李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 軽薄の極み   福原愛 】   仁目子

2022-07-26 16:07:40 | Weblog
ーー 子供への愛情 と 元夫のモラハラ ーー
ーー 共に、軽薄な 演出にしか見えない ーー
ーー 薄情、蓮っ葉、浅はか、等の特性に、 新たに、軽薄が加わる ーー


去年二月から、ずっと世間を騒がして来た、過ぎし日のアイドル、福原愛が、このところ、またもや、新しい「世騒がせ」の種を撒いた。

参照報道記事 ;
『 福原愛、台湾訪問して子供とともに帰国か…元夫からは “子連れ失踪” 疑惑かけられネット騒然
SmartFLASH7/25(月) 』

一年半前に、老母、子供、主人、を置き去りにして、日本に帰った福原が、近日、突然、台湾に来て、娘を連れて即時帰国した。

上述の新聞報道で、1,000 を超す多くの人が、コメントを書きこんでいた。
東スポも記事を出し、もっと多い、4,5000 のコメントを集めたが、どういう訳か、コメント内容は、紙面に掲載されていなかったので、東スポの報道は 取り上げようがなかった。
上述の SmartFLASH 報道は、コメントも併せて報道されている。現時点で、其の数、1,035 を越している。
例によって、福原の「浅はか」や「軽薄」を批判する内容が大半を占めている。

本文は、それらの仲間に参加する意向はない。が、それらコメントの中で、極く短い「文句」で、福原という人の、人間性の核心を突いたコメントが、目に付いたので、それを写し出して、閲覧者共々、味わって見たい、と思う。
   
コメント (一)

《《 兄弟と急に離れ離れになった子供が可哀想。本当に愛情があるのか、子供を捨てた、とバッシングされ芸能活動出来ないから仕方なく1人連れてきたのか。》》

可成り的を得たコメントだと思う。 過去一年半の長期に亙り、男性とのデートに夢中になって、子供の事に関心の無かった福原が、突然、台湾に来て、子供を一人だけ日本に連れて帰るのは、それ相応の、止むを得ない事情があったに違いない。子供を愛するというのが出発点であれば、二人の子供と、彼等の生まれ育った台湾で、しばらく、ゆっくりと過ごすのが最良である筈。そうせずに、いきなり、台湾に飛んで来て、一人だけ連れて、日本に即刻飛んで帰るのは、一般の常識から、大変大きく外れている。

このコメントの投稿者の指摘は、正しく、当たらずとも遠からずで、さすがだと思う。 つまり、子供に対する愛情が動機ではなく、福原の自己利欲による「演出」が出発点になっているのはあきらかである。遺憾だが、千を超すコメントで、この重点を掴み得た人は少ない。

コメント (二)

《《 最近露出が増えてきたが、子供を置いて不倫したという噂は一生ついて回るでしょう。しかも、モラハラと言っている夫の元に子供だけでなく、自分の母まで預けての話とは、あり得ないよ。 》》

今だに、数は極めて少ないが、「福原、頑張れ!」と応援する人がいる。彼等は、江のモラハラを取り上げる。要するに、ただ、単純に、アイドルを庇うと思うだけで、思考が軽薄である点では、福原と同じである事に他ならない。
上述のコメントは、このようなS軽薄思考人間に、非常に良い参考に成る筈である。

過去、一年半に及ぶ、福原愛の同胞である、日本人のコメントをずっと見て来て、福原の人間性をまとめてみると、薄情、蓮っ葉、浅はか、等の特性が挙げられる。 それに、今度の子供連れ去りで、新たに「軽薄」という特性が見られる。

愛情の為なら、二人の子供と一年半ぶりに団欒して、台湾で楽しい夏休みを過ごす事が出来る。それをせずに、子供二人の仲をさいて、一人だけ日本に連れ帰り、自分の同胞を騙そうとする魂胆が丸見えで、軽薄そのものである、のみならず、軽薄の極み、である、言っても、過言にはならないと思う。

