社長ノート

社長が見たこと、聞いたこと、考えたこと、読んだこと、

産経新聞 産経抄

2014-08-31 17:42:46 | 日記
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 きのう通勤の道すがら、「カサカサ」と乾いた物音を路傍に聞いた。見れば一羽のスズメがセミの骸(むくろ)にちょっかいを出している。小ぶりな口に、獲物はやや大きい。持ち去ろうと羽ばたく度にくじかれ、骸が乾いた声で笑う。せみ時雨の去った晩夏に、生命のささやかな足跡を見た。
 先日の小紙社会面に載った小ぶりな記事は元外交官、内田宏氏の死去を伝えていた。享年96。「藤山愛一郎外相の秘書官だよ。日米安保改定のころの」。先輩のベテラン記者が耳打ちしてくれなければ、恐らく見過ごしていた。
 いまの日米安全保障条約は2年の改定交渉を経て昭和35年6月に発効した。米国側と談判を重ねたのが当時外相の藤山。公式の場とは別に、14、15回に及ぶ下交渉が東京・日比谷の帝国ホテルで重ねられたと、藤山の回想録『政治わが道』(朝日新聞社)にある。
 世に「反安保」の大合唱が響く中、下交渉は人目を忍ぶ難事だった。見事な白髪を蓄えた藤山は目立って仕方ない。それを隠すのが内田氏の役回りで、「いつもズボンの左のポケットを空けて帽子を隠していた」。紺色の上等な帽子を折り畳んで忍ばせ、藤山の外出時にサッとかぶらせる。
 「何しろあの頭ですから」と屈託のない懐旧譚(たん)が、平成6年秋の小紙に掲載された『戦後史開封』に残っている。藤山が歴史を導いた運転士なら、内田氏は煙も吐かず音も立てずに歴史を運んだ闇夜の汽車だった。小ぶりな訃報記事は、むしろ本望だったかもしれない。
 路傍の「カサカサ」に故人の事績を重ね、スズメには無慈悲につついてくれるなよと願うのだった。数日来の雨を含んだ木々は、きのうまで暗い緑を地面に伸ばしていた。およそ8月らしくない8月が終わる。