ーー 中國の疆域、如何にして拡大したか ? --
「統一分裂論」の見解は、下記の六点に要約される ;
第一, 如何なる朝代に拘わらず、中國の疆域、特に、中原王朝
の疆域は始終非常に大きかった。
第二、 文化大革命の最中に於いて、歴史時期の中國疆域を務めて
広げるのは「愛国」であり、逆の場合は、売国の嫌疑が掛けら
れた。酷い時は、反革命だと見られた。そのような、愛国行動
は、自分を騙す事は出来ても、他人を騙す事は出来ない事を、
今日、我々は良く知っている。
第三、 歴史は、現実に等しいのでは無い。今日の領土帰属は、
「自古以来」に決定されたものだというのは根拠に成らない。
第四、 多くの人は、このような心境を有している、「史上の中國
疆域を若干広く描いて何が悪い?」。
若し、政治と現実因素の影響を考慮しないなら、この趣心境の
根源は、即ち、伝統的統一観である:統一は常に正義であり,
人々の心の赴く所 ,歷史の潮流に符合する,統一の時間は従い
長いほど良い、統一の範囲も従い大きいに越した事は無い。
第五、 中国の統一歴史を多少考察すれば、事実はそうでは無い事
が分かる。尚且つ、往々にして相反するのである。さもねければ、
なぜ、分裂期間が統一期間よりも長い? なぜ、真正統一が中国
で形成されたのは、18世紀の中葉に到って始めて実現したのか?
中国史上の一切の統一は、全て、武力によるか、或いは、武力を
後ろ盾にして実現したもので、分裂の結束も又同じである。領土
拡張に従い、統一の範囲を拡大したのも同じである。
第六、 承認すべき事は、無人区域の開墾という少数の状況を除外
すれば、中原王朝疆域の拡大は、基本的に全て戦争を通じたも
のである。今日の観点で見るなら、これらの戦争は、全て侵略的
、非正義的である。しかし、忘れるべきでないのは、當時は、連
合国憲章が無く、国家間の平等交際の準則も無く、民族自決原則
も無かった。 弱小国歌或いは民族は、この強国に統治されるか、
さもなくば、あの強国に併吞されるか、或いは、果てしない内部
戦争に陥るか、如かない。
この一段の論述が、はっきり我々に教えて呉れるのは、「歴史と現実は等しいものでは無い、今日の領土帰属は「古(いにしえ)以来、決定的である」というのは根拠に成らない。
従い、中共が、口を開けば、台湾は古より中国に属していると主張するのは、根拠の
無い、いい加減な言い分に他ならない。
且つ、我々に殆んど論定出来るのは、中共が台湾を統一すると云うのは、実際は、台湾を侵略
或いは併吞して、領土拡張の野心を遂げようとするものであろう。
昔は、 連合国憲章が無く、国家間の平等交際の準則も無く、民族自決原則も無かった。
二十一世紀の今日は、連合国憲章が有り、国家間の平等交際の準則も有り、民族自決原則も有るから、中共の台湾併吞の野心に対し、台湾獨力の防禦は無理かも知れない。しかし、国際世界は拱手傍観する事は無い筈。
第二次大戦後、新しい独立国家が百五十国以上増えた事実で分かるように、民族自決は現今
国際社会の強大な潮流に成っており、台湾人が断固として、国際社会に向け、自決の決心を表明すれば、中共の併吞侵略を免れる展望は明るい。
ーー 歴史論述 と 統一論調、最大の相違点 ーー
専論「中國歷史上の統一と分裂 」は、ウエブサイトの「人民網」に掲載された文章であり、中共の「人民日報」とは、何らの繋がりがある筈。然し、この長文の論述には、中共の統一論調で常時慣用されている 「同じ黄帝の子孫」「血は水よりも濃い」「古より神聖不可分裂」「手足如き関係」「両岸は同一家族」 などなど、笑いの裡に刀を蔵す ような統一戦略用語は、一句たりとも使用されていない。これで分かるように、この専論の論述の客観性及び理智性は、かなり高水準の物である、という事が分かる。
この論述は、2003年に刊行されたもので、丁度、中共が盛んに「統一台湾」を主張していた時だが、この長文論述は、「台湾」には殆んど触れず、「中華民国」には一寸触れただけで、以下のように僅か数行の内容だった;