 【 一枚の写真 が語る 福原愛 】   仁目子

2022-07-25 09:30:04 | Weblog
日刊ゲンダイDIGITAL ライフ  
2021/03/21に下記のような記事が掲載されていた。

『 家族写真炎上 福原愛がやってしまった“タブー中のタブー” 』


――  「 序言 」  ー

記事の著者は 姫田小夏ジャーナリストで、上海財経大学公共経済管理学院・行政管理学修士(MPA)。中国ウオッチは25年超、うち約15年を上海で過ごす。という経歴の持ち主だから、一般の週刊誌マスコミとは異なる視点と知識で書き上げた記事は、それなりに読みがいがある。 それで、本ブログで取り上げ、より多くの閲覧者にも読む機会を与える事とした。 ( 若し、著作権の問題があるようでした、コメント爛で指摘して下さい。即刻、掲載を取り消します)。




これが炎上した写真(台湾メディア「聯合線上」のサイトから)

ーー  姫田小夏の原文 ーー

 国際結婚で立ちはだかる文化の壁は厚い。日本人の間ではまったく問題にならない行為が、ひとたび国境をまたげば「バカにしているのか!」と大ヒンシュクを買うこともある。

 そんな大失敗が元卓球日本代表の福原愛さんにもあった。2019年に撮影された長女の2歳の誕生日の記念写真がそれで、当時、台湾で物議を醸した。

 画像に写っていたのは、ソファに長女を抱いて座る愛ちゃん夫婦とその左隣に次女を抱く夫・江宏傑氏の母親。そして、ソファの右脇には地べたにひざまずくようにして座る愛ちゃんの母親、左脇には同じくソファからはみ出してしまった江宏傑氏の父親がいる。

 この画像が公開されると、「なぜ、愛ちゃんは自分の母親をひざまずかせるのか」「お義父さんも地べたにしゃがんでいる」「年長者をソファに座らせないのはおかしい」――など、多くの台湾市民が一斉に批判した。地べたにひざまずかせるのは、中華圏において“タブー中のタブー”といわれる行為だ。

■「長幼の序」を尊重する社会
 
 しかも、台湾や中国は、「年少者は年長者を敬う」という「長幼の序」の考え方を尊重する社会だ。儒教の教えが浸透する台湾(中国もしかり)ではあり得ない行為である。余談になるが、日本の都心などでは列車内で高齢者の立ち姿を見ることも多く、インバウンドに沸いていた時期、多くの台湾人観光客がこうしたシーンに眉をひそめていた。

 この写真撮影について言うならば、まずは年齢の高い者から座らせ、愛ちゃん夫婦がソファの脇から寄り添うべきだったのだろう。その後、愛ちゃん夫婦は「(愛ちゃんの)母は腰が悪いので、柔らかいソファに座ることができなかった」という弁明を行ったという。

「郷に入れば郷に従え」という言葉があるが、互いの文化の尊重が家族円満の最大のカギでもある。

ーー  仁目子 の コメント  ーー

この記事と写真が公開される一寸前に、福原は日本に単独帰国、そして、年下の妻帯男性とデートし、それが、曝露したら、夫江と離婚したいと言い始めた。

結婚後、4年余り、福原は、ずっと、夫婦仲の良さを写真にうつして、吹聴して回った。また、この一枚の、ごく普通の写真を見ても分かるように、一家は団らんで、特に、福原は、幼い娘を抱いて、夫に依り付き、顔を江の肩の載せていた。 モラハラの夫であれば、夫の肩の顔を載せる事は無かったであろう。

二人が離婚して、一年半やそこらの歳月が経った。それまで、子供に逢いに来なかった彼女が、突然、台湾に来て、久しぶりに、子供と楽しく団らんを過ごす事もなく、娘一人だけを連れ、急遽、また日本に戻った。日本の新聞報道を見て、「どうして、台湾で子供と夏休みを過ごさずに、兄妹の仲を裂いて、一人だけ日本に連れて帰るのだろうか、本当に、子供が可哀そう」だというコメントが大半を占めている。

