社長ノート

社長が見たこと、聞いたこと、考えたこと、読んだこと、

日本経済新聞 春秋

2014-08-06 08:49:04 | 日記
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 死者は、どんな厳しい、また見当外れな非難を受けても、聞く耳がない。傷つけられても、傷つけられたことを永遠に知らない。これこそ死者の特権である――。哲学者で随筆家、詩人でもあった串田孫一が晩年そう書き記している。その一節を思わずにはいられない。
 串田の断想は生きている者の理屈だし、むろん、この小文も同じである。だから、死者からすれば「なんと身勝手な言い草か」ということがあるだろう。しかし、「死者の特権」への誘惑に屈するかのように渦中の人物が自殺することは何度もあった。理化学研究所の笹井芳樹氏(52)の自殺にもまた、そんな印象を持つ。
 STAP細胞の問題は半年も世を騒がせ続けている。笹井氏には、論文の不正を何もかも明らかにする責任があった。指導する立場から論文作成にかかわったのだから当たり前である。ただ、変な言い方だが、STAPには早くケリをつけて日本の再生医療研究の最先端の現場に戻ってきてほしいという声も多かったのだ。
 英国の科学ジャーナリスト、サイモン・シンは「死は、科学が進歩する大きな要因のひとつなのだ」という。頑迷な大御所の死とともに、古くて間違った理論が消え去るからである。しかし、笹井氏の死は科学の進歩にブレーキをかける大きな要因になるだろう。そのことだけにでも聞く耳を持ち続けてほしかったと思う。