李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 語学 音痴 の土壌 】

2014-12-31 22:50:30 | Weblog

       ーー  なぜ、 習って 使わない ーー

 

ウエブで「お元気ですかの英語」を検索してみた。1150000 件の記事があって、その筆頭記事は次のように解答していた。

  お元気ですか How are you? - Weblio Email例文集

  お元気ですか Are you well? - 研究社新英和中辞典

  お元気ですか How are you? - 研究社新和英中辞典

  お元気ですか How are you doing? - Tanaka Corpus

ちゃんとした例文集、英和、和英辞典が出処になっているから、いい加減な解答ではない。「How are you 」が基本となっている。

 

次に、英語「How are you 」で検索してみた。1670000000 件もある厖大な数の筆頭記事に下記のような解答が出ていた。

『人とのコミュニケーションにおいて挨拶は非常に大事です

 それは英語を話す際にも同じこと。教科書にはHello.

  How are you?I'm fine. Thank you. And you?という

 一連の流れが定型文のように描いてありますが、実際に

 使われてい表現はもっとあります。むしろ、「I'm fine.

 Thank you. And you?」はあまり聞かない返答です。』

 

この回答者は、カリフォルニア在住、大学で勉強していると紹介しているから、実際に英語を知っている人の解答という事になる。

 

此れ丈で、十分分かるように、「お元気ですか」「如何ですか」の英語は、実際に使われている表現はもっとあるだろうが、基本的にHow are you 」であるのは疑問の余地がない。

例えば、日本語でも、元気ですか、如何ですか、と言わずに、「やい、どうだい」「おい、調子いいかい」などなど、地域、階層、身分、などの違いにより色んな言い方はある。しかし、基本はあくまでも元気ですか、如何ですかに変わりはない。

にも拘わらず、16670000000 件記事の第五件に、『How are you?は死語だった!? 外国人英語講師が教える「日本人のちょっとヘンな英語」』という記事が出ている。

 

委細を読めば分かるうように、外国人講師らは、「How are you 」にだけ拘る必要はない、用語に融通性を持たせなさい、と強調しているのに、筆者が勝手にHow are you」は「死語」だと決めつけている。これは、「英語が苦手な筆者」の身勝手な言い方であって、この記事の標題に出て来る「死語」という「奇を衒う ( てら ) 」表現を仮にも信じる閲覧者が、もし居たとするならば、「哀れ」だとしか形容の仕様がない。

 

日本の大阪では、「有難う」と言わずに、「大きに」と言う。「有難う」は死語だろうか

京都の料亭に行けば、女将さんは、「おいでやす」と言って迎える。「いらっさいませ」という日本語は死語になったのだろうか

基本と応用、この両者の分別ですらはっきりしない、この所に、列島独特の「語学音痴の土壌」がある、と考えるべきであろう。それは、島民に普遍的に見られる「単細胞思考」の性格に負うものではなかろうかと思う。

 

漱石作品はいまだに日本のみならず世界で評価されている。所が、当世の日本人の多くは読まない。なぜ?、それは「もう古臭いから」読むに値いしないと言う。実際は「読めない」から読まないのであって、「古臭い」というのは単なる言い訳に過ぎない。

英語が苦手な人が外国人講師の名を借りて、 How are you は「死語」であると言うのと、全く同じ思考形態で「自己安慰」か「自己欺瞞」の手立てに過ぎない。

 

列島のゴルフ場で、プレイヤーが好い球を打つと、周りの者は一様に「ナイッショ」と言う。元は、英語のN I C E S H O T 」であるが、神輿担ぎの「ヨイッショ」の掛け声と同じように使っている。

実際に、英語圏のゴルフ場で聞く「好打」の表現は、ずっと多彩である。 Nice shot 以外に、Good shot , Nice hit , Beautiful , Good hit , Great hit , Wonderful shot , Perfect , などなど、實に多彩であるが、列島では「ナイッショ」の一言しか聞けない。そこで、たまたま外国に出かけコースを回った人が、帰国して友人に、「あちらではナイスショットという文句は使わないね」とさも大発見をしたうような自慢をする。実際はそうではなく、表現が多彩なもんだから、列島のように、 NICE SHOT を耳にすることはあまりないというだけで、「その文句は使わない」のではない。

