―― 生半可と短 絡 思考の不気味な単細胞 ーー
ーー 文化とは、民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、
世代を通じて伝承されていくものを意味する goo 国語辞書 ーー
現在の日本は、経済大国である、と自他共に称している。経済大国の前は、軍事大国で、更に、その前は サムライとゲイシャの国として、世に知られていた。
経済大国だけれど、政治外交は、二、三流である、というのが、自他共に、認めている事で、日本は、「文化」の面について語る事も、語られる事も,滅多に無い。つまり、民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの面で、際立った特徴が見られない事を意味する。
9月24日、「女性自身」誌が、【2000年代の歴代首相のなかで「再び首相になってほしい人」は?】、という 質問調査(ァンケート)の回答結果をヤフーに載せた。(回答:2021年9月9日~9月12日)。
1位:小泉純一郎(30%) 2位:安倍晋三(11.3%) 3位:菅直人(9.3%)
4位:鳩山由紀夫(6.7%) 5位:菅義偉(4.7%) 6位:麻生太郎(1.3%
7位:福田康夫(1.3%) 8位:森喜朗(0.7%) 9位:野田佳彦(0%)
という結果になっている。調査回答者はたったの150人だった。一国の首相に関する質問調査で、150人の意見を一つの結果として、発表するのは、世界中の媒体で、前代未聞と言えるのではなかろうか。
確かに、殆んど意味を成さない質問調査であり、読者は、暇つぶし、或いは,退屈しのぎに、目を通す程度の記事である。が、意外にも、読者の反応は、異常なほどに積極的であった。 質問調査の回答者僅か150人の記事に対する、読者のコメントが、何と、150人の20倍を超す 三千数百人もあった、というのは、大変予想外の驚きである。
首相論評の質問調査対象150人は、余りにも「短慮」に過ぎる、が、その短慮を、過度に真面目に取り上げる読者共も、「過敏」ではなかろうか。この所に、日本文化の有り様(ありよう)を垣間見る事が出来る,のではなかろうか。
日本は漢字の国であるが、「深謀遠慮」という漢字言葉は、あまり使われない、言い換えると、好かれないという事になる。それで、「深謀遠慮」型の人間には、大概、「古タヌキ」というあだ名を付けて、馬鹿にしようとする。 実際は、自分が馬鹿である場合が圧倒的に多い。
上述の女性自身誌は、【2000年代の歴代首相のなかで最も「がっかり」だった人は?】の質問調査(回答:2021年9月9日~9月12日)も、殆んど同時に行なった。 結果は、次のように出ている。
1位:安倍晋三(26%) 2位:菅義偉(24%) 3位:鳩山由紀夫(13.3%)
4位:菅直人(11.3%) 5位:野田佳彦(9.3%) 6位:麻生太郎(8%)
7位:森喜朗(7.3%) 8位:小泉純一郎(3.3%) 9位:福田康夫(0.7%)
前述の 再任希望2位の安倍晋三は、 がっかりで一位に躍進した。 これほど、いい加減で、当てにならない調査も稀である。
筆者が、丁度、本文を書いている最中に、「あてにならない」と言う文句をヤフーに、入力したらば、「宛てにならない」と 「当てにならない」、の二つが出て来た。筆者は、迷いなく、「当てにならない」を選んで使ったが、「宛てにならない」の方を好んで使う人も居るだろう。嗜好の違いである。 列島人種は、このように、正解の選択よりも、嗜好を先行させる、選択肢を好む人が結構多い。 女性自身の調査結果に、そのような嗜好がありありと現れている。国の首相を、芸能人、或いは、映画俳優並みに見立てて、好き嫌いを決めているが、結論は、全く「当てにならない」という事を、二つの調査調査結果の比較が立証している。
それで、三千数百の読者論評(コメント)が、カッカとなって、150人の回答者を叩いている訳だが、此の人達も、短気短絡の点で左程の違いは無く、論評に左程の意味がある訳でもない。
