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足をけがした児童を背負って修学旅行に連れて行ってあげた先生が話題に=韓国

2017-05-19 17:25:53 | 感動ニュース
足をけがした児童を背負って修学旅行に連れて行ってあげた先生が話題に=韓国

2017年5月19日 10時10分

中央日報


全羅北道高敞(チョルラブクド・コチャン)のある30代小学校教師が足をけがした児童を背負って修学旅行に参加させてやっていた事実が伝えられた。

韓国教育部は最近、2017年「先生の日」を迎え、先生を尊敬する文化を形成していくために「私の心の先生を探します」というキャンペーンを行った。ホームページを通じて手紙や写真、漫画や動画などで先生に感謝の気持ちを伝えることができた。

先生の日だった今月15日に発表された大賞には高敞孔音(コンウム)小学校5年生のカン・ソングァン君(12)が応募した写真が選ばれ、該当の便りが伝えられた。カン君はイ・ヨンヒョン先生(32)が自分を背負っている写真に次のような文章を載せた。

「こどもの日、お祭り会場で板飛びをしていて足首の骨にひびが入った。僕は小学校で初めてで最後の修学旅行を控えていた。とても行きたかった。両親は学級の友達や先生の荷物になるからといってあきらめさせようとしたが、担任の先生は違っていた。両親から許可が出れば一緒に行こうと言ってくれた。ところが出発当日、雨が降るではないか。46キロを越える僕と僕のカバンを、先生はずっと背負ってくれた。そのような先生をとてもありがたく思い、申し訳なく思った。(先生は)3年前にも、6年生の担任をしていた時、足をケガした兄を背負って修学旅行に行ってこられた。先生!小学校修学旅行をプレゼントして下さって、とても感謝しています」

4歳男児が暗算検定1級合格 「頭の中でそろばんパチパチ」

2017-05-05 12:53:38 | 感動ニュース

4歳男児が暗算検定1級合格 「頭の中でそろばんパチパチ」


神戸新聞NEXT 5/5(金) 8:31配信


 兵庫県尼崎市に住む幼稚園児福島一ちゃんが3月、日本珠算連盟主催の暗算能力検定1級に4歳5カ月で合格した。3桁数字の足し算・引き算や、難解な掛け算・割り算を瞬く間に解いてしまう。「頭の中でそろばんパチパチすんねん」と一ちゃん。同連盟の担当者は「最年少合格の統計は取っていないが、4歳で1級を取るのは全国でも珍しい。考えられない」とスーパーキッズに驚く。


 一ちゃんは、珠算塾講師福島大さん(42)の長男。祖母の榮美子さん(70)が塾長を務める。

 物心がついたころから数字に興味を持ち、カレンダーやキッチンタイマーを見せると、すぐ機嫌が直る子だったといい、3歳からそろばんを始めた。

 「本人の興味があるときに教える。飽きたら、それ以上深追いしない」と大さん。好奇心を大切にし、テストの問題も、順番にではなく、一ちゃんのやりたい問題からやらせる。朝40分、夜30分の勉強時間も楽しくこなす。大きな瞳が問題用紙を見詰め、真冬でも汗だくになって解き続けるという。

 珠算連盟の暗算能力検定は10級から始まり、一ちゃんは昨年9月に7級を取得。その後、半年で1級に達した。

 1級は、3桁の足し算・引き算20題、5桁の数字が混じる掛け算・割り算60題を12分以内にこなす。大さんによると、珠算塾に通っている小学校高学年が取得するレベルだという。

 大さんは「毎日練習しているから当たり前と思っていたが、周囲の人に祝福され、改めて息子がすごい、と思った」と話し、2歳の弟も「僕も暗算したい」と意気込んでいるという。

 一ちゃんの次の目標は段位認定試験。あどけない顔で懸命に問題用紙と格闘している。

 将来の夢は、父や祖母のような珠算塾の先生ではなく、「警察官になりたい」と一ちゃん。幼稚園への通園途中に見掛けるおまわりさんに憧れているようだ。

【海外発!Breaking News】42年間手紙を交わしたペンフレンド、初めての対面(米)

2017-05-02 12:18:48 | 感動ニュース
【海外発!Breaking News】42年間手紙を交わしたペンフレンド、初めての対面(米)


