たまには真面目なことも書かないと…
3月30日付け天声人語から
放射能を封じ込める作業が放射能を広げ、時と労力を奪う。
福島の原発事故は、ひとたび暴走した巨大システムの怖さを教
えている。
現場の死闘に心から声援を送りながらも、「がんばれ東京電力
」の声に力が入らない
「津波が想定を大きく超えた」という。
早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(
いけい)が足りず、
結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。
天災が暴いた人災である
福島第一の記録映画は、「この地は数百年にわたり、地震や津
波で大きな被害を受けていません」と胸を張る。
全電源が長らく使えない事態も見込んでいなかった。
想定の甘さは、「千年に一度」が無残に証明した
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』(J・チャ
イルズ著、高橋健次訳、草思社)に、興味深い一文がある。
「起こるはずがないと思いたい災難の多くは、起こりえないの
ではなく、
起こるまでに時間がかかるだけのことである」
多くの学者が国策になびく中、脱原発を貫いた高木仁三郎(じ
んざぶろう)氏がご健在ならばと思う。
11年前、亡くなる年の講演で「私はそもそも、原子力は電力
として使うには無理なエネルギーだと感じていました」と語っ
た。
「それがある種の政治的圧力により、強引に電力供給の主流に
乗せられようとした」
科学とは、市民の不安を共有し、その元を取り除き、人々の心
に希望の火を灯(とも)すものであるべきだと、
氏は力説した。電力業界は論敵の視座から出直すしかない。
「最悪」を免れ、原発という科学が残ればの話だが。
猫が若かりしころ、原子力発電所の見学に行ったことがありま
す。
組合活動の一環で物見遊山で行ったのですが、
組合=赤=反原発という短絡的な発想か、やたらよそよそしい
対応でした。
でも、座学の時間に聞いた話は面白かったです。
今でも覚えてるのは、原子力発電所の中の放射線は極微量です
っていう話のときに
ガイガーカウンターを持ってきて
周りの空気を測るのですが、ほとんど反応しませんでした。
ところが、市販のめざまし時計を持ってきて
それにガイガーカウンターをかざすと
ガガガガガガガガガガガガガガ!!って反応しました。
めざまし時計の文字盤の蛍光塗料に反応したとの説明でした。
それくらい、原子力発電所の中は安全なんだよ。と・・・
本当にそうなのか?小さな疑いの炎がともったが
すぐに消えてしまった・・
神から授かった「火(アトム)」の力
その力を使いこなせると自分の力を過信した人間。
暴れ馬を力ずくで抑えていい気になっていた。
人間の力なんて自然の前では無力だったのですね。
自然を侮った報いでしょうか?責められるは東電だけなのか?
心の中で灯った疑いの炎に背を向け
甘美な果実をむさぼってたわれわれに罪は無いのでしょうか?
安全神話が崩れた今後、世論は脱原子力へ大きく舵を切ること
になるんでしょう
果たして、原子力無しの生活が可能なのか・・
3月30日付け天声人語から
放射能を封じ込める作業が放射能を広げ、時と労力を奪う。
福島の原発事故は、ひとたび暴走した巨大システムの怖さを教
えている。
現場の死闘に心から声援を送りながらも、「がんばれ東京電力
」の声に力が入らない
「津波が想定を大きく超えた」という。
早い話が、東電の想定が間違っていた。地球や自然への畏敬(
いけい)が足りず、
結果として津波に負ける原発を海辺で動かし続けた。
天災が暴いた人災である
福島第一の記録映画は、「この地は数百年にわたり、地震や津
波で大きな被害を受けていません」と胸を張る。
全電源が長らく使えない事態も見込んでいなかった。
想定の甘さは、「千年に一度」が無残に証明した
『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』(J・チャ
イルズ著、高橋健次訳、草思社)に、興味深い一文がある。
「起こるはずがないと思いたい災難の多くは、起こりえないの
ではなく、
起こるまでに時間がかかるだけのことである」
多くの学者が国策になびく中、脱原発を貫いた高木仁三郎(じ
んざぶろう)氏がご健在ならばと思う。
11年前、亡くなる年の講演で「私はそもそも、原子力は電力
として使うには無理なエネルギーだと感じていました」と語っ
た。
「それがある種の政治的圧力により、強引に電力供給の主流に
乗せられようとした」
科学とは、市民の不安を共有し、その元を取り除き、人々の心
に希望の火を灯(とも)すものであるべきだと、
氏は力説した。電力業界は論敵の視座から出直すしかない。
「最悪」を免れ、原発という科学が残ればの話だが。
猫が若かりしころ、原子力発電所の見学に行ったことがありま
す。
組合活動の一環で物見遊山で行ったのですが、
組合=赤=反原発という短絡的な発想か、やたらよそよそしい
対応でした。
でも、座学の時間に聞いた話は面白かったです。
今でも覚えてるのは、原子力発電所の中の放射線は極微量です
っていう話のときに
ガイガーカウンターを持ってきて
周りの空気を測るのですが、ほとんど反応しませんでした。
ところが、市販のめざまし時計を持ってきて
それにガイガーカウンターをかざすと
ガガガガガガガガガガガガガガ!!って反応しました。
めざまし時計の文字盤の蛍光塗料に反応したとの説明でした。
それくらい、原子力発電所の中は安全なんだよ。と・・・
本当にそうなのか?小さな疑いの炎がともったが
すぐに消えてしまった・・
神から授かった「火(アトム)」の力
その力を使いこなせると自分の力を過信した人間。
暴れ馬を力ずくで抑えていい気になっていた。
人間の力なんて自然の前では無力だったのですね。
自然を侮った報いでしょうか?責められるは東電だけなのか?
心の中で灯った疑いの炎に背を向け
甘美な果実をむさぼってたわれわれに罪は無いのでしょうか?
安全神話が崩れた今後、世論は脱原子力へ大きく舵を切ること
になるんでしょう
果たして、原子力無しの生活が可能なのか・・
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