その数多い読者論評の中に、ちゃんと焦点を当てていたのが、一つ目に止まった。
『 日本の政治家が優秀ではないのは、有権者が能力の無い政治家を選んで
いるからだ。つまり、有権者に良い政治家を選ぶ能力が無い、という事
を示す歴代首相ランキングだ。』
と言う論評で、2728人の賛同者が有って、不賛同者が、僅か、98人だったのは、一応、正論と見なすべきであろう。
東京八王子の雲龍寺に、『日本再建ノ三大恩人銅像』が建っている。恐らく、知っている人は少ないであろう。 三大恩人とは、下記の三人である。
日本救民の恩人
諾楽守 摩訶薩 元帥 (アメリカ合衆国・ダグラスマッカーサー元帥)
日本再興の恩人
蔣中正 大総統 (中華民国・蒋介石)
日本独立の恩人
謝得和畄天寧 大統領 (スリランカ・ジャヤワルデネ大統領)
ちゃんとしたお寺が建てたのだから、勿論、いい加減な事ではない。
その内の一人、マッカーサーは、 戦後の、日本救民(飢餓を救う)の大恩人で、後日、日本の国会で、「マッカーサー神社」を建立する事まで決議した。マッカーサーの貢献が、如何に大であるか、これだけでも十分分る。
日本占領の任務を終えて、帰国したマッカーサーが、1951年5月3日から開催された上院の外交委員会と軍事委員会の合同聴聞会で「日本人は12歳」の証言を行った。この証言を行ったことが日本に伝わると、この証言が日本人、特にマスコミに与えた衝撃は大きく、『朝日新聞』は新聞1面に大きく【マ元帥の日本観】という特集記事を掲載し「文化程度は“少年”」と日本人に対し否定的な部分を強調して報じた。以来、日本人のマッカーサーに対する尊敬が、急転直下、憎しみに変わって、そのため、政府が計画していた「終身国賓待遇の贈呈」は先送り「マッカーサー記念館、神社の建設」計画は撤回となった。のは、衆知の通りである。
なぜ、「日本人は12歳」の一言で、このような急転直下が生じるのか ?
日本の文化、心理学者などによると、『人間は、図星を指された時に、このような極端な反応を示す』と、分析している。つまり、マッカーサーは、日本について、正直な事を話しただけで、それが、日本人の未熟性、幼稚性の図星に当たったので、極端な反応招いたものであって、マッカーサは、何も、偏見が有って、そのような発言をしたをした訳ではない。つまり、急転直下は、日本人特有の、バカにした、バカにされたの「一人相撲」嗜好によるものであった。言い換えると、劣等感の裏返し、によるものだった。
84裁で逝去した、日本救民の恩人の、「十二歳」という一言は、本来なら、日本人がそれに悟りを得て、未熟な自分の成熟努力の指針、教えにするべきものであるべきものが、日本人は、そうしないで、大人物の発言者を、極端に嫌うようになった。単細胞人種の執念の深さをしみじみと感じさせる。 不気味極まる事である。
1951年、帰米するマッカーサー元帥を、NHKは下記のように報道した。
4月16日午前6時半、マッカーサー元帥は夫人、令息同伴でアメリカ大使館を出発、帰国の途に就きました。朝早くから詰めかけた人々が20万を超え、沿道をうずめ尽くしました。19発の礼砲とどろくうちを、車は羽田空港に到着。吉田首相と堅く握手を交わすマッカーサー元帥。手を振っていつまでも別れを惜しむ元帥夫人。いよいよ出発の時刻が迫りました。見送るリッジウェイ総司令官。愛機バターン号は静かに日本を離れ、一路アメリカに向かいました
このようなNHK 報道を読んで、たった一言の「十二歳」で、マッカーサー元帥に対する、日本人の態度豹変を、誰が、予想し得たであろうか。勿論、良識、或いは、常識で以てしても、予想は出来ない、想像ですら出来ない。
上述女性自身の調査質問で、再任希望2位の安倍晋三は、がっかりで一位に躍進した。これとて、良識や常識では、予想も想像もできない。
阿倍晋三にしても、マッカーサーにしても、程度に大変な違いはあるが、日本人の文化水準を知る上では、誠に結構な実例であると、言わねばなるまい。
生半可と短 絡 思考の不気味な単細胞の持主である列島の人々は、元を正して見ると、縄文弥生混血の遺伝子が、問題の核心になっている、という可能性に辿り着くようである。