2017年5月1日 16時10分

Techinsight

手軽にメッセージのやり取りができるネット社会では、手紙を書き切手を貼って投函することを面倒だと感じる人も多いであろう。今から42年前、お互いが10代の頃に手紙のやり取りを始めたアメリカ在住の男女2人は事あるごとにペンを執り、進学、結婚、子供の誕生、身内の死など人生の節目を手紙の中で共有してきた。そして4月11日、2人は42年目にして初めて顔を合わせたのだ。『abcnews.go.com』など複数のメディアが伝えている。

ニューヨーク州イースト・アイスリップに住むジョージ・ゴーン(56)さんとカリフォルニア州サンディエゴに暮らすローリ・ガーツさん(54)が手紙のやり取りをはじめたのは、今から42年前だった。

ジョージさんはその頃のことをこう振り返っている。

「私が15歳の時、チェーンメールが流行っていたのです。私は5人に手紙を書きました。予定では数千の返信があるはずだったんですが、返ってきたのは4通だけ。その中の1通がローリからのものでした。彼女はその時、まだ12歳でした。」

「初めは取り留めのないことをずらずらと書いていたような気がします。学校のこと、家族のこと、そしてこれからどんなことをしたいか…。若かったからいい加減なことも書いていましたよ。でも時が経つにつれ、手紙の内容は少しシリアスなものに変わっていきました。自分たちが成長したのでしょうね。」

ジョージさんはここ数年、立て続けに身内を亡くしており「ローリさんは妹のようだ」と述べている。

一方で結婚し2児の母でもあるローリさんは、“ジョージさんからの手紙の中でも特に印象に残っている1通”をこのように明かした。

「2006年、ジョージが母を亡くした時のことです。彼が葬儀に向かう飛行機の中で書いたという手紙に心が揺さぶられました。」

それは紙ナプキンに綴られたもので、ローリさんは「こんな大変な時に、私がこんな手紙をもらってしまっていいのかしら」と思ったそうだが、「ジョージはとても誠実な人。私のことを本当に大切に思ってくれていることに改めて気づかされたのです」と語っている。

2人ともこれまでの手紙は捨てることなく、大切に保管しているそうだ。

「ジョージはなくてはならない特別な存在です。私の家族はみんな彼のことを知っています。こんなに長くペンフレンドでいられるなんて素敵ですよね。」

そう話すローリさんは“ジョージさんに会ってみたい”と常々思っていたものの、ジョージさんはずっと尻込みしてきた。しかし18歳の息子とニューヨーク州ヘムステッドにあるホフストラ大学を訪問する予定ができたローリさんは、それほど離れていない場所に住むジョージさんに連絡を取った。

話はとんとん拍子で進み4月11日、ウェストベリーのレッド・ルーフ・インというホテルのロビーで、2人は42年目にして初めて顔を合わせることになった。

その様子はホテルのカメラに収められているが、ハグをする2人には42年の想いがあふれている。

ローリさんは後に「ジョージは泣いていました。私はその場は嬉しさでいっぱいでしたが、数時間経ってから涙がとめどなくあふれてきました」と語っている。

2人はこれからもずっと手紙を書き続けるということだ。

「手紙なら素直に心を打ち明けることができる」という人も多いであろう。中国ではこれから出稼ぎに出る息子にしたためた母の手紙がネチズンたちの涙を誘った。また、イギリスでは末期がんの男性が「自分にはあまり時間が残されていないから」と息子に18年分の手紙を綴っていた。

偏見に挑む、アルゼンチン初のダウン症保育士

2016-11-19 09:21:50 | 感動ニュース
偏見に挑む、アルゼンチン初のダウン症保育士



2016年11月18日 20時23分

AFPBB News

【AFP=時事】ノエリア・ガレラさんは子どもの頃、「モンスター」と呼ばれて保育園への入園を拒まれた。だが31歳になった彼女は今、保育士として働いている。

 ガレラさんは、偏見にさらされながらもアルゼンチンで初めて保育士になったダウン症患者だ。世界的に見ても数は多くないだろう。認知機能障害者が保育士になれるのか──ガレラさんは、こうしたタブーに挑んだ前例を作った。

