李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

 【 箸 と ハンバーガー 】   仁目子

2021-11-28 19:28:39 | Weblog
 


 ーー  旅路の良き友  ーー

二十余年前、嘗て、私はニューヨークから成田に飛び、信濃路を初めて一人で旅した事がある。

旅情に、土地の風物と駅弁は欠かせない。足で歩いて土地の風物に親しみ、そのあと、揺れ動く車の中で美味しいお弁当を味わう。箸のお蔭である。ナイフ と フォークでは、このような旅情を楽しむことは出来ない。

軽井沢から草津、長野、松本、甲府、そして富士吉田を経て、長年の念願だった、秋の信濃路の旅情を満喫して、東京に戻った。

 ーー 変わった 国際化 の 風景 ーー

 品川のプリンス・ホテルに泊まった時、そこの広いバッフェ・レストランで毎日朝食を取った。和洋中と多様性の料理を取り揃えた朝食は、取りも直さず、宿泊客の国際色の豊さを物語っていた。そこの朝食で、私は、洋食に箸を使っている日本人を何人かあっちこっちに見た。

ステーキはともかく、ハム・エッグや サラダのような軽い物を口に運ぶのに、なぜ重い金属製の、ガチャガチャ音がするナイフとフォークを必要とするのか、常々、私の疑問とするところで、西洋だから、なんでも真似して好いものではない、というのが私の考えである。

西洋では食事には必ずナイフやフォークが登場すると一般に思はれているが、米国人の多くが好んでバーガーやマックなどで食事を済ませる という現実からも、片手ナイフに片手フォークの食事が、如何に煩わしいものであり、彼等も出来るだけその煩わしさから逃れようとしているのが、容易く想像出来る。

 ーー 古い 貴重な文明  お米あっての食具 ーー

 元々、 世界中で箸を使って食事をする地域は中国,朝鮮半島,日本,およびヴェ トナムなど東南アジアの一部に限られていた。この地域は漢字文化圏とも重なる。

この文化圏の発祥地である中国は、だから同時に箸の発祥地でもある。古代の殷 墟から匙とともに青銅製の箸が発掘されていることから,その歴史は、少なくとも紀元前13~14世紀までさかのぼる。ただし,当初、周代から漢代にかけては,飯を食べる用具ではなく,具の入った羹を食べるときに使うものものとされていた。 物の本によると,この用法は少なくとも唐代まで続き、そして今日のように飯を箸で食べる用法は,南方の粘気のある米とともに始まり,南方人が天下を取った明代にこの用法が北方にも波及したのではないかとされている。

 日本における箸の歴史は文献の上では『古事記』までさかのぼるが,当時の箸は削った竹をピンセットのように折り曲げたものであったといわれている。日本に於いても奈良時代から平安時代末までは,貴族の会食において箸とともに匙が用いられていた記録があるが,その後今日のように箸のみで食べるようになったと伝えられている。

箸文化の食習慣は、箸だけで食べなければならないため,箸には切る,はがす, ほぐす,押えるなど,運ぶ以外にも多くの機能が求められて発達し、今日に至り、 食道楽人種は一対の箸を懐 ( ふところ ) に世界各地に出かけてグルメを食べ歩く事すら出来るようになった。

近年,中華料理を始め、日本、韓国、ベトナム、タイなどの料理店の普及により、欧米人始め、各国人のあいだでも箸は一つの食具として受け入れられている。食べ物により、ナイフやフォークを使うよりも、箸を駆使する方が合理的、そして便利である事が広く世界的に認識されるようになった。

日本において箸の使い方の乱れがいわれている昨今, プリンス・ホテルの朝食で、私は、四角ばらずに、洋食に箸を使って楽しんでいる日本人を何人か目にした。そして、その気楽な光景に私は思わず微笑んで仕舞った。

  ーー  洋食が気楽に楽しめる  ーー

ある朝、それよりもっと珍しい光景が私の目に入った。

すぐ近くのテーブルで、私と同じように、洋食に箸を使っている西洋人を見たのである。西洋の古い伝統を破る珍しい光景に、私は、思はずしたり顔になった。

幾千年の歳月と試練に耐え抜いた東洋食文化の粋、箸。それは一対の二十二、三センチ長さの細い竹の棒でしかない。それを片手三本の指で操り、天下の山海 珍味をことごとく平らげることが出来る。その機能性と芸術性に疑問を挟む余地はない。ただ、大方の西洋人は、いままで、知る機会に恵まれなかっただけのことである。

私の近くのテーブルで、洋食を前にして、一方の手で箸を握ったこの西洋人は、残る片手で新聞をめくり、悠然と朝食を取っていた。金属のナイフ・フォークでは味わうことの出来ない竹箸の優雅で静かな食事の雰囲気である。

 ーー  バーガー と 箸  機内食は 割箸に限る  ーー 

 旅を終えて、ニューヨークに戻る JAL 便の機内食は、好物の魚グラタンだった、ナイフとフォークは勿論、そして、意外にも、割箸も添えてあった。

私はすっかり喜び、ためらいなく割箸を取り上げた。隣席の海外駐在員らしき男性は、ナイフとフォークを一旦両手に持ったが、狭い空間に戸惑い気味で、ふと私が 手に持った箸に気が付き、彼はすぐにナイフとフォークを手放して仕舞った。恐らく、内心ほっとしたに違いない。

