◆サッカー・第19回FIFAワールドカップ南アフリカ大会 第3日(2010年6月13日)
・1次リーグC組 (第1節)
スロベニア 1(0-0)0 アルジェリア (@ポロクワネ/ピーター・モカバ・スタジアム)
得点者:スロベニア)79分 ロベルト・コレン
・1次リーグD組 (第1節)
ガーナ 1(0-0)0 セルビア (@プレトリア/ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム)
得点者:ガーナ)84分 アサモア・ギャン(PK)
ドイツ 4(2-0)0 豪州 (@ダーバン/モーゼス・マヒダ・スタジアム)
得点者:ドイツ)8分 ルーカス・ポドルスキ、26分 ミロスラフ・クローゼ、68分 トーマス・ミューラー、70分 カカウ
国際サッカー連盟の今大会の関連ページ
日本サッカー協会の今大会の関連ページ
出場32チームの最終登録メンバー(各国23名)
* * * * *
まずはこの映像をご覧になって下さい。
この試合は、今から5年前の2005年6月10日、オランダで開催されたワールドユース選手権(現・U-20W杯)の1次リーグの日本vsオランダ戦です。今回のW杯の日本代表の本田圭佑と森本貴幸も、この試合に出場してました。注目すべきは背番号7を付けたオランダの選手です。その名はクインシー・オウス=アベイエです。この映像を観てピンと来たら、あなたは相当にツウなサッカーフリークだと思いますね。
この試合は今でも伝説となってます。日本の選手が3人掛かりで彼を止めに入るが、驚異的な身体能力を武器にした爆発的な瞬発力とドリブル突破で、あっさり抜かされたのは本当に衝撃的でした。彼にマークを付いていたのは、右ウィングバックで背番号8を付けた中村北斗(現在はFC東京所属。兄の隼人は元プロ野球選手)でした。国見高校出身の中村は、日本のこの世代では最も身体能力が高いと評されてましたが、ズタズタにされて子供扱いにされたのは凄くショックでしたね。試合は2-1でオランダが勝利しますが、点差以上に力の差を感じました。このワールドユースで得点王とMVPになったリオネル・メッシとともに強い印象を残した彼は、将来がとても期待されてました。
しかし、その後、彼は流転を彷徨います。将来を嘱望されていたものの、チームメイトの車を破壊するなど素行不良を繰り返します。更に、性格に難があり過ぎた為、所属していたアーセナルを追放。つまり、彼は問題児だったのです。その後は移籍を繰り返し、ついには中東のカタールにまで流れ着きます。オランダ代表の中心選手になると期待されましたが、結局は代表入りを断念。北京五輪で日本はオランダと対戦しましたが、代表チームに彼の名前は連ねてませんでした。
ところが、彼はこの間に国籍を変更してました。2007年に、生まれた国のオランダから、両親の出身国であるガーナに変更。この当時のFIFAの国籍変更のルールは、「A代表や年齢別の代表として公式戦に出場経験があった場合でも、21歳以下であれば一度だけ国籍を変更して、他国の代表になる事が可能」でした。おそらく、このルールを利用して、両親のルーツの国のユニフォームに身を纏うことを決意したのでしょう。ちなみに、FIFAの国籍変更ルールは、昨年に大幅に変更しました(→詳細はこちら)。
そして、今回のW杯。なんと、彼はガーナ代表として名を連ねてました。ついにセルビア戦で彼を久しぶりに見ました。ただ、決勝点を挙げたアサモア・ギャンの交代選手として、ロスタイムに時間稼ぎ要員としての出場でしたが・・・。ガーナ代表で普段どのように起用されているのかよく分かりませんが、なんとなく現在の彼の立場を想像させられました。やはり、メッシとは随分と差が開いたとは言わざるを得ないですね。
まさに「時は金なり」。5年の月日は長いようで、実はあっという間ということです。
まあ、この大会から今回のW杯に2人しか代表入りしていない日本も、他人様のことを偉そうに言えませんけど・・・。
※ワールドユース選手権2005・オランダ大会の詳細の記録
