李白の白髪  仁目子


白髪三千丈
愁いに縁りて  箇の似く 長(ふえ)た
知らず 明鏡の裡(うち)
何処より 秋霜を得たるか

【物にならなかった、列島の「漢字文化」】     

2016-02-19 17:02:04 | Weblog

   【  物にならなかった、列島の「漢字文化」】

          ーー 白髪三千丈の、一句しか

                    知らない人達の為に  ーー

 

「 白髪三千丈とかいいますが、なぜ中国語では3がつくと、誇張の表現になるんですか? あと、中国人はなぜ誇張癖があるんですか? 」というウエブ上の質問があった。

閲覧者は数百人居たが、バカバカしいからであろう、回答は僅か三つしかなかった。

一つ目の回答要約;「確かに三千丈は大袈裟です。しかし、三で以って誇張表現となるのではなく、千とか万とか、日本語にもあるような数で誇張します。文意を面白くし、退屈にしないための中国の修辞学上の技法なのです」

二つ目の回答;「中国語の三は、例えば、「木」「林」「森」のように、一般に大中小の概念を表わします。しかし、三千丈の三は偶然の一致であると思います。中国人だけでなく私たちも、多分想像ですが、地球上の人間は誰しも大きいことに憧れるのではないでしょうか。誇張は中国人だけのものではないと思っています」

三つ目の回答;「日本語がうまく出来ませんので、中国語で説明してもいいですか」、という断わりを付けた、中国語の回答で、次のように述べていた。

『 在中國的修辭學上 有 譬喩 誇飾 對比 映襯 等用法。最終目的 不過就是 讓文章看起來 不無聊』 ( 中国語の修辞学には 譬喩 誇飾 對比 映襯 等の用法がある。最終目的は、文章を退屈に感じさせない為に過ぎないものである ) 』

『 比如説「腰纏萬貫」、「腰に金万貫をかけるお金持ち」のように、誇飾法的運用 最主要 就是要加強 想要形容的目標而已 』 ( 例えば、「腰纏萬貫」 ( 腰に金万貫を纏うお金持ち) のような誇飾法の運用の最大の重点は、単に、形容する目標を強調しようとする為に過ぎない 』

この三つ目の回答も、一と二の回答同様、質問者の「誤解」を指摘しているものだが、説明の内容が、かなり「きめ細かい」点で異なり、漢字の「本場の人」である事を実感させる。

 

この回答に、腰纏萬貫 ( yao1 chan2 wan4 guan4 ) (ヤオ1 ツアン2 ワン4 クアン4 ) という、唐土の「成語」を参考例として挙げている。

「腰纏萬貫」という古代の漢語は、日本語に取り入れた形跡が無く、唐土文字文化の「修辞学」というものを、より良く理解する上で、非常に良い参考となるので、ここで、取り上げてみたい。

この成語を、字面 (じつら) 通りに読み下すと、「腰に、萬貫を纏(まと) う」になるが、字義は「大変なお金持」を意味する。

出典は、南朝梁.殷芸《小説.卷六.呉蜀人》に出ている逸話の一つで、数人の人が集まり、各々の志を論じ、一人が、「揚州刺史に成りたい」、一人が、「厖大なる資産の金持ちに成りたい」、一人が、「鶴に乗って空に舞い上がりたい」と、三者が各々の志望を述べた後に、四人目が、自分の志望は「腰纏十萬貫,騎鶴上揚州」であると述べた。

つまり、莫大な財産を持参し、鶴に乗って、揚州の刺史に赴任したい、と言って、前の三人の志望を全部ひっくるめて、自分の志望にした。要するに、高官にありつく、財を成し、仙人になる、というのは、一般の庶民が普遍的に渇望しているもの、である事を言い表した「逸話」である。

此の逸話に、もともと「大変な金持ち」の形容として出ていた「腰纏十萬貫」が、後日、「腰纏萬貫」の四字成語に変わって、お金持ちの代名詞として、使われるようになった。

 

「貫」は古代唐土の貨幣の計算単位で、一貫は銭貨 1000枚の重さを表す。日本では、江戸時代以前の通貨単位であり、明治時代に、1貫 = 100両 = 1000匁 = 3.75kg と定義された。つまり、銭貨1000枚の重さに直すと、3、75 キロに相当する。

