李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【中國の統一歴史 と 中共の統一論調 の比較】 (下)

2020-07-07 16:42:16 | Weblog
ーー  中國の疆域、如何にして拡大したか ?  --


「統一分裂論」の見解は、下記の六点に要約される ;

   第一, 如何なる朝代に拘わらず、中國の疆域、特に、中原王朝
    の疆域は始終非常に大きかった。

   第二、 文化大革命の最中に於いて、歴史時期の中國疆域を務めて
     広げるのは「愛国」であり、逆の場合は、売国の嫌疑が掛けら
     れた。酷い時は、反革命だと見られた。そのような、愛国行動
     は、自分を騙す事は出来ても、他人を騙す事は出来ない事を、
     今日、我々は良く知っている。

   第三、 歴史は、現実に等しいのでは無い。今日の領土帰属は、
    「自古以来」に決定されたものだというのは根拠に成らない。

   第四、 多くの人は、このような心境を有している、「史上の中國
     疆域を若干広く描いて何が悪い?」。 
     若し、政治と現実因素の影響を考慮しないなら、この趣心境の
     根源は、即ち、伝統的統一観である:統一は常に正義であり,
     人々の心の赴く所 ,歷史の潮流に符合する,統一の時間は従い
     長いほど良い、統一の範囲も従い大きいに越した事は無い。
  
   第五、 中国の統一歴史を多少考察すれば、事実はそうでは無い事
     が分かる。尚且つ、往々にして相反するのである。さもねければ、
     なぜ、分裂期間が統一期間よりも長い? なぜ、真正統一が中国
     で形成されたのは、18世紀の中葉に到って始めて実現したのか?
     中国史上の一切の統一は、全て、武力によるか、或いは、武力を
     後ろ盾にして実現したもので、分裂の結束も又同じである。領土
     拡張に従い、統一の範囲を拡大したのも同じである。

   第六、 承認すべき事は、無人区域の開墾という少数の状況を除外
     すれば、中原王朝疆域の拡大は、基本的に全て戦争を通じたも
     のである。今日の観点で見るなら、これらの戦争は、全て侵略的
     、非正義的である。しかし、忘れるべきでないのは、當時は、連
     合国憲章が無く、国家間の平等交際の準則も無く、民族自決原則
     も無かった。 弱小国歌或いは民族は、この強国に統治されるか、
     さもなくば、あの強国に併吞されるか、或いは、果てしない内部
     戦争に陥るか、如かない。


この一段の論述が、はっきり我々に教えて呉れるのは、「歴史と現実は等しいものでは無い、今日の領土帰属は「古(いにしえ)以来、決定的である」というのは根拠に成らない。
従い、中共が、口を開けば、台湾は古より中国に属していると主張するのは、根拠の
無い、いい加減な言い分に他ならない。
且つ、我々に殆んど論定出来るのは、中共が台湾を統一すると云うのは、実際は、台湾を侵略
或いは併吞して、領土拡張の野心を遂げようとするものであろう。

昔は、 連合国憲章が無く、国家間の平等交際の準則も無く、民族自決原則も無かった。

二十一世紀の今日は、連合国憲章が有り、国家間の平等交際の準則も有り、民族自決原則も有るから、中共の台湾併吞の野心に対し、台湾獨力の防禦は無理かも知れない。しかし、国際世界は拱手傍観する事は無い筈。

第二次大戦後、新しい独立国家が百五十国以上増えた事実で分かるように、民族自決は現今
国際社会の強大な潮流に成っており、台湾人が断固として、国際社会に向け、自決の決心を表明すれば、中共の併吞侵略を免れる展望は明るい。