 

何につけも、知らないという事は恐ろしい。何故かというと、知らないのに、知ったふりをするからである。また、知ったふりをするのを真に受ける人が結構居るからである。すると、実態からはずれて、可笑しい方向に向かって進む。そのところに、列島の「語学音痴の土壌」を見ることが出来るのではないか。

 

我が一家の米国滞在は、ニューヨークロスに跨がり、既に、三十年になる。

先日、孫二人に、「How are you ? と聞かれたらどう答えるか」と聞いてみた。

14才で高校に進んだばかりの孫はFine , thank you 」だと答え、9 才の小学生である孫娘は「私は、Fine よりも、 good と答える場合が多い」と答えた。

では、大学を出た爺ちゃん本人はどう答えているのかと言うと、Fine , Thnak you か、もしくはI ` m fine thank you である。そのあとに、「and you ? を付けたり、付けなかったりする。

そして、中年の大学出社会人である息子夫婦にも聞いてみた。爺ちゃんと同じ答え方をしていると、二人そろって言う。

 

日本で、「お元気ですか」或いは、「如何ですか」と聞かれて、その答えに迷う話は聞かない。 How are you ? 英語だけれども今は国際通用語として、世界で広く知られているから、英語をよく知らない外国人でも、その答えは知っている。また、例えば、北京語を話せない日本人でも、「ニーハウ ( 汝好ま ) と挨拶されたら、「ヘンハウ、シエシエ ( 很好、謝謝) 」と答えることを知っている人は多い。況して、国際通用語である英語の簡単な挨拶である。その答え方が知らない或いは、疑問を持つ日本人が極めて多いのはどうした事か。

 

英語という外国語が日本に初めて上陸したのは、今から百六十年の昔で、そのあと、日本の学校では「欧米に倣え」という事で、中学、高校、大学を通して英語を必修科目として来た。五年、十年の長期に亙り、英語を習って、「How are you ? ですらよく知らない。どういう事だろうか。ポルトガルの銃を物にしたのは、僅か年だった。なぜ、五年、十年勉強して、いまだに、英語の挨拶言葉一つ覚えられないのか。

 

日本のウエブにHow are you ?の記事が 1670000000 件ある。質問、疑問、難問ばかりである。たった三句の挨拶言葉How are you 」を五年、十年習って使わず、質問、疑問、難問を捏ね回 ( こねまわ) してふざける。「語学音痴の土壌」を際限なく捏ね回しているようなもんである。


【 アーサー爺  の 思い出 】     

2014-12-26 21:46:08 | Weblog

             ーー     良き  ユダヤ 隣人  ーー

 

『抜粋』 (1)

アーサーと初めて隣人に成った頃、その博識振りに、私は、

っきり爺さんは教授学者の経歴を持つ人だと思ったが、

暫く時経ち、彼が一般社会人の経歴者に過ぎないと知っ

て、私はひく驚いた。それでも、爺さんの博識に対する

私の敬服に変わはなかった。

それだけ頭脳優秀なアーサーが、草取りを長年やっても、

雑草と草花の見分けが付かない。信じ難いことだが、分から

んことではない。

 

『抜粋』 (2)

時折、鉢植えに一握りの極く少量な肥料が入り用になる。

の庭の隅っこに沢山あるから、そこから一握り取れば

よいよと言っても、爺さんは、「一袋買って呉れ」と頑張

る。

一袋や二袋ならすっきり決済出来るが、一握りや二握りでは

算の仕様がない。親しい間柄でも勘定はすっきりさせ、人

情のツケを残したくない、というのが爺さんの考えである。

明らかに、ユダヤ流の習性に拘 (こだわ ) っている。雑草

と草花の見分けなどはどうでもよいが、金銭や人情に絡ま

ることには、異常なほどに気を配る。

 

『抜粋』 (3)

そのように、年毎に段々とユダヤ人の習性と思考が分かるよ

 うになった私を、アーサー爺は「貴方はもう half jewish

( 半分ユダヤ人) だね」と言って冷やかす事がある。

十五年間、そのような貴重な付き合いをして、ある日、

「私が家はロスへ引っ越す事に決まった」よ、と爺さんに話

 したら、「貴方には引っ越して貰いたくないね」と言った。

あれから、十二年の月日が経った。しかし、私の「思い出」

 に出て来るアーサー爺は、いつでも九十歳のままである。

       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『本文』   

 

