夢をかなえる新聞・聖教新聞 -人間革命の指針-

聖教新聞は夢をかなえる新聞です。その中より「新・人間革命」、名字の言、体験から夢をかなえゆくための指針をつづります。

言論を民衆の手に取り戻す

2009-02-14 15:00:19 | 小説「新・人間革命」
一九六二年(同三十七年)の十一月には、言論部の機関誌として月刊雑誌『言論』が創刊された。これは言論部員の意見の発表の場として発刊されたもので、時事問題への論評もあれば、マスコミの学会への批判に対する鋭い反論もあった。

山本伸一は、この第一号に「創刊のことば」を寄稿した。

そのなかで彼は、「文は武よりも強し」との信念のうえから、東西冷戦も、武力の抗争も、「正義の言論戦」によって方向転換させることが可能であると宣言している。

さらに、日蓮大聖人が民衆救済の大慈悲をもって著された御書こそ、「民主主義の大原則たる言論戦の火ぶたを切られた証左である」と強調し、「今こそ広宣流布のため、民衆救済のため、勇ましく正義の言論の剣をとって前進しようではないか」と訴えたのである。

言論の真実の担い手は民衆である。しかし、民衆が自ら、ものを考えることをやめ、自身の権利と尊厳を守るための言論を放棄してきたのが、日本の現実といえた。

伸一は、言論を民衆の手に取り戻すことを、この言論部の使命と考えていた。

言論の力は大きい。それは、人の意識を変え、時代を変える。ゆえに、民衆の支配を目論む権力は、言論を意のままに操り、言論の暴力をもって、改革者を社会的に抹殺してきた。マスコミを使って、デマを流し、“極悪人”や“異常者”“狂気”等のレッテルを張り、改革者への嫌悪と恐れをいだかせるというのが、彼らの常套手段といってよい。

民衆の「喝采の時代」を開かんとする創価学会もまた、この言論の暴力に晒され続けて来た。それを打ち砕く、正義の言論を起こさずしては、真実は歪められ、踏みにじられていく。そうなれば、民衆の永遠の勝利はない。 

山本伸一が言論部の育成に力を注いできたのも、まさに、それゆえであった。

8巻 清流

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