李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 黄 河 の 自 大   四 海 は 無 限 大 】

2020-08-21 11:14:14 | Weblog
ーー  井戸底に座して、天を観(なが)める --

中國戦国中期の道家 莊子は 作品〈秋水〉の中で,生き生きと、黄河河伯(河のおじさん)と 北海神の對話を、次のように描述していた ;

秋時分になると,黃河の河水高漲し,河面が寬がり、此方の岸から対岸の牛馬をはっきり見極める事が出来なくなる。河伯は、天下には、黄河よりも、壯觀な景象はない、と、一人で喜んで居た。

そのうち、河伯が、黄河の順流に乗り東下し,北海に到り,一望果てしの無い汪洋を目にして,自分が住んでいた黄河に比べ、その無限の広さに驚き、自分の無知と驕りに、限りない慚愧を感じた。

北海は河伯に対し、曰く: 「井戸の底に居る蛙と、海洋が如何に広いかを談論する事が出来ない。それは、居住環境の制限を受けて居る為である。 夏虫と冬の冰霜の談論が出来ないのは、季節という制限を受けている為である。浅はかな人と真理の道を談論する事が出来ないのは、彼等の教育背景の制限をうけている為である。 人間が現実環境の制限を受けているのは、如何ほど大であるか! 今日、貴方は大海を目にして、初めて、黄河の渺小を発見した。
これで、やっとこさ、貴方と大道の理について、語る事が出来るようになった 」

この莊氏の教えから、後世の人は、「井戸の蛙」という成語で以て、見識淺薄の人の比喩に使うようになった。

中国人は、古くから好んで「天下」を論じ、天下は全てを包括する、と思っているが、実際は、左にあらず、天下は、視界の到達出来る空間でしかない。だから、黄河の河伯は、秋時分黃河河水高漲で、対岸の牛馬が見えなくなると、天下には、黄河よりも壮観な景象は無いと、一人で喜んでいる。

中国人の視界は、昔から中国大陸に限られていた。それは、一片の秋海棠の形をした土地だが、それが全世界だと思っている。実際は、一片の秋海棠の土地は、広大世界の中の極東の一部分に過ぎない。

現在の中華人民共和國は、正に、黄河河伯が北海を始めて見た時に感じた驚愕と彷徨に面している。

現今の世界という大海は、正に、「民主自由」という潮流が渦巻いている。この潮流は、中国五千年の歴史上、嘗て、出現した事は無かった。

中国は,古代より、朝代は地名、家名等が主に使われ。夏,商、周、秦、唐、漢、宋、明、清、等等、全てそうである。 内容は、「家天下」を骨幹としている。修身、斉家、治國、平天下、は、中国の傳統思想で、だから、家 と 國 を結びつけ、一つにするのは、当然の成り行きになる。

1912年孫文が創立した共和国の名称は「中華民國」で、これは、意識的に「人民」を主体にした王朝命名であり、清朝以前の「家天下」国家意識に比べ、斬新の進歩概念、という事が出来る。

現在の「中華人民共和國」は、字面に見る如く、その理念は孫文を超越し、人民のみならず、共和政治を加えている。建国以来、既に七十余年経ち、上手く行っているように見える。しかし、「人民共和」という大義名分の元、実際の施政は、共産「獨裁専制」である。このような名分と実質の間に存在する巨大な差別は、何れ、大問題に発展し、共産政権の生存を脅かす事になるのは、疑問の余地が無い。

中国は、清朝を倒して、史上最初の共和政権を樹立した、かのように見えるが、其の實質内容は、単に、幾千年の「家天下」政権を、「黨天下」の政権に変えたものに過ぎない。現代意義の「民主共和」政権とは、まだまだほど遠い。 

今天の中国は、継続して、「座井観天」(井戸底に座して、天を観る」べきでは無い、黄河から、大海に泳ぎ出して、豪遊し、海洋の水を多く飲んで、世界をもっと もっと 了解すべきではないか。。


【 横 行 す る 文 字 の 整 形 】

2020-08-14 02:44:58 | Weblog
ーー  漢字の奥行  ーー

書道家 南 鶴渓 に「文字に聞く」という著書がある。ロスの古本屋でその本が目に留( とま) り買い求めて読んでみた。久し振りに有益、且つ面白い本に出会い、大変嬉しく思った。