中華民国は1912年に建立した後、嘗て、中国を統一した事は無かった。
且つ、台湾が1945年に初めて祖国復帰したにしても、その他地区ですら、
真正に統一した事は無かった。北洋軍閥割拠、南北政権対峙、外蒙古の
独立、九一八事変後日本の東北三省占領、1937年日本が発動した全面侵
略戦争、国共内線、などなどは、更に、中国に形式上の統一ですら存在
出来ないようにした。だから、1912年から今日までは、自ずと分裂時期
に成る。
この数行の叙述で分かるように、台湾或いは中華民国の、中国史上に占める分量は、
実際の所、若し、中華民国が内戦で負けて、台湾に逃亡して来なければ、台湾と中国
は、台湾海峡を隔て分割された二つの土地でしかなく、繋がる術は無い。これは、非常に簡単明瞭な史実である。
台湾は、短期間清朝に占領された事があった。但し、1722年 大清雍正皇帝即位の詔で、曰く、「台湾は古より中国に属さず、我が皇祖が神武遠征して、版図に拓入したものである」
と、古より中国の領土でない事をはっきり宣旨している。1895年
従這寥寥幾行、我們可以清楚地看出、台湾或中華民國、在中國歴史上所佔的分量。其實、若不是中華民國逃亡到台湾来、台湾和中國、可以説是分割的両塊地而己、無従連在一起。 非常簡単明瞭的史實、雖然、清朝短暫佔領過台湾、但是、1722年,大清雍正皇帝即位,詔曰:「台灣自古不屬中國,我皇考神武遠屆,拓入版圖」。 到1895年、因為、這個小島、鳥不語、花不香、男不義、女無情、把台湾永久割譲給日本。
七月四日、政治大学が発布往した「台湾民衆統独立場趨勢分布」の統計によると、人民の意願は下記のように成っている ;
{早急独立」が占める比率 七、四 %
「現状維持、後再決定の比率 二十八、七 %
「永遠に現状維持の比率 二十三、六 %
「早急統一の比率 0、七 %
前三項は、全て中国と分離するもので、足し合わせると、59,7%に達する。唯、第四項だけが統一志望だが、比率は僅かの0,7%しかなく、殆んどゼロに等しい。
前三項、皆属於與中國分離、加起来 59.7% 、唯有第四項是要和中國統一、只有0.7%。統一、可以説、是、零市場。
台湾、自従石器時代就和中國、隔着台湾海峡、分割存在。在歴史事實的見證下、国際趨勢的走向下、在人民意願的支持下、毫無疑問、台湾會保持自古以来的「原貌」繼續生存下去。
全文 完
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「統一分裂論」の見解は、下記の六点に要約される ;
第一, 如何なる朝代に拘わらず、中國の疆域、特に、中原王朝
の疆域は始終非常に大きかった。
第二、 文化大革命の最中に於いて、歴史時期の中國疆域を務めて
広げるのは「愛国」であり、逆の場合は、売国の嫌疑が掛けら
れた。酷い時は、反革命だと見られた。そのような、愛国行動
は、自分を騙す事は出来ても、他人を騙す事は出来ない事を、
今日、我々は良く知っている。
第三、 歴史は、現実に等しいのでは無い。今日の領土帰属は、
「自古以来」に決定されたものだというのは根拠に成らない。
第四、 多くの人は、このような心境を有している、「史上の中國
疆域を若干広く描いて何が悪い?」。
若し、政治と現実因素の影響を考慮しないなら、この趣心境の
根源は、即ち、伝統的統一観である:統一は常に正義であり,
人々の心の赴く所 ,歷史の潮流に符合する,統一の時間は従い
長いほど良い、統一の範囲も従い大きいに越した事は無い。
第五、 中国の統一歴史を多少考察すれば、事実はそうでは無い事
が分かる。尚且つ、往々にして相反するのである。さもねければ、
なぜ、分裂期間が統一期間よりも長い? なぜ、真正統一が中国
で形成されたのは、18世紀の中葉に到って始めて実現したのか?