「この一枚の写真」に写っているのは、爺ちゃん、婆ちゃん、父さん,母さん、孫、孫娘、の三代で、幸せな家庭の典型的な画面である。

日本のマスコミによると、福原は幼少から幸せな家庭に育ったものでは無いという、言われてみれば、福原の幼少から成人になるまで、一家団らんで撮った写真は見た事が無い。成程、心の貧しい人間に育ったのは、其のせいかも知れない。

兎に角、見た目には笑顔だけれども、それは、単なる「仮面」であって、裏に隠されている「本心」は、いまだに、多くの「熟年者」にも不可解なのは、大変な「したたか者」である、という事が出来る。

この一枚の写真を見て、福原愛が一人で、世間の大衆を手玉に取って、振り回せると、誰が想像出来よう


【 間抜けた 田舎者の 自己欺瞞 】   仁目子 

2022-07-23 12:48:33 | Weblog
ーー 言葉を変えて言うと、 阿Q の精神勝利に、等しい ーー
――  お呪いに頼る、 田舎者  ーー
 
周知のように、戦後、日本のマスコミは、「占領軍」を「進駐軍」に、「敗戦」を「終戦」に言い換えた。

一九二二年生まれで、戦前、戦中、戦後を生き抜いた文芸評論家 佐伯彰一氏は、それを「図々しくも間の抜けた自己欺瞞」だと評した。

そのような「自己欺瞞」は、別に戦後に始まった事ではない。

明治 の初頭まで、プロシア と ロシア の日本に於ける漢字の当て字は「普魯西亜」と 「魯西亜」であった。それが、ある日、「普魯西亜」はそままにして、「魯西亜」だけ 「露西亜」に一字だけ変更した。

何故「魯」を「露」に変えるのか。

「魯西亜」は他意のない漢字の当て字だが、「魯」を「露」に変えると、この国は西アジアにある露( つゆ ) の国 「露西亜」になる。すると、当時の日本は日の出の勢いにあったから、「東の方朝日が昇れば、西の方にある露は消えて無くなる」という、大国ロシアに対する敵慨心に溢れるお呪 (まじな) いであった。それに伴い、腹下しの薬に「征露丸」という名まで付けた。

これで、多くの列島の人びとは憎いロシアを討ち負かしたと喜んだ。口先だけの「精神勝利」である。米英は「鬼畜」というのも同じ事。 


結局、先の大戦で日本は苦杯を舐め、「露西亜」は「ロシア」に、「征露丸」は「正露丸」に再び改名せざるを得なくなった。勿論の事「鬼畜」も何処えやら。あれほど小躍りして喜んだ「自己欺瞞」の「精神勝利」は一夜にして露 ( つゆ) と消えたのである。

それにも懲りない人が結構居る。戦に負けても、負けたとは言はない、占領されても、占領されたとは言はない。相変わらずの「精神勝利」である。

このところ、昔さんざ馬鹿にした「シナ」という大国が、めきめきと強くなり、もう力ずくでは馬鹿に出来ない。こうなると「伝家の宝刀」である精神勝利に頼らざるを得ない。そこで抜き出したのが 李白の人口に膾炙する「白髪三千丈」という名句である。

一見、大げさに見える表現だから、漢字、漢詩に弱い列島の善良な民(たみ)を煙に巻くのに持って来いの文句である。

曰く、「白髪三千丈の国柄、人々は嘘つき許りだ」、「中国四千年の歴史は虚構だ」と声を上げて叫ぶ。伝統のお呪いである。

それで、この大国が没落するならそれでも良いが、驚天動地の歴史数千年を有する国、一寸やそっとの呪いで倒せる相手ではない。

しかも、「漢詩読みの漢詩知らず」の凡愚が、李太白先生、極みの名句を振り翳 ( かざ) している、無謀というか、無知に驚かされる。 

有名な唐土の文豪 魯迅 の名作「阿Q正伝」の主人公阿Q は、田舎者だが、人に馬鹿にされ、頭を殴られても、「それは、自分の息子に殴られたもんだ」と思って、自分を欺いて、喜ぶ。 つまり、自己欺瞞という「精神勝利法」を編み出した人物である。

