社長ノート

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産経新聞 産経抄

2014-08-03 16:58:20 | 日記
   「人生一世紀」

 「半寿」とは、なかなか粋な表現である。慶事に詳しい方は、ひと目でお分かりか。「半」の字を細かく分ければ八十一。きりのいい傘寿は、カサが頭打ちしてさえない。だから「もう1つ年を取ってお祝いを」と験を担ぐ人もいるという。
 昨今、年を取ってからの「もう1年」は半丁先ほどの近所にある。平成25年の日本人の平均寿命が、男女とも過去最高になった。男性は初めて80歳の大台を超え、86・61歳の女性は2年連続世界一。医療の進歩もさることながら、世の「高齢者」は語感に似合わず若々しい。
 昨年生まれた女児の4人に1人は、95歳まで生きるとの推計もある。終戦直後の「人生五十年」からやがて「人生一世紀」だ。国としては、かさむ医療費への備えがいる。喜びと不安は五分五分か。そんな世相が、「半」に重なる。
 生物学者、本川達雄さんの「心臓時計」の説を思い出す。エッセー『おまけの人生』(阪急コミュニケーションズ)にある。ゾウもネズミも人も一生で刻む鼓動は心臓約15億拍。人の場合は40歳ほどで達する。以後の人生は医療などがもたらす恵みで「言ってみればこれは『おまけの人生』」と。
 老後の時間は若い日の10倍の速さで流れる―。貝原益軒の『養生訓』を思うとぞっとしないが、本川さんは一生で消費するエネルギーの量、言い換えれば仕事量は変わらないとも指摘する。ゾウは70年、ネズミは2年、人は80年。細く長くか、太く短くかの違いだ。
 『養生訓』には「あだに日をくらすべからず。つねに時日をおしむべし」の一節もある。自戒を込めてかみしめたい。まだ「人生の半ば」と高をくくっていた小欄が、本川説で「余生」「老境」に分類されてしまうのはかなり不満だが。