奈良のむし探検

奈良に引っ越しました。これまでの「廊下のむし探検」に倣って「奈良のむし探検」としましたが、動物・植物なんでも調べます。

矢田丘陵ハイキング 続き

2021-11-25 20:58:31 | 奈良散策
奈良散策 第290弾


11月21日に松尾寺からこどもの森まで矢田丘陵ハイキングに行きました。昨日、矢田峠までを出したので、その続きです。



途中で見つけたシダです。ソーラスができていなかったので、よく分からないのですが、シケシダかなと思いました。





これはリョウメンシダ



そして、ヤブミョウガの実。





これはイノモトソウです。細い葉の方が胞子葉です。



ぽつっぽつっと咲いていました。これはモチツツジではないかと思います。





そして、ようやく子供の森に着きました。こども交流館で昼食のおにぎりを食べてから、来た道を引き返しました。



これはアキアカネ



そして、またヤブミョウガ



アザミはよく分かりません。





これはヤブマオ





行きしなにキノコの写真を撮っている人を見かけたので、私も撮ってみました。でも、名前が分かりません。



これは地衣類なのか、粘菌なのか。



そして、また分からないキノコです。キノコとか、地衣類とか、この辺、どうも弱いですね。



これはリョウメンシダ





最後は紅葉を撮りました。

雑談)今朝も佐保川沿いを歩いたのですが、およそ撮影対象になりそうなものがありません。花もないし、鳥も見慣れたものばかり。今年の冬はどうやって過ごしたらよいのやら。コロナについて書いた雑記第2報が完成したのですが、「新規感染者数」とその時点で二次感染を起こしうる「感染者数」とを結びつける式の両辺の次元が合わないことに気が付きました。でも、ひょっとしたら、「新規感染者数」は単位時間当たりの人数で、「感染者数」は人数なのかな。だとすると、このままでいいのかも。

矢田丘陵ハイキング

2021-11-24 20:43:17 | 奈良散策
奈良散策 第289弾


11月21日の午前中に久しぶりにハイキングに行きました。大和郡山市の西部にある松尾寺まで車で行き、そこから、矢田丘陵を歩いて子供の森まで行きます。そして、子供の森でおにぎりを食べ、同じ道を引き返してきました。全部で3時間くらいの行程でした。



この日もコンデジ Canon SX70HSをポケットに入れていきました。この間は予備のバッテリーを持って行かなくて失敗したのですが、この日はしっかりポケットに入れて行きました。でも、歩くの中心でそれほど写真は撮れませんでした。最初に黄色いキノコが目についたので撮りました。山渓の「日本のきのこ」で見て、ハラタケ科のベニヒダタケかなと思ったのですが、自信はありません。





これはコシダです。コシダは2つずつ分岐していきます。



そして、これはフユイチゴ



道を歩いていたセンチコガネです。センチコガネとオオセンチコガネの違いは以前書いたことがあります。前胸背板中央の縦溝が後半のみにあるのはセンチコガネの方です。







これは胞子嚢群(ソーラス)の付き方からイヌシダだと思います。





これもソーラスの付き方から、ホラシノブだと思います。



松尾山からこどもの森までの道はマウンテンバイクのコースにもなっているようで、こんないい道が続いています。ときどき、遊歩道と自転車道が分かれることがあるのですが、地図には描かれていないのか、どちらを歩いているのかよく分からなくなることがあります。どちらにしても目的地には着きますが。この日は日曜日だったので、一人で歩く人、夫婦連れ、家族連れ、ジョギングをする人など何人もの方に出会ったのですが、マウンテンバイクの人も多かったです。何組かのグループがいて、全部で30台くらいすれ違ったり、追い抜かれたりしました。単独で自転車に乗っている人は鈴をつけているので、初め鈴の音を聞いて熊でもいるのかなと思ってしまいました。



途中、池がありました。





紅葉が綺麗でした。



水面が鏡のようになっているので、水面に映った景色がまるで本当の景色のようでした。





また、コシダが生えていたので、撮ってしまいました。



こちらは正月飾りに使われるウラジロです。





そして、松尾寺から1時間ほど歩いて矢田峠に着きました。この後は次回に回します。

朝の散歩 ニュウナイスズメほか

2021-11-23 19:59:17 | 奈良散策
奈良散策 第288弾


最近も朝の散歩に出かけているのですが、ほとんど撮影する対象がいません。それで、3日分をまとめて出すことにします。

まずは11月20日分です。



この日は佐保川土手に行くつもりで出かけました。たまにはと思ってスズメを撮りました。





こちらはムクドリです。









佐保川に向かって歩いていたら、遠くの電線に鳥がいっぱい止まっています。近づくとやはりニュウナイスズメでした。上の電線の写真で数を数えてみると88羽でした。これまで遠くまで撮影に行っていたのですが、家のすぐそばにもニュウナイスズメがこんなに止まっていました。