自己欺瞞は、何度繰り返しても、落ち着く先は虚( うつ) ろな精神勝利に過ぎない。この広い世界の 極東の「辺境」である日本列島は、言うなれば、田舎者に属する。 だから、唐土、ロシア、米国 等の国から諸々の事柄を学んで、国の形を整えた。

それであれば、千数百年来の風雪に耐え生き抜いて来た李白の「名句」を上手に味わい、文化的に洗練されてこそ、古い文化を有するお隣と「善隣」のよしみ誼( よし) みを築き上げ、保つ事が可能になるのでないか。お呪いは、再三経験済みのように、もう時代遅れで、だから、経済先進国であっても、日本の文化思考は、「非常識」と見なされ、文化嗜好は「田舎者」に近い、と思われているのは、その為である。

【 台湾を  「兄弟の邦」 とするのは誰か 】  仁目子

2022-07-13 18:31:16 | Weblog
―― 米国、中国、はたまた 日本 ーー
ーー brother states  (兄弟の邦)  を多く 有する 米国  ーー
ーー 鹿を指して馬と為し 兄弟を敵視する 中国  --
ーー 史上初の 良き兄弟の邦が 作れるか 日本 ?  ーー


中国は、「兩岸一家親」という甘い文句を使って、台湾を統一しようとしている。その文句の「親」という字の意味するところを暈している。そして。「一家親」という漢語は「家族」を意味するのは、台湾人は良く知っている。

台湾と中国は、共に、「漢民族」を主幹とした社會だから、「同宗」の関係を有すると云う事が出来、仲良く愉快に付き合える間柄であるが、現實はこれと相反している。
同宗の縁があるのは、同一家族である事を意味しない。簡単な例を挙げると、美国人と英国人は同宗であるが、同じ家族ではない。シンガポール人と中國人も同宗だが、同じ家族でない。オーストリア人とドイツ人も又然りである。

同宗の縁があるからとて、それを「家族」に恣意的に言い換えるのは、「鹿を指して、馬と為す」の歪論に等しく、魑魅魍魎の言に属する。
歴史がはっきり教えているように、中国史上最強の「秦朝」は、「指鹿為馬」の政治的術策を弄ぶ事を好んだ為に、短命で亡国した。中国共産党も「秦朝」の轍を踏もうとするのか ?

事實上、台湾と中国が関係を持ったのは、僅か、清朝時代的の一次短期間に過ぎない。当時、清朝の雍正皇帝は、(1772年)にはっきりと、「台湾自古不属於中國」(台湾は、古より中国に属してたものではない)、台湾が清朝の支配に入ったのは、清朝の領土拡大に依るものであった、と宣示した。だから、台湾は「中国の固有領土である」という中国共産党の言い分は、鹿を馬に言い換えたようなものである。 台湾と中国は、単に「同宗の縁」があるというだけで、どっちがどっちに属すると云う関係は存在しない。

米国と英国は、対外的に、我々両国は「brother states」(兄弟の邦」であると言明し、非常に蜜切な関係を保持している。ドイツもオーストリアも然りである。しかし、我我は、中国が、シンガポールを「兄弟の邦」だと称するのを聞いたことがない。 何故だろうか ?

答えは非常に簡単である。それは、老古大国の「封建老大思想」が祟って居る為である。だから、今日、中国が米国と肩を並べる大国になっても、世界各国は等しく中国を「先進国家」だと認めていない、原因は詰まるところ、封建老大思想が現代の世界潮流に付いていけないからである。

今日の中国で、鄧小平の人気は毛沢東よりも高い。原因は、鄧の政経分離改革で、政治は共産主義でも、経済は「資本主義」路線を歩むことを決め、中国を「経済大國」に育て、空前の富める国にした。
鄧小平はフランス留学で、「国際観」を有する、開明派政治人物であり、鄧小平が生命の危険を冒して老朽なる封建頑固派の反対のを押し切って、「改革路線」を実施しなかったなら、中国に今日の経済発展は有り得ない。
但し、政治領域に於いて、鄧小平のような人物の出現が無かったので、中国は未だに政治的「先進國」に一歩足を踏み入れる事が出来ない。台湾問題の解決も、今だに、「文攻武嚇」(文筆洗脳、軍事威嚇)、或いは、「買台湾」(台湾買取り)等の封建思惟の段階に留まり、突破口が見つからないままでいる。

