李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【 四字熟語に 目覚めよ 福原愛 】  仁目子

2022-11-11 13:57:49 | Weblog
ーー  なぜ 福原は、中国人に人気がある ーー
ーー  厚顔無恥の我儘を容赦する世間体 ーー

日本語で言う「四字熟語」は、漢語の「四字成語」が 本元であることを予め断っておきたい。例えば、四面楚歌のように、四つの字で成り立っている「語」だから、四字成語と言う。確かに、その通りで、漢字の本家に相応しい。

福原愛という、一人の過去の卓球選手が世間で、騒ぎ立てられて、既に、一年余りの月日が経ったが、未だに、騒ぎは止まらない。

福原は日本人だが、彼女の騒ぎは、日本(や台湾)に止まらず、中国にまで及んでいる。しかも、日本や台湾で評判の良くない彼女が、中国で、人気者になっている。不思議な事である。

今まで、日本の報道紙上で目に付いた、彼女に対する「四字熟語」の形容を一寸拾い上げて見ると、四面楚歌、自業自得、 厚顔無恥、 因果応報、人倫略奪、などなどの、好ましくない形容詞が多く使われている。

これらの「四字熟語」は、もともと唐土に古くからあった「四字成語」を日本で取り入れて使用しているものだから、中国人は、日本人以上に、これらの言葉の意味をよく知っている。

福原愛の行為に対する、日本に於ける批判を、これらの「熟語」で整理してみると、先ず、厚顔無恥と人倫略奪に始まり、自業自得と因果応報の罰を受け、今は、四面楚歌の状態に追い込まれている、ということになる。

嘗て、日本国民に愛された「偶像」が、このような境地に自分を追い込むとは、誰が、予想想像 出来たであろうか。 恐らく、魔に取りつかれた、としか言いようが無いであろう。

そして、なによりも不可解なのは、中年の大人であるのに、自分の行為に対する認識や反省の気配が、全くと言っても良いほど、無いという事である。確かに、常識では判断出来ない事である、が、それ以上に、不思議な事は、数千年来、儒教で培われて来た唐土の人々が、厚顔無恥で、四面楚歌になり果てた福原愛に、戒めの言葉を掛けず、事もあろうに、彼女の厚顔無恥を是認して、後ろ盾になっている、という事である。

それは、彼女が、日本人にはすごく珍しい、中国語に堪能である事が、唐土の人々に親しみを感じさせる要因になっているわけだが、中国語に堪能であれば、論語の教えを、全く無視しても許される、という事にはならない。それが、許されるというのであれば、中国は文化の国として、数千年も生存出来るわけは無い。

11月9日、東スポが、『 福原愛が頼みの中国で人気凋落! 』という記事を掲載した。もともと、愛を庇っていた東スポが、このような記事を出すという事は、東スポの愛に対する姿勢に変化が生じて来た。という事に他ならない。厚顔無恥で、四面楚歌になり果てた福原愛に、愛想がつくのは、当然のことである。

倫理を非常に重んじる古文化の国中国が、福原の不倫に目をつぶって、彼女の肩を持ったのは、彼女が台湾人の夫から離れた事に喜びを感じた、政治的な意識形態によるものであるのは、はっきりしている。所が、愛が日本人の 既婚者A氏 と不倫関係を持ち、結果、A氏夫妻が離婚した事に対し、中国人の態度は厳しかった。というのは、A氏は日本人だから、台湾人に対する政治的な意識形態の問題は無く、純粋に倫理問題として、是非を論じる事が出来るからである。

愛に「略奪者」という綽名を付けた中国人が現れたのは、何よりも、中国人の愛に対する認識変化の現れと言わねばなるまい。

予想出来る事だが、倫理を非常に重んじる中国人が、愛の厚顔無恥、人倫略奪を、何時までも黙認するわけがない。案の定、『 福原愛が頼みの中国で人気凋落! 』の記事が日本にも掲載されるようになった。

これこそ、四面楚歌が、本格的に、福原愛を取り囲む事の始まりと言ってよいだろう。最後の頼みである中国にも見放されるようになったら、愛は、目覚めるしかなく、厚顔無恥をこれからも続けられるわけは無い、と思う、が。 殆ど、無神経に近い、図太い神経の持ち主である愛に、目覚めを期待するのは、或るいは無理だかも知れない。

すると、残るのは、同胞日本人の助力に頼る「是正」しかない、という事になる。何故かと言うと、国際結婚が齎した問題で、中国の政治的絡みが加わって、ややこしくなっている。このような事態進行は「日本の恥」である、という日本人も結構居るからである。

我儘(わがまま)という出る杭を、日本社会の「世間体」が容赦するわけは無いと思うが、それなら、然るべく、打ち込むべきであろう。

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