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思考の踏み込み

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前田智徳9

2014-08-06 02:03:51 | 
ここで少し前田智徳が所属した、広島東洋カープという我が愛すべき球団についてふれておきたい。




このチームの魅力は何と言っても日本で唯一の市民球団であるという点であろう。

要するに企業の広告塔として存在するチームではなく、市民の要請によって生まれた球団であるということである。

懐かしき "旧" 市民球場。箱庭の様な狭さが良かった。


これはメジャーリーグでは当たり前の事である。
企業広告が全面に押し出されたチーム名や球場、これはメジャーリーグには存在しない。

しかしそれは日本の経済システムや気質の問題として考えると別にどちらでも良い。
メジャーの様にあるべきだ、などと言うつもりもない。
「欧米ではこうなってます。
日本もそうあるべきです。」というのはジャーナリストとか自称知識人、国際人達の常套文句だが、あまり頭の良い人達ではないのだろう。

そんなことはどうでもいいのだが、やはり純粋な市民球団というのはムダがなくて心地良い響きがある。



(前田は一度だけカープ坊やになぞらえて前髪を緑に染めた事があったらしい…。)


ちなみに "東洋" とついているのは現在の "マツダ" 、当時の "東洋工業" 社長の松田恒次がオーナーに就任した頃の関係によるが、東洋工業からの資金の投入はわずかでしかなく、他球団の様な親会社と子会社の関係性にはない。

従って当然、カープには金がない。

金が無いから、無名な選手を集めてきて育てるしかない。
せっかく育った選手が大金に釣られて、他球団に行きたいと言ってきても、引き留めるだけの資金力がないからハナから交渉などしない。

そして当然、強力な助っ人外国人など呼ぶ資金もない。

外国人枠でさえ、無名の逸材を見つけて一から育てるのである。

ドミニカのカープアカデミー。ユニフォームはお古。

金にモノを言わせて醜いマネーゲームを繰り広げる風潮が強くなった今日、これほど素朴で素晴らしい球団はメジャーにもそうそう見当たるまい。

だから広島カープの選手はみな若くて溌剌としている。観ていて気持ちが良い。

"若い" 事、"イキが良い" 事。

これらを愛でる文化風習は日本の神道に根ざした伝統でもある。
そこでは少々の "ヤンチャ" くらいは目をつぶられる。



ここには優れた教育の叡智が潜んでいるが、それは今はいい。


ともかく無名の選手ばかりだから、どのチームよりも人一倍練習する。
春先の広島カープの強さは春季キャンプでの仕上がりの早さにある。

もしペナントレースが5月5日までの短期レースだったら毎年カープの優勝だろう。



だが残念ながら練習の鬼となるこのチームにはケガが多い。
この問題には後にふれる。

前田智徳8

2014-08-05 07:32:57 | 
前田のエピソードについてもう少し触れてみよう。

彼は高校時代から既に天才として鳴り響いており、三年の夏が終わった段階で西武を除く11球団が獲得に乗り出していたといわれる。

(肝心の前田は練習を観にくるスカウト達を完全に無視し、スカウトが現れると練習の手を抜いたー という逸話もある。)

ところがいざドラフトが始まってみると、指名したのはカープのみ。それもドラフト四位指名であった。

その理由はある "事件" の影響による。

前田の後輩が他校の野球部員に殴られた事があった。彼は怒り、一人で乗り込んで全員をのしてしまった、というモノである。

(まるで前田太尊…。)