中国は古(いにしえ)から「邦国」という概念があった。古籍『说文解字』の解説によると、邦国とは国のことであり、「大を邦と称し、小を国と称する」、と解説している。邦とは、国也; 国とは、邦也; とも注釈している。 現代の康熙字典でも、「邦者、国也、大曰邦、小曰国」と説明している。従い、台湾と中国は、「邦国」の概念を取り入れて、両岸の問題のを解決することが出来る。

世界には数多くの先進國、例えば、英国の「大英連邦」(British Commonwealth)、ロシアの「Russia Federation」、欧洲連合の(European Union, 略して EU ) 等、は全て「邦国連合」方式を取り入れたものである。 何故、古より邦国概念を有する中国は、この方式を取り入れ問題解決をしようとしないのか ? 頑固な老大思惟が妨げになっているとしか説明のしようが無い。

邦国概念は、現代の「連邦」方式に等しい。「大英連邦」は、英文名を「 Commonwealth of Nations 」に換えたが、 多数の独立国家連合である事に変わりはない。英国を主幹、或いは、総幹事とし、會員国の地位は、兄弟の如く皆平等である。連邦設立の用意は、主に互いの関係を強める事にあり、難題のある時は、相談し合い、互いに助け合う事も出来る。

スイス・ローザンヌに拠点を置く国際的なビジネススクール、IMD(国際経営開発研究所)がこのほど2022年度の「IMD世界競争力年鑑」を発表した。評価対象となった63カ国・地域の中で、台湾は昨年より1位ランクを上げ、7位となった。台湾は4年連続で順位を上げており、2013年以降の最高順位となった。特に人口2,000万人以上の国・地域の中では、2連続で世界1位となった。

台湾は、雀並みに体積は小さい、しかしながら、五臓六腑は完璧に備えている。台湾の国家条件と実力は,世界中の大多数の国よりも完璧で且先進的である。従い、中国が「一国両制」方式で台湾との結合を主張するのは、完全に現実を無視しており、単純に、大魚が小魚を食べようとする考えであり、意のままになる事はない。それ故に、先進の米欧日各国は、挙って、台湾の中国抵抗に同情と声援を送っている。

もし、中国が先進諸国を学び、現代開明の方式で、「一邦多国」で以って「一国両制」の概念に取り換える事が出来るなら、台湾と、「邦聯」(連邦」を組み、海峡両岸の友好国関係を樹立するのは、困難な事ではない。

一つの簡単な藍図(blue print )を描いてみるなら、例えば、「大華邦聯」或いは「大漢邦聯」の名義で主幹組織を作り、多数独立会員国を参加させ、参加会員間の地位は平等で、議事は多数決の形にすれば、誰も単独で組織を主宰する事は出来ない「連邦」になる。

中国は、古より、世界との関係は、「四海皆兄弟」である、という理想を掲げている。つまり、全世界の人々と兄弟の如く付き合うのが、良好関係を保つ、最も理想的な考えだとしている。中国には早くからこのような得難い思想があるにも拘わらず、その実行と実現を怠って、世界中から、理解し難い、不思議な国だと非難されている。
中国も、何時までも「指鹿為馬」の術策を弄ぶ事をせず、率直に、現実に面と向かい、両岸問題の解決に取り組めば、問題解決は左程困難な事では無い筈。


2020年12月, 香港の親共媒体《大公報》の報道に依れば、中国国務院(外交部)の発言人は、両岸関係和平発展の最大の障害は、「極く少数の台湾独立頑固分子」であり、許すべきでないという、極めて矛盾に満ちた発言をしている。