「腰纏萬貫」は、だから、字面で解すると、重さ三万七千五百キロの銭貨を腰にぶら下げる、という事になり、その成語の元である「腰纏十萬貫」に至っては、三十七万五千キロという、気の遠くなるような重さになる。

 

明治以降、「白髪三千丈」を列島で、字面通りに、「シラガが三千丈の長さ」と算術並みに解する人が多く現われ、李白は、詩仙から法螺吹きに、一挙で格下げされたのは、維新に依る、列島漢字文化の急激な衰退が元兇であるのは間違い無い。何故なら、維新以前の、漢字文化の栄えていた列島で「白髪三千丈」は詩句であり、表現が「誇張」だという人は居なかった、という事実に照らして、如何に、列島の漢字文化が衰えて仕舞ったかが分かる。

もし、「腰纏十萬貫」という表現が、その昔、列島に伝わっていたなら、列島から見た唐土の人は、「誇張好き」に留まらず、「気違い」のように見えたであろう。言葉の奥行きの深さを知らないという事は、恐ろしいものである。

 

さる、中国人の有名な先生に北京語を教わっているという人が、ウエブに次のような学習感想日記を書いていた;

 

『 中国人は、言葉の表現がオーバーだと言はれる。北京語を習って、形容詞に「非常に」という副詞を付ける事が多いな、と思った。

中国人の大げさな表現は、口語に始まったものではない。中国の古典を知っている外国人なら、その詩文の想像を絶する誇大な比喩に苦笑したことが多分誰にもあるだろうと思う。

中国人のオーバーな表現の代表は「白髪三千丈」である。出典は、言うまでもなく、大げさな表現の代表選手、李白だ。

僕は、唐詩の中で、李白が大好きで、幾つかは今でも暗誦している。

有名な、僕の北京語の先生に、「外国人はよく『白髪三千丈』を使って、中国人の大げさな表現をからかいますよ」と言ったら、先生は全然知らなかった。

どうも、中国人は自分達の表現が大げさだと思われている事を気にしていないらしい 

 

この日記の主は、文中で、「三」についても、色々と論じた結果、出した結論は、

「三」は「大」で、「九」は「大の大」だが、これが「三千」になると「数え切れない程多い」という意味になる』、と言う。

それを「白髪三千丈」に当て嵌(はめ) れば、「白髪が数え切れない程に増えた」という解釈になるから、ちっとも「オーバー」ではないのに、この人は、同じ日記の中で、

『 中国人のオーバーな表現の代表は「白髪三千丈」である。出典は、言うまでもなく、大げさな表現の代表選手、李白だ 』、とも言っている。

極端な言い方をすれば、日記の主は「思考論理の錯乱」した感想を、公然と公 ( おおやけ) にしているようなものである。

『 北京語を習って、形容詞に「非常に」という副詞を付ける事が多いな、と思った』、と、日記の冒頭に書いたこの学習子は、有名な北京語の先生から何を習おうとしているのか、甚( はなは) だ気に掛かる。月謝が勿体ないとも思う。

 

兎に角、列島には、「誇張」という事に、極めて敏感である、という事を思わせる文章記事の氾濫に良く驚く。そして、その「誇張」の主を、殆んど例外無く、中国人に絞るという論調に、無上の怪奇と深い戸惑いを感じる。

 

列島に、古くから伝えられている、古代歴史の「竹内文献」というのがある。

その記述によると、列島の歴史は、神武天皇以前にウガヤ・フキアエズ朝72代、それ以前に25代・436世にわたる上古代があり、さらにその前にも天神7代の神の時代があったという、過去3000億年にさかのぼる奇怪な歴史が語られていた。そして、今から数十万年前の超古代の日本列島は世界の政治・文化の中心地であった、とも言う。 

「 過去3000億年にさかのぼる歴史」は、「三」という数字で始まっている。「三」が「誇張の元」であると決め付ける日本人は多い。しかし、自国の「3000億年にさかのぼる歴史」を引合いに出す者は見当たらず、もっぱら、李白に焦点を絞るのは何故か?

