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奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

和爾下神社、赤土山古墳

2024-12-26 21:18:19 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1383弾


なら歴史芸術文化村主催の「和爾地域周辺の古墳群を歩く」という現地講座に申し込んだのですが、抽選ではずれたので、12月4日に同じルートを歩いてみました。その続きです。



ここが和爾下神社の入り口です。和爾下神社は延喜式神名帳にも載っている古い神社で、御祭神は素盞嗚命、大己貴命、櫛稲田姫命だそうです。



ちょっと歩くと鳥居がありました。



扁額には和爾下神社と書かれています。





この階段を登ると拝殿があります。







これが拝殿です。拝殿の奥には本殿があるのですが、本殿は重要文化財に指定されています。



ジョウビタキがいました。



神社から下りたところに、和爾下神社古墳の案内板がありましたが、肝心の古墳がどこにあるのかよく分かりませんでした。



ここから赤土山古墳に向かいました。



12月になるのにアカトンボがいました。たぶん、アキアカネ



そして、赤土山古墳に着きました。ここは古墳時代前期に作られた前方後円墳で、今、見えているのが後円部です。築造後間もない時に起きた地震により、後円部で地滑りが起き、墳頂部にあった埴輪列が滑り落ちたとされています。









この後円部の端には造り出し部という出っ張りがあり、そこで大量の家型埴輪が見つかりました。それを再現したものです。



後円部の頂上に上がってみました。



下を見ると、先ほどの造り出し部が見えています。



前方部に向かう細い道がありました。



前方部から後円部を見たところです。





赤土山古墳は広大なシャープの工場や住宅に隣接しています。その隣には東大寺山古墳群もありました。この写真は石室で、シャープの敷地内でも20数基の古墳が見つかったので、その石室を移築したものだそうです。



ここから和爾町に向かって歩きました。こんな山道です。この道を過ぎると櫟本高塚公園に着きます。その横を通って和爾町に入りました。







和爾町のやや上側に和爾座赤阪比古神社がありました。ここも延喜式神名帳に載っている古い神社です。「特選神名牒」という大正時代に書かれた本によると、祭神は赤坂比古神とのこと、一方、明治時代初期に書かれた「神社覇録」によれば備前国赤坂郡にある宗形神社の祭神である吾田片隅命(「先代舊事本紀」に載っている大己貴神の八世孫である阿田賀田須命に比定され、これは和迩君等の祖とされています)が赤坂郡にあるので、赤坂比古と呼ばれるようになったかもと書かれているとのことです。ところで、明治時代に書かれた岡山県注進状には宗形神社の祭神は宗像三女神と書かれているようです。従って、赤坂比古=阿田賀田須命とせず、とりあえず赤坂比古としておき、和爾町にあっても必ずしも和爾氏の祖というわけではないかもしれないとのことです。なかなかややこしい話です。



すぐ横に善福寺という浄土宗のお寺がありました。





和爾町を降りていくと、工場の周辺に植えられている木でスズメが集まって、ちゅんちゅんとうるさく鳴いていました。よく見ると、ニュウナイスズメの群れでした。





さらに下に降りると電線にニュウナイスズメの群れがいました。



この辺りでこの日は引き返すことにしました。帰りに水を抜いたため池を見たら、クサシギがいました。

櫟本周辺散策

2024-12-25 21:10:55 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1382弾


11月27日に、なら歴史芸術文化村で開かれていた「ワニ氏の源流を探る 和爾地域周辺の古墳時代」という天理市との共催展を見たのですが、そのとき「和爾地域周辺の古墳群を歩く」という現地講座があることを知りました。早速、申し込んだのですが、残念ながら抽選に外れてしまいました。それで、同じコースを歩いてみようと思って、12月4日に行ってみました。もともとのコースはJR万葉まほろば線の櫟本駅から長寺遺跡、和爾下神社、赤土山古墳、東大寺山古墳、和爾坐赤阪比古神社、・・・と帯解駅までの10 kmのコースを歩くのですが、結構長いので、この日は途中までにしようと思って歩き始めました。





途中で見た植物です。おそろしく背が高いのですが、ダンチクではないかと思います。









櫟本駅から歩いてすぐのところに高良(こうら)神社がありました。祭神は武内宿禰だそうです。







実はこの高良神社は奈良時代に建てられた長寺(おさでら)跡に建てられた神社のようです。現在でも社務所の隣に長寺と書かれた御堂がありました。



さらに、この一帯は弥生時代の集落跡である長寺遺跡であったようです。案内板が建てられていました。



さらに歩くと道標が建てられていました。不動山大師道と和珥坂傳承地と書かれています。不動山大師というのは地図にある櫟本高塚公園の奥の不動寺跡のことかな、和珥坂傳承地というのは和爾町の北にあるところのようです。



