社長ノート

社長が見たこと、聞いたこと、考えたこと、読んだこと、

日本経済新聞 春秋

2014-09-28 20:29:21 | 日記


 「苦学」という言葉がさかんに使われた時代があった。家は貧しいけれど働いて学資を得ながら学ぶ。苦しくとも、そうすればきっと未来は開けると若者たちは夢を膨らませたのだ。明治後期にはすでに「苦学界」「東京苦学案内」といった雑誌や本も出ていたという。
 戦後になってもそういう苦学生はたくさんいて、定時制高校や大学夜間部はよく青春映画の舞台になった。されどそれもこれも、過ぎ去った遠い昔の話と思いがちだが現実は違う。文部科学省によれば、2012年度の大学中退者7万9千人のうち20%は経済的理由での勉学断念だった。07年度調査より6ポイントも増えている。
 お金がなくてキャンパスを去った若者がこれだけ多いということは、その一歩手前で歯を食いしばっている平成の苦学生も相当な数にのぼると知るべきである。アルバイトに明け暮れ、食べるもの着るものへの欲も抑えて過ごす4年間なのだ。親のスネをかじり放題の、バブル期あたりのリッチな学生像は遠のいて久しい。
 政府は無利子奨学金などで学生を支えるというが、こういうところへの予算は惜しんではなるまい。苦学はしばしば美談として語られるけれど、明治大正のころの苦学生も初志を貫徹できるのは100人に1人の険しい道だったという(竹内洋著「立志・苦学・出世」)。豊かになったこの国にあってはならぬ景色だろう。

産経新聞 産経抄

2014-09-28 20:25:28 | 日記
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 「陶器はくさらないでしょ」「いや、くさる」。悠長に問う妻を、夫は邪険に突っぱねる。妻はさらに聞く。腐らないものはないのか。ある、と夫。「動いているもの、流れているものは、くさらない…人生だって、絶えず流れて走っていなくちゃ」。
 夫は場末の薬局から身を起こし、やがて食品から家電製品まで、あらゆるものを安く売りさばく実業家へと階段を上る―。城山三郎の小説『価格破壊』が世に出たのは昭和44年。物語のモデルとされるダイエーは3年後、三越を抜き小売業の売上高で日本一に躍り出る。
 創業者の中内功氏は生前、小紙で自嘲気味に語っていた。スーパーは「百貨店に比べるといかがわしいところがある」と。しかし、「よい品をどんどん安く」の触れ込みは消費者の心をくすぐった。水が低きに流れるようにモノとカネの不断の流れを社会に生んだ。
 その名門の屋号が数年のうちに消える。かつての小売業の雄もバブル崩壊と消費低迷に泣き、今は小売り最大手のイオンに庇護(ひご)を仰ぐ身。雑多な業態に手を広げたツケは年来のリストラでも払えず「負け組」の色が定着した。もはや看板の掛け替えしか道はないという。
 思えば、プロ球団の経営も寿命を縮める不摂生だったか。「ダイエー優勝買物かごが騒ぎ出す」。この川柳が小紙大阪版に載ったのは平成15年秋だった。ダイエーは翌シーズン後に球団を手放す。「絶えず流れて走って」の営みを欠いた組織の衰運はやむをえない。
 頭文字の「D」を模した懐かしいロゴマークは、どこの駅前にもあった。親に手を引かれた買い物の記憶に、オレンジ色をした「月」を重ねる方も多かろう。栄枯盛衰。思い出の中、秋風にさらされた月が寂しげに揺れている。