中国史上の一切の統一は、全て、武力によるか、或いは、武力を
後ろ盾にして実現したもので、分裂の結束も又同じである。領土
拡張に従い、統一の範囲を拡大したのも同じである。
第六、 承認すべき事は、無人区域の開墾という少数の状況を除外
すれば、中原王朝疆域の拡大は、基本的に全て戦争を通じたも
のである。今日の観点で見るなら、これらの戦争は、全て侵略的
、非正義的である。しかし、忘れるべきでないのは、當時は、連
合国憲章が無く、国家間の平等交際の準則も無く、民族自決原則
も無かった。 弱小国歌或いは民族は、この強国に統治されるか、
さもなくば、あの強国に併吞されるか、或いは、果てしない内部
戦争に陥るか、如かない。
この一段の論述が、はっきり我々に教えて呉れるのは、「歴史と現実は等しいものでは無い、今日の領土帰属は「古(いにしえ)以来、決定的である」というのは根拠に成らない。
従い、中共が、口を開けば、台湾は古より中国に属していると主張するのは、根拠の
無い、いい加減な言い分に他ならない。
且つ、我々に殆んど論定出来るのは、中共が台湾を統一すると云うのは、実際は、台湾を侵略
或いは併吞して、領土拡張の野心を遂げようとするものであろう。
昔は、 連合国憲章が無く、国家間の平等交際の準則も無く、民族自決原則も無かった。
二十一世紀の今日は、連合国憲章が有り、国家間の平等交際の準則も有り、民族自決原則も有るから、中共の台湾併吞の野心に対し、台湾獨力の防禦は無理かも知れない。しかし、国際世界は拱手傍観する事は無い筈。
第二次大戦後、新しい独立国家が百五十国以上増えた事実で分かるように、民族自決は現今
国際社会の強大な潮流に成っており、台湾人が断固として、国際社会に向け、自決の決心を表明すれば、中共の併吞侵略を免れる展望は明るい。
ーー 歴史論述 と 統一論調、最大の相違点 ーー
専論「中國歷史上の統一と分裂 」は、ウエブサイトの「人民網」に掲載された文章であり、中共の「人民日報」とは、何らの繋がりがある筈。然し、この長文の論述には、中共の統一論調で常時慣用されている 「同じ黄帝の子孫」「血は水よりも濃い」「古より神聖不可分裂」「手足如き関係」「両岸は同一家族」 などなど、笑いの裡に刀を蔵す ような統一戦略用語は、一句たりとも使用されていない。これで分かるように、この専論の論述の客観性及び理智性は、かなり高水準の物である、という事が分かる。
この論述は、2003年に刊行されたもので、丁度、中共が盛んに「統一台湾」を主張していた時だが、この長文論述は、「台湾」には殆んど触れず、「中華民国」には一寸触れただけで、以下のように僅か数行の内容だった;
中華民国は1912年に建立した後、嘗て、中国を統一した事は無かった。
且つ、台湾が1945年に初めて祖国復帰したにしても、その他地区ですら、
真正に統一した事は無かった。北洋軍閥割拠、南北政権対峙、外蒙古の
独立、九一八事変後日本の東北三省占領、1937年日本が発動した全面侵
略戦争、国共内線、などなどは、更に、中国に形式上の統一ですら存在
出来ないようにした。だから、1912年から今日までは、自ずと分裂時期
に成る。
この数行の叙述で分かるように、台湾或いは中華民国の、中国史上に占める分量は、
実際の所、若し、中華民国が内戦で負けて、台湾に逃亡して来なければ、台湾と中国
は、台湾海峡を隔て分割された二つの土地でしかなく、繋がる術は無い。これは、非常に簡単明瞭な史実である。
台湾は、短期間清朝に占領された事があった。但し、1722年 大清雍正皇帝即位の詔で、曰く、「台湾は古より中国に属さず、我が皇祖が神武遠征して、版図に拓入したものである」
と、古より中国の領土でない事をはっきり宣旨している。1895年
従這寥寥幾行、我們可以清楚地看出、台湾或中華民國、在中國歴史上所佔的分量。其實、若不是中華民國逃亡到台湾来、台湾和中國、可以説是分割的両塊地而己、無従連在一起。 非常簡単明瞭的史實、雖然、清朝短暫佔領過台湾、但是、1722年,大清雍正皇帝即位,詔曰:「台灣自古不屬中國,我皇考神武遠屆,拓入版圖」。 到1895年、因為、這個小島、鳥不語、花不香、男不義、女無情、把台湾永久割譲給日本。
七月四日、政治大学が発布往した「台湾民衆統独立場趨勢分布」の統計によると、人民の意願は下記のように成っている ;
{早急独立」が占める比率 七、四 %
「現状維持、後再決定の比率 二十八、七 %
「永遠に現状維持の比率 二十三、六 %
「早急統一の比率 0、七 %
前三項は、全て中国と分離するもので、足し合わせると、59,7%に達する。唯、第四項だけが統一志望だが、比率は僅かの0,7%しかなく、殆んどゼロに等しい。
前三項、皆属於與中國分離、加起来 59.7% 、唯有第四項是要和中國統一、只有0.7%。統一、可以説、是、零市場。
台湾、自従石器時代就和中國、隔着台湾海峡、分割存在。在歴史事實的見證下、国際趨勢的走向下、在人民意願的支持下、毫無疑問、台湾會保持自古以来的「原貌」繼續生存下去。
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