この話の真相を私はよくしらないが、この事が前田がドラフト四位という、低い指名の理由の一つだと言われている。

いずれにせよ、このエピソードからも前田という人物の優しさや烈しさが伝わってきて、よりその魅力は増す。

ともかくも地元九州の福岡ダイエーホークスに行きたかった前田は、それが悲しかったらしく、泣きながら押入れにこもって出てこなかった。
そして一旦はプロ入りすら拒否。

なんとも厄介な "少年" である。


まえとも坊や。前田本人談「目つきが悪い。不機嫌そう。少年時代も今も変わらない。(本人苦笑)」



ー だが、当時の広島カープのスカウトマンは優秀で男気があった。

そのスカウトマン宮川は言った。

「ホークスは約束を守らんかった。ワシらは指名の約束を守ったぞ。お前も男やったら約束を守れ。」

宮川は前田の暴力事件を聞いても "ワシが責任を取る" といって球団に指名する事を懇願したといわれる。

前田はこの宮川の人間性に心を動かされて、広島への入団を決めた。

こういう有能な人材がカープのスタッフにいた事にカープファンとしては感謝したい。
そして前田自身にとっても良かったと言えるのではないか?

広島カープほど、前田の様な男が所属するに相応しい球団は無いと思われるからだ。

(ちなみに前田は釣りが趣味で、子供の頃は大きな鯉を釣った事もあったと語っているが、"カープ" が "鯉" の意味であるとは入団して数年間知らなかったらしい。
なんとも前田らしい話である。)

前田18歳。



前田智徳7

2014-08-04 00:59:26 | 
だが前田智徳はけしてただの近寄り難くて怖い変人などではない。
(広島で育てられ、後にヤンキースでレギュラーにまでなったソリアーノは前田と緒方はおっかなかったと語っていたが…。)



前田はむしろ感情が豊かで責任感が強く、大の甘いモノ好きで、恥ずかしがり屋、そしてお茶目な一面さえある人物である。
(前田はかなりスウィーツ大好きらしく、一時食べ過ぎて奥さんに制限させられたらしい。)



その人間性の一面は92年9月の、有名なエピソードからよくわかる。
有名過ぎる話だが、やはり触れないわけにはいくまい。

その日の先発はチームの大先輩、北別府学。北別府は200勝まであと2つというところまで迫っていた。

"精密機械" 北別府学。シヴい。


1ー0でカープリードの5回裏、前田は守備上の一瞬の判断を誤り、相手にランニングホームランを献上してしまう。
結果はエラーではなかった。
それほど難しい打球だった。

しかし前田にとっては取り返しのつかないミスであった。
大記録を目前にした広島一筋の大投手から勝ちを奪った、そう前田は考えた。

8回表、前田はそれを帳消しにする勝ち越しツーランを放つが北別府に勝ちは付かなかった。

前田は涙を流しながら、ダイヤモンドを一周した。



そして試合後のヒーローインタビューで呼ばれた前田。

だが "自分にその資格はない" と言ってインタビューを拒否。
当然テレビのアナウンサーは狼狽した。
解説の掛布はそのホームランに鳥肌がたったと言った ー 。


こんなに "カッコイイ" 選手は今後果たして出てくるだろうか。


後日、前田はその "涙" の理由について語っている。

「ミスを取り返すべき、6回の打席で自分は凡退した。そのコトに腹が立って泣いたんです。最後にホームランを打ったところで自分のミスは消えない。」

「あの日、自分は負けたんです。」

これほど ー 自分の感情に素直で、それでいてこれほどに己に厳しい男もいまい。そしてこれほどに愛すべき選手はいない。








前田智徳6

2014-08-03 01:01:17 | 
人は普通誰もが周りに嫌われたくはないし、変な目で観られたくもないと思うものだ。

だからこそ、"常識" などという正体不明な概念も成り立つし、みなそれなりに "常識的な" 人間として大人になっていき社会に帰属してゆく。




それはごく正常な感覚だが、つまらないといえばつまらない。

常識的な人、と言えば聞こえはいいが面白くもおかしくもない人間というケースが多いのはいかんともしがたい。

だから私は、何だか "変な" 人間というのが大好きである。
まして、何か一つの事を突き詰めて、その追求を優先させる余り、その結果として世間で "変人" 扱いされてしまう様な人間がたまらなく好きであるし、自分自身もまたそう在りたいと意識した頃さえあった。

