ーー 井戸底に座して、天を観(なが)める --
中國戦国中期の道家 莊子は 作品〈秋水〉の中で,生き生きと、黄河河伯(河のおじさん)と 北海神の對話を、次のように描述していた ;
秋時分になると,黃河の河水高漲し,河面が寬がり、此方の岸から対岸の牛馬をはっきり見極める事が出来なくなる。河伯は、天下には、黄河よりも、壯觀な景象はない、と、一人で喜んで居た。
そのうち、河伯が、黄河の順流に乗り東下し,北海に到り,一望果てしの無い汪洋を目にして,自分が住んでいた黄河に比べ、その無限の広さに驚き、自分の無知と驕りに、限りない慚愧を感じた。
北海は河伯に対し、曰く: 「井戸の底に居る蛙と、海洋が如何に広いかを談論する事が出来ない。それは、居住環境の制限を受けて居る為である。 夏虫と冬の冰霜の談論が出来ないのは、季節という制限を受けている為である。浅はかな人と真理の道を談論する事が出来ないのは、彼等の教育背景の制限をうけている為である。 人間が現実環境の制限を受けているのは、如何ほど大であるか! 今日、貴方は大海を目にして、初めて、黄河の渺小を発見した。
これで、やっとこさ、貴方と大道の理について、語る事が出来るようになった 」
この莊氏の教えから、後世の人は、「井戸の蛙」という成語で以て、見識淺薄の人の比喩に使うようになった。
中国人は、古くから好んで「天下」を論じ、天下は全てを包括する、と思っているが、実際は、左にあらず、天下は、視界の到達出来る空間でしかない。だから、黄河の河伯は、秋時分黃河河水高漲で、対岸の牛馬が見えなくなると、天下には、黄河よりも壮観な景象は無いと、一人で喜んでいる。
中国人の視界は、昔から中国大陸に限られていた。それは、一片の秋海棠の形をした土地だが、それが全世界だと思っている。実際は、一片の秋海棠の土地は、広大世界の中の極東の一部分に過ぎない。
現在の中華人民共和國は、正に、黄河河伯が北海を始めて見た時に感じた驚愕と彷徨に面している。
現今の世界という大海は、正に、「民主自由」という潮流が渦巻いている。この潮流は、中国五千年の歴史上、嘗て、出現した事は無かった。
中国は,古代より、朝代は地名、家名等が主に使われ。夏,商、周、秦、唐、漢、宋、明、清、等等、全てそうである。 内容は、「家天下」を骨幹としている。修身、斉家、治國、平天下、は、中国の傳統思想で、だから、家 と 國 を結びつけ、一つにするのは、当然の成り行きになる。
1912年孫文が創立した共和国の名称は「中華民國」で、これは、意識的に「人民」を主体にした王朝命名であり、清朝以前の「家天下」国家意識に比べ、斬新の進歩概念、という事が出来る。
現在の「中華人民共和國」は、字面に見る如く、その理念は孫文を超越し、人民のみならず、共和政治を加えている。建国以来、既に七十余年経ち、上手く行っているように見える。しかし、「人民共和」という大義名分の元、実際の施政は、共産「獨裁専制」である。このような名分と実質の間に存在する巨大な差別は、何れ、大問題に発展し、共産政権の生存を脅かす事になるのは、疑問の余地が無い。
中国は、清朝を倒して、史上最初の共和政権を樹立した、かのように見えるが、其の實質内容は、単に、幾千年の「家天下」政権を、「黨天下」の政権に変えたものに過ぎない。現代意義の「民主共和」政権とは、まだまだほど遠い。
今天の中国は、継続して、「座井観天」(井戸底に座して、天を観る」べきでは無い、黄河から、大海に泳ぎ出して、豪遊し、海洋の水を多く飲んで、世界をもっと もっと 了解すべきではないか。。
中國戦国中期の道家 莊子は 作品〈秋水〉の中で,生き生きと、黄河河伯(河のおじさん)と 北海神の對話を、次のように描述していた ;
秋時分になると,黃河の河水高漲し,河面が寬がり、此方の岸から対岸の牛馬をはっきり見極める事が出来なくなる。河伯は、天下には、黄河よりも、壯觀な景象はない、と、一人で喜んで居た。
そのうち、河伯が、黄河の順流に乗り東下し,北海に到り,一望果てしの無い汪洋を目にして,自分が住んでいた黄河に比べ、その無限の広さに驚き、自分の無知と驕りに、限りない慚愧を感じた。
北海は河伯に対し、曰く: 「井戸の底に居る蛙と、海洋が如何に広いかを談論する事が出来ない。それは、居住環境の制限を受けて居る為である。 夏虫と冬の冰霜の談論が出来ないのは、季節という制限を受けている為である。浅はかな人と真理の道を談論する事が出来ないのは、彼等の教育背景の制限をうけている為である。 人間が現実環境の制限を受けているのは、如何ほど大であるか! 今日、貴方は大海を目にして、初めて、黄河の渺小を発見した。
これで、やっとこさ、貴方と大道の理について、語る事が出来るようになった 」
この莊氏の教えから、後世の人は、「井戸の蛙」という成語で以て、見識淺薄の人の比喩に使うようになった。
中国人は、古くから好んで「天下」を論じ、天下は全てを包括する、と思っているが、実際は、左にあらず、天下は、視界の到達出来る空間でしかない。だから、黄河の河伯は、秋時分黃河河水高漲で、対岸の牛馬が見えなくなると、天下には、黄河よりも壮観な景象は無いと、一人で喜んでいる。
中国人の視界は、昔から中国大陸に限られていた。それは、一片の秋海棠の形をした土地だが、それが全世界だと思っている。実際は、一片の秋海棠の土地は、広大世界の中の極東の一部分に過ぎない。
現在の中華人民共和國は、正に、黄河河伯が北海を始めて見た時に感じた驚愕と彷徨に面している。
現今の世界という大海は、正に、「民主自由」という潮流が渦巻いている。この潮流は、中国五千年の歴史上、嘗て、出現した事は無かった。
中国は,古代より、朝代は地名、家名等が主に使われ。夏,商、周、秦、唐、漢、宋、明、清、等等、全てそうである。 内容は、「家天下」を骨幹としている。修身、斉家、治國、平天下、は、中国の傳統思想で、だから、家 と 國 を結びつけ、一つにするのは、当然の成り行きになる。
1912年孫文が創立した共和国の名称は「中華民國」で、これは、意識的に「人民」を主体にした王朝命名であり、清朝以前の「家天下」国家意識に比べ、斬新の進歩概念、という事が出来る。
現在の「中華人民共和國」は、字面に見る如く、その理念は孫文を超越し、人民のみならず、共和政治を加えている。建国以来、既に七十余年経ち、上手く行っているように見える。しかし、「人民共和」という大義名分の元、実際の施政は、共産「獨裁専制」である。このような名分と実質の間に存在する巨大な差別は、何れ、大問題に発展し、共産政権の生存を脅かす事になるのは、疑問の余地が無い。
中国は、清朝を倒して、史上最初の共和政権を樹立した、かのように見えるが、其の實質内容は、単に、幾千年の「家天下」政権を、「黨天下」の政権に変えたものに過ぎない。現代意義の「民主共和」政権とは、まだまだほど遠い。
今天の中国は、継続して、「座井観天」(井戸底に座して、天を観る」べきでは無い、黄河から、大海に泳ぎ出して、豪遊し、海洋の水を多く飲んで、世界をもっと もっと 了解すべきではないか。。