 北部コルドバ(Cordoba)にあるヘルモニト保育園でガレラさんが受け持つ2歳児と3歳児のクラスでは、子どもたちが彼女を慕って周りに集まってくる。読み聞かせの時間になると、子どもたちはガレラさんに言われた通りきちんと座り、彼女が歯をむき出してサメのまねをしながら絵本を読む姿を夢中になって見つめている。

「この仕事が大好き。小さい頃から夢は先生になることでした。子どもが大好きだから」と、ガレラさんはAFPに語った。「子どもたちに読んだり聞いたりしてほしい。社会では人の話に耳を傾けなくてはいけないから」

 園側はガレラさんの意欲に押されて採用を決断したが、一部には反対の声もあった。元園長のアレハンドラ・セネストラーリ氏によれば「責任ある役職」にある人物が、ダウン症患者は担任を持つべきではないと主張したという。保育士と保護者、市長まで加わって議論し、最終的にガレラさんが年少の読み聞かせクラスを教えられないと判断する理由はないという結論に達した。

 採用してすぐにガレラさんが強い使命感を持っていることが分かったとセネストラーリ氏は言う。「園児たちが一番求めているものを彼女は与えたんです。それは愛情です」

■自分を信じる心

 遺伝子疾患であるダウン症は通常、身体や知能の発達に影響する。だが、ガレラさんの場合、彼女がもつ楽観性や自信が損なわれることはなかった。

 幼い時に保育園の園長から「モンスターは入れない」と両親が言われた時の話をガレラさんがしていると、そばにいた母親のメルセデス・カブレラさんは涙ぐんだ。しかし、ガレラさんは笑顔でこう言った。「その園長は、私が子どもたちに読んでいる物語みたい。その人は何も知らず、誤解をしている悲しいモンスター。でも私は幸せなモンスター」

 ヘルモニト保育園の現園長のスサナ・セルダン氏は「職員たちにとって特別な経験になっています」と言う。「子どもたちが彼女を受け入れ、自然と園に溶け込ませていることは、私たち全員にとって人生の教訓です」

「今までで一番心震えた」「日本人に好感を抱いたのは初めて」=手足のない日本の女性の生き方に、中国ネットは

2016-11-18 12:27:28 | 感動ニュース
今までで一番心震えた」「日本人に好感を抱いたのは初めて」=手足のない日本の女性の生き方に、中国ネットは感動&絶賛


2016年11月17日 22時20分

Record China

2016年11月13日、中国のポータルサイト・今日頭条に、手足のない日本の女性を紹介した動画が掲載され、反響を呼んでいる。

動画で紹介されているのは26歳の佐野有美さん。生まれつき両手と右足がなく、左足は短い。しかし、その左足を使って食事をすることも、携帯電話でメールの文章を打つことも、メークをすることもできる。母親が幼い頃から何でも1人でできるようにと教えてきたからだ。佐野さんは普通の学校に通い、チアリーディングにも挑戦した。自らの体験を基に著書を出版し、全国の学校や施設での講演や歌手活動も行っている。

佐野さんのあきらめない様子や常に前向きな姿勢に、中国のネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。以下はその一部。

「この女の子、本当にスゴい!」
「感動した」
「すごく強い人だ。頑張って。私たちは応援するよ」

「この女性に幸あれ、頑張ってください」
「力強く人生を歩んでいる様子を見てうれしくなった」
「この女性の生活は充実しているね。自分が恥ずかしくなったよ」

「障がい者は差別されるべきではない。みんながもっと気を配るべきだ」
「五体満足なのに不満ばかり言う人が多い」
「障がいを持ちながら、強く、そして楽しんで生活している姿に本当に感服した。自分は反省するところが多い」

「どんな状況でも笑って過ごす。これが残酷な運命に対する最高の反撃」
「日本人に好感を抱いたのは初めて。ずっとずっと楽しい生活を送れますように」

「自分でお風呂に入り、自分で服を着て、自分で階段を上り降りする。お母さんは助けたいのを必死に我慢していただろう。母は本当に偉大だ」
「今まで見たものの中で一番心が震えた。本当に自分が情けないと思った。あなたは一番美しく、最高です」