同じ時間帯に、中国の武力統一を主張する學者李毅が香港媒体で発表した評論によると,台灣で、統一に賛成する人は、僅かに0.7%しかなく、人口の百分の1にも満たない。主な原因は、統一を望む人は白髪頭の爺と婆(外省人の年寄り)のみで、彼等は、老齢で年毎に数が減る一方だから、十年後には、恐らく、 基本的に死に耐えているだろう。よしんば、何人か生き永えても、数の意味をなさない。

学者李毅が指摘する統一賛成者が、僅かの0.7%であれば、裏を返して言えば、台湾独立賛成者は99.3%の多きに達する。つまり、台湾人全体を意味するもので、「台湾独立分子」という分類は何ら意味を成さない、と、李毅氏は指摘する。 つまり、中国国務院の曰く「極く少数の台湾独立頑固分子」、というのは、国務院の自己欺瞞に外ならず、型通りの「政治辞令」に過ぎない。 恰も、太平洋戦争の戦前戦中を通じて、「米英は鬼畜である」という政治宣伝と全く同じでである。

台湾人と中国人は、個人的には、非常に、仲良く付き合っている。 所が、国が絡むと、付き合いが可笑しくなってしまう。可笑しくなってしまうのは、政治的な駆け引きが妨げになっているからに他ならない。「鹿を指して、馬と為す」は典型的な政治の駆け引きである。そのような中国式術策を変えない限り、台湾を、「兄弟の邦(クニ)」として認めない限り、両岸の関係改善は無理であろう。

とすれば、また其の為に、今、多くの台湾人は、いっその事、米国のbrother state に成る、或いは、日本と手を握り、兄弟の邦に成る、という道を真剣に考えている。
台湾は、色んな面で、世界中から、称賛され、好かれている国である。 その台湾と、兄弟の邦に成るのは嫌だという国は無いだろう。
現実に、米国では、既に、数多くの政治人物が、台湾との国交承認を主張しており、早期実現の可能性は高い。
中国は、国連の常任理事国だから、台湾の国連加盟を妨げるであろう、しかし、両国関係にまで、手は届かなない。

日本が、若し米国と足並みを揃え、台湾承認に踏み切るならば、その後に、多くの国も追従するから、中国は、政治的に、恫喝するであろう。が、しかし、台湾を「同邦の国」として、取り扱う意向の無い「理不尽」は、世界全般に非難されるべきであり、中国の肩を持つ国は数少ない筈であり、恫喝は恫喝だけに終わり、左程の作用を伴う事はないだろう。
終戦後に創立した国連の会員国は、僅か四十五国だった。 今、国連参加国は二百国ほどに増えている。この事実で分かるように、世界は絶え間なく、前に進んでいる。いくら大国であろうと、このような世界の趨勢を妨げる事は出来ない。

日本は「先進国」だが、本当に仲の良い国は残念ながら多く無い。恐らく、仲の好い国の序列を試しに並べて見るなら、台湾が 筆頭になるのではなかろうか。
問題は、優柔不断の社会性格を持つ日本が、このような千載一遇の機会を逃さずに、米国と協力して、台湾とガッチリ手を握り合う事が出来るかどうかである。

今、日本は、台湾を「兄弟の邦」として、仲良く迎え入れる「空前の機会」を目の前にしている。この際、「ヤマト魂」の、気概あるいは精神を発揮し、「空前の決断」をして、台湾を「兄弟の邦」として迎え入れ、末永く、誇りを後世に残す事を考えるべきでは無かろうか。

【 語学音痴 の 独り芝居 】   仁目子

2022-07-13 07:27:36 | Weblog
ーー  痩 せ 馬 の先 走 り ーー
――  キエフ から キーウ に   ーー

ウクライナ支援に、米国、西欧諸国は、経済援助、武器提供、対ロシア制裁などを主体に行っている、が、日本だけが、首都キエフの発音変更を支援の一巻とした。

四月一日、ウエブサイトに、 『「キーウ」変更、日本に謝意 ゼレンスキー氏 』という 時事通信の報道が一番記事で掲載された。 次のような、報道内容で、列島読者の多くは、有頂天になって喜び、異例とも言える、数多くのコメントが寄せられた。