ニューヨーク時代、私ときわめて仲の良い隣人アーサーは、我が家がロスへ引っ越す年に、すでに九十歳になる爺さんだった。その後、音信不通になったが、我が家がロスへ越したのが二○○○ 年だったから、爺さんが未だ健在であれば一○二歳の高齢になるが、爺さんの安否を確かめるより、私としては、十五年の長きに亙り、良き隣人として付き合った 爺さんを九十歳のままで、何時迄も生かして置きたい。そうすれば、思い出も、つい昨日の事のように、身近く感じられるからである。

 

我家の直ぐ右隣に住むアーサー爺は、九十の年になっても、天気さえ良ければ、毎日裏庭で草取りをしている。園芸が好きだからではない。健康のため、医師である奥さんのレイに尻を叩かれ、身体を動かしているだけのこと。だから、その年になっても、まだ雑草と草花の見分けが付かない。

私がたまにそれをからかうと、「わしはマンハッタンで生まれ育った都会っ子だから、園芸に弱いのは当たり前だ」と言って片意地を張る。

 

爺さんは典型的なユダヤの知識層で、兎に角本を読むのが好きだ。草取りをしない時は、ポーチに座って部厚い本を読む。アーサー家の客間は、書斎と間違える位に、四方の壁が全て本棚になっていて、歴史、文学、哲学、社会、音楽などの書籍が所狭しと並べてあり、全部の書籍に、「アーサーの蔵書」というスタンプが表紙の裏に付いている。

爺さんは、英語の外に、ドイツ語とフランス語、そして一時期欧州系ユダヤ人の共通語であったイーデイッシュ語も堪能である。爺さんは、時折、中国や日本の歴史を話題にして、私と雑談するが、その博識に私は良く驚いたものだが、一度、「紅楼夢」という中国の古典を持ち出し話題にした時、私は、すっかり手を上げてしまった。

アーサーと初めて隣人に成った頃、その博識振りに、私は、てっきり爺さんは教授学者の経歴を持つ人だと思ったが、暫く時が経ち、彼が一般社会人の経歴者に過ぎないと知って、私はひどく驚いた。それでも、爺さんの博識に対する私の敬服に変わりはなかった。

 

それだけ頭脳優秀なアーサーが、草取りを長年やっても、雑草と草花の見分けが付かない。信じ難いことだが、分からんことではない。

 

奥さんのレイは女医であるが、テネシーの農家で生まれ育った彼女は、園芸の基礎知識があり、幼い頃の農作物作りに対する郷愁もあって、裏庭に野菜と花を植え、彼女の指導のもとに、手入れをアーサーにやらせていた。レイが、ここの土を堀り返すと言えば、アーサーはそこを堀り返し、レイが、これは雑草だよと言えば、アーサーはそれを取ってしまう。アーサーに取って、庭仕事は、身体を動かすための事でしかない。

 

雑草の見分け如き分際に、頭を使うのは馬鹿馬鹿しいという潜在意識がアーサーの頭の片隅にあるから、それに気を使おううとしないのだろうと、だから雑草と草花の見分けが付かないのは、私は、それが実の原因だと見ている。

 

庭に野菜や花を植えているから、時々、土や肥料が入り用になる。私はよく花屋へ行くので、「ついでに買って来て上げようか」と声を掛けても、「いや、それに及ばん」と云って、爺さんは自分で買いに出かけていたが、さすがに九十の高齢になると、そのような我を張ることも出来なくなり、「花屋に寄ったら、ついでに一袋買ってきて呉れ」と私に頼んで来る。勿論、東洋の君子である私は、敬老に吝(やぶさか ) でないから快く受ける。

 

時折、鉢植えに一握りの極く少量な肥料が入り用になる。私の庭の隅っこに沢山あるから、そこから一握り取ればよいよと言っても、爺さんは、「一袋買って呉れ」と頑張る。

 

一袋や二袋ならすっきり決済出来るが、一握りや二握りでは清算の仕様がない。親しい間柄でも勘定はすっきりさせ、人情のツケを残したくない、というのが爺さんの考えである。明らかに、ユダヤ流の習性に拘 (こだわ ) っている。雑草と草花の見分けなどはどうでもよいが、金銭や人情に絡まることには、異常なほどに気を配る。