・1次リーグC組 (第1節)
スロベニア 1(0-0)0 アルジェリア (@ポロクワネ/ピーター・モカバ・スタジアム)
得点者:スロベニア)79分 ロベルト・コレン
・1次リーグD組 (第1節)
ガーナ 1(0-0)0 セルビア (@プレトリア/ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム)
得点者:ガーナ)84分 アサモア・ギャン(PK)
ドイツ 4(2-0)0 豪州 (@ダーバン/モーゼス・マヒダ・スタジアム)
得点者:ドイツ)8分 ルーカス・ポドルスキ、26分 ミロスラフ・クローゼ、68分 トーマス・ミューラー、70分 カカウ
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出場32チームの最終登録メンバー(各国23名)
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まずはこの映像をご覧になって下さい。
この試合は、今から5年前の2005年6月10日、オランダで開催されたワールドユース選手権(現・U-20W杯)の1次リーグの日本vsオランダ戦です。今回のW杯の日本代表の本田圭佑と森本貴幸も、この試合に出場してました。注目すべきは背番号7を付けたオランダの選手です。その名はクインシー・オウス=アベイエです。この映像を観てピンと来たら、あなたは相当にツウなサッカーフリークだと思いますね。
この試合は今でも伝説となってます。日本の選手が3人掛かりで彼を止めに入るが、驚異的な身体能力を武器にした爆発的な瞬発力とドリブル突破で、あっさり抜かされたのは本当に衝撃的でした。彼にマークを付いていたのは、右ウィングバックで背番号8を付けた中村北斗(現在はFC東京所属。兄の隼人は元プロ野球選手)でした。国見高校出身の中村は、日本のこの世代では最も身体能力が高いと評されてましたが、ズタズタにされて子供扱いにされたのは凄くショックでしたね。試合は2-1でオランダが勝利しますが、点差以上に力の差を感じました。このワールドユースで得点王とMVPになったリオネル・メッシとともに強い印象を残した彼は、将来がとても期待されてました。
しかし、その後、彼は流転を彷徨います。将来を嘱望されていたものの、チームメイトの車を破壊するなど素行不良を繰り返します。更に、性格に難があり過ぎた為、所属していたアーセナルを追放。つまり、彼は問題児だったのです。その後は移籍を繰り返し、ついには中東のカタールにまで流れ着きます。オランダ代表の中心選手になると期待されましたが、結局は代表入りを断念。北京五輪で日本はオランダと対戦しましたが、代表チームに彼の名前は連ねてませんでした。
ところが、彼はこの間に国籍を変更してました。2007年に、生まれた国のオランダから、両親の出身国であるガーナに変更。この当時のFIFAの国籍変更のルールは、「A代表や年齢別の代表として公式戦に出場経験があった場合でも、21歳以下であれば一度だけ国籍を変更して、他国の代表になる事が可能」でした。おそらく、このルールを利用して、両親のルーツの国のユニフォームに身を纏うことを決意したのでしょう。ちなみに、FIFAの国籍変更ルールは、昨年に大幅に変更しました(→詳細はこちら)。
そして、今回のW杯。なんと、彼はガーナ代表として名を連ねてました。ついにセルビア戦で彼を久しぶりに見ました。ただ、決勝点を挙げたアサモア・ギャンの交代選手として、ロスタイムに時間稼ぎ要員としての出場でしたが・・・。ガーナ代表で普段どのように起用されているのかよく分かりませんが、なんとなく現在の彼の立場を想像させられました。やはり、メッシとは随分と差が開いたとは言わざるを得ないですね。
まさに「時は金なり」。5年の月日は長いようで、実はあっという間ということです。
まあ、この大会から今回のW杯に2人しか代表入りしていない日本も、他人様のことを偉そうに言えませんけど・・・。
※ワールドユース選手権2005・オランダ大会の詳細の記録