《《  ウクライナのゼレンスキー大統領は31日、日本の外務省がウクライナの首都の呼称をウクライナ語の発音に基づき「キーウ」に変更したことについて、ツイッター投稿で謝意を示した。
投稿は「ついに自国の都市名に関して古いソ連式の表記が廃止され、正しいウクライナ語の形が受け入れられる時が来た」と歓迎。その上で「日本が既に改めたことに感謝しており、他の国々もこれに続くよう呼び掛ける」と述べた。 》》

日本人は、「感謝」されるという一言だけで、無性に喜ぶ人種である事から、有頂天になったのは、ゼレンスキー大統領が、「日本が既に改めたことに感謝しており、他の国々もこれに続くよう呼び掛ける」、と発言したからのようである。
外語音痴の日本による 他国首都名の発音訂正に、どの程度の妥当性が認められるか、甚だ疑問である。従い、ゼレンスキー大統領の「感謝」は、単なる「外交辞令」であると、多くのコメントが指摘している。

「キエフ」は、ウクライナの首都であり、その発音に、関心を持つのは、勿論、ウクライナ人であり、日本人ではない。

上述の時事通信報道記事に、「現地ウクライナ人の受け止めはどうか」、という報道も添えてあった。 次のような報道である。

《《 首都在住のアンドレイさん(36)は、メッセンジャーアプリを使ったロシア語での取材に、「気にしないで。ロシア語に嫌悪感はない」。東部に住んでいたドミトリーさん(19)も「さまざまな民族、人種の友人がいるけど、僕たちは迫害なんてしない。ウクライナ語由来の呼び方は素晴らしいけど、ロシア語も素晴らしい。憎むべきはロシア政府とその支援者だ」とメッセージを寄せた。
 南部に住むフセボロドさん(29)は「生まれた時からロシア語を話している」と言う。ただ「公式文書はウクライナ語であるべきだ。僕たちの国語だから」とアプリを通じて話した。
 東京都内の抗議デモに参加したアデリーナさん(17)は「世界の動きはうれしいけど、ロシア語を話す人は大勢いる。キエフと表記されていても非難はしない」と語った。 》》

つまり、キエフ、或いは、東部、或いは、南部、或いは、東京に住むウクライナ人は、並べて、「キエフ」発音に、抵抗は感じていないのに、外国である日本が、何故、気にする。 先ず、「不可解」である。

そして、発音変更に謝意を表するウクライナ人は居ななっか。謝意を表したのは、ゼレンスキー大統領、一人だけだった。 つまり、単なる、外交辞令という事でしょう。

一体、日本の議員なり、外務省なり、一般日本人なり、ウクライナについて、よく知っていると言える人は、居るのだろうか、と思う。

先ず、ゼレンスキー大統領の名前が ロシア語である事を知っている人が居るのだろうか。日本語の wikipedia に、次のような記載がある。

《《  ゼレンスキー (ロシア語: Зеле́нский、ラテン文字: Zelensky)は、東スラヴ人などに見られる姓。「ゼレンスキー」は男性形であり、女性の場合はゼレンスカヤ(Зеле́нская、Zelenskaya)となる。
イーゴリ・ゼレンスキー - ロシアのバレエダンサー。
イサーク・ゼレンスキー - ロシアの革命家、ソビエト連邦の政治家。
ウォロディミル・ゼレンスキー - ウクライナのコメディアン、俳優、政治家。大統領。
ウクライナ東部出身のために母語はロシア語。元々ウクライナ語は苦手で俳優業やメディアではこれまでロシア語を使用してきた。大統領当選以降はウクライナ語の特訓を受け、会見等ではほぼウクライナ語のみでこなしている。 》》

此のwikik 資料を読んで、不思議だと思わないだろうか。首都名の発音をロシア語からウクライナ語に、変更する以前に、先ず, 大統領名をウクライナ語に変えて、ゼレンスキ氏を喜ばせるのが、筋ではなかろうか ?