100万借りに来たら300万をポン! 田中角栄氏の前で号泣した若手議員

2016-09-07 11:15:36 | 感動ニュース
100万借りに来たら300万をポン! 田中角栄氏の前で号泣した若手議員


2016年9月7日 8時0分

まぐまぐニュース

元TBSディレクターにして、現在はロスで起業し、「Wowmax Media! 」を経営する海部正樹さんによるメルマガ、『ロサンゼルスで起業してしまったボクの本気メルマガ!』。今回は、海部さんのお父さんで元首相の海部俊樹さんから伺ったという田中角栄さんのエピソードです。こんな粋すぎるお金の使い方、今の政治家で出来る人はいるのでしょうか?
父に聞いた田中角栄流「お金の使い方」

海部正樹です。

今日は田中角栄元首相の、生きた金の使い方について書きます。 父から聞いた話なのですが、なかなかできないことです。

あるとき、田中角栄と覇を争っていた別の派閥に所属する若手議員が、女性問題で不始末をしました。 急いで100万円を用意しなくてはなりません。 そこで派閥のボスに借金を頼みに行ったのですが、言を左右され貸してくれません。

そこで、田中派に属する同期議員に相談したところ、すぐに角栄先生のアポがとれ、目白の御屋敷で面談します。

角栄先生は、話を半分くらい聞いたところで「いくらいるんだ?」。「100万円です」と答えると、横に置いてあった段ボールから300万円取り出し、ポンと手渡してくれます。これは若手議員もびっくり。しかし、もっと驚いたのは角栄先生の言葉だったそうです。「300万円ある。100万円で問題にケリをつけろ。100万円でこの件で世話になったひとをご馳走しろ。100万円はまた同じ事をしてしまった時の為にとっておけ。 この金は返す必要はない」

若手議員は涙がこぼれ、そのまま田中派に入ったということです。

角栄先生は「金を使うときは、相手がびっくりするような使い方をするもんだ」と言っておられたようですが、確かにびっくりしますね。 「借りた金は、忘れるな。貸した金は忘れろ」とも言っておられたとか。まあ、段ボールに現金がはいってないとできない芸ですが、それにしても人心を掴む術を心得ておられたんですね。

“自分”を担保に1億の借金をして寄付…杉良太郎が福祉にこだわる理由

2016-09-05 16:07:11 | 感動ニュース
“自分”を担保に1億の借金をして寄付…杉良太郎が福祉にこだわる理由



2016年9月5日 11時30分

dot.(ドット)


「私にとってはいたって普通のこと。自然体で人のため役に立てれば、とやっています」

 エイズ、肝炎、公害訴訟、水俣病……20年以上前から、“人災”は、俳優・杉良太郎さんにとって大きな関心事だった。ベトナムへの支援、受刑者更生など、様々な社会貢献活動に携わる杉さんは、4年前から、「知って、肝炎プロジェクト」の特別参与を務め、肝炎に対する正しい知識を広め、偏見や差別をなくすべく働きかけている。

「C型は、飲むだけで完治するいい薬もできています。早期発見につなげるために、一人でも多くの人に検査に行くことを勧めたいですね」

「どうして福祉活動を?」と訊ねられるのが、一番困るという。何かドラマチックな経験をして、福祉に目覚めたわけではない。人気者になってお金がたくさん入ってきて、使い道に困ったわけでもない。

「ある政治家に、『そんなに巨額の寄付をして、芸能人って金持ちなんだな』と言われたことがある。でも実際はそういうわけではない。例えば、中国で文化交流のために約1カ月親善公演をやった時、日本の孤児を育てていただいた中国に感謝し、中国残留孤児に1億円を寄付しました。すでに家も会社も抵当に入っていたので、この身体を担保にして、銀行から1億借りた。10年かかってその借金を返した時、返済額を計算したら1億7500万だった。身体を担保にして銀行からお金を借り、寄付をした者はまずいないと思います」

 子供の頃は、「親孝行のため、お金を稼げる人になりたい!」と願っていた。実際に稼げるようになると、お金に対する執着がなくなった。

「デビュー直後は、人気取りのためなら何でもやった。客席の一番後ろから登場して、握手しながら歌うとか。でも、人気が出ると、今度は人気が邪魔になる。人気は現象であって、実力じゃないから、“このままでは消えてしまう”と思い、テレビの仕事を辞め、舞台に打ち込みました」

