うんどうエッセイ「猫なべの定点観測」

おもに運動に関して、気ままに話したいと思います。
のんびり更新しますので、どうぞ気長にお付き合い下さい。

TBSの「20世紀スポーツ名勝負 ライバル伝説・・・光と影」を見て

2009年07月22日 | 運動全般
☆今世紀最大の天文ショー(2009年7月22日 @太平洋上)




皆さんは今日の日食をご覧になれましたか?

日本の陸地では1963年7月21日以来、実に46年ぶりとなった今回の皆既日食。日本各地でも部分日食が見られました。だが、あいにくの天気の為、太陽が雲の陰になってしまい期待外れな感じでしたけど。高い金を払ってトカラ列島や奄美大島に行かれた方は残念だったと思いますが、皆既日食特有の暗闇のような世界を体験できたのは貴重だと思います。また、南の島の自然や地元の方との触れ合いを出来たのは、夏休みの良い思い出になったのでしょうか。次回、日本で皆既日食が見られるのは26年後の2035年9月2日に北陸や北関東地方で見られるそうです。それまで元気に生きていられれば良いのですが(苦笑)。

ちなみに、月の地球周回軌道および地球の公転軌道は楕円である為、地上から見た太陽と月の視直径は常に変化します。月の視直径が太陽より大きく、太陽の全体が隠される場合を今回のような皆既日食になりますが、逆の場合は月の外側に太陽がはみ出して細い光輪状に見えます。これが金環日食(金環食)です。ちなみに、私が中学生だった1987年9月23日(秋分の日)に部分日食を見ましたが、この日は沖縄で金環日食がありました。次回の金環日食は2012年5月21日の午前7時20分過ぎに、九州南部・四国の大部分・紀伊半島から本州の関東付近にかけての地域で見られます(なお、この日は日本各地でも部分日食が見られます)。

また、月が金星をすっぽり覆う金星食というのもあります。最近では2003年5月29日にありましたが、この日はあいにく14時から15時過ぎにかけての日中でしたので肉眼では見られませんでしたので残念でした。しかし、1989年12月2日の金星食は夕方の17時くらいでしたのでクッキリと肉眼で見られました。宵の明星が月によって隠されるとても不思議な美しい現象でした。次回の金星食は2012年8月14日の午前2時40分頃です。

また、月食は多くの場合1年間に2回起こりますが、起こらない年や、年に3回も起こる年もあり、21世紀の100年間では合計142回(皆既月食85回、部分月食57回)生じます。一方、日食は最低でも年に2回、最多で5回生じる年もあり、21世紀の100年間では合計224回起きます。したがって月食の発生頻度は日食より低いです。にもかかわらず、日食よりも月食の方が目にする機会は多いです。これは、月が見える状況であれば、月食は地球上のどこからでも観測が可能なのに対し、日食は月の影が地球表面を横切る帯状の限られた地域でしか見ることができないのが理由です。なお、来年の2010年は月食は3回あり、1月1日(部分月食・最大食分0.08)、6月26日(部分月食・最大食分0.54)、12月21日(皆既月食)です。いずれも日本から見えます。


☆皆既月食の動画(2000年7月16日の皆既月食)





ヒデと野人がライバルだって・・・

今世紀最大の天文ショーに合わせた企画なのか全く分かりませんが、一昨日にTBSで「20世紀スポーツ名勝負 ライバル伝説・・・光と影」という番組が放送されました。録画して先ほど見ましたが、結構それなりに面白かったです。今回取り上げた題材は、シンクロの小谷実可子×奥野史子「2人の仲を引き裂いたあの日」、 江川卓×西本聖「いつもお前が憎かった」、中田英寿×岡野雅行「司令塔が信じ続けた男」、松坂大輔×松坂大輔になれなかったPLナイン「奴のおかげで人生が変わった」の4つです。それぞれ大袈裟なサブタイトルが付いてますが(笑)、今回取り上げた4つの題材はもちろんリアルタイムで知っていますので、同時代を生きた者にとっては懐かしくも感じますし、感慨深いものがあります。また、かなり深く取材し、突っ込んだ内容だったので、それなりに見ごたえがありました。

シンクロの話ですと、五輪本番直前に2人の女王同士でガチであんなバトルをやらせたら、そりゃあ長年に渡って遺恨を残しますね。どちらも個性が強いですし、女王の尊称は2人は要らないですから。バルセロナ五輪以来再会した小谷と奥野が笑顔と涙で思い出を振り返ってましたけど、ぎこちない雰囲気と引き吊った表情が17年前に味合わされた心の痛みの大きさを、傍から見ていて感じました。ただ、旦那や子供の幸せ自慢でもやるのかと一瞬期待しましたけど(笑)。