そのうち、太鼓台収納庫と書かれた建物がありました。



すぐ裏がため池になっています。ただし、水が抜かれていました。





ため池のすぐ横に櫟本墓山古墳がありました。名前の通り、お墓の山になっていました。







さらに歩くと、和爾下神社の鳥居に着きました。この神社は延喜式神名帳にも載っている古い神社です。ただし、神名帳には和爾下神社二座となっていて、一座はこの櫟本町、もう一座は大和郡山市横田町に同名の神社があります。





鳥居を過ぎると、参道は車の通れる道になっていました。かなり境内が広いようです。







少し進むと、柿本(しほん)寺跡に着きました。ここも奈良時代の古代寺院の跡です。柿本氏は柿本人麻呂で有名ですが、もともと和爾氏から分かれた派生氏族のようです。



中心に置かれているのが、柿本人麻呂像です。この間の共催展に展示されていた、和爾下神社に伝わる、室町時代作の像をもとに作られたようです。







なぜか蛙の像がやたらいっぱいありました。



これは不動明王の像のようです。やはり説明を聞かないと、何にも分からないですね。

この後、和爾下神社に行き、それから赤土山古墳に行ったのですが、長くなったので次回に回します。

早朝の散歩 金魚池周辺と佐保川土手

2024-12-24 20:58:37 | 奈良散策
奈良散策 第1381弾


12月20日と23日の早朝散歩に行ったときの写真です。最近、あまり撮るものがないので、まとめて出すことにします。





まず20日の写真です。撮るものがなくても、朝陽だけは綺麗なので、いつも撮ってしまいます。この日は金魚池に氷が張っていました。



その氷が朝陽で赤く染まっていました。



こんな時期でもビワの花は咲いています。





10分ほど歩いたら、ようやく日の出になりました。



ため池越しに朝陽を見たところです。池の向こうには近鉄の線路があります。



と思ったら、電車が通過しました。



ダイサギが朝陽に染まっています。







ため池ではオオバンが水面で羽ばたきました。



これはハクセキレイ



溝に生えていた草です。Googleレンズで調べてみると、タガラシと出ました。たぶんそうだろうなとは思っていたのですが、Googleレンズもなかなかすごいですね。



これはミズハコベ



最後は電柱の上に止まっていたアオサギです。




この日は昼前に図書館に行ったので、ついでに鷺池を覗いてみました。池のちょっと手前にオシロイバナが生えていました。オシロイバナは前日の夕方に開花し、翌日の午前中にはしぼんでしまいます。



カラムシが枯れたように萎れていました。雨が降らないせいかな。





鷺池は相変わらず水が抜かれたままでした。



カモはあまりいないのですが、ヒドリガモがいました。



そして、オカヨシガモです。




ここからは23日の早朝散歩のときに撮った写真です。この日は雲が多くて、東の空にはわずかな隙間しかありませんでした。



その後、ニュウナイスズメはどうなったかなと思って鉄塔を見てみました。





この日はニュウナイスズメの群れがいました。数えてみると、全部で150羽。



高圧線に止まっているので、だいぶ離れているのですが、それでもニュウナイスズメであることは分かります。ただ、いつもだったら、一斉に舞い降りて餌をついばみ、また、一斉に舞い上がるということを繰り返すのですが、この日は止まったままです。そのうち、半数以上が東の方角に向かって飛んで行ってしまいました。



東の空を見ると、だいぶ晴れてきていました。それで、東の方角に向かって追いかけてみました。といっても、とても追いつきませんが。



賣太神社の所まで来ました。ここから、周りにある高圧線や電線を探してみたのですが、見つかりません。実は先日、天理市にある櫟本に行ったときに、ニュウナイスズメの群れが林の中に集まってうるさく鳴いているところを見つけました。そこまでの直線距離は4~5 km。ひょっとしてそこへ飛んで行ったのではないかと疑っています。



最後は畑にいたケリです。ケリも7,8羽の群れでいました。

光慶寺、修羅と石展示場

2024-12-23 20:13:29 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1380弾


12月1日は源九郎稲荷神社と薬園八幡神社に行った後、北に向かって歩いてみました。しばらく歩いていたら、光慶寺という大きなお寺がありました。普段、入り口が締まっているのですが、この日は開いていたので、ちょっと覗いてみることにしました。





これは光慶寺の門です。「寺院神社大事典」によると、このお寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、江戸時代は大和における京都西本願寺の役寺という地位にあり、郡山藩に対する使者の役割を務め、また、領内の西本願寺末寺との窓口的な役割を果たしていたそうです。もともとは京都府八幡市に皇慶寺として開かれたのですが、その後、あちこち移動した後、江戸初期に現在地に移ったとのことです。この日はちょうど報恩講の日でした。報恩講とは親鸞聖人の命日を記念して行われる法要で、もっとも大きな法要のことです。





門をくぐるとすぐに大きな本堂がありました。色とりどりの五色幕が飾られています。お寺の関係者の方がおられ、本堂の中も見てよいですよと言われるので、中に入ってみました。