列島の古い事は知らないのであれば、現代の女性名「三千代」、京都の「三千院」、高杉晋作の「三千世界のカラス」などなど、幾らでもあるのでないか、唐土の李白を借用する必要が何処にある?

 

漢字文化を取り入れて千六百年、列島ついにこれを、物に為る事が出来なかった。その、心の底に潜む無念と自己卑下が、反撥して、逆に相手を見下そうとする「形」になって現われたものだと、見る識者に時々お目にかかる。そうだと思う。

秋を知る、、、 列島では、「満山の紅葉」を眺めて、始めてその到来を知る。唐土では、「梧桐の一葉落ちて」、その到来を知る。感覚の奥行きの深さに、その違いを見る事が出来る。

 

李白を引出し、唐土の人は「法螺吹き」だと言う列島の人に対して、唐土の人が、竹内文献、乃至、大本営発表を引出して反論反撥する話は聞いた事が無い。何故だろうか?と思ってみた人は居るのだろうか?

 

本文冒頭でふれた質問の、三つ目の回答;「日本語がうまく出来ませんので、中国語で説明してもいいですか」、という断わりを付けた、中国語の回答を見ても、「中国の修辞学」について、好意的な説明をしているだけで、反撥はしていない。

その後に、続いてふれた北京語学習子の日記は、次のように締め括っていた

『 有名な、僕の北京語の先生に、「外国人はよく『白髪三千丈』を使って、中国人の大げさな表現をからかいますよ」と言ったら、先生は全然知らなかった。どうも、中国人は自分達の表現が大げさだと思われている事を気にしていないらしい』

有名な先生が、からかわれている事を知らない訳はない。「全然知らなかった」というのは、学習子の「気にしていないらしい」という臆測が正解であろう。

 

漢字文化に関する限り、唐土は大先生であり、列島は孺子である。孺子が先生をバカにしようとする場合、唐土では、古くから「孺子不可教也」と言う。

日本語で、「この子には教えることができない」と直訳し、くだけて訳すと「教えても成果が上がらない」「教育しても無駄な子だ」「あまり賢くない子だねえ」という具合いになる。

原文は「史記」から出ており「孺子可教矣(見どころのあるヤツだ)」と意味し、その否定型として「バカな子」という意味で「孺子不可教也」という言い方が出来た。

だから、李白を引出し、唐土人は「法螺吹き」だと言う人、それで得意になっている人は、唐土の人から見れば「孺子不可教也」であり、馬鹿らしくて相手にもしない、というのが実態 ーーー それは、「恥じ晒 ( さら) し」以外の何物でもない ーーー という事を、列島の人びとは、この際、よく知っておくべきであろう。

 

 

 

 

 

 

 


【 列島文字文化の、原始回帰 】

2016-02-03 16:54:13 | Weblog

      【 列島文字文化の、原始回帰

      ーー   栄えゆくカタカナ語族の、

       不可解なる愚痴  ーー

 

「中国語は趣がないなあ。日本語のカタカナと違って、なんでも漢字にしてしまうから。ちょっと違和感がある。たとえば、ハワイという単語とか」、という愚痴をウエブで目にした。

ハワイという単語を中国語で著わすと「夏威夷」になる。ハワイは日本語名で、夏威夷は中国語名であり、互いに不都合の生じる事柄ではないのに、この人は愚痴を零( こぼ) している。

また、このような「カタカナ語音痴」もいる。

質問アメリケンの(アメリカ)メリケンらしいのですが、                           ほんとですか?