ーー  なぜ、有頂天になる日本人が多いのか ーー

時事通信の報道の 最多賛同者のコメント数が約一万に達し、不賛同者は、六、七百代に留まった。 最多賛同者の言い分は、下記通り。

《《  ゼレンスキーさんは反応が早い。日本の国会議員の佐藤さんが主導して読み方変更を提案していたが、佐藤さんはイラク駐留の現地自衛隊の最高指揮官などの経験から我々一般国民に比べるとかなり国際感覚は鋭い人だ。日本人が思っている事は世界で見れば常識では無く非常識、少数派意見である事も多いが佐藤さんには勇気を持って世界的常識を発信して欲しい。 》》

他国の首都名発音変更を、「かなり国際感覚は鋭い人」 だと評価するのは、実際は、「世界的非常識だ」と批判すべきであろう。逆に、大多数の賛同意見を得るのは、かなり、国際感覚が鈍い、というべきではなかろうか。

――   次に、不賛同コメントの代表格を挙げてみる  ーー

《《  感謝するわけがない。 社交辞令だ。
2019年にゼレンスキー政権が外務省に申し入れた時は専門家による提言にまで漕ぎ着けたが、外務省にも政府にも無視された。
いま、報道されている事はその提言をそのまま利用しているに過ぎない。
誰それが根回しして決めたとか、議会で主張しているのを聞いていて呆れてしまう。 たった2年ほど前に袖にした案件を頑張りました、日本としては〇〇と決めました、、とアピールしても虚しいというか、空々しいにも程がある。
なお、地名などの呼称問題を政治的な駆け引きやツールとして使う事に私は心から反対する。
ウクライナ地名の問題は少なくとも2019年の時点ではウクライナ国内で繰り広げていた反ロシア活動の一貫だったはずだ。
当時はそれに乗せられる事なく受け流した。ごく当然の流れだと思う。  YES 263  NO 1218  》》

このように、明らかに、少数派の見解の方が、知性的で、歴史資料迄揃えて理路整然としている。

「日本人が思っている事は、世界で見れば常識では無く非常識」の通りで、他国の首都の発音に口出しをする事が、世界の常識であるよりも、非常識である。 にも拘らず、9345 の多数賛同を得ている上記のコメントは、主として、 感謝された、の一言が、無上に嬉しい、からであろう。

上述の「現地ウクライナ人の受け止め」を読めば分かるように、 ウクライナ人は「発音」変更の必要性があるとは思っていない。 のに、何故日本外務省が変更する。日本人独特の「勇み足」或いは「瘦せ馬の先走り」だとしか思えない。 時事通信は、世界的常識について、もっともっと勉強する必要がある。

時事通信の記事は、四月一日に、ウエブサイトの第一面記事として、姿を現した、が、同日、しばらくして、又、姿を消し、影も見えなくなった。

他国の首都名の発音を日本が変更するのは、間違いなく世界の非常識である。それに、気が付いて、一旦は発表した記事を、また、即刻取り消した、という事がはっきりしている。
それでも、日本は今後、キエフをキーウに言えかえるであろう。マックダーノをマクドナルドに、そして、マックロイをマキロイに、それぞれ言い換えるように。
語学音痴の「恥さらし」は、これからも、果てしなく、続くであろう。 日本という国の「宿命」(さだめ)である。

一意孤行 いちい-ここう
意味 : 他人からの意見を聞かずに、自身の考えだけで行動すること。 出典『史記』 。

孤掌難鳴 こしょう-なんめい
意味 : 何かを成そうとしても、一人ではどうすることもできないということ。 出典 『韓非子』「功名」。

この様な人間として、国として、古代より、日本は唐土の「史記」なり、「韓非子」なりから多くを学んだ、が、生かされていない。 遺憾な事だと思う。

キエフは、長い世界の歴史が残した懐かしい名前だから、日本では消えても、世界から忘却される事は無いであろう。 孤高の国、孤高の民、という日本の宿命は、これからも、変わらないであろう。