 

二千年に亙る流浪の歴史を見ると、ユダヤ人はどこに住みついても、現地の人々としっくり合わず、常に居住地を転々と変えるのは、どうしてだろうと、私は昔から不思議に思っていた。実際に、前後左右全てユダヤ隣人と長年一緒に住み、付き合っているうちに、謎が徐々に解けて来るようになった。ユダヤ人は智が働き過ぎて、馬鹿になれないから、嫌はれるのだろう。

僅か、一握りの土や肥料の好意に対してですら、一分の隙も見せようとしない。このような隣人付き合いは、余りにも窮屈すぎる。

 

アーサーと私は、親子以上に年が違う。そのようなお年寄りには、いま少し可愛げがあって欲しい。そう思って、私は、頼まれてもわざと買はずに、爺さんが我が庭の隅っこに、一握りの肥料や土を取りに来るように仕向けることがある。

 

そのように、年毎に段々とユダヤ人の習性と思考が分かるようになった私を、アーサー爺は「貴方はもう half jewish ( 半分ユダヤ人) だね」と言って冷やかす事がある。

 

十五年間、そのような貴重な付き合いをして、ある日、「私が家はロスへ引っ越す事に決まった」よ、と爺さんに話したら、「貴方には引っ越して貰いたくないね」と言った。

 

あれから、十二年の月日が経った。しかし、私の「思い出」に出て来るアーサー爺は、いつでも九十歳のままである。

 

 


【 徳 川 家 康 の 評価 】

2014-12-08 15:53:21 | Weblog



ーー サムライ社会 の 政治土壌 ーー

「日本は経済一流だが、政治外交は 二、三流」というのが、列島で一般の自己評価になっている。

経済一流とは、具体的に云うと、トヨタ、ホンダ や キャノン、 ニコン、電気洗濯機 や 冷蔵庫 などなど の物品生産 と 販売が先に進んでいるという事で、もっと、平ぺったく云うと、職人芸 或いは物作りが一流であるという事を意味する。

しかし、経済(けいざい)というのは:

英語の economy であれば、人間社会における生産・分配・流通・消費等の活動をめぐる関係性の総体を意味するものであり。

中国古典に現れる「経世済民」(世をおさめ民をすくう)の略語であれば、今日でいう政治・統治・行政全般を意味する。

このように、「経済」というのはもっともっと幅の広い頭脳作業であり、単なる物作りではない。闇雲に物を作り、集中豪雨のような対外輸出をやって、短期間でバブル景気を作り上げ、同じく、短期間でそのバブル崩壊を招いて、今は長期不況で苦しんでいる日本は、だから、「経済一流」とは云い難い。日本経済の中身の実態を見れば、「物作り一流」という表現の方が正しい。

通常、政治と経済は、目的と手段のような一体関係にあるものなので、経済は一流だが、政治は二、三流というのは一寸考えられない、本来なら、「日本は物作り一流だが、政治、経済、外交は二、三流」と云うべきではなかろうか。

物作りは、人が「物」を相手にする作業であるが、政治、外交は、人が「人」を相手にする作業である点で、両者は大きく異なる。

列島は、商人ではなく、職人の国だから、「対物」関係は得意だが、「対人」関係は然程得意ではない。「対物」関係は一方的で、相互の意思疏通は必要ないが、「対人」関係は相互の意思疎通が基盤になっているので、必然的に、日本は、物作り ( 経済 ) 一流、政治、外交二、三流という「姿」に結びつく。

これは、同じ外来の種子島銃を、僅か十年やそこらで立派な製品を作り出した事と、英語( 外国語) を百六十年間学習してもいまだに不得手である、という現実を比較して考えれば良く分かる。

列島の「人的土壌」はサムライである、即ち、喧嘩と刀を振り回す事にその特質を見ることが出来る。「士農工商」という言葉は、列島が唐土から借用したものであるのは、衆知の通りで、実際の使用に当って、列島は、唐土で「文人」を代表する「士」という字を「武士」に切り換えて使っている。

だから、同じ「士農工商」でも、唐土では「文人」が最も尊重されているが、列島では「武士」が最も威張っている。なぜ、このような違いが生じるのだろうか?

