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2人だけの成人式、50人の村民が祝福

2018-01-08 12:08:39 | 感動ニュース
2人だけの成人式、50人の村民が祝福



2018年1月8日 10時59分

読売新聞

 積丹半島西側にある人口約900人の北海道神恵内村では7日、帰省中の2人が成人式に臨み、集まった約50人の村民に祝福を受けた。

 函館市の公立はこだて未来大2年の稲船美成恵さん(20)と、札幌市の専門学校で美容師を目指す高橋峻人さん(19)。村では小学2年から中学卒業まで同学年は2人だけ。高校卒業後に初めて再会したといい、式では郷土愛や社会貢献を約束する成人の誓いを一緒に読み上げ、恩師たちが次々に語りかけるビデオレターに懐かしそうに見入った。

 「すぐに戻ることは考えていない」と口をそろえて語ったが、「波の音を聞いて眠れる」(稲船さん)「海と山がきれいな場所」(高橋さん)と強い愛着も口にした。

 神恵内村は明治、大正時代にニシン漁で栄え人口は5000人を超えていたが、近年は過疎化が進み、成人式の出席者は少なく、昨年も2人だった。

【京都2人死傷】重傷男性が証言「死亡男性、立ちはだかってくれた」/容疑者は娘の元上司

2018-01-04 11:59:01 | 感動ニュース
【京都2人死傷】重傷男性が証言「死亡男性、立ちはだかってくれた」/容疑者は娘の元上司



2018年1月4日 9時12分

産経新聞

 京都市伏見区で昨年12月31日に男性2人が刃物で切りつけられて死傷した事件で、重傷を負った大津市の男性(45)が3日、入院先の病院で産経新聞の取材に応じた。

 中村正勝容疑者(50)=殺人未遂容疑で逮捕=は男性の娘(21)の元上司で、トラブル解決の話し合いのため中村容疑者を訪問したところ、一緒に訪れた男性の知人の猪飼(いかい)将希さん(27)が刺されたという。

 男性によると、中村容疑者は、男性の娘と京都府内の物流会社で1~2年の間、上司と部下の関係だった。だが、娘と中村容疑者はトラブルになり、娘は付きまといなどもあったとして、昨年12月初めに仕事を辞めたという。

 事件当日は、中村容疑者と話し合うため同日午前、娘が電話で中村容疑者に約束を取りつけ、男性と猪飼さん、娘と娘の夫(24)らがワゴン車で中村容疑者宅に向かった。

 車を近くに止め、男性と猪飼さん、娘夫婦が中村容疑者のマンションへ向かうと、中村容疑者はマンション前でセカンドバッグを脇に抱えて立っていた。

 男性が「部屋で話をしよう」と話しかけると、中村容疑者はバッグから刃物を取り出し、威嚇してきたといい、娘夫婦は駐車場へ車を取りに戻り、猪飼さんは騒ぎを聞きつけた近隣住民に「出てきたらあかん」と声を張り上げたという。そして、車が戻ってきたため乗り込もうとしたが、午後2時55分ごろ、猪飼さんは右胸を刺され、男性も左腕を切りつけられた。

 猪飼さんは昨年事故で脚を骨折し、男性の経営する会社で再起を図ろうとしていた矢先だった。事件では男性や男性の娘をかばうように中村容疑者に立ちはだかったといい、男性は「自分を犠牲にして、みんなを守ってくれた」としのんだ。

服に火…火災から子供ら8人救出 韮崎工3年日原さんに感謝状

2017-12-07 13:40:37 | 感動ニュース

服に火…火災から子供ら8人救出 韮崎工3年日原さんに感謝状

12/7(木) 7:55配信

産経新聞

 ■「自然と体が動いた」

 先月29日、甲府市後屋町の市営団地で起きた火災で高齢者と子供計8人を救出したとして、南甲府署はこの団地に住む県立韮崎工業高校3年、日原拓哉さん(18)に感謝状を贈った。

 10月までサッカー部で主将だった日原さん。地区では消火訓練に参加経験もあり、「自然と体が動き救出に向かった」と振り返った。

 日原さんは家族と2階に住んでおり、火災を知るや消火器を握りしめ、火元となった1階の部屋に突入。足の不自由な男性(70)を救い出した。「おじいさんは普段からトイレに行くにも10分くらいかかると知っていた。すぐに向かったら部屋で立っていた」と日原さん。「煙でほとんど見えなかったが、明るい光が差す方向へ行ったら玄関ドアから外に出られた」という。

