李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 「Wikipedia 白髪三千丈 仁目記事」  の二次遭難 】  

2017-12-12 10:51:51 | Weblog

【『「Wikipedia 白髪三千丈 仁目記事」 の二次遭難】

 ーー W i k i p e d i a は、何の為、誰の為、にある ーー

 

下記のような『序』を付けて、筆者は、2017-02-26 日付けで、【wikipedia 白髪三千丈 仁目記事 】の一文を、このブログ ( 白髪三千丈の真意) に掲載した。閲覧者周知の通りである。

      ーー 序 ーー

Wikippediaに、「白髪三千丈」という、千年来人口に膾炙して来た詩句の記事が掲載されている。その記事の冒頭に、次のような「タグ」が貼ってある。

 この記事の正確性に疑問が呈されています。問題箇所に信頼できる情報源を示して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(20057月)』

このタグは 2005 年に貼られたもので、十一年過ぎた今日に至るも、何ら記事の改善はされていない。古今の名句が哀れに見えてしようがない。

筆者は、その前に、俗に「仁目記事」と謂れていた「白髪三千丈」の記事の管理者であった。その後、「仁目記事」は「ずたずた」にさかれて、今の記事になった。

それを、当時の Wikipedia 管理者は、私に、下記の message を送って呉れた。

『 お久しぶりです。白髪三千丈を拝見しました。寂しい限りです。当てはまるかどうか、「船頭多くして船山に登る」ごとき集団の知恵の行き着いた先がこれか、という思いですね。それにしても骨抜きしすぎで、含蓄も教養も抜け落ちてしまった記事になってしまったようです。それでも最低限のことは追加執筆で補うしかないのではないでしょうか。所詮、デモクラシー優位の共同作業なので、かなりの妥協をするしかないかと思いますけど。心中お察しします。Mishika  

この「船頭多くして船山に登る」という一言に、私も深く共鳴して、それっきり Wikipedia から離れた。しかし「骨抜き」され、ずたずたにされた記事を時折目にする度に、心が傷む。

それで、今一度、「含蓄教養」のある記事を生き返らしてみたいという願望のもとに、昔の「仁目記事」を元に、下記のように、若干手直しをして、Wiki に協力するつもりで、投稿してみたいと思っている。

ただ、昔の苦い経験があるので、今回は、直接 wikipedia に投稿せず、筆者のブログに掲載する事とした。これなら、不特定多数の船頭に、「ずたずたにされる」恐れも無く、趣味のある閲覧者にじっくりと読んで貰えるからである。

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その後、特にコメントもなく、少なくない閲覧者の数に激励( ) され、2017102日付けで、筆者はこの一文を W i k i p e d i a に投稿した。

投稿後、W i k i p e d i a 直ぐに、下記のようなコメントを公表して、当該一文を即時削除した。

W i k i p e d i a コメント全文 ーーー

『 このページは以下にある削除依頼の議論を保存したものです。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。このページは編集しないでください。

議論の結果、即時削除に決定しました。

独自研究、異質な記事。ケース Eで依頼

削除もしくは存続でへ移動 依頼者票--() 2017102 () 21:43 (UTC)

(削除)で救済する理由は皆無。--() 2017102 () 21:57 (UTC)

削除または即時削除記事というか、に関する私見が並べられているだけのポエム?かと。「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」またはに該当するかと思います。--() 2017102 () 22:49 (UTC)

即時削除独自研究や個人の意見を発表する場ではないので。-- (/) 2017103 () 00:59 (UTC)

即時削除これは即時削除の記事1に該当するのではないでしょうか?記事になっていません。--() 2017103 () 03:27 (UTC)

削除 (または即時削除) 過去にノートに複数回に渡って投稿された文(名状しがたいのでポエムとの表現は妥当かと思います)の再掲のようですが、少なくとも百科事典としては相応しくない独自研究にしか見えません。 --() 2017103 () 05:22 (UTC)

削除または即時削除か、が適用できそうな気がします。 / 初版作成者さんの履歴を追ったところ、13年前にで似たような内容をお書きになられているようで、既存記事とは別にご自身の書きたい内容を書き殴った結果ではないのかなと思います。-- / 2017103 () 06:25 (UTC)

削除13年前ならまだしも、今の基準では明らかな独自研究で完全にアウト。--() 2017103 () 07:07 (UTC)

削除独自研究の羅列。--() 2017103 () 08:31 (UTC)

削除に該当。--() 2017103 () 08:35 (UTC)

(対処)即時削除しました。--() 2017103 () 08:38 (UTC)

上の議論は保存されたものです。編集しないでください。新たな議論は当該ページのノートか、で行ってください。再度削除依頼する場合はしてください 

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このようにして、あっけなく削除された訳で、投稿者としては、もっと多数の「白髪三千丈」の愛好者に「真意」を了解して貰い、更なる、詩句賞味の楽しみを味わって貰いたかったが、不運にして、厚意は無視され、挫折の憂目に逢った。

Wikiという組織に、一個人が、歯向かって勝てるわけは無い。組織は、時として、多数暴力に化すことがある、と良く云われるが、『白髪三千丈 仁目記事』 W i k i p e d i a に於ける、この二度の遭難は、そのような巷説を正しく 裏付けているもの、と云えよう。筆者は、諦めるしかない。

しかし、一言云わして貰うなら、削除の理由は『独自研究、異質な記事。ケースEで依頼』になっており、九人の W i k i 管理者が議論結果、即時削除に決まった、というが、『独自研究、異質な記事』の何所に不都合があるのか、という説明は一言も無い。

独自研究、独自開発などが無ければ、世の中進歩は望めない、と世間で広く言われているように、「誇張」でない「白髪三千丈」という詩句の誤解を解くのは、独自研究でも、異質記事で有っても、それは、新知識をもたらす「進歩」であるから、それが不都合だと言うなら、それなりの説明があって然るべきではなかろうか。

『ウィキペディアは誰も編集できるフリー百科辞典です』を唱い文句にしている W i k i p e d i a は、知識の増長を趣旨とする事がハッキリしている。それであれば、新知識の源泉となる 『独自研究、異質な記事』を排除する理由は無い筈で、もしあれば、それなりの説明をするべきけはなかろうか

今から十二年ほど前、W i k i p e d i a 『秀逸記事』の候補にまで推薦された『白髪三千丈仁目記事』が、その後、ズタズタに改竄される遭難に逢った。この記事のW i k i に於ける「第一次遭難」である。

その際、記事をズタズタに改竄した管理者数人の内、李白或いは漢詩について、多少なり素養があると自己紹介したのは一人も居なかった。今回の「第二次遭難」は、管理者九人が決めたもので、この内、李白や漢詩に素養があると紹介した者は、前回同様、一人も無い。では、なぜ、この記事が独自研究、異質記事である事が分かるむしろ、自分達の不勉強を晒 ( さら) け出しているようなものではないか。

『 wikipedia 白髪三千丈 仁目記事』 は、筆者の ブログ で多くの人に閲覧されている。「変な記事」だという コメント 皆無で、結構、この記事の活きて行く道はあるから、W i k i で削除されても、然程、気にする要はない。

ただ、なぜ、知識増長を趣旨とするW i k i で、全く受け入れられないのか、その訳が知りたい