ーー  歴史論述 と 統一論調、最大の相違点 ーー


専論「中國歷史上の統一と分裂 」は、ウエブサイトの「人民網」に掲載された文章であり、中共の「人民日報」とは、何らの繋がりがある筈。然し、この長文の論述には、中共の統一論調で常時慣用されている 「同じ黄帝の子孫」「血は水よりも濃い」「古より神聖不可分裂」「手足如き関係」「両岸は同一家族」 などなど、笑いの裡に刀を蔵す ような統一戦略用語は、一句たりとも使用されていない。これで分かるように、この専論の論述の客観性及び理智性は、かなり高水準の物である、という事が分かる。

この論述は、2003年に刊行されたもので、丁度、中共が盛んに「統一台湾」を主張していた時だが、この長文論述は、「台湾」には殆んど触れず、「中華民国」には一寸触れただけで、以下のように僅か数行の内容だった;

   中華民国は1912年に建立した後、嘗て、中国を統一した事は無かった。
   且つ、台湾が1945年に初めて祖国復帰したにしても、その他地区ですら、
   真正に統一した事は無かった。北洋軍閥割拠、南北政権対峙、外蒙古の
   独立、九一八事変後日本の東北三省占領、1937年日本が発動した全面侵
   略戦争、国共内線、などなどは、更に、中国に形式上の統一ですら存在
   出来ないようにした。だから、1912年から今日までは、自ずと分裂時期
   に成る。
      


この数行の叙述で分かるように、台湾或いは中華民国の、中国史上に占める分量は、
実際の所、若し、中華民国が内戦で負けて、台湾に逃亡して来なければ、台湾と中国
は、台湾海峡を隔て分割された二つの土地でしかなく、繋がる術は無い。これは、非常に簡単明瞭な史実である。

台湾は、短期間清朝に占領された事があった。但し、1722年 大清雍正皇帝即位の詔で、曰く、「台湾は古より中国に属さず、我が皇祖が神武遠征して、版図に拓入したものである」
と、古より中国の領土でない事をはっきり宣旨している。1895年



従這寥寥幾行、我們可以清楚地看出、台湾或中華民國、在中國歴史上所佔的分量。其實、若不是中華民國逃亡到台湾来、台湾和中國、可以説是分割的両塊地而己、無従連在一起。 非常簡単明瞭的史實、雖然、清朝短暫佔領過台湾、但是、1722年,大清雍正皇帝即位,詔曰:「台灣自古不屬中國,我皇考神武遠屆,拓入版圖」。  到1895年、因為、這個小島、鳥不語、花不香、男不義、女無情、把台湾永久割譲給日本。

七月四日、政治大学が発布往した「台湾民衆統独立場趨勢分布」の統計によると、人民の意願は下記のように成っている ;

  {早急独立」が占める比率     七、四 %
  「現状維持、後再決定の比率  二十八、七 %  
  「永遠に現状維持の比率    二十三、六 %
  「早急統一の比率         0、七 %
 
前三項は、全て中国と分離するもので、足し合わせると、59,7%に達する。唯、第四項だけが統一志望だが、比率は僅かの0,7%しかなく、殆んどゼロに等しい。

  
前三項、皆属於與中國分離、加起来 59.7% 、唯有第四項是要和中國統一、只有0.7%。統一、可以説、是、零市場。

台湾、自従石器時代就和中國、隔着台湾海峡、分割存在。在歴史事實的見證下、国際趨勢的走向下、在人民意願的支持下、毫無疑問、台湾會保持自古以来的「原貌」繼續生存下去。


全文 完


コメント

【 中國統一歴史 と 中共統一論調 の 比較 】 (上)  仁目子

2020-07-05 06:30:05 | Weblog
ーー 明らかに、中共は、中國を代表し得ない  --

今の所、中共對台湾、最大の関心事は、想像するに、「統一」の事であろう。

一般的に、分割したものを、再び統合して一緒にするのを、統一と云う。 台湾と中國、一方はちっぽけな島で、一方は広い大陸、石器時代から、台湾海峡を隔て、ずっと分割して存在して来た。だから、幾千年来、中國歴代王朝は、台湾について、問題提起した事は無かった、勿論、當然の事である。