ーー 文化とは、民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの総称で、
世代を通じて伝承されていくものを意味する goo 国語辞書 ーー
現在の日本は、経済大国である、と自他共に称している。経済大国の前は、軍事大国で、更に、その前は サムライとゲイシャの国として、世に知られていた。
経済大国だけれど、政治外交は、二、三流である、というのが、自他共に、認めている事で、日本は、「文化」の面について語る事も、語られる事も,滅多に無い。つまり、民族や社会の風習・伝統・思考方法・価値観などの面で、際立った特徴が見られない事を意味する。
9月24日、「女性自身」誌が、【2000年代の歴代首相のなかで「再び首相になってほしい人」は?】、という 質問調査(ァンケート)の回答結果をヤフーに載せた。(回答:2021年9月9日~9月12日)。
1位:小泉純一郎(30%) 2位:安倍晋三(11.3%) 3位:菅直人(9.3%)
4位:鳩山由紀夫(6.7%) 5位:菅義偉(4.7%) 6位:麻生太郎(1.3%
7位:福田康夫(1.3%) 8位:森喜朗(0.7%) 9位:野田佳彦(0%)
という結果になっている。調査回答者はたったの150人だった。一国の首相に関する質問調査で、150人の意見を一つの結果として、発表するのは、世界中の媒体で、前代未聞と言えるのではなかろうか。
確かに、殆んど意味を成さない質問調査であり、読者は、暇つぶし、或いは,退屈しのぎに、目を通す程度の記事である。が、意外にも、読者の反応は、異常なほどに積極的であった。 質問調査の回答者僅か150人の記事に対する、読者のコメントが、何と、150人の20倍を超す 三千数百人もあった、というのは、大変予想外の驚きである。
首相論評の質問調査対象150人は、余りにも「短慮」に過ぎる、が、その短慮を、過度に真面目に取り上げる読者共も、「過敏」ではなかろうか。この所に、日本文化の有り様(ありよう)を垣間見る事が出来る,のではなかろうか。
日本は漢字の国であるが、「深謀遠慮」という漢字言葉は、あまり使われない、言い換えると、好かれないという事になる。それで、「深謀遠慮」型の人間には、大概、「古タヌキ」というあだ名を付けて、馬鹿にしようとする。 実際は、自分が馬鹿である場合が圧倒的に多い。
上述の女性自身誌は、【2000年代の歴代首相のなかで最も「がっかり」だった人は?】の質問調査(回答:2021年9月9日~9月12日)も、殆んど同時に行なった。 結果は、次のように出ている。
1位:安倍晋三(26%) 2位:菅義偉(24%) 3位:鳩山由紀夫(13.3%)
4位:菅直人(11.3%) 5位:野田佳彦(9.3%) 6位:麻生太郎(8%)
7位:森喜朗(7.3%) 8位:小泉純一郎(3.3%) 9位:福田康夫(0.7%)
前述の 再任希望2位の安倍晋三は、 がっかりで一位に躍進した。 これほど、いい加減で、当てにならない調査も稀である。
筆者が、丁度、本文を書いている最中に、「あてにならない」と言う文句をヤフーに、入力したらば、「宛てにならない」と 「当てにならない」、の二つが出て来た。筆者は、迷いなく、「当てにならない」を選んで使ったが、「宛てにならない」の方を好んで使う人も居るだろう。嗜好の違いである。 列島人種は、このように、正解の選択よりも、嗜好を先行させる、選択肢を好む人が結構多い。 女性自身の調査結果に、そのような嗜好がありありと現れている。国の首相を、芸能人、或いは、映画俳優並みに見立てて、好き嫌いを決めているが、結論は、全く「当てにならない」という事を、二つの調査調査結果の比較が立証している。
それで、三千数百の読者論評(コメント)が、カッカとなって、150人の回答者を叩いている訳だが、此の人達も、短気短絡の点で左程の違いは無く、論評に左程の意味がある訳でもない。
その数多い読者論評の中に、ちゃんと焦点を当てていたのが、一つ目に止まった。
