日本語は、漢語、ひらがな、カタカナの三種の言葉混合で成り立っている。漢語は嫌な中国の言葉だから、避けたいと思って使わない人も居るだろうが、厳格に言うと、ひらがらもカタカナも漢語の切れ端(きれっぱし)である。言うなれば、漢語は日本語の「本家」になる。
その本家を貶し、見下すのみならず、戦争で、折角文化の国(本家)に行った日本の兵士が、故国日本に持ち帰った「お土産」が、アンポンタン「バカ」、ポコペン(駄目)や ぺケ(不可)などのような低次元中国語だから、全く、自慢にならない。日本人の語学音痴は、今に始まった事ではない事が分かる。 李白杜甫の詩句を土産にするのは、無理だとしても、せめて、 早安(おはよう)ZAO AN 、 你好嗎 (いかがですか) NI HAO MA 、謝謝你(ありがとう)XIE XIE 程度の初頭会話の ABC を土産に持って帰るべきでは無かったか。
冒頭に述べたように、日本語の「馬鹿」の同義語が、Weblio 辞書によると、九十四の多きに達する。それでも足らずに、シナ語のアンポンタンまで引用する。という事は、自生の文字を持たなかった列島は、外国語を借り、使用せざるを得ない星の下に生まれたからであろう。それは、自慢にならない宿命(さだめ)である。
それならば、つまらない我を張らずに、素直に、外国語を学び、特に、漢語に敬意を表して学び、外国語を使うように心掛けて行かなければ、未来永劫、列島の語学は「アンポンタン」の域から抜け出すのは無理であろう。