幾千年後の今日、中共政権は忽然として、台湾を統一する、と言い出した。何を根拠にして言うのだろうか。

漢語のウエブサイトに、専論「中國歷史上の統一と分裂 」(略稱「統一分裂論」)の文章が載っている、2003年「人民網」のウエブサイト上に載ったもので、幾萬字の長文で、或いは、十萬字を超えているように見える。この専論は、中國史上の統一と分裂について、非常に詳細なる論述を行い。内容は、中國政府の教科書、或いは、中共の宣伝広告文の如く単純で味気の無いものでは無い。 これは、歴史に詳しい文士が、「歴史事實」を根拠にして書いた客観的な論述であり、極めて参考に値いするものである。

それで、現代知識人の歴史叙述と中共の統一論調と、果たして、どのように異なるのか、比較を試みて見たい。


ーー 中國史上の統一期間と,分裂期間と、どちらが長いか ?  --

「統一分裂論」は、先ず、「統一の期間が長い,それとも、分裂の期間が長い? 」の問題提起から始まった。然るのち、歷史事實に基ずき,中國史上の統一と分裂期間を、具体的に算出した。

「統一分裂論」の具體計算により、著者曰く ;

  若し、中國史上最大の疆域を以て範圍とするなら,統一の期間
  は八十一年。若し、 基本的に、前代の疆域の回復を指し、中原
  地區の和平安定を基準とするなら統一の期間は九百五十年とな
  る。従い、中國に限って言うなら、分裂、分治の期間が主要
  的で,統一の期間は短期暫時的である。
  

中國の歴史は、通常、古より五千年を基準にしている。但し、専ら、統一分裂の事について語る時、例えば「統一分裂論」の場合は、西暦前221年 秦朝が中國を統一した時から語り始める、其の期間は、二千二百四十一年、のみとなる。
統一の期間が八十一年、或いは、九百五十年、何れにしても、五千年、或いは 二千二百四十一年の歴史で以て計れば、統一の期間は、紛れもなく、遥かに分裂のの期間よりも短い。

中共の宣伝広告は、ずっと、中國は、統一が常態であり、分裂は非常態である、と強調し続けて来た、明らかに、共産統治の便宜上、人民の洗脳に重点を置いたもので、歴史の事實では無い。この点、我々は、何よりも、先ずしっかりと認識する必要が有る。


ーー  中國歴史上の 統一王朝 ーー

通説として、秦朝、漢朝、晋朝、隋朝、唐朝、元朝、明朝、清朝、等八っの統一王朝がある。
「統一分裂論」の細分によると、各王朝の統一期間は下記の如く;
 
  秦朝の統一期間  12年
   西漢の統一期間 130年
  東漢の統一期間  134年
  西晉の統一期間  21年
  隋朝の統一期間  27年
   唐朝の統一期間 131年
  元朝の統一期間  73年
  明朝の統一期間   236年
  清朝の統一期間  186年

足し合わせると、合計九百五十年になる。「統一分裂論」の著者は、上述数字統計について、下記のような附帯説明を付けている ;

   若し一つの朝代が統一王朝だと称されると,この朝代の始まりから
   終わり迄を、全て統一期間であると計算するのは,當然、非常に非科
   學的であり,歷史事實に違反する。
   又、例えば,単に漢族建立の中原王朝が存在すると,それを統一時
   期と称し,非漢族建立の政権、或いは、邊疆地區政權同時並存の局
   面を無視すると、例えば、北宋、遼などの分裂時期が統一時期にな
   る。だから,私は歴史事実を根拠にして、單純に、朝代の始まりと
   終わりを基準にする事はしない。


常識の有る人なら、誰でも知っているように、教科書或いは政府の文宣は、このように精細なる統計と説明はしない。だから、このような説明は高度の科學性のを有し、人々に、これが歴史的事実であると信じさせる事が出来る。

