李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 極東の 辺境の島   日本 】      仁目子

2022-12-10 02:04:04 | Weblog
ーー  日出る国ではない  ーー
ーー  臍曲がりの田舎者が多い  ーー
ーー  マックダーノ 、マックロイ と言えない
    世界の田舎者 ーー
  
「日本特殊論」という言説がある。
「日本的」特性の独自性を強調する言説は,日本人の文化的衝撃や不適応の要因を日本人の行動特性に求めようとする議論である。

ーー  厚い「ウチ」の壁 ーー

日本人の異文化不適応の要因として、一つ良く挙げられているのが,日本人の人間関係に存在する「ウチ」と「ソト」の概念である。日本人はウチ(内側)にいる人間との関係は大事にするが,ソト(外側)の人間とはおそろしく疎遠である。これは日本人の,異質を認めない連続の思想に起因する。したがって異質なものを異質と認めて,そのうえで付き合っていくということができず,国際的な人付き合いの弊害となっている。

Mc Donalds (マックダーノ)という英語は、外国の言葉で、本来は「ソト」に属する。それを、マクドナルドという日本語のカタカナに変えて読むと、「ソト」を「ウチ」に変えた形になるから、日本人は老若男女問わず、喜んで、マクドナルドと言う。

Rori Macilroy (マックロイ)も同じである。ローリー マックロイと言わずに、ローリー マキロイ と言う。これらは、日本人はウチ(内側)との関係は大事にするが,ソト(外側)とはおそろしく疎遠である。これは日本人の,異質を認めない思想に起因する。

世の中、物事、全てに両面性がある。ウチを重んじれば、ソトが疎遠になる。マクドナルドも、マキロイも、日本人には通じるが、外国人には全く通じない。

「英語が話したい」という文句を,ウエブに入力してみた。 関連記事の数が、約90,700,000件 と出て来た。 九千七十万件だと云う事になる。 この数字を、単純に、了解するなら、幼児、児童を除いて、絶対多数の日本人が、英語を話したい、という欲望がある事を示している事になる。

高校卒なら六年、大学卒なら十年、日本人は学校で英語を勉強した。それだけで、簡単な英語は話せる。 ところが、絶対多数の日本人は、簡単な英語ですら話せない。事実は、話せないのではなく、話さない,とというのが実態である。

具体的な例を挙げると、good morning 、how are you という英語は誰でも知っているのに、誰もそれを口にしない。 なぜかと聞いてみると、周りの人が言わないから、自分も言わなない、という答えが戻って来る。極めて「日本的」な答えで、「世間体」への思惑が、横文字開口の妨げになっている。

世界最古の歴史を記録した、謎の古文書が、日本に在る。 「竹内文書」と言う。
太古の歴史を今に伝える、「古事記」、「日本書紀」、それらよりもはるか昔の神話を記録した古文書。

はるか昔、日本の天皇(スメラミコト)の祖先が地球に降り立ったころからの、世界最古の歴史を記録した、謎の古文書のことを、「竹内文書・竹内文献」と言う。

この古文書を受け継いだのが、皇祖皇太神宮(こうそ こうたいじんぐう)である。
3000億年前からの歴史が記載されている現代人の常識を覆す内容は神代文字「かみよもじ」で書かれている、と言う、が、真実は勿論定かでない。

竹内文書では、「無」から始まり、「宇宙創造」をし、「地球創造」をし、「世界の国々を作りそこに「五色人」を作られたという。

オリンピックの5色の輪も、この五色人から来ているといわれる。
古代の日本の天皇(スメラミコト)に会うために、世界中から聖人と呼ばれるイエスキリスト、釈迦、マホメット、老子、孔子など世界の大宗教教祖はすべて来日したと伝えられている。

現代の識者、学者は、揃って、この文書の内容は「荒唐無稽」である。と断定している、が、(日本)列島の超古代が「縄文時代」に該当するので、この文書は、列島超古代の縄文歴史を記述したものだと見る事が出来る。

それで、国粋狂信者は、日本の縄文時代は、世界最古の文明であり、「日本に生まれた」事を誇りに思う、と、喜びをウエブサイトに載せる現代日本人も居る。

が、ずれにしても、3000億年前の荒唐無稽なる歴史記載は、空前の世界最古の歴史記載であり、それが、日本人の手によって書かれた、という「事実」は、「日本特殊論」を裏付ける上でも、無視は出来ない。

現代日本の江戸時代の学者、本居宣長は、有名な『馭戎慨言』という「中つ国」論を公(おおやけ)にしている。 『古来からのわが国と中国朝鮮との交渉の歴史を詳述して、戎 ( じゅう) を馭 ぎょ) する道、すなわち西方の野蛮国である中国と朝鮮は、尊き皇国であるわが国にまつろうべきである』 ことを説いたものだった。

戎 ( じゅう) を馭 (ぎょ)する、というのは、古来は寧(むし) ろ中国側にあった思想であった筈、それを、宣長は、日本に移籍したのである。

宣長は更にこう言う。そもそも皇国が四海万国の元本宗主たる国であるのに、面積がさほど広大でないのには、二柱の大御神が生み成し給うたときに、凡人の小智をもってしては測りがたい深理があったのに相違なく、その不可測の理はさておくとして、現に目に見えることだけ挙げても、まず皇統の不易であること、人の命をたもつ稲穀の美しいこと、神代より外国に犯されたためしがないこと、田地多くして人民の多いことなど、諸国に冠絶する点は枚挙にイトマがない、と説いている。