ーー 新幹線においていない 箸 ? ーー 

永 六輔 著「明治からの伝言」という本に、同氏が新幹線で遭遇した、箸に纏(まつ)わる実話が出ている。

 
   女はふくれ面をしてナイフとフォークを持ってきた。
     老人の困惑した 顔。そこへハンバーグが運ばれてきた。
     案の定、老人はナイフとフォークを不器用に持って、
     なぜかつけあわせのグリンピースから食べようとした。
     背中の丸いフォークに丸い豆が、しかも、ゆれてい        
     る新幹線の中で乗るわけがない。

     なんでもフォークの背中にのせて喰べる作法はどこ      
     から伝わってきたのか、外人までビックリしている。
     僕は鍋かシラミかといった女に 「箸を持って来なさ          
     い」 といった。またしても 「箸なんかおいてません」
     だ。             

 「それじゃ車内販売の弁当の折からはずして来いよ」
     僕は負けずに命令した。    女は文句をいいながら箸を
 とりに行き、乱暴にテーブルに置いた。                  

 「おじいさん、箸で食べなさいよ」
     「でも、ハンバーグだから」と老人はかたくなに答える
     「ハンバーグでもなんでも喰いやすいように喰えばいい  
      んです!」

       老人は気の弱い笑い方をして、やっと箸で食べはじめた。
        僕はホッと しながら、どうしてこんな世の中になった  
        のか淋しくなっていた。
        老人はやっと楽しげに食事をすすめはじめたが、そ     
        の時、アメリカ人が 五、六人、食堂車に入ってきた。 
        電光石火、老人は箸をフォークとナイフに持ちかえ     
       ていた。

 
アメリカという、フォークとナイフの国に、私共一家が住みついてもう二十年ほどになるが、手にナイフとフォークを持ってハンバーグを食べるアメリカ人を、私は殆んど見ない。私共が最も長く住んだニューヨークで、慌ただしい毎日を過ごしている一般の庶 民に取って、バーガー、マック、サンドなどは、文句なしに彼等の最も好む日常食で、わけは至極単純である、手で掴んで口に持っていけるからである。ナイフやフォーク を使い、四角張って食事をするのは、一寸贅沢なフランスやイタリー料理位な もので、西洋人といえど、朝晩、ナイフとフォークで食事をしているわけではない。

手で掴んで口に持っていくのは、人間を含む動物の最も原始的な食べ方であるのは言うまでもないが、ナイフとフォークはそれよりやや進化した鉄器時代に遡る食器 の形見である。それを銀製にして、形よく作り直し、今日まで使って来たわけだが、ガチャガチャという音に象徴されるように、元が前近代的なものであったから、とても利器と言えるような代物ではない。煩わしい食事用具である。その反発が、手で掴んで口に入れる食べ物、バーガー、マック、サンドなどの飛躍発展に大いに貢献したのであろう。

東洋人の食習慣に、そのような極端な変化が見られないのは、「箸」という利器があるからに外ならない。この貴重な事実を見逃している東洋の人達が結構居るのは、なんでも西洋であれば良いという、可笑しな迷信によるものではないかと思う。

 ーー  箸 を 恥とする 日本人 ーー 

 永 六輔の新幹線実話は、次のように続いていた。

           「おじいさん、箸でいいんですよ」
          「でもアメリカ人がいるから」
           「アメリカ人がいても、ここは日本なんです。箸で 
              いいんです」
           「恥ずかしくないかね」
           「箸で食べた方が立派です」
             老人は僕の言葉に再び箸を手にしたが、その箸を   
            かくすような姿勢で、アメリカ人に背を向けて喰べ 
            ていた。

            一方、注文を終ったアメリカ人の一人が老人の箸   
           をみて、「私たちも箸で食べてみたい」といいだ
            した。
            驚いたことにお姐ちゃんはニコニ コとアメリカ人
            に箸をくばった。

            アメリカ人たちは老人を見て見様見真似で不器用  
            に箸をつかいはじめた。
            そして老人の箸がグリンピースをつまんだりする
            と感嘆の声をあげるのだった。                                  

    いつのまにか老人は堂々たる風格で箸をつかい、
    やがてお姐ちゃ んに声をかけた。
    「オイッ ビール でも貰おうか!」

そうです、数千年の試練に耐え抜いた箸は、東洋人が誇りにすべき貴重な文化なのです。

 ーー 世界の橋になる箸 ーー

信濃路の旅で、私は、箸に旅情を味わい。東京のホテルで、私は、初めて洋食に箸を使う西洋人を見た。そして、帰途の便で、私は、機内の洋食に添えてあった箸に喜び、幾千年の歳月と智慧が残した箸の存在価値を改めて再認識した。箸は、東洋の文化から、更に進んで、世界の貴重な文化になる日はさ程遠くない。

今日、中華は元より、和食、韓国、タイ などの料理を楽しむことが、西洋でも日常茶飯事になって来たのは、料理の味も然ることながら、役割を合理的に果たす「箸」の存在と深く係わっているようである。

いずれ、世界中の長距離列車に、割箸付の駅弁が出回るようになるかも知れない。そうなれば、世界各地の旅はもっともっと楽しくなるに違いない。 そのような想像を逞しくしている昨日今日である。が、 あれから 二十数年の月日が経った、 世界中の長距離列車に、割箸付の駅弁は、まだ出回っていない。もうちょっと長生きすれば、出回るに違いない。 

 

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