もう一つ、これは筆者個人の考えだが。若し角度を換えて見た場合、上述八つの統一王朝のうち、其の實、元朝と清朝は、中國が異民族に征服されたもので、統一とは言い難い。すると、中原王朝の統一は、厳格に言うと、 秦、漢、晋、唐、隋、明等の六個王朝でしかない、という事も言える。その場合、統一期間は、950年から691年に短縮される。


ーー  分裂と統一、は、相對的なものなのか ?  --


「統一分裂論」の見解は、下記のように,幾つか有る ;

   第一、 分裂は統一に対して云うもの,若し、統一が無ければ,
   分裂を語る事も無い。既に統一した政權が幾つかに分かれ、
   或いは、原來その政權に属していた一部分が脫離した,獨立し
   たのは,分裂と称する事が出来る。但し、もともと存在し、
   その政權の地區或いは政權に属していないものは、分裂とは言
   えない。

  第二、 分裂に属するかどうか、元より、歷史事實を前提とする
   べきであり,且つ、同樣の客觀事實は、關連有る各方面の主觀
   意願和主觀判斷によって取り決められる。
   若し、分裂の事實が被分裂の政治實體の雙方或いは多方に受入れ
   られた場合 ── それが、自願がによるのか或いは強制されたも
   のであるかに関係無く ──  分裂は、即、分治、領土歸屬の改
   變或獨立に転化する。

  第三、 私が確定する統一或分裂の標准のは明確であり,分裂に属
   するかどうかを判断する際は、統一を確定するよりも厳格にして
   いる。
   私が依拠とする歷史事實は、衆知の如く、歴史史籍に見る事が出
   来、何ら異なる理解の有る物では無い。と言うことは、秦始皇開
   始 今日に到る 2219年間の統一期間を、私が、952年に確定し
   たは、比較的低い標準を採用したもので、そして、分裂段階につ
   いては、比較的きつい尺度を採用した。それでも、分裂の期間は
   、統一の期間よりも長い。
   
   
   第四、 残念な事に、ここ十年来、依然として、統一期間が分裂
    期間に比して長い、という古い説が流行っている。しかも、一
    部歴史學者までが、このような錯誤を繰り返している。彼等が
    、統一或いは分裂期間の長短について、実際に自分で算出した
    事があるのか、私は知らない。或いは、私の観点が、権威ある
    学術刊行物に発表されていなかったせ  いかも知れない。な
    らば、私は、本文を正式に、今一度公表する。若し、歴史學者
    なり、 その他學者が、私の錯誤を指摘し、私の結論を覆す事が
    出来るなら、私は、何時でも、自論を修正する、さもねければ、
    私の観点を受け入れるべきであり、知らないふりをするべきで
    はない。
 
   第五、私が掲示した事実と結論は、多くの人が感情的に受け入れ難
    い事を、私は知っている。或いは、現実的需要の為に、認め難い
    と思うかも知れない。しかし、歴史事実は変更出来ないもので、
    歴史の規律に抗拒する手はない。ただ、先ず何よりも、事実を認
    めて、始めて、規律を研究し認識し、科学的解釈を作出する事が
    可能になる。 


この一節の論述は、指標性或いは核心的重要性を備えている、と云う事が出来る。
第一から第五迄の論述内容を読めば、明らかに、中共の台湾統一論調は、根拠に乏しく、薄弱である事が分かる。

例えば、第一点が指摘するように、「元より存在し、当該政権の地区、或いは政権に属さないものは、分裂を論じる対象に成り得ない」。台湾は、石器時代からずっと中國大陸と分割存在して来た独立の小さな島であり、中共の統治を受けた事は無いから、勿論、分裂する事も無い。

又、第二点が指摘するように、「分裂に該当するか、歴史事実を前程にするのが必須であるのは固より、且つ、同じように客観事実は、関係各方面の主観意願と主観判断により取り決めるべきである」’。台湾と中國は、古より、天然自然に分割されているのは客観事実であるから、主觀意願と主觀判斷による取り決めの必要は無い。

to be continued  、、、、、、