『 皇国が四海万国の元本宗主たる国である』という主張は、上述の「竹内文書」の記述と全く同じである。という事は、現代日本人の特殊気質は、古代縄文遺伝子より受け継いだもの、だとしか考えられない。その本質は「荒唐無稽」の域から外れる事は、勿論 ありえない。

嘗て、ウエブの知恵袋に、このような「日本人天才論」質問があった。

《《 日本人は語学の天才だと思います。
だって、3種類の文字を使い分け、中でも漢字に至ってはものすごい数を記憶してるんですよ。規則が好きな日本人は、きっと他言語の規則性だってすぐに憶えられるはず。》》
このに対し、十の回答があった。その内、日本人天才に同調するのは皆無で、一つは、はっきりと、「天才でないからみんな苦しんでいるのです」と、開口一番、質問者に反論している。

そして、質問の ベストアンサー は、
《《 脳からみると、日本語は簡単らしいですよ。
   ラテン語の方が難しいです 》》
となっており、これも、天才否定の内に入る。

其の他回答を見て見る。
《《  ひらがなは漢字が憶えられない人のために作られたんだけど・・・ 》》
《《  単純です。島国であるために単一民族の歴史が長く以心伝心で通じて
    いるから 》》
《《 この手の話題は今まで何度も出てきたのですが、結論じみたことを言えば
言語に優劣もなければ言語そのものに習得の難易度の違いはありません 》》

などなど、明らかに、天才否定の意味合いを含んでいる。つまり、日本人が語学の天才である、と認めている日本人は、殆んど居ないという事が言える。

目下、世界中の国々は、国力発展の度合いの違いで以て、先進、開発途上、後進国、と幾つかに分類されている。

この漢字の分類は、元々、英語を翻訳したもので、夫々、原語が developed country, developing country , underdeveloping country になっている、 この原語である英語を見ると、develope 、即ち 「開発」というたった一つの単語が核になっている。所が、日本語の漢字訳は、先進、開発途上、後進、のように、三つの異なる単語に分かれている。

この三つ漢字単語を、英語に戻して見ると、開発途上がdeveloping, 後進が underdevelope で、共に、英語を忠実に訳したものだが、英語の developed country を正しく訳すならば、「開発した国」、即ち「開発完了国」になる筈である。が、「開発した国」を「「先進国」に訳したのは、意識的、或いは 恣意的な配慮で「誤訳?」をした、という事が考えられる。

「格好ヨイ日本」の嗜好」が極めて強い ヤマト人種であれば、他国より先行している事を意味する「先進国」を選ぶのは、想像に難くない。戦後、敗戦と言わずに「終戦」に、そして米軍占領を「米軍進駐」に言い換えたのと、全く同じ嗜好である。

前述の知恵袋質問者は、大変な日本贔屓(ひいき)の人士で、「日本人は語学の天才だ」だと、主張したかったようだけれども、事、語学に関する限り、余りにも、主張に無理があり過ぎた。

日本は職人の国だと、自他共に良く自慢する。物作りであろうと、話の作りであろうと、日本人は得意である。 神話作りが最も良い例であろう。
英語の develope を advance にすり替えれば、開発が先進に、いとも簡単に変えられる。そして、ヤマト人種は皆して喜ぶ。

従い、「開発完成国」が「先進国」に変身したのは、職人技を尤も得意とする人種が意識的に作り変えたものであるのは、殆んど疑いの余地がない。
そう言う意味では、日本人は語学の音痴である、が、語学を弄(もてあそ)び、作り変える事に関しては、天才である, と 言う事は出来る。

気分爽快の為に、言葉を弄ぶのは、先に進む事とはなんら関係がなく、その場限りの喜びで終わる。 漢字の開発と先進、或いは、英語のdevelope と advance 意味の異なりがきちっと解(わか)る、これは知る喜びであって、単なる気分的な喜びではない。 敗戦を終戦に言い換えた所で、日本の無条件降伏という事実が変わる訳ではない。

「開発完成国」を「先進国」に言い換えた所で、漢字を知っている日本人だけが自己陶酔するのみで、欧米諸国には珍文漢文だから、自慢にはならない。 

漢字の本家中国は、世界の媒体が、中国はもう「developed country 」(開発完成国)の内に入る、という報道をすると、中国の当局は、「いや、我々はまだdeveloping country 」(開発途上国)であるという公式声明を発表する。 流石に、古い文化国家だけあって、「先進国」? なんて、何文の値打ちがあるのか、という冷ややかな態度を世界中に見せつけている。 他人事ながら、大したもんだと思う。

そうして、何でも良いから、恰好だけ良くしたい、極東の、辺境の島国とは、明らかに、器(うつわ)が大変異なる。 其処のところ、 縄文の末裔、島国のヤマト人種は、もうちっと、大人になって、恰好だけに拘るのは、止めるべきではなかろうか。

広い世界の人々、ともども、マックダーノを味わい、ローリ マックロイを語り合う事が、出来るように「胸襟」を開くべきであろう ーー 田舎者の域から脱する為に ーー と、つくづく感じるので、この一文を書いた。


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