巨人の2人のエースの話も、選手としての生い立ちがあれだけ異なると反目しあうのは当然ですね。沢村賞のエピソードは「怪物」と称され、エリート街道まっしぐらだった江川に深い挫折感を味合わせるとともに、人間臭さも垣間見ました。1983年の西武との日本シリーズ第6戦のエピソードも、とても懐かしかったです。あの投手起用の失敗によってシリーズの結果が大きく左右され、球界の盟主が巨人から西武に奪われた一戦ともいえました。

大事な場面でエラーした本橋伸一郎選手が、のちの野球人生に大きく影響した話を中心とした「松坂世代」の逸話も大変興味深く面白かったです。あの11年前の延長17回を戦った横浜vsPL戦は、多くの人の心に強烈に焼きついた壮絶な一戦でした。この世代の選手は、今も強烈な輝きを放つ太陽である松坂を中心に回っている、惑星のような存在に準える事が出来るかもしれません。ただ、現在彼らは29歳ですが、多くの選手が第一戦から退いていたのが意外でした。この世代の選手はとても粒揃いで豊作でしたが、運や巡り合わせによっては必ずしも本人が思い描いた野球人生を送れないのが、勝負の世界の非情さや残酷さをも感じました。

これらの3つの題材は本当に面白かったです。ただ、中田英寿×岡野雅行「司令塔が信じ続けた男」に関しては、ハッキリ言って酷すぎる代物でした。まず、一体この両者が、過去に何を激しく争ったのかが、全く理解出来ませんでした。私自身、中田と岡野がライバル関係として扱われる題材を目にするのは、寡聞にして存じませんし、今回が初めてです。中田と岡野はポジションが違うから、幾らなんでもライバルとは言えないです。パスの出し手と受け手ですから、根本的に立場が異なります。また、お互いこの大事な一戦を迎えるまでの状況(中田が大黒柱で岡野が控え選手)が、あまりにも違いすぎます。訝しげに番組を見ましたけど、内容もジョホールバルのイラン戦のエピソードなので、番組の趣旨である「ライバル伝説」から完全に外れてます。しかも、先日、セクハラの不祥事で処分を受けたフジテレビの長坂哲夫アナウンサーの実況だったのが大いに笑えましたし、とても貴重な音源だと思いました(爆)。TBSも自局が不祥事続きなんだから、せめてこういう時は、NHKの山本浩アナウンサーの実況を使った方が無難だと思いますがね(苦笑)。


中田のライバルはあの男です

中田とライバル関係にある人物を挙げるとするならば、せめて前園真聖を取り上げるべきでしょう。実際にアトランタ五輪では、五輪代表チームを立ち上げた1994年1月からメンバー入りして主将だった前園が大将格で、1995年のカタールで開催されたワールドユースで活躍して飛び級で五輪代表に昇格した中田は前園の弟分といった感じだったのは事実です(ただ、このチームの本当の大将は小倉隆史だと思いますけど)。それに、前園の守備意識や運動量の欠如の為、加茂ジャパンの戦術である「ゾーンプレス」に対応出来ずに不振を極めたので、1997年5月21日に国立競技場で行われた日韓戦で前園と入れ替わる形で中田がフル代表入りした経緯があります。少なくとも、岡野よりも遥かにマシなライバル関係であるはずです。ただ、厳密に言えば、前園はドリブラーで中田はパサーなので、当てはまらないでしょう。もしかして、過去に中田が前園が共演したカップラーメンのCM(日清ラ王)を、今更電波に乗るのを恐れて中田の所属事務所が企画をボツにしたのでしょうかね(苦笑)。

もし中田と「光と影」の関係に相当する人物を挙げるとするならば、私はモンテディオ山形の財前宣之だと思いますね。財前は中田自身が認めた才能の持ち主ですし、ラモス瑠偉や読売ユース育ちの戸塚哲也、菊原志郎、山口貴之らと続く「ヨミウリの司令塔」の正当な系譜を受け継いでますから。それに、財前は1993年に日本で開催されたU-17世界選手権(現U-17W杯)ではU-17日本代表の中心選手として選出され、背番号も「10」の絶対的な司令塔でした。1次リーグでは前回優勝のガーナに0-1で惜敗、ジャンルイジ・ブッフォンやフランチェスコ・トッティのいたイタリアとスコアレスドロー、メキシコに3-1で勝利してベスト8に進出。準々決勝ではヌワンコ・カヌーを擁したナイジェリアに1-2で惜敗しました。なお、U-17W杯では、この1993年大会が現時点で最高成績です。財前は大会ベストイレブンにも選出されてます。中田はナイジェリア戦で1点挙げてますが、この当時は司令塔の財前に使われる側の選手でした。また、この大会はスローインの変わりにキックインが試験的に導入された大会であり、プレースキッカーの役目も当然司令塔である財前がこなしてました。