 90年代に入り、様々な形で福祉の活動に携わるようになる。そこで杉さんはたくさんの真実に出会った。

「人間って、嘘泣きするでしょう。作り笑いもすれば、お世辞も言う。でも、施設の人たちとの付き合いは、人間対人間。その人たちの笑顔も涙も、全部真実なんです。熊本にあるハンセン病施設・菊池恵楓園で『遠山の金さん』のお芝居を演じた時、身体の不自由な人たちが巻き起こした拍手の音は今でも耳に残っています。いくらお金を出しても、買うことのできない真実の拍手だから、一生忘れないでしょう。私にとっては、施設で出会う人たちこそ、人間の真実を教えてくれる“先生”です」

 福祉活動を始めて、自分で作詞を手がけるようになり、世の中に対する疑問や憤りを歌詞に、また趣味の絵画にぶつける。新曲「ひとり旅」には、旅がもたらしてくれる人生の真実の姿が、爽やかに描かれている。

安倍昭恵・首相夫人がパールハーバーを慰霊訪問「過去と向き合い、平和への祈りを捧げる」

2016-08-22 11:26:05 | 感動ニュース
安倍昭恵・首相夫人がパールハーバーを慰霊訪問「過去と向き合い、平和への祈りを捧げる」 【現地特別ルポ】

2016年8月22日 7時0分

現代ビジネス

■75年目という節目に

「ハワイには何度も来たことがありますが、パールハーバーを訪れたことはありませんでした。この一年、戦後70年ということで、先の戦争について考える機会が増えるなか、どうしても一度は訪問したいという気持ちが強くなりました。実際にこの目で彼の地を見て、亡くなった方への祈りを捧げたいと思ったのです」

ハワイの中心部・ワイキキから車を30分ほど走らせたところに位置する「U.S.Sアリゾナ記念館」。真珠湾攻撃によって亡くなった人々の追悼のため海上に建てられたこの施設に、日本時間8月22日早朝、犠牲者に向かって祈りをささげる安倍昭恵・首相夫人(54)の姿があった。

「ここで2400名もの人命が失われたんですね…。記念館に展示された様々な資料を見て、改めて『パールハーバー』がアメリカの人々にとってどのような意味を持つのかを知り、胸を痛めました」(昭恵夫人)

1941年12月7日午前7時55分(日本時間12月8日午前3時25分)、日本海軍の連合艦隊機動部隊が真珠湾を強襲。2時間にわたる攻撃によって、空母を含む12隻の船が沈没・座礁、164の航空機が破壊され、民間人49名を含む約2400名が亡くなった。

太平洋戦争の「最初の戦いの舞台」となった真珠湾。アメリカでは、宣戦布告がなされぬまま攻撃が実行されたことへの憎しみと、多くの人命を一瞬で失った悲しみを込めて、12月7日は「day of infamy(汚辱の日)」と呼ばれている。「リメンバー・パール・ハーバー」の言葉とともに、いまでも第二次世界大戦の忌々しい記憶としてこの日のことが語り継がれているのは、周知のとおりだ。

過去、アメリカは日本政府に対して「日米の和解をさらに進めるためにも、日本国首相の真珠湾訪問を歓迎する」と何度も呼びかけてきた。が、日本政府がこれに応えることはなかった。国内で「奇襲ではない」「訪問をすれば謝罪は必至。なぜ謝罪をする必要があるのか」という声があり、そうした意見に配慮したため、と言われている。

その空気が大きく変わったのは、今年5月。オバマ大統領が、現職の大統領として初めて被爆地・広島を訪問、17分間にわたるスピーチで平和の尊さを訴えたことで、「アメリカが過去に向き合ったのだから、安倍首相も真珠湾を訪問して、過去に向き合うべきだ」との意見が、外部からのみならず政権内部からも聞こえてくるようになった。

真珠湾攻撃から75年という節目に当たる今年、日本の首相がはじめて真珠湾を訪問するかもしれない――。そんな気運が高まる中、安倍昭恵夫人がアリゾナ記念館を訪問したのだ。
■これまでの平和に感謝し、これからの平和を祈る

