ロシア日記

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~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

レニングラード封鎖

2017年06月04日 | 日記
 5月9日は大祖国戦争(独ソ戦)の記念日でした。
街の人々はこの記念日をオレンジと黒のリボンをつけドイツに勝ったことに対して祝います。第二次世界大戦の敗戦国である日本出身の私には戦争に勝って盛大にパレードをしたり祝ったりする気持ちが長い間わかりませんでした。戦争は悲惨なもので勝っても負けても祝賀の対象になり得るものじゃないと思っていたからです。
けれどそういう気持ちが今年は少し変わり、ロシアの歴史を知った後、理解できるようになりました。援軍もなくドイツ軍と一国のみで戦い抜いたロシアの誇りと、またこのサンクトペテルブルグはこの時代レニングラードという街名だったのですが、ドイツ軍により包囲され食料も燃料も経路がすべて断たれ人々は約900日間レニングラードの街に生き埋め状態になったのです。おびただしい餓死者がでて人が街角でバタバタと倒れていきました。私も時々この街を歩きながらそれを思い出し光と影のあるすごい歴史を持った街だと再確認します。今ここに住むサンクトペテルブルグ人の中で家族の誰かはこの時の被害者で体験者だったり亡くなったりしていると聞きました。

 ストラヴィンスキーが亡命先からが祖国を想い曲を書き、それを空からこの街に落としたそうです。指揮者、演奏者も飢餓で死にそうになりながらオーケストラの演奏をし、それを知ったドイツ軍がこんな悲惨な状態になりながら人間の尊厳を失っていない人々に感動しこの街に爆弾を落とせないと思ったという逸話を聞きました。


 そのレニングラード封鎖が解かれたのは、戦勝記念日の数か月前ですが、人々はこれを祝してピスカリョフ記念墓地を創りました。
ある晴れた日、私も敬意を表すために郊外にあるこの墓地へバスを乗り継いで行ってきました。それは街から外れただだっ広い土地にあり、近くの花屋で献花のための花を買いました。戦争を耐え抜いたことへの敬意だしあまり派手な色の花じゃないほうがいいかなと思い紫のチューリップを買いました。行ってみると街を守り抜いた象徴の女の人像の周りに真っ赤なカーネーションが何層にもなってうず高く手向けられています。大祖国戦争の終わりを象徴する花は赤いカーネーションだということを知りました。
 
 私が一番心惹かれたのは、壁に彫り込まれた当時の人々の様子です。兵士や子供や老人が彫られています。以前、『レニングラード封鎖』という本を手に取って読み始めたのですが、悲惨すぎてすべてを読みきれませんでした。壁画はこれらの人々への敬意です。




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