夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

学会活動の基本-個人指導

2009-02-14 14:17:31 | 小説「新・人間革命」
学会活動の基本は、自行としての勤行・唱題と、化他行としての折伏と個人指導にある。また、見方によっては、折伏とは、一人の人が入会することで終わるのではなく、個人指導を重ね、その人が自分以上の人材に育ってこそ、完結するということができる。

会合も大切であることはいうまでもないが、会合に出席する人というのは限られている。たとえば、座談会を見ても、参加者に倍するほどのメンバーが、それぞれの組織にはいるはずである。そこに、満遍なく激励の手を差し伸べてこそ、盤石な学会がつくられ、それが拡大にもつながり、広宣流布の広がりも生まれる。いわば、個人指導なき活動は、画竜点晴を欠いているといってよい。

ひとくちに個人指導といっても、決して、容易なことではない。

会員のなかには、さまざまな人がいる。会って話すことを拒む人もいれば、子供のころに親と一緒に入会してはいるが、自分は信仰をした覚えはないという人もいるかもしれない。あるいは、学会に著しく批判的な人もいるだろう。さらに、病苦や経済苦などに悩み、未来への希望を見いだせずに悶々としている人もいる。そうした人びとの家を訪ね、知恵を絞って対話の糸口を探し、友情を結び、信仰の大切さを語り、勤行や教学を教えていくことは、並大抵のことではない。

それは、会合で話をしたり、行事の運営をすることより、はるかに難しいにちがいない。しかし、そこにこそ、自身の鍛錬がある。他者を育成するなかにこそ、自己の成長もあるからだ。また、その労作業のなかに、まことの仏道修行がある。

会合に集って来る人だけを相手に、活動を進めることは楽ではあるが、そこには本当の広宣流布の広がりはない。それでは、海の彼方の岸辺をめざしながら、入り江のなかを巡って満足しているに等しいといえよう。学会活動の主戦場となる舞台は、会合の先にこそあることを、幹部は深く認識しなければならない。

創価学会の真心のネットワークを形成してきたものも、家々を訪問しての個人指導であった。大樹が、網の目のように、地中深く張り巡らされた根によって支えられているごとく、学会を支えているものも、この地道な個人指導の積み重ねであるといってよい。

臆病で怠惰なスタンドプレーヤーには、この勇気と忍耐の労作業を成し遂げることはできない。民衆のなかへ、友のなかへ、人間のなかへと、個人指導の歩みを進める人こそが、仏の使いであり、まことの仏子であり、真正の勇者といえるのだ。

山本伸一は、青年部の幹部が、個人指導に徹していくならば、学会の未来は永遠に磐石であると確信していた。川が流れるにつれて川幅を広げ、水かさを増すように、時代を経るごとに、人の輪が広がり、数多の人材が輩出されていくことになるからである。

しかし、青年部の幹部がそれを怠るならば、学会という大樹の根を、自らの手で断ち切ることに等しい。ゆえに彼は、この女子部の幹部会で、個人指導の大切さを訴えたのである。

さらに伸一は、女子部の帰宅時間についても、言及していった。

「長い長い、広宣流布の旅路であります。無理をして帰宅時間が遅くなり、疲労がたまったり、生活のリズムが狂うようであればマイナスです。また、社会性、常識ということも、十分に考慮していかなくてはなりません。もし、遅くなって、事故に遭いでもしたら、お父さん、お母さんにも申し訳ない限りです。その意味から、女子部は遅くとも、十時には帰宅しているようにしたいと思うのであります。先輩幹部の皆さんも、必ずその時間には帰宅できるように、気を配っていただきたいし、それが守られない場合には、厳重に注意もしていただきたい」

真剣に活動に励めば、あっという間に時間は過ぎ去ってしまうものである。しかし、時間にけじめをつけることによって、有効に時間を活用するための創意工夫も生まれるし、惰性を排することもできる。また、事故も未然に防くことができる。そこに価値の創造がある。

山本伸一は、この女子部幹部会で、未来への指標を与え、学会への的外れな批判を自ら論破し、個人指導という活動の要諦を語り、さらに帰宅時間についてまで、具体的に指導したのである。

8巻 宝剣

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