私は、本を読みながら、「成程」と思う個所の頁を端折る癖が有る。「文字に聞く」では十五頁の端を折った。その内の一つに、p 118 「横行する文字の整形」がある。

類という字の「犬」が「大」に、髪という字の「ハツ」を「友」に変えたのは、僅かに一つの点を省く為に過ぎず、それが、人間の怠惰を助長する結果に繋がり、引いては柔らかいものばかり食べて歯の数を減らす顎の細い小顔の若者たちを思わせ、痛ましい気分にさせられる、という著者の一筋の連想は、説得力があって、成程だと思った。

漢人である私は、生まれながらにして漢字環境の中で育ち今日に到っているので、漢語にある「 習慣成自然」 ( 慣れれば 自然に成る) という諺の通り、漢字が繁雑な文字であるという感覚は殆んど持っていない。又、漢人でありながら日本語を解するのは、基本的には、私が台湾出身で、小学校六年まで日本語教育を受けたという時勢のお蔭だが、未だに日本語の読み書きが出来るのは、漢字の素養が一つの大きな要因になっているのではないかと思う。

数年前、ロスにある古本屋で、新品同様の近代日本文学全集、鴎外、漱石、荷風、竜之介、白鳥を始め、明治から昭和の初めに掛けての著名作家を網羅した日本文学の粋、数十冊が、年配の家庭主婦によって「下取り」に持ち込まれた。

その場に丁度居合わせた私は、下取り代が一冊二十五セント ( 二十五 円) だと知って驚き、
「ここ迄運んで来るガス代にもなりませんね」と、その婦人に労りの声を掛けた所、「そうなんですよ、捨てようと思ったけど、こういう処に持ち込めば、あるいは、また、誰かに使って貰えるかも知れないと思ったので」と言う。

銭には換えられない「価値感」というものを、そのご婦人は持っていた。

今時分、明治文学全集に興味を示す日本人は、日に日に減っていくのは、明らかに、急速な漢字離れにより、明治、大正の絢爛 ( けんらん) なる漢字を散りばめた文学が読めなくなった為であり、言うなれば、三千年余りの伝統を持つ文字の「価値」を一夕にして捨て去るようなもので、実に惜しい。

一方、漢字を全廃して、ハングル一点張りになった韓国だが。ロスにある、韓国人経営の全米最大の墨絵画廊に行ってみると、顧客の主体が韓国人であるにも拘らず、意外にも、墨絵の題辞は殆んど漢文になっており、ハングル文字の題辞は非常に少ない。

その画廊で私が購入した「葡萄」の絵に、「清風夏日 珠玉葡萄 幸福情」、「松」の絵に 「松寿千年」、「田園風景」の絵に「臥閲黄葉落、坐観白雲生」という漢字の題辞がそれぞれ付いていた ( ハングル 抜きで ) 。

山、藁葺きの農家、池、小川、雲、銀杏の木、などを組み合わせた長閑な「田園風景」、それに、「臥閲黄葉落、坐観白雲生」 という題辞、見事だ、と云う外はない。拙宅の居間に掛けているが、来客は皆、漢人による作品だとばかり思っている。

ハングル一点張りに切り換えたものの、一般韓国人の、漢字に対する根強い「郷愁」が窺えるようです。

三千年以上の歴史を持つ漢字。それなりの価値があるから、幾多の時代の荒波を乗り越え、今日まで生き残っている。それを一朝一夕にして捨て去るのは実に惜しい。

「文字に聞く」を読み終えた感想は、久々に「古き友」とじっくり語り合い、多々益する所を得たような心境だった。

列島では、漢字文化の盛んな江戸時代まで、漢詩は漢詩として読まれていたが、明治、大正の文化国粋主義、続いて、昭和の中国軽視、終戦後のカタカナ流行で、漢字は一挙に列島から離れていき、今や、江戸文学はおろか、明治、大正文学が難なく読める人は日に日に減る一方で、遠からず、鴎外、漱石、荷風などの文豪の名前ですら知らない日本人は急激に増えるに違いない。

その中にあって、千二百余年昔の李白愛好者は、意外にも、増える一方である。

読めるのかなあ、と思う。