ベスト回答幕末~維新のころ、文字から外国語を習った人は、綴りにこだわって覚え、耳から習った一般庶民は、メリケン、エゲレス、オロシャなどと言っていました。メリケン波止場は、昭和の時代までありました。横浜の人たちは「イヌ」を「カメヤCome here.)だと思っていたそうです

 

ついこの間の幕末~ 維新のころのカタカナ「メリケン」は、当世の日本人には、すでに、「身元不詳」の言葉になっている。

この質問回答に出て来るカタカナを漢字に直すと、メリケンが「米利堅」、エゲレスが「英吉利」、オロシアが「魯西亜」、カメヤは「来なさい」、という具合になって、意味の見当は付くから、頓珍漢な愚痴や質問をしなくても分かる。

数千年の長きに亙って育て上げた漢字は、昔、西洋人に「悪魔の文字」と言われバカにされたが、漢字を自由に駆使出来るほどに鍛えた「頭脳」は、「電脳」( computor ) に負けないと、昨今の西洋人は甚 ( いた) く褒めている。

 

「趣」(おもむき) とは。() そのものが感じさせる風情。しみじみとした味わい。 () 全体から感じられるようす・ありさま。と、国語辞書に出ている。要約すると、風情、味わいにようすありさまである。

ハワイを、唐土では漢字で夏威夷と書く。北京語の発音は「シァーウェイーイー」で、何の事だか分かり難いが、この漢字名は、広東系華僑が付けたもので、広東語発音だと「ハーワーイ」になる。だから、夏威夷はハワイである。

ハワイと云えば「常夏の島」という文句がすぐ頭に浮かぶ。

「夏は、文字通り常夏のハワイが楽しめるベストシーズンです。6月になると、最高気温が30 c を超えますが、湿気がなく爽やかに過ごせます」、と日本の旅行関係宣伝文句に見られるように、夏でも暑気は穏やかである。

 

そのような意味を込めて名付けたのが漢字の「夏威夷」であり、趣のある命名である事を知る人は多く居ないようだ。

特に日本人は、「夷」という字を目にすると、好ましくない意味を聯想するが、それは、漢字に対する「一知半解」によるもので、漢字の間口の広さと奥行きの深さを良く知っていない為である。

唐土の漢語詞典によれば、「夷」という字に、十以上の異なる字義がある。その内に、太平( peaceful ) という字義があって、「如夷」と書いて、太平統一を意味する、そして、「夷世」と書けば、太平之世になる。また、平和; 平易 (gentle; modest ) などの至極太平な意味も含まれている。例えば、議論しても、言葉は和やかで、気色は穏やか」と形容するのに、「與之辯解, 言和而色夷」という言い方が使われる。

それで、「常夏の島だが、暑気は穏やかなり」という意味を持たせて「夏威夷」という奥行きの深い漢字名が誕生した訳だが、抜群の知恵であると云えよう。

 

漢字というのは、古代唐土「華夏」の文字である。この「華夏」の文字を、文字の無かった列島が取り入れたのが五世紀頃で、今日まで、千六百年の長い月日が経ったが、列島は、これを薬篭中の物に為る事が出来ず、明治開化以降、徐々に漢字を諦め手放し、横文字に切り換える道を選んだ、が、あれから百六十余年のこれまた長い月日が過ぎ去ったが、これまた、英語の How are you 一言ですら物にする事が出来ないで、その挙げ句、今はカタカナという符号に縋り付いている。

トンチンカン、チンプンカンプンという訳の分からない事を意味する日本語を、漢字に書き直すと、頓珍漢、珍文漢文になる。共に、「漢」という字が文句の核になっている事から、漢字と云うものが、如何に、列島人を悩まして来たかということが分かる。

文字文化に関する限り、列島は後進国の域からまだ出ていない。列島は、そのような星の下に生まれたようである。それだから、「漢字は趣がないなあ」という見当違いの愚痴を零(こぼ) す仕儀となる。

 

日系人が多く住んでいるLos Angeles は、スペイン語の「天使の町」という意味だが、日本語では「ロス」で親しまれている。簡単で呼び易いが、味もそっけも無い。

同じそのLos Angeles に、華人は、字義通り「天使城」に訳したのと、発音の当て字で「洛山磯」と名付けたのと、二通りある。日頃一般に使われているのは「洛山磯」の方で、略して「洛城」とも云う。

 

「洛」と云う字は、昔の唐土の「洛陽」に因み、列島でも京都の代名詞に使われ、良く知られている字で、中国語発音は「ロー」

Los Angeles は、山あり、海ありの「都」で、山は「サン」で、海を表す「磯」の発音が「チイ」という事から、「洛山磯」(ローサンーチイ)という漢字名の誕生になったが、発音と字義の双方を組み合わしたこの見事な命名は、漢字の間口の広さと奥行きの深さを知る上での又と無い良い例であろう。