その後、1995年にヴェルディ川崎のトップチームに昇格し、直後にイタリアの名門ラツィオへと留学。ラツィオではプリマヴェーラ(ユース)所属だったが、トップチームの紅白戦にも出場。 1996年にスペインのログロニェスにレンタル移籍するなど将来が期待されました。だが、靭帯断裂を3度するなど度重なる膝の怪我に苦しんだ事が財前のサッカー人生を大きく狂わせました。帰国後はヴェルディに復帰しますが、出番に恵まれず移籍します。リエカ(クロアチア)を経てベガルタ仙台に移籍。仙台在籍時の2001年のJ2最終戦では、京都戦で試合終了直前に仙台をJ1昇格に導く決勝ゴールを挙げてます。その後、仙台から戦力外通告を受けたものの、2006年1月に山形に入団し、同じ東北の地で再出発を果たしました。

ファンタジスタタイプの財前が、もし順調にサッカー人生を送っていれば、フル代表入りだけでなく、中田よりも早く欧州のトップクラブに正式に移籍して活躍していた可能性があっただけに、本当に数多くの怪我が悔やまれます。もう財前も年齢的には決して若くないので、少しでも長く山形の地で華麗なプレーをたくさん見せて欲しいです。私の中では背番号10が最も相応しい選手ですから。



【1993年U-17世界選手権日本大会の日本代表】
<監 督>小嶺忠敏(国見高校監督)<コーチ>小見幸隆(読売ユースコーチ)
<選 手>【GK】伊藤卓弥(横浜マリノスユース)、小針清允(読売SCユース)、【DF】松田直樹(前橋育英高)、鈴木和裕(市立船橋高)、戸田和幸(桐蔭学園高)、家治川卓也(高槻南高)、長田道泰(読売SCユース)、佐伯直哉(読売SCユース)、宮本恒靖(ガンバ大阪ユース)、【MF】石本慎(沼田高)、藤田聡(徳島市立高)、橋本淳(東北学院高)、中田英寿(韮崎高)、財前宣之(読売SCユース)、一木太郎(読売SCユース)、【FW】坂井浩(四日市中央工高)、吉田孝行(滝川第二高)、船越優蔵(国見高)



☆U-17世界選手権日本大会の1次リーグ初戦の対ガーナ戦のダイジェスト
(1993年8月21日 @国立競技場)

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2 コメント

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Unknown (貧乏おたく)
2009-08-01 22:23:16
初めまして!。
貧乏おたくと申します。
今日再放送をやっていたのでぐぐったらたまたまたどり着きました。サッカーが好きなので中田のくだりを中でも興味深く読ませてもらいましたが、オリンピックに出れる選手と出れない選手の違いは才能ではなく、壊れにくさだそうです。
過酷な練習が必要なのでそれに耐えうる頑丈さを素質として持つものだけが舞台に立てる世界だそうです。
財前という選手もきっと魅力あるプレイヤーなのだと思います。
ただ、世界中で十分な才能を有しながら舞台に上がれなかった素材が星の数ほど居ると思います。
努力不足などという人も居ますが、怪我のしにくさは体質とか遺伝的な面もあるので、本人にはどうしようもない部分も有ります。
ですが例えば肩が脱臼する千代の富士やアキレス腱が弱いホルム
http://www.nhk.or.jp/special/onair/080427.html
など肉体改造によって乗り越える超人もごくわずか存在します。

ですから怪我のしにくさも努力でどうにかできる部分もありますよね。
私もバレロンという怪我をしやすい選手が好きなのですがファンとしては怪我など不本意な所で活躍が見れないのは、なんともやりきれないですよね。
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Unknown (猫なべ)
2009-08-02 00:03:52
はじめまして、貧乏おたく様

拙ブログにご訪問頂きまして、本当にありがとうございます。

私も今日の再放送を見ました。ただし、19時から放送されていたテレビ朝日の「神様に選ばれた試合~いま蘇る真夏の名勝負~」を見てから、何気なくBSを回してたら再放送をやってましたので、途中からでしたけど見ました。
まあ、あらためて見ても岡野は中田のライバルとは当てはまらないですね(苦笑)

体の頑丈さは絶対に大事ですよね。近年のサッカー界は本当に過密日程ですから、なおさら感じます。私は小倉も財前も小野伸二も不運な怪我がさえなければ、もっと凄い選手になっていたような気がします。彼らは怪我をして以降は再発を繰り返しましたので、もしかすると体質とかもあるのでしょうか?

あと、私はリーガではデポル(特にイルレタ監督時代の頃)が昔から好きなので、バレロンは好きですね。かつて在籍したディエゴ・トリスタンと組んだあのチームは本当に魅力的でした。ただ、2人とも代表では同じポジションに強力なライバルがいたり、日韓W杯では偏向判定に泣かされるなど、運に見放されて不遇な感じがします。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。
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