ゴルフ場で一緒に回った初対面の中年日本人が、日本と中国の違いについて、極めて、簡潔な一言でもって、その特質を言い表し、私を驚かした事がある。

彼曰く、『われわれ ( 日本人) は、中国人ほどの「頭脳」はない、その代わり、「身体」をもっている』。

確かにその通りだが、その点をよく見極めている日本人は然程多くないようである。

ここで、主題の家康公に登場して貰う。

列島史上、二百六十余年の平和な、そして文化の栄えた「江戸時代」を築き上げた家康公の列島に於ける評価は意外にも低い。

日本のウエブで、戦国三匹男の記事を出してみると、( 12 ー4 ー2014 )。

    信長   2、150、000 件
    秀吉   1、470、000 件
    家康   1、320、000 件

で、家康がびりっこになっているから、家康は外国人にも「人気はない」と思っている人が多いと、想像するが、試しに、日本と同盟関係の米国のウエブを見てみる。
 ieyasu top   641、000 件
    nobunaga 二位    443、000 件、
    hideyoshi が三位   247、000 件

で、恰度、本場の日本と逆になっていて、家康の人気が一番高い。

これだけで、意外に思うのは、未だ未だ早い。今度は、中国人を代表する「華語」のウエブを見ている。 

  家康  3、310、000 件
     信長    58、000 件
     秀吉    56、800 件

で、日本人には、気が転倒するような結果である。

米国と中国の文化は異質である、にも拘らず、米中の評価というか、人気というか、共に同じく家康が top で、二、三は信長、秀吉となっている。勿論、これは「偶然の一致」ではない。

本国で評価されない家康が、世界の二大大国の人々に高く評価されている。正に、「日本の常識は世界の非常識」を地で行くように、そのまま具体的に表わしている。

そして、信じ難いのは、漢語ウエブの 信長と秀吉の記事が二人会わせても家康の五 % にも達しないという事である。一見、華夏の末裔が列島の英雄を見下しているように見えるが、そうではないというは、家康を極端に高く評価している事からも分かる。

ただ、言えることは、鳴かないホトトギスは殺してしまえという信長 ( 短気非情 ) や、鳴かしてみせようという秀吉( 法螺吹き ) などのような人物に較べて、鳴くまで待とうという家康のような、恩情あり、忍耐力の強い人物に対し、唐土の人は非常に高く評価する。

台湾の或る私立高校二年生三人の共同作業による『徳川家康與織田信長的比較』論文が Yahoo Taiwan に出ている。その結論に、家康成功の特質を下記のように要約している。

  << 家康成功の非常に重要な性格の一端 : 「他人が堪え忍べ       
    べないことを、堪え忍ぶことが出来る」。この性格は
   、如何なる段階に於いても、その表現は彼が非凡であ
    ることを充分に感じさせる。 ( 原文は漢文 ) >>

日本では、家康はタヌキだから嫌いという人、俺は関西人だから家康に票を入れるわけにいかない、という評価の仕方をする人が多い。タヌキというのは謀略家の代名詞みたようなもので、要するに、頭脳の鋭い人物は嫌われる、又、地域対抗意識で好き嫌いを決める、共に、日本社会独得の土壌であり、外国の常識とはかなり異なる。

人間誰しも「畏怖を感じる」人には、一目を置くものである。華夏の末裔が信長、秀吉を眼中に置くいていないのは、この二人に「恐ろしさ」を殆んど感じないからであり、家康に多大な関心を持ち、性格の特質を分析研究するのは、家康を「恐い相手」だと判断しているからに外ならない。西洋の米国人も同じ考え方である。

列島は、家康のような人物を好まない、ということは、家康の如き外国に恐れられる人物が居ても、列島では「芽が出る」見込みはまず無い。これは、日本と対抗或るいは競争する立場にある外国に取り極めて都合が良い。

家康を高く評価している米国との先の戦争で、「脳ある」家康人物の出る幕は無く、「有勇無謀」の兵( つわもの) が戦 ( いくさ) を起こしたので、結果は一敗地に塗れ、帝国崩壊となった。秀吉が朝鮮出兵で、豊臣家を亡ぼしたのと全く同じ轍 ( てつ) である。