『 日本の政治家が優秀ではないのは、有権者が能力の無い政治家を選んで
いるからだ。つまり、有権者に良い政治家を選ぶ能力が無い、という事
を示す歴代首相ランキングだ。』
と言う論評で、2728人の賛同者が有って、不賛同者が、僅か、98人だったのは、一応、正論と見なすべきであろう。
東京八王子の雲龍寺に、『日本再建ノ三大恩人銅像』が建っている。恐らく、知っている人は少ないであろう。 三大恩人とは、下記の三人である。
日本救民の恩人
諾楽守 摩訶薩 元帥 (アメリカ合衆国・ダグラスマッカーサー元帥)
日本再興の恩人
蔣中正 大総統 (中華民国・蒋介石)
日本独立の恩人
謝得和畄天寧 大統領 (スリランカ・ジャヤワルデネ大統領)
ちゃんとしたお寺が建てたのだから、勿論、いい加減な事ではない。
その内の一人、マッカーサーは、 戦後の、日本救民(飢餓を救う)の大恩人で、後日、日本の国会で、「マッカーサー神社」を建立する事まで決議した。マッカーサーの貢献が、如何に大であるか、これだけでも十分分る。
日本占領の任務を終えて、帰国したマッカーサーが、1951年5月3日から開催された上院の外交委員会と軍事委員会の合同聴聞会で「日本人は12歳」の証言を行った。この証言を行ったことが日本に伝わると、この証言が日本人、特にマスコミに与えた衝撃は大きく、『朝日新聞』は新聞1面に大きく【マ元帥の日本観】という特集記事を掲載し「文化程度は“少年”」と日本人に対し否定的な部分を強調して報じた。以来、日本人のマッカーサーに対する尊敬が、急転直下、憎しみに変わって、そのため、政府が計画していた「終身国賓待遇の贈呈」は先送り「マッカーサー記念館、神社の建設」計画は撤回となった。のは、衆知の通りである。
なぜ、「日本人は12歳」の一言で、このような急転直下が生じるのか ?
日本の文化、心理学者などによると、『人間は、図星を指された時に、このような極端な反応を示す』と、分析している。つまり、マッカーサーは、日本について、正直な事を話しただけで、それが、日本人の未熟性、幼稚性の図星に当たったので、極端な反応招いたものであって、マッカーサは、何も、偏見が有って、そのような発言をしたをした訳ではない。つまり、急転直下は、日本人特有の、バカにした、バカにされたの「一人相撲」嗜好によるものであった。言い換えると、劣等感の裏返し、によるものだった。
84裁で逝去した、日本救民の恩人の、「十二歳」という一言は、本来なら、日本人がそれに悟りを得て、未熟な自分の成熟努力の指針、教えにするべきものであるべきものが、日本人は、そうしないで、大人物の発言者を、極端に嫌うようになった。単細胞人種の執念の深さをしみじみと感じさせる。 不気味極まる事である。
1951年、帰米するマッカーサー元帥を、NHKは下記のように報道した。
4月16日午前6時半、マッカーサー元帥は夫人、令息同伴でアメリカ大使館を出発、帰国の途に就きました。朝早くから詰めかけた人々が20万を超え、沿道をうずめ尽くしました。19発の礼砲とどろくうちを、車は羽田空港に到着。吉田首相と堅く握手を交わすマッカーサー元帥。手を振っていつまでも別れを惜しむ元帥夫人。いよいよ出発の時刻が迫りました。見送るリッジウェイ総司令官。愛機バターン号は静かに日本を離れ、一路アメリカに向かいました
このようなNHK 報道を読んで、たった一言の「十二歳」で、マッカーサー元帥に対する、日本人の態度豹変を、誰が、予想し得たであろうか。勿論、良識、或いは、常識で以てしても、予想は出来ない、想像ですら出来ない。
上述女性自身の調査質問で、再任希望2位の安倍晋三は、がっかりで一位に躍進した。これとて、良識や常識では、予想も想像もできない。
阿倍晋三にしても、マッカーサーにしても、程度に大変な違いはあるが、日本人の文化水準を知る上では、誠に結構な実例であると、言わねばなるまい。
生半可と短 絡 思考の不気味な単細胞の持主である列島の人々は、元を正して見ると、縄文弥生混血の遺伝子が、問題の核心になっている、という可能性に辿り着くようである。