社長ノート

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産経抄 産経新聞

2015-09-27 21:34:17 | 日記

 大相撲の立行司、22代木村庄之助は「差し違えのない名手」として知られた。土俵を裁いたのは昭和30年代前半、「栃若」両横綱の盛時と重なる。白黒のつく一瞬前に軍配を上げる芸当は、目の肥えた好角家にとって眼福の一つだったといわれる。
 「勝負が決まった後で軍配を上げるのでは、お客さんと変わらない」。門弟たちにそう説いた。行司の脇差しは万一の差し違えに際し、詰め腹を切る覚悟の象徴という。「一瞬前」の裁きに、結びの一番を預かる名人の気骨を見る。
 軍配を待たず、出処に折り目をつけられなかったか。新国立競技場問題の責めを負う下村博文文部科学相と日本スポーツ振興センターの河野一郎理事長が、任期を全うしそうである。責任を問う第三者委員会の報告を受け、2人は給与の一部を返納するが、事の大きさに比べ「引責」の値段が安い。
 多額の公費がむだに消え、東京五輪はいわれなき汚名を着せられている。各界の重鎮も名を連ねた有識者会議は、計画を実質的に主導しながら不問に付された。安倍晋三首相は「辞任に値しない」と下村氏に告げたという。名人の手を借りずとも上げられる軍配を「差し違えだ」と暗に言っている。
 栃若時代を築いた横綱栃錦の引き際は、鮮やかなものだった。昭和35年の夏場所、初日から2連敗すると3日目には引退会見を開いている。同年は初場所を制し、春場所は横綱若乃花との全勝対決に敗れたものの、14勝1敗である。
 「桜の花の散る如(ごと)く、きれいに土俵を去れ」が師匠(元横綱栃木山)の教えだった(北出清五郎著『土俵に賭けるハートワーク』)。時宜をわきまえぬ二枚腰ほど目の毒はない。下村、河野の両氏にわずかでも美意識があれば、とため息が出る。