今時の日本の政治人物は概して「秀吉」型が多い。然程強くもない日本を、兎にも角にも、「強く見せよう」とする事にばかり腐心しているようで、それで、相手に勝てると思うのであれば、先の大戦で日本は米国に勝っていた筈である。

米国から遥か遠くの列島を眺め、家康に似たような人物は居ないかなと、時折、余計な事を考える。家康如き「大物」に育つかどうかは知らないが、鳩山由紀夫という人物は、目先にとらわれず、長い目で物事を見る性格の持ち主であるように見え、云うなれば、家康型に属する。

彼を「国賊」扱いにする人も居るようだが、嫌われる家康、嫌われる吉田茂が列島の為に大事を成した史実に照らして見れば、嫌われる鳩山由紀夫にやらせてみたらどうかな、と思うのは、筆者の単なる愚昧な見方であろうか。

【 刺身  と  布団  】 続篇

2014-12-06 18:01:40 | Weblog

   ーー % 総統のお粗末に、目覚めた庶民 ーー

 

1130朝日新聞デジタル配信に下記の記事が掲載されていた。

  『馬総統、党主席を辞任へ 統一選惨敗、中台関係に

     影響も』

 

  台湾統一地方選で与党・国民党が惨敗したことを受け、

    馬(マーインチウ)総統が党主席を辞任する見通し

    になったと台湾メディアが30日、相次いで報じた。

    2008年の総統就任以来、中国重視政策を推進した馬

    氏の指導力低下で、今後の中台関係にも大きな影響が出

    そうだ。

 

今から二年十一カ月前の 2012 1 6 日付けで、筆者は夷人の倭語」と「李白の白髪」のブログで、【刺身布団】という一文を載せた。その全文は次の通りである。

    

       ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【 刺身布団 】 2012 /01/06

 

台湾総統馬英九が今年八月夫人との結婚三十四周年記念日に、ウエブの Face book で、「ハーバード大学留学中に結婚した際、祝いに頂いた twin の布団を、今日まで、三十四年間ずっと使用して来た」と発表し、台湾人を唖然とさしている。

世間が唖然としたのは、下記の理由が挙げられる

一、 過去三十四年、この事を一度も口にした事がない。

二、 布団の寿命は十五から二十年持つが、今時の人は、

      五から十年で取り換えるのが普通、況して、大統領。

三、 留学の帰国で、古布団を持ち帰るのは前代未聞。

四、 大統領が、学生時代の布団を抱いて寝る話は、古今東西

      た事がない。

 

此れ丈なら、一度の唖然で済むが、これと前後して、馬英九は、jogging 用の運動靴は、もう十五年使っている、そして、水泳パンツは破れても取り換えずに、繕って愛用している事を公表し、再三に亙り、台湾の庶民を唖然とさしている。

 

来る十四日に投票される総統選挙で、終盤にいたり、馬氏の旗色は益々悪化する一方、それで、少々頭が混乱した挙句の愚にも付かない「広告発言」であろうというのが一般の見方だが、二○○七年暮れに、翌年の総統選挙を控え、初めて日本を訪れた氏は、成田着早々、記者団に対し、面白い発言を披露していた。

 

馬英九は香港生まれだが、本籍は大陸湖南省で、父親は対日抗戦の経験者だから、先天的に「反日」派に属する。しかし、台湾という「親日」の色濃い國で総統選挙に出馬する以上、少なくとも表立っては、「反日」色を払拭しなければ不味い。

 

それで、選挙に備え初めて訪日した彼は、成田に着くなり、「私は、刺身を好んで食べるから、反日ではありえない、親日である」と記者団に対して発言した。

刺身を食べる事が親日の証しになるなら、刺身が好きでない人は反日になって仕舞う。そのような、一風変わった論理を、彼は日本到着早々展開して、記者を煙に巻いた。

所が、煙に巻かれない記者も結構居て、彼は、日本の一部マスコミに、「イケメンだが、頭の方は良くなさそう」だと酷評された。

 

それでも、二○○八年に彼は初回総統選を勝ち取った。どうも、彼よりも頭の良くない「衆愚」が旨く騙されたという結果になったが、今回は二度目で、「いつも柳の下に泥鰌は居らぬ」の諺通り、「衆愚」が、三十四年の布団に又しても騙されるかどうか、興味の尽きない選挙になりそう。