続いて、11月21日朝の写真です。





この日は佐保川土手を歩いてみました。川にはヒドリガモがいました。





土手から見渡してみると、高圧線にたくさんの鳥が止まっていました。この写真で数えてみると、133羽。やはりニュウナイスズメのようです。

最後は11月23日、今朝の散歩のときに撮った写真です。この日はいつもの養魚池の方に行ってみました。





この日は珍しくシジュウカラに会いました。





それから、キセキレイ



スズメも一応、撮っておきました。



これは民家の塀に止まっていたキマダラカメムシ。NIKON P950に焦点距離1mのクローズアップレンズを取り付けて撮りました。



最後はナンキンハゼの実でした。

大安寺散策

2021-11-22 21:24:20 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第287弾


11月19日の午前中に家族と奈良市にある大安寺に行きました。ここは、南都七大寺(東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺)の一つとして、往時は大寺を誇っていました。今は当時の境内の一部だけの狭い面積になっていますが、歴史のあるお寺です。

奈良市にあるのですが、大和郡山市のすぐ北東にあるので、車では15分くらいで着きます。それで、行こうと思えばすぐにでも行けたのですが、行くきっかけが見出だされずにいました。ちょうど本尊十一面観音立像特別開扉に当たっていたので、一度、行ってみることにしました。狭いと思っていた境内は意外に広々としていて、落ち着いた寺であることが分かりました。



大安寺はもともと、聖徳太子が病床に臥せっていたときに、田村皇子(後の舒明天皇)に、大寺を造営するように頼み、皇子が百済川のほとりに百済大寺(現在の桜井市の吉備池廃寺)を作ったのが始まりです。西暦639年のことです。その後、高市(たけち)に移転し、高市大寺と称するようになり、677年には大官大寺(明日香村にあり、高市大寺とは別の場所だとする説がある)に改称されました。710年に平城京に遷都されると、それに伴い、現在の大安寺を含む広大な土地に移転し、大安寺と改称されました。この当時は我が国随一の国家の寺院として繁栄しました。その後、火災や地震で建物を失い、小堂一つ残すのみで再建されることなく、いつしか忘れ去られていました。明治15年に再興し、本堂が建立され、現在に至っていますが、境内は往時と比較できないほど狭くなってしまいました。これは入り口の南大門です。昔の南大門は平城京の朱雀門と同じ規模だったと推定されています。



南大門の中には中門跡がありました。





こちらは本堂です。



境内のあちこちにだるまさんが置かれていました。これはおみくじのようです。



だるまさんの顔、一つずつ意外に違いますね。





花弁が落ちていて、葉に鋸歯があるので、サザンカのようです。ツバキは花ごと落ちて、葉には浅い鋸歯しかないようです。



大きなクスノキです。



これは手水舎です。



本堂前の広場です。



その向こうに収蔵庫がありました。拝観受付に行ったら、本堂ではちょうど御祈祷中なので、終わるまで待って欲しいとのことで、収蔵庫に行ってみました。中には重文指定の像7体が置かれているのですが、係の人は誰もいず、勝手に入って勝手に見るという感じでした。







収蔵庫に行った後、境内を散歩してみました。





これは嘶堂(いななきどう)とその横にあるお砂踏霊場巡りです。



そして、護摩堂です。境内を歩いていたら、本堂の方から太鼓の音が聞こえ、どうやら御祈祷が終わったようです。そこで、本堂の方に行ってみました。中には十一面観音立像、聖徳太子立像、弘法大師像などが置かれていましたが、これも周りに誰もいなくて勝手に見るという状態でした。何となく奈良のお寺は鷹揚な感じがします。



大安寺から出て、神社の方に行ってみました。途中で見たナヨクサフジです。







これは元石清水八幡宮と言われている八幡神社で、大安寺の鎮守社として807年に建てられたようです。元石清水八幡宮と呼ばれるわけは、大安寺の僧行教が石清水八幡宮の造営に当たったので、その元というのでそういわれているようです。





その南に大安寺東塔跡がありました。





そして、これは大安寺西塔跡です。例によって、広い場所にぽつっと塔跡がありました。平城京跡もそうだし、この間見に行った藤原京跡もそうだし、だだっぴろい場所が確保されているのですが、こんな広い場所をこれから先どうするのだろうと気になりました。

雑談