『現代ビジネス』の取材に、昭恵夫人がその思いを語る。

「オバマ大統領が広島に訪問したことで、被爆地ヒロシマのこと、そしてあの戦争のことを改めて考える機会を持った方も多いはずです。パールハーバーについて、様々な議論や見方があるのは知っていますが、憎しみや怒りを超えて、次の世代にこの記憶を語り継いでいかなければならないと思っています。

犠牲者を悼むとともに、これまでの平和に感謝し、これからの平和を築いていくために、祈りを捧げました」

今回の真珠湾訪問は、公式なものではなく、あくまで私的なものであるという。これが首相の訪問を後押しするかといえば、それはわからない。しかしながらどのような形であれ、昭恵夫人が和解と平和を願う気持ちをもち、歴史的な一歩を踏んだことに変わりはない。

昭恵夫人がこの地を訪れたのは、午前7時55分。まさに、真珠湾攻撃が実施されたのと同じ時間だ。折しも同日、ブラジルでは安倍首相がリオ五輪の閉会式に出席し、世界に向けて東京五輪のPRを行う。昭恵夫人の祈りは、世界に届くだろうか。

NHK上原アナ、丸めたティッシュで鼻を拭く 卓球女子銅メダルに感動し…

2016-08-18 09:27:46 | 感動ニュース
NHK上原アナ、丸めたティッシュで鼻を拭く 卓球女子銅メダルに感動し…


2016年8月17日 18時19分

デイリースポーツ

 NHKリオデジャネイロ五輪のキャスターを務める広島放送局の上原光紀アナウンサーが17日、卓球女子団体で涙の銅メダルを獲得した福原愛のインタビューにもらい泣きし、グシャグシャに丸めたティッシュで鼻を拭く姿が放送されてしまった。ネットでは、そのリアルなシーンに「こっちも涙」「リアルで良い」などのツイートがあがる一方、「放送事故」「伝える側が泣き出しては」といった厳しい声も上がった。

 番組は卓球女子団体の試合を生中継。その後の選手の涙のインタビューも伝えた。上原アナは、番組に届いたメールを読んでいたが、途中、自身が映っていないと思ったのか、手元でティッシュをグシャグシャと豪快に丸め、鼻を押さえるシーンが流れてしまった。

 あまりにもリアルな鼻を拭くシーンに、ネットでは「リアルで良い」「美しい涙」「見ているこっちも涙」と、同情的な意見が大半を占めたが、中には「伝える側が泣き出したら終わりだろう」といった厳しい声も上がっていた。

 上原アナはリオ五輪中継のキャスターを務めているが、その美女ぶりと、ミニスカートからのぞく美脚がネットで話題を呼んでいた。

 杉浦友紀アナと初めて2人で出演した際は、杉浦アナが白いロングパンツだったのに対し、上原アナは薄いピンクのシャツに白と黒のチェックのミニスカート姿。太ももチラチラ映り、気になった視聴者も多かったようで、ネットでの書き込みも目立った。

マレーシアで盆踊り=3万5000人超参加

2016-07-24 10:07:21 | 感動ニュース
マレーシアで盆踊り=3万5000人超参加

07月23日 22:17時事通信

 【シャーアラム(マレーシア)時事】マレーシアで暮らす日本人や地元住民の恒例行事となっている盆踊り大会が23日夜、首都クアラルンプール近郊のシャーアラムの競技場で開かれた。40周年となる今回は3万5000人以上が参加し、地元スランゴール州のスルタン(イスラム王侯)やアズミン州首相も会場を訪れた。

 やぐらの周りにできた踊りの輪では、日マレーシア両国の人々が一緒になり、東京音頭や花笠音頭などを踊った。ベビーシッターのハフィザさん(29)とハヤティさん(29)は浴衣を着て参加。「ダンスがとても楽しい」と笑顔を見せた。

 西村章大会実行委員長は「ぜひ来年以降も続け、盆踊りを通じてマレーシアと日本の文化交流がさらに進むことを願っている」と述べた。

 盆踊り大会は、現地の日本人会と日本人学校、在マレーシア日本大使館が主催。日本人会によると、1977年に始まり、徐々に祭りの規模が大きくなった。