 

布団が勝つか、良識が勝つか、来週終末の選挙結果が待ち遠しい。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

そのまさか布団良識勝つとは思えない選挙結果は、呆気( あっけ ) 無く布団 + 刺身の勝利に終わった。政治の現実というものは或いは、常識で判断出来るものではないという事をしみじみと感じたものであった。

 

それから一年あまり経った後、総統馬英九の支持率は下落の一途を辿り、最低で僅か九 % にまで落ち込み「九 % 総統」という汚名まで着く始末。

 

そして此の度 2014 /11 /29 日の、台湾最大の地方統一選で、「九 % 総統」を党主席とする国民党空前の惨敗を喫し、15の県市長ポストを6に減らし、最大野党の民進党は6から13に躍進した

 

この惨敗の要因は勿論複数あるけれど、最大の要因は「九% 総統」にあるというのが国民一般の共通認識であり、馬英九の残り約二年の任期は Lame - duck ( ちんば ) 総統で終わる事が避けられない

 

所が、この「ちんば人」をそのまま党主席の座に据え置いたら、国民党は間違いなく崩壊するので、党内外の強烈なる圧力を受け、彼は党主席を辞任せざるを得なくなった。

 

そこで思うのだが、今時、古い布団を換えずに三十四年間使用し続けたという「嘘」、刺身を食べるから親日という「ハッタリ」を平然と公衆の前で口にする人は、矢張り「曲者」であって、「真っ当」な代物ではない、そして中身の伴わない「格好よい」というものは、いずれ「馬脚を露わす(ばきゃくをあらわす)」という事を, 約三年近くの「時経過」が、我我に立証して呉れているのではなかろうか。

 


【  ハ ッ タ リ 】  続篇   

2014-12-01 21:03:25 | Weblog

      ーー オマエサンよ、どうするべえー ==

 

『抜粋

時は、2011 年の春、台湾の新聞報道に依ると、馬英九総統

就職三週年記念会の演説で,日本趨勢大師大前研一は,馬

總統は非常に優秀な總統であり,「私は彼を日本に輸入し

い」と話し、且つ、「日本は台灣と總統を交換する事を

切に望んでいる」とも話したという。

一介の「個人」大前が、日本という「国」の代言者にはな

り得ないし、又、総統の居ない日本と、どうやって、「総

統を交換」するのだろうか。

ハッタリもこの域に達すると、名人芸を遥かに通り越し、

I Q疑わしくなる。

     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『本文』   【ハッタリ】 続編 

 ーー オマエ サンよ、どうするべえー ーー

 

日本俗語辞書の解説によると、「はったり」という俗語の意味は下記の通りだという;

『 はったりとはもともと的屋の隠語で殴ることや喧嘩をしかけて脅すことをいった。隠語としては明治時代には使われていたが、一般にも使われるようになったのは戦後のことである。また、一般に広まる中で、実状や実力以上に誇張して言ったり、見せかけるという意味で使われるようになる(はったりの具体例:貧乏なのに金持ちを装う。社長と面識もないのにコネがあるようなことを言う。ピアノを触つたこともないのに弾けるような顔をするなど) 』

 

貧乏なのに金持ちを装う。社長と面識もないのにコネがあるようなことを言う。ピアノを触ったこともないのに弾けるような顔をする。などなど、確かにこのような「虚勢」を好んで張る人が結構世の中に居る。

 

今から三年余りまえ、お隣の台湾までわざわざ出かけて、日本語の「ハッタリ」の実例を台湾の人びとに実演して見せ、かなりの顰蹙(ひんしゅく)を買った日本の著名人が居る。大前研一である。

 

台湾の現総統馬英九は、「イケメン」で人気を博して二○○八年総統に当選したが、三年来、政績ははかばかしく無く、もっぱら中国の機嫌取りに終始し人気急落、二○一二年の一月に行なわれる再選の見通しは暗い。

そこで、「親日」派の多い台湾人の人気集めに、日本の「経営参謀」大前氏に、助太刀として眼を付けた。同じ ハーバード大卒の誼(よしみ)からであろうか。

 

