ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

ペルミの孤独

2013年01月22日 | 日記
 Blogだからといって楽しいことばかり書くのはやめましょう。海外でのつらいことや落ち込むことも書き記して、今海外にいるひとやこれから海外へ行くひとの足掛かりとしましょう。心を落ち着かせる場所ですね。けれど、それを忘れて落ち込むのが海外で生活するということ。もっとも日本でもどこでも生きている限り、そのようなときはやってくるものですが、このロシアで落ち込むと、寒くて凍えて雪しかない中に一人で…みたいな気持ちになるのでご用心です。
 疲れた仕事帰りに立ち寄ったスーパーで、胡椒の場所を店員に聞き、仁部もなく「知らない」の一言を返されたりすると、いったいあの太ったおばさんは何が楽しくて生きているのだろう、と悪態をつきたくなります。私の好きな言葉で、「人生はゲームのようなもの」と言ったイタリア人の言葉がありますが、人生をチェス盤にして例えると、自分はその上を動くコマのようなもの、達観し人生劇場の一員として自分をギャグにして笑ってみる、そんな意味合いが込められているように思います。それに比べるとロシアの人は、人生を真剣にとらえ過ぎて楽しむことを忘れているような気がします。(だからあのような素晴らしい文学が生まれたのかもしれませんが。)日本のあの人工的な笑顔も気持ち悪いですが、もう少しにこやかにしたほうが仕事をしていてもお客さんと接していてもお互い気持ちいいのではないか、と思います。なんていうか、彼らは全体的に投げやりなんですね。笑 さっさとこの場をやっつけてとにかく時が早く流れればいい、というような。
 もっと書いてしまうと、そんな中で、たまにこちらの尋ねたこと対して丁寧に応対して教えてくれたり、道を聞いて返答してくれるだけで、感激してしまうのですね。でもそれは10%くらいの割合のような気がします。聞いても無駄なのかな、とかまた冷たく返されるだけなのかな、とかそういうことを思うとこちらも積極的に聞いてみようという気持ちが萎えて尋ねる回数も自然と減ってきます。一日を過ごす上で、何気ない会話や人との触れ合いが、一瞬を明るくし、そういう積み重ねが人生を象っていくと思うのですが、今のところ私の方もだんだん内向的になってきますし、難しいです。
 そんな中、仕事場では何人か気さくに話せる同僚ができました。一人はミハイルといい、彼はアジアに興味があるらしく、中国語は堪能、歴史にも興味があるらしく、彼が書いた中国の歴史についての本を見せてもらったときは驚きました。厚い立派な本でした。彼は日本語にも興味があるということで、今は一日一語の割合でオフィスで一緒になると日本語を教えます。
けれどもそんな彼ですら、やはり気分によっては話したくない日もあるようで、ある朝は挨拶の言葉は発しても目は交わさないというようなこともあります。そういうときは私も何も言わずに黙々とパソコンへ向かって作業に没頭します。下手な気遣いをして自分を疲れさせない、あくまでマイペースとも言えます。ロシア式なのだなと思います。
 ある日、私は彼の部署の女の人に用があり、彼に「あの女の人の名前は何?」と尋ねると「知らない。僕はまだこの会社に入って1週間だから」という答えが返ってきました。笑 まだ一週間とはいえ、せいぜい同僚5人の小さな部署です。ましてや新米なのだから率先して名前を覚えるのが礼儀ってものじゃないの?と日本人の私は思います。仕方ないのでそのときは名前を呼ばずに用事を済ませました。
2週間経ち、私はまたミハイルに「あの女の人の名前は何?」と私はまた同じ質問をしました。そしたら彼は「知らない。僕はまだこの会社に入って2週間だから」と言いました。「まだ」じゃなくて「もう2週間」なんじゃないの?と思いましたが、どこまでもマイペースといえばマイペース、他人のことを気にかけないロシア社会の一端を垣間見たような気がしました。
 

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