 

Johny WalkerというWhisky の銘酒がある。漢語で約翰走人と訳している

Johnの音訳が「約翰」で、Walker は歩く人だから「走人」で、Johny Walkerは、だから「約翰走人となる

 

同じ、「走」という漢字の付いている日本語の「師走」という言葉の由来は、年暮れに人々が慌しく走り廻るから、という具合いに列島で解している。だから、 Johny Walker は「約翰歩行人」と訳すべきだ、約翰走人」は誤訳だと指摘する日本人が居ても可笑しくない

列島の「走」は「はしる」だが、唐土の「走」は「あるく」で、同じ漢字なのに、丸っきり意味が異なる。

確かに、「師走」の解釈が正しいのであれば、「約翰走人の訳は大変な誤訳になるが、問題は、「走」という漢字の意味をどう捉えるかに掛かっている。

 

漢字の原産地は唐土である事から、列島の「走」は、原義から逸脱した意味で使われるようになった、としか解釈の仕様が無い。つまり、唐土の約翰走人の訳に問題は無いが、列島に於ける「師走」の解釈に問題あり、という事が云える。

「師走」という、一見古めかしい文句は、昔の唐土でも使われていた。「師」とは、今で言う「先生」の事で、学校の普及して居なかった昔は、先生を雇い私塾で子弟に教育を受けさせていた。

師走とお歳暮は切り離せない。昔から、子どものお稽古ごとの先生に、お歳暮を贈る習わしがあった。大抵、十二月の始めから二十日までに行なわれる。つまり、師走にお歳暮を贈るのである。その後、晦日となり、一家の団欒( らん) に繋( つな) がる。一家団欒の為に、先生は子どもから暫し離れて帰省する。

それで、年の暮れに「師が去る」ので「師走」という季語が生まれた訳で、歩く、去る、離れるの意味を持つ「走」が、海を渡って列島にたどり着いた後、字義が大きく逸脱して「駆け足」に変わって仕舞った。

 

日本で、漢字、漢文の語源を調べる時は、列島内に枠を限って、海の向うにまで足を伸ばす事はしない。来源が海の彼方にあるのに、これは可笑しな考えである。

従い。「師走」の語源についても、辞書は、「平安時代にはすでに、「しはす」の語源は分からなくなっていたのである」という断わりを付け、跡は、学者先生の好き放題な解釈を並べるだけに終わっている。

 

先生が走る、僧侶が走る、年末は忙しいから、猫も杓子も走る、という事で「師走」を解釈している訳だが、「平安時代にはすでに、「しはす」の語源は分からなくなっていたのである」と辞書が断わっている通り、そのような解釈は根拠に乏しく、当てにならない。 

 

「中国語は趣がないなあ。日本語のカタカナと違って、なんでも漢字にしてしまうから。ちょっと違和感がある」と、当世の日本人は漢字にケチを付け、カタカナを持ち上げているが、ちょっと考えれば分かるように、カタカナも、云うなれば漢字の「分身」「片割れ」である。だから、「片仮名」と書く。

 

漢字が難しい、或いは、他人の文字だから、それが嫌で「漢字文化圏」から離れた国が幾つか有る。昔の南越、今の韓国がそうである。南越は漢字を横文字に切り換え、韓国は自分の文字を創り上げた。共に思い切った、立派な文字文化の変身振りである。

列島のカタカナ語族は、漢字が嫌いで、漢字の片割れに頼っており、横文字に切り換えるにも、そのバタ臭い匂いが好きになれない、という伝統的に、極めて独特な「身勝手な嗜好」に縋(すが) り付いているから、南越や韓国を真似る事は無理であろう。

 

漢文去り、洋文来たらずで、今、カタカナに辛うじて縋り付いている列島は、このまま、文字文化の原始回帰に向かい、カタカナで辿り着けるところまで、行くしか道は無いのではなかろうか、と、列島の外から眺めてつくづく思う。