大前は二○○二年に『中華連邦』という本を出版し、二○○五年前後に台湾は中国と統一して「中華連邦」の形成に至ると予測した。

 

予測は綺麗に外れたが、中国との「終極統一」を目論む馬英九とは意気統合することから、馬は大前を台湾に招き、日本の「趨勢大師」という触れ込みの元に公開演説を行ない、馬英九の「煽て」( おだて ) に終始した。

 

 

台湾の新聞報道に依ると、馬英九総統就職三週年記念会の演説で,日本趨勢大師大前研一は,馬總統は非常に優秀な總統であり,「私は彼を日本に輸入したい」と話し、且つ、「日本は台灣と總統を交換する事を切に望んでいる」とも話したという。

 

一介の「個人」大前が、日本という「国」の代言者にはなり得ないし、又、総統の居ない日本と、どうやって、「総統を交換」するのだろうか。ハッタリもこの域に達すると、名人芸を遥かに通り越し、I Q 疑わしくなる。

 

大前は、地震と津波で、原発が破壊された時,日本の首相は反應爐可能發生的状況を( 民衆に対し) 解釈しなかったとして、「台灣と政府を交換したい」と、外国であからさまに自国の政府をけなし、そして、日本政府を馬英九政府と交換したい」と言う。

 

そこまでして、馬英九を「煽てる」必要が何処にあるのだろうか。大前は著作七十部を越え、政治的立場は「新自由主義」標榜、且つ、「平成維新の会」まで創立して、極力自己宣伝に努めたが、1995年の東京都知事選では、青島幸男に敗れ、彼の同志である三浦雄一郎も北海道知事選で落選。

 

同年、第十七回参院選に、大前の「平成維新の会」から十人参選したが、結果は、大前も含めて、総勢十人の落選だった。これだけ見事に政界から見放されたら、政府の揚げ足取りに終始する気持ちは分からぬ事もないが、台湾に於ける人気急落の馬政府を「煽てる」為に、自国政府をけなすのは、それ相当の代価無しでやる馬鹿は居ない。

 

大前は馬英九の国民党機関紙から一斉に「国際著名の日本趨勢大師」と煽てられ、それに見合う反対給付として、彼は馬政府を日本政府より優秀だと煽てた。簡単に言うと、是是非非とは全く関係のない、単なる「利害」の物物交換であるというのが実情であろう。

 

だから、台湾の一般紙は、「国際著名」を外し、「趨勢」の代わりに「策略」を使い、彼を「策略大師」或は、「策略作家」と称しているのが目立つ。つまり、彼を「策士」として取り扱い、そんなに「馬」が欲しいのなら、只でやるから、今すぐ日本に連れて帰りなさいとまで皮肉られる始末。

日本で、彼を「はったり先生」と称しているウエブサイトを時々見かけるが、今回、馬英九の窮状の打破に努める彼の台湾に於ける「子供騙し」のような演出で見る限り、彼は「はったり先生」の名に相応しい「策略大師」であるという事が言えるようである。

 

 

さて、ここから本題に入るわけだが、周知のように、つい先週行われた台湾の地方統一選で、馬英九を党主席とする与党国民党が惨敗、十五席保有していた県市長を六席に減らしてしまった。惨敗の要因は幾つかあるが、最大の敗因は「九 % 総統」の馬英九であるという社会の共同認知 ( コンセンサス ) により、彼は、党主席の座を追われることが必至となった。

 

それのみならず、この惨敗により、残る二年弱の総統任期も実質 lame - duck ( ちんば ) になるから、総統も辞任せよとの声が非常に盛んであることから、そのような事態に進展する可能性は十分ある。そうなると、彼は一夜にして失業、無職に転じてしまう。

 

僅か三年余り前、大前研一は,『 馬總統は非常に優秀な總統であり,「私は彼を日本に輸入したい」と話し、且つ、「日本は台灣と總統を交換する事を切に望んでいる 』と、台湾の公衆を前にして、あたかも日本政府の代言人であるような大言を吐いた。

 

非常に優秀な總統であると、大前研一が太鼓判を押した馬英九を台湾は惜しげもなく捨て去ろうとする、日本が輸入したいなら、交換したいなら今が絶好の時で、間違いなく安値で手に入れることができる。

 

オマエサン、どうするべえー