社長ノート

社長が見たこと、聞いたこと、考えたこと、読んだこと、

日本経済新聞 春秋

2014-01-31 04:38:45 | 日記


 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた――。世に知られた高村光太郎の「レモン哀歌」である。死の床の智恵子がその柑橘(かんきつ)をがりりと噛(か)むと「トパアズいろの香気」がわき立ち、しばし意識がよみがえる。レモンの刺激によって智恵子は「もとの智恵子」に戻るのだ。
 理化学研究所などのチームが、常識破りの手法で新たな万能細胞作製に成功した。マウスの細胞を弱酸性の溶液に浸すだけで、さまざまな臓器や組織の細胞に育つべく「初期化」されるという。やはり酸っぱい刺激は生命を突き動かす……とは小欄の勝手な連想だが、目からウロコのこの大発見は全世界を興奮させている。
 開発をリードしたのは理研の小保方晴子さんだ。哺乳類では木の枝やトカゲの尻尾みたいに簡単な刺激で細胞が再生することはない、という生物学の常識に挑んで実験を続けた。笑われもしたが、いろいろ試すうちに弱酸性の液がその力をもつことを突きとめたという。30歳の女性研究者の、しなやかな発想の勝利である。
 白衣にかえて祖母にもらった割烹(かっぽう)着をまとった姿は自然体で気負いなく、新世代の活躍に心洗われる思いだ。もっともこの万能細胞がヒトでも作製可能か、再生医療に役立つようになるか、今後の研究は多難だろう。「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」。光太郎の「道程」を胸の底に、惜しみないエールを送る。

朝日新聞 天声人語

2014-01-31 00:42:28 | 日記
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 流行歌に詳しいわけではないが、「最後のコイン」という言葉がでてくる歌詞を幾つか知っている。たとえば、さだまさしさんの「加速度」。♪最後のコインが今落ちたから 今迄(まで)のすべてがあと3分ね、って……。若い人には説明がいるだろう。
 恋人が相手に「別れ」の電話をかけている場面である。かつて公衆電話の市内通話は10円玉で3分だった。長引きそうなときは先に何枚か投入して、最後の1枚になると受話器から知らせる音が鳴った。わが学生時代の懐かしい曲だ。
 調べると、もっと昔は10円で無制限に話せた。長電話防止のために、1969年から3分で打ち切る制度を導入したという。「最後のコイン」は70年代から携帯電話普及までが、言葉としての旬だったろう。
 時は流れて、いまは10円で1分の通話時間が、4月の消費増税で57・5秒に短くなる。先ごろ記事が載っていたが、目に留められただろうか。最後に公衆電話を使ったのは……考え込む人が周囲には多い。
 84年の93万台が、21万台に減っている。街なかに路傍に、お見限りを恨むように寂しげにたたずむ。「あれほどお仕えしたのに」。世の中は人の数だけ携帯が歩く時代になった。
 だが、どっこいである。東日本大震災を機に頼りになると見直され、NTTは設置場所をネットで表示している。拙宅から5分の公園脇に1台ある。携帯がダウンした時が出番となろう。活躍の日が来ないことを祈れば、箱形の電話機がどこか、お地蔵様に思えてくる。