 途中で自分の服の胸に火がついているのに気付いたが「無我夢中で外に出たら消えていた」。

 日原さんは2階に戻り、残っていた高齢者5人と小学生2人の計7人を安全な場所へ誘導した。

 南甲府警察署の功刀康友署長が5日、日原さんに感謝状を手渡し、「煙が立ち込める中、勇気を出して救出してくれてありがとうございました」とたたえた。

 市村慎吾副署長も「少しでも救出が遅れていたら火元の男性は危なかった。行動に感謝します」と話した。

韓国・浦項地震に日本人女性が支援 「日本人は優しい」と韓国人が感激

2017-11-25 09:57:32 | 感動ニュース
韓国・浦項地震に日本人女性が支援 「日本人は優しい」と韓国人が感激



2017年11月25日 8時45分

ハーバービジネスオンライン


 11月15日に、韓国の南東部、慶尚北道の浦項(ポハン)市を震源とするM5.4の地震が発生し、市の中心部を始め大きな被害が出ている事は報道の通り。

 日本の大学入試センター試験に相当する、大学修学能力試験が1週間延期されたり、浦項市の小学校が倒壊し耐震偽装問題が持ち上がったり、とある国会議員が文在寅政権の政治に対する「天罰」と言い炎上したりと様々なニュースが届けられるなか、韓国のメディアでは、ある日本人が話題を呼んでいる。

 その人は、愛知県に住む岩田恵氏。

 21日に浦項市災難安全対策本部によれば、ネットニュースにより浦項地震のことを知った岩田氏は、浦項市の公式ツイッターアカウントを通じ、「手助けをしたい」というメッセージを送った。

 岩田氏は、まず浦項市の公式ツイッター上に、地震発生時の行動等を記した写真ファイル64個をあげ、20日にはカイロを240個送った。その他にも、避難所でも簡単に顔や体を拭ける洗顔シートやボディーシートを1箱ずつ送り、簡易トイレも今後1箱送ると言う。

 岩田氏は聯合ニュースのインタビューに対し、「東日本大震災の時、韓国から沢山の支援をもらいありがたかった。韓国には友達も多く、何か出来ることがあれば手助けしたかった」と言い、「(私自身が)直接、大きな災害を経験したことはないが、幼いころ阪神・淡路大震災で避難した親戚を見たことがある」と、支援を決意した背景を語った。

 また「ニュースを見たら、室内なのに厚着をしている被災者の姿を見て、何か温かいものを送らなければと思いカイロを送った」とも教えてくれた。韓国語の勉強を10年以上続け、韓国語が堪能な岩田さんは、市民プログラムの韓国語講座の講師も務めていた。

 このニュースを聞いた韓国国民も、「地震が多い日本の人が送ってくれた支援物資なだけあって信頼感がある。日本人は地震に対する対処法をよく知っている」、「本当にありがたい。多くの日本人は韓国に対する理解もあり、そして優しい」と感謝や感嘆のコメントを寄せている。

◆「朴槿恵政権のときとは大違い」と韓国人が驚嘆したのは……

 この度の浦項地震に際して、話題になっているもう一つのニュースがある。それが避難所の風景だ。地震発生後、7日が経過した21日、9か所ある避難所には温熱マットと簡易テントが設置された。最低気温0度を記録した寒い天候のなか、避難生活を余儀なくされた被災者たちに、政府が緊急で対応したものである。

 このニュースが韓国で大きく報じられたのは、過去の朴槿恵(パク・クネ)政権との対応の違いがあってのこと。2014年4月に起こったセウォル号沈没事故の犠牲者・失踪者家族が、事故現場付近の体育館で日々の生活を送っていたのだが、7か月間ものあいだ、政府からの支援物資は何もなく、24時間付きっぱなしの蛍光灯のもと、布団一式での生活を余儀なくされた。

 当時、韓国国民の中では、東日本大震災で被災した33万人の避難生活者たちが暮らす避難所に、ペーパーパーテーションが設置され、被災者の心理的な負担を軽減した日本政府の対応をあげ、セウォル号犠牲者・失踪者家族の支援をしない政府に反発の声を上げていた。

 今回の震災での政府の対応を受け、韓国国民は、「政権が代わって、やっとテントが支給された」、「政府としては当たり前の対応、なぜ今まで出来なかったのか」と、裁判が遅々として進まない前大統領への皮肉を込めコメントしている。

 文在寅大統領は、「浦項市を特別災難地域に指定し、被害復旧に最善を尽くす」としながら、「余震の恐怖のなかで、家を離れ、一日一日厳しい避難生活をしている浦項と近隣の住民、また受験生の方々を少しでも慰労したい」と語った。

「余命半年」と告知された人の命を延ばした「魔法の言葉」

2017-07-31 15:32:33 | 感動ニュース
「余命半年」と告知された人の命を延ばした「魔法の言葉」



2017年7月30日 16時0分

NEWSポストセブン


 小林麻央さんが最期に選んだ在宅医療──そこには病院に欠けている、得がたい体験があるという。訪問看護師として在宅医療に取り組み、「市ヶ谷のマザーテレサ」と呼ばれる秋山正子さんと、新著『なんとめでたいご臨終』が発売早々重版した日本在宅ホスピス協会会長の小笠原文雄さんが、在宅医療について語り合った。

『なんとめでたいご臨終』には、小笠原さんや看護師など医療従事者が、家族や夢の話、さらには家計のことまで、まるで親しい友人のように患者やその家族と話す様子が描かれている。そうした光景は病院では見られないものだろう。しかし、2人はそうした時間こそが重要だと声を揃えた。

小笠原:病院などの外来は、よく3分診療と言われますが、ぼくたちの往診は短くて5分~15分、通常は15分~30分、長いと1時間、2時間になります。患者さんやご家族の話をじっくり聞いて、心を通わせ、暮らしの中でその患者さんを支える体制を作るのです。

秋山:訪問看護師は、初回はそのかたが今まで受けてきた医療について、時間をかけて話を聞きます。2回目以降もだいたい1時間~1時間半、話しながらケアをします。その間は完全に患者さんのための時間です。私たちがいない時も、何かあったら電話をくださいと言ってありますから、つながっている安心感はあると思います。

小笠原:ぼくは、在宅医療の主役は訪問看護師だと思っているんです。もちろん、ぼくら医師も初めて往診した時は何時間でも話を聞きます。患者さんやご家族が、在宅医療の不安がなくなり、ケアに納得されて笑顔になるまで帰りません。それが在宅ホスピス緩和ケアなんです。患者さんといったん心が通えば、次回からは5分、10分でも大丈夫です。それは病院では難しいことですよね。

秋山:病院では患者さんの側にも遠慮がありますよね。予約して長いこと待って、やっと自分の順番がきて、本当はあれもこれも聞きたい。でも、次の人が待っていると思うと、5つ用意した質問の3つくらいはのみ込んでしまう。そういうことが結構あるんです。

小笠原:よくわかります。

秋山:病院の看護師は患者と雑談をすることは基本的に禁じられています。でも、雑談の中にこそ、その人の人生の物語がある。どんな時代をどう生きてきたのか、いろんな苦労をされて今日に至った中に病気という一つの出来事があるわけです。今は病気のことで頭がいっぱいだけれども、今まで生きてきて輝けることがいっぱいありましたよね、と。そこに共鳴することが大事なんです。

小笠原:そうそう。雑談もしないで心が通うことはあり得ませんよね。

秋山:一人ひとりの話をよく聞いて、そのかたが何を大事にしているかを理解して、それに合った最期を迎えられるようにする。人生の物語は一人ひとりみんな違います。だから、看取りもそれぞれ違う。型通りにやって一丁あがりという世界ではないんですね。

小笠原:本当にさまざまですね。ぼくは多くのかたの在宅看取りをしましたが、みなさん、死を覚悟しながら、最期は死ぬ時を自ら選んだように家族が集まる中で亡くなったかた、笑顔でピースをして穏やかに亡くなられたかたも多いですね。

秋山:先生の本にはそういったかたがたくさん出て来ますね。

 私は余命半年と告知されて、その日まで周到に準備をされてきたがんの患者さんから、「半年たったけど、どうだろうか」と聞かれたことがあります。冬の寒い時期でしたし、とにかく人に気を遣うかただったので、「寒い時にお葬式に来る人は気の毒ですから、花が咲くまで待ってもいいんじゃないですか」と冗談まじりに言ったら、そのかたの肩の力がすうっと抜けました。ずっと緊張されていたんですね。その後は春の選抜高校野球を見たりして緩やかに過ごして、本当に花の咲く4月初めに亡くなりました。

「友達がさびしがっています」 行方たずねる『貼り紙』に、心温まる

2017-07-28 16:01:54 | 感動ニュース
「友達がさびしがっています」 行方たずねる『貼り紙』に、心温まる



2017年7月27日 10時20分

grape

「この子を探しています。見かけたらお知らせください」

街中でたまに見かける『捜索ポスター』。家族である犬や猫などが迷子になってしまった場合、写真付きのポスターを貼り周囲に呼びかけるのは1つの方法です。

ある日、閑静な住宅街に住んでいるという男性が見つけたポスターは、一風変わったものでした。
ユーモアと優しさでできた、1枚のポスター

たくさんの花が並ぶ住宅付近を男性が歩いている時、男性は電柱にこんな貼り紙がしてあることに気付きました。

「友達が2本、行方不明中。残された子たちがさびしがっています」

なんと、捜索願いが出されていたのは花!!

ほっこりしてしまう文面に、男性はつい笑みがこぼれてしまったそう。ちょうどすぐそばに花の世話をしている女性がいたため、声をかけてみました。

その女性は、貼り紙をした本人でした。話を聞いてみると、どうやら歩道の脇に植えていた花が、根っこごと2本なくなったのだそう。

10種類以上もの花が並ぶ自宅の周りは、近所の人たちにとって、ほっと安らぐ憩いの場になっているといいます。

「近所の人たちが喜んで眺めていたからねぇ」

「仕方がない」と諦めていたものの、周囲の人たちが残念がる姿を見て、試しに貼り紙をしてみた女性。

彼女の願いが通じたのでしょうか。貼り紙は思わぬ贈り物を運んできたのです。
消えた花が返ってきた! その真相は…?

後日、貼り紙がはがされていることに気付いた近所の男性。さらに、以前はなかった鉢が、歩道の脇にひっそりと置かれていました。


持ち主の女性によると、貼り紙をした2、3日後に真相は明らかになったのだそう。

「どうやら小さい子どもが、人のものと思わずに取っていってしまったらしいのよ。貼り紙を見た母親が、慌てて謝りに来てくれたの」

確かに歩道の脇にいくつも花が並んでいるため、一見自然に生えてきたものに見えなくもありません。道端でキレイな花を見つけたような感覚で引っこ抜いてしまったのでしょうか。

実際に植えていた花は返ってこなかったものの、申し訳なく思った子どもの母親が、別の花の鉢を用意し、持ち主さんに渡したようです。

「こんなことってあるのね」と、驚いた様子で語る持ち主さん。花たちも、友達が増えて喜んでいるように見えます。

温かい人柄がにじみ出た1枚の貼り紙は、街の片隅で小さな奇跡を起こしました。

【埼玉】浦和学院主将、友情の応急処置 打球直撃の相手に駆け寄る「敵味方関係なく」

2017-07-24 15:06:44 | 感動ニュース
【埼玉】浦和学院主将、友情の応急処置 打球直撃の相手に駆け寄る「敵味方関係なく


2017年7月24日 13時21分

スポニチアネックス

 ◇第99回全国高校野球選手権埼玉大会準決勝 浦和学院3―2春日部共栄(2017年7月24日 大宮公園)

 浦和学院がサヨナラで春日部共栄を下し、4年ぶりの決勝進出を決めた。

 4回、力投していた春日部共栄・大木喬也投手(2年)の左膝に打球が直撃。マウンドに倒れ込んだ。すると浦和学院の三塁コーチャー・赤岩航輔主将(3年)らがすかさずコールドスプレーを手に駆け寄った。「本当に良い球を投げていた。痛がっていたので敵味方関係なく気を配ることを考えた」と赤岩。大木の手をとって起き上がらせると、ベンチ前まで肩を貸した。

 実は赤岩と大木は中学時代にさいたま市選抜でともにプレーした仲。赤岩は外野手、大木は投手とポジションは違ったが「下級生で選抜チームに入ってきたので気楽に投げられるようにと声をかけていた」。そんな後輩が痛がる姿にとっさに体が動いたという。

 一時退場した大木は治療を施して復帰し、9回途中までマウンドに立ち続けた。サヨナラで敗れはしたが「大丈夫?と声をかけてもらいました」と感謝していた。

【海外発!Breaking News】脳死した妊婦、123日後に元気な双子の赤ちゃんを出産(ブラジル)

2017-07-15 10:06:58 | 感動ニュース
【海外発!Breaking News】脳死した妊婦、123日後に元気な双子の赤ちゃんを出産(ブラジル)



2017年7月14日 21時46分

Techinsight

愛する夫と2歳の娘、そしてこれから生まれてくる双子の子供たちとの幸せな家庭を夢見ていたであろう21歳の妊婦が、脳卒中で倒れ脳死状態となった。しかし母親の胎内で双子の命は尽きることなく生き続け、今年2月に懸命な医師らの治療とケアにより無事に誕生した。妊婦の脳死から123日後のことであり、医学上前例のない奇跡の誕生となった。英メディア『Mirror』や『Metro』の他、米メディア『Inside Edition』が伝えている。

ブラジルのコンテンダに暮らすフランキーレン=ダ=シルヴァ・ザンポリ=パジーリャさん(Frankielen da Silva Zampoli Padilha、21歳)は昨年10月、仕事へ向かう途中だった夫ムリエルさん(24歳)に電話し「頭痛で死にそうだからすぐに帰って来て」と伝えた。

ムリエルさんは薬を飲むように指示したが、フランキーレンさんは「痛みが激しいの。首の後ろも痛くて倒れそう」と訴えたためすぐに自宅へ引き返した。すると体を震わせながら痛みで嘔吐と眩暈を起こし泣いていた妻を見つけ、車でカンポ・ラルゴにあるノッソ・サンホラ・ド・ロシオ病院へ連れて行った。

フランキーレンさんはこの時、ムリエルさんに「家にはきっと帰れないと思うから覚悟しておいてほしい」と話しており、実際にこれが夫が聞いた妻の最後の言葉となった。その後、意識を失ったフランキーレンさんは複数の検査を受けた結果、脳卒中になり激しい脳内出血を起こしていたことが分かった。治療にあたった医師らはフランキーレンさんが妊娠9週目であることを知ったが、「CT検査や抗生剤など強力な薬の投与をしたため、胎児の命はもって3日でしょう。胎児の心拍が停止したら、奥さんの生命維持装置も止めます」とムリエルさんに告げた。

ところがここで、医師も予期せぬ奇跡が起こった。生き延びることはできないだろうと思われていた双子は、脳死した母の胎内で成長し続けたのだ。神経内科学集中治療室の主任であるダルトン・リヴァベム医師はこのように語っている。

「超音波検査で胎児が生き続けていることを知り、驚きました。患者の臓器は全てそのままで生きているかのように動いていたので、我々は小さな命を救う決心をしたのです。」

それからは24時間体制でフランキーレンさんの心拍数、血流、血圧、酸素量などをモニタリングする日々が続いた。意識のない母親に代わって医師、看護師、栄養士、理学療法士などが交代でお腹の赤ちゃんに語りかけ、歌を歌って励まし続けた。フランキーレンさんのベッドは家族写真などが飾られ、双子のことを知ったブラジルの人々からはたくさんの寄付が寄せられた。ただこの病院では前例がなかったため、リヴァベム医師はポルトガルで脳死患者の体内で107日間胎児が育ったケースを取り扱ったことのある医師へ協力を求め、超音波検査をしながら胎児の状態を観察した。

幸運にも胎児はフランキーレンさんのお腹の中で順調に育ち、今年2月に妊娠7か月の状態で帝王切開によって無事誕生した。その後、フランキーレンさんの心臓と腎臓は臓器提供のために摘出され、人工呼吸器が外された。

妻を亡くすという悲しみを堪えながらも、元気に生まれた男女の双子は5月末に退院し、ムリエルさんが仕事をしている間はフランキーレンさんの母親であるアンジェラさんが世話をしているという。この先、子供たちが母親に会うことは叶わないが、母の強さを持って生まれてきたことは間違いないといえよう。

全盲の少年に任天堂が「神対応」 Twitterで大反響を呼ぶ

2017-05-22 16:05:44 | 感動ニュース
全盲の少年に任天堂が「神対応」 Twitterで大反響を呼ぶ


2017年5月22日 13時8分

トピックニュース
18日、任天堂が全盲の少年の手紙に取った対応が明らかとなり、大きな反響を呼んでいる。

同日、あるTwitterユーザーが、全盲の長男について投稿。投稿によると、小学5年生だという長男が任天堂に手紙を送ると、返信の手紙が来たというのだ。

長男は、自身も周囲と同じようにゲームをプレイしたいと思っていたが、できるゲームがほとんどなかった。そんな中、唯一できたのが同社のゲーム「リズム天国」だったという。「そのゲームだけは皆と一緒に楽しくできるし、このゲームは誰にも負けませんでした」と語り、全機種でパーフェクト記録を達成したと明かす。

手紙で長男は、同シリーズのさらなる発売を強く要望し、同じようにゲームがしたくてもできない視覚障害の子どもに言及。「体にハンデがあっても皆と一緒に楽しめるゲームを是非開発して欲しい」と綴った。

この手紙に対し、任天堂は「温かいお手紙」への感謝と、「リズム天国」シリーズを楽しんでくれたことへの喜び、そして長男の要望も「開発部門へ報告いたします」と返事していた。

この長男への任天堂の対応を、父親であるTwitterユーザーが「たった1人の為に誠実に対応でまさに神対応です」と紹介した。このツイートは、22日11時の時点で1万6000件以上のリツイートと、2万1000件以上の「いいね」を集めるなど、ネット上で大きな話題となっている。
また、同シリーズの音楽を手掛けたつんく♂もこの一件に反応し、「泣きそうになった。てか、泣いた。ありがとう。そしてこれからもよろしくです」と、感動をあらわにしている。

「勉強はまず無理でしょう…」医師も夫も見放した脳性まひの息子をハーバード大学まで導いたママ

2017-05-19 17:27:43 | 感動ニュース
勉強はまず無理でしょう…」医師も夫も見放した脳性まひの息子をハーバード大学まで導いたママ



2017年5月18日 13時0分

IRORIO

我が子が抱える障害はもちろん、医師や夫の言葉もはねのけて、全身全霊で子育てに励み、息子に限りない可能性を与えた母親が注目を集めている。

今から29年前、中国・華中で生まれたDing Dingさんという男性は、出生時の合併症のため、子宮内で窒息寸前の状態となっていた。そのせいで、脳性まひという障害が残ることになる。
医師からはあきらめろと…

母Zou Hongyanさんは医師からこう告げられた。

「この子を無理に産むことはないでしょう。助けようとしても無駄でしょうし、大きくなっても障害が残るか、知能も期待できないと思います」と…。

しかし母はあきらめなかった。

夫が医師の言うことを聞き入れ、「生涯この子は私達家族の重荷になるだろう」と、その命を切り捨てようとしても。
たった1人で子育て

Zouさんは夫と離婚し、以来1人で息子を育ててきた。

息子の治療費と生活のために、大学での仕事から保険の販売まで、複数の職業を転々とする一方、空いた時間には息子をリハビリに連れて行き、マッサージで硬くなった息子の筋肉をほぐし、パズルや知育玩具で一緒に遊んだ。

Zouさんは当初から、息子には障害を乗り超えるべく、できる限り何でも学ばせようとした。
できるようになるまで厳しく指導

例えばDing Dingさんは手をうまく動かすことができず、当然「箸を使うのは無理だろう」と周囲は思っていた。が、Zouさんだけはあきらめず、息子が箸を使えるようになるまで根気強く指導した。

「大人になって、いちいち障害のことを説明するのは大変でしょう?彼にそんな思いをさせたくなかった」と話すZouさん。

息子にとって困難なことほど、できるようになるまで厳しく教え込んだという。
現在ハーバード大学に通う

子どもの頃から母と二人三脚で努力を続けてきたDing Dingさんは、2011年に北京大学を卒業後、同大学の法科大学院で修士号を取得。

2年間働いた後、Ding Dingさんは昨年から、言わずと知れた米国の名門大学、ハーバードに入学し再び勉学の道を歩んでいる。

中国に残るZouさんを思い、「時々母に会いたくなる」と話すDing Dingさんにとって、母は「精神的な良き指導者」であるという。