鉄道車両アラカルト

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JR北海道 大雪丸の模型を修復、公開中

2007年10月13日 | JR北海道

大雪丸の模型を修復
高校生が見事によみがえらす

東京日比谷13.14日、鉄道の日フェスティバルで

 青函連絡船が就航して100年を迎える来年3月を前に、函館市のNPO法人「語りつぐ青函連絡船の会」は、30年前につくられた大雪丸の100分の1模型を修復した。13、14の両日、東京・日比谷公園で開催される「鉄道の日フェスティバル」のJR北海道ブースでお披露目される。

 語りつぐ青函連絡船の会

 この模型は、連絡船の修理専門会社に勤めていた函館市の木村政勝さんが1978年(昭和53年)4月に完成させた。全長132㌢、幅18㌢で、上部がトタン、下部が木製。客室の座席や船橋の機器類なども精巧に再現され、室内照明もつくようになっていた。

 木村さんは昨年5月、81歳で亡くなり、同会が就航100年記念事業の一環として修復することを決め、11月に遺族から寄贈を受けた。担当したのは函館水産高校2年、田中良拓さん。同会が主催したクラフト教室の最初の生徒で、手先の器用さから白羽の矢が立った。

 模型はトタン部分の塗装がほぼはげ落ちるなど傷みも激しかったが、田中さんは黙々と作業に取り組んで完成させた。電気配線も専門家のアドバイスを受け全面修復。発光ダイオードを使用して客室などに灯りがともる。さらに、汽笛の音も再現した。

 同会の白井朝子理事は「連絡船が終航した1988年3月には生まれてなかった高校生が修復してくれた。この大雪丸がこの後、連絡船を語り継ぐ貴重な教材となることは間違いない」と話している。

つい最近、函館に旅行して、青函連絡船摩周丸を見て来ました。青函トンネルが出来る前はこれらの連絡船が本州と行き来していたと言う事が、驚きでした。かつての北海道との大動脈であった青函連絡船。後世に語り継ぐ意味でも貴重な模型だと思います。
でも、明日までしか見られないので見学者の方はお早めにどうぞ。


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2 コメント

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連絡船はロマンがあったね (おかだ)
2007-10-14 12:24:20
青函連絡船や宇高連絡船。転勤や就職、入学等で地元を離れる人を大勢の人が見送りに(夜中でも)きてドラがなり汽笛が鳴る中を賛美歌や蛍の光を歌って見送りをする光景に何度もあいました。今はこのような光景にお目にかかれませんから寂しいですね。列車にしても窓が開かないからハンケチを持って手を振って別れを惜しむ光景も無し。先日大型フェリーで伊勢湾クルージングを楽しんで来ましたが、ドラが鳴るわけでも汽笛が鳴るわけでも無し。最近はロマンを感じる旅(駅での)が無いのが残念です。
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Unknown (奈津美)
2007-10-15 00:43:47
>おかださん

私には青函連絡船や宇高連絡線の記憶はありません。遠い過去の話としか理解できないのですが、父や周りの方の話を聞けば、渡航は辛いけど(船酔いなど)、決して忘れる事がないほど印象深いものだったと言います。ですから昔の船はロマンがあったんだなあと思います。
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