社会が熟成してくるとこういう人間は生まれにくくなるものだし、生きにくくなるものである。




この意味で前田智徳という男には現代社会はずいぶん生きづらい時代ではなかったかと思うが、私にとってはその存在と生き様は心の支えでさえあった時期もある。

高校時代から、前田は例えば練習中ですら納得のいくバッティングが出来ないとスパイクで土を蹴り上げ、頭を抱えてしゃがみ込む様な事がしばしばであった。
時には周囲に当たり散らす事さえあっという。

それはプロに入ってからも変わらず、バッティングピッチャーが怖くて投げられない程であり、その事をコーチに怒られたりもしている。


(ちなみに前田の打撃練習ほど観ていて面白いモノはない、と現役当時言われた。一分の隙もなく完璧に打ち返すその姿は "芸術" でさえあるといって良かった。
前田自身はけして納得していない内容であっても、周囲からはそれほどのレベルに観えたのである。実際プロの、それも相手チームの選手達が練習の手を止めてまで見入ってしまう程であった。)




こうした近寄り難い人間はしかし、昔はずいぶんといたものである。

特に職人の世界や、自分の腕一本で生きている男達は、とても友達にはなりたくないという様な、扱いにくい性格の連中ばかりだった。

こういう男達を許容できる社会がいいのか、排斥する社会が良いのか、現代の日本人はもう一度考えてみるコトをしてみてもいいのではないだろうか。

特に女性達が ー こういう変な男どもの魅力を見てやらずに、ヘラヘラしてペチャクチャお喋りすることだけが得意な、男だか女だかわからない様な手合いを選んでばかりいると日本人の男の質は下がる一方である。

それは結局現代女性達が "いい男がいない" といって嘆く原因になっている。

やはり男は女性に育てて貰うものである。どうか世の女性達には "変な" 男達の魅力を見つけてやって、育ててあげるくらいの優しさを持って頂きたいと思う。


前田智徳5

2014-08-02 00:17:35 | 
こうしてみてくると、前田智徳という男の ー あの有名なセリフの真意もわかってくる。

プロ入りして六年目、1995年5月前田は右足アキレス腱を完全断裂する。




彼は懸命にリハビリを重ね、見事に復帰したが、既に本来の自分を取り戻す事は出来なくなっていた。


"ー 前田智徳という打者はもう死にました。"


前田はそう語った。

これは、前田が望んでいた "高み" における真剣勝負の世界ではもう生きていけない ー "そこ" ではもうオレは通用しない ー という前田の悲痛な想いが表れた言葉であろう。

その後の彼の成績をみれば、プロ選手としては十分に一流と呼ばれて然るだけの結果を残している。

しかしそれは前田の求めていたレベルとは次元が違ったのである。

だから彼は言う。




「今プレーしているのは、僕の弟です。」
「あの打球は高校生が打ったんです。」


"スポーツ" 程度のレベルであれば、自分の "弟" でもやれるだろう。
だが、本当の真剣勝負の世界はそんなモノじゃないんだ。


もうオレはあそこには戻れない ー 。


まるで音楽だけが生き甲斐の男が、両耳を潰されてしまったほどの悲劇の中、前田はファンの為、そして自らが生きていく為に ー 長くて虚しい現役生活を続ける事となる。

事実彼はそれ以降、理想の打撃や理想の打球についてはあまり語らなくなっていく。


しかし野球に対するひたむきな姿勢だけは変わらなかった。

もはや自らの理想とすべき場所へは辿り着けないとわかっていながら、彼は最後までそれを諦めはしなかった。

ファンもまた前田にそれを期待した。
その期待に答えようとする前田のひたむきな姿にカープファンはまた魅了されたのである。

それはまるで、徐々に聴覚が失われていったベートーベンが、その感覚の "記憶" だけを頼りに作曲活動を続けた事に似ている。



前田は "前田智徳" の記憶を頼りに現役生活で死力を尽くした。

だがやはり前田はそれがムリな願いである事を、冷静に見つめていただろう。
"一つだけわかっていることは、前田は前田を超えられないという事 ー "
彼はそうも語っている。


「前田は死にました ー 。」


この発言の真意はこうした悲しみから出てきた、前田自身の余りにも切ない本音であると思う。