本堂内部は金色に輝いていて、大変豪華な感じでした。報恩講のためか椅子が並べられていました。





奈良県立図書情報館のHPによると、ご本尊は阿弥陀如来立像で、室町時代初期の作だそうです。



本堂から境内を撮ってみました。







本堂の周辺を写してみました。一番下の写真の奥にあるのが鐘楼だと思うのですが、梵鐘は市指定の文化財になっているそうです。



本堂の柱の上にはこんな像がありました。




光慶寺のすぐ近くに「修羅と石展示場」があったので行ってみました。





お城の城壁用の石を運ぶ修羅の展示です。修羅のいわれについても載っていました。古代インドの神の「阿修羅」は正義を司る神でしたが、力を司る「帝釈天」に何度も戦いを挑んだそうです。激闘の末に敗れるのですが、何事にも動じることのなかった帝釈天を動揺させたことから、帝釈(=大石(たいしゃく))を動かした「阿修羅」ということで、大石を動かす木のそりのことを「修羅」と呼ぶようになったそうです。









こんな大きな石をコロの原理で引っ張っていくのですね。

源九郎稲荷神社と薬園八幡神社の植物

2024-12-22 20:31:37 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第1379弾


12月1日、大和郡山市にある源九郎稲荷神社と薬園八幡神社に行きました。両神社とも境内にたくさんの花が植えられているので、それが楽しみで行きました。





行く前に最近気になっている植物を見にいきました。もともと金魚池だったところにいっぱい生えているこの植物です。ススキは株になりますが、オギは地下茎で増えるので一面に広がるとのことなので、たぶん、これはオギだろうなと思って確かめに行きました。



穂を拡大してみました。ススキには芒があるのですが、オギにはありません。この写真を見ると、芒はなさそうなので、やはりオギでよさそうです。(追記2024/12/23:オギとススキの違いは以前写真を載せました。(こちら





そして、源九郎稲荷神社に着きました。







鳥居をくぐるとすぐ左手に背の高い皇帝ダリアが咲いているのが見えました。





これはダイヤモンドリリー。属名がNerineなので、ネリネとも呼ばれています。





これは葉に筋があるので、キスジアマリリスではないかと思います。(追記2024/12/23:以前はシロスジアマリリスと書いていたと指摘されました。この辺り、ややこしいので、もう少し検討してみます

追記2024/12/24:アマリリスについて調べてみました。現在、日本でアマリリスという名前で呼んでいるのは、Hippeastrum属(大場秀章著の「植物分類表」ではアマリリス属、米倉浩司著の「新維管束植物分類表」ではヒッペアストルム属)で中南米産の植物のようです。これに対して、Amaryllis属(両方の本ともホンアマリリス属)というのがあって、これは南アフリカ産です。日本にはHippeastrum属が導入されたのですが、当初、Amaryllis属に分類されていたため、アマリリスという名称がつきました。その後、中南米種はHippeastrum属に移されたですが、日本だけでなく外国でもアマリリスという名称がそのまま残ってしまったようです。Wikipedia[アマリリス]によると、Amaryllis属もHippeastrum属も共にヒガンバナ科に属するのですが、前者はヒガンバナのように開花時に葉がなくなるが、後者は花と葉が共に見られるとのことでした。Wikipedia[Hippeastrum]によると、Hippeastrum属には90種の原種のほか、600種の交雑種や栽培品種が登録されているようです。一方、Wikipedia[Amaryllis]によると、Amaryllis属には原種2種のみであるそうです。「植物分類表」では、H. reticulatum var. striatifoliumに対して、シロスジアマリリスという和名がつけられていました。Wikipedia[Hippeastrum reticulatum]によると、H. reticulatumにはreticulatumとstriatifoliumの2変種があると書かれています。ただし、"Catalogue of Life"によると、H. reticulatum var. striatifoliumはH. reticulatumのシノニムということになっていて、認められていない名称のようです。シロスジアマリリスという和名がもともとどの種についてつけられた和名か判然としませんが、おそらく、現在では葉に白い筋のある種(交雑種、園芸品種を含めて)を総称して呼んでいるのではないかと思いました。従って、ここではシロスジアマリリスということにしておきます





これはアフリカホウセンカ。学名がImpatiens wallerianaなので、属名でインパチェンスとも呼ばれています。





最後はタチバナでした。小さな実がなっています。




次に薬園八幡神社に行きました。



入ってすぐのところにオーストラリアン・ローズマリーが咲いていました。蝶が止まっていたので何の気なしに撮ったら、これはおそらくクロマダラソテツシジミ。南方系のチョウで、一時期、あちこちで見られたのですが、最近は見ていませんでした。奈良に来て初めてです。



これは拝殿なのですが、真ん中に通路があるので、割拝殿と呼ばれているようです。



その向こうにイチョウの黄葉が綺麗でした。



そして、これは幣殿になります。





イチョウの横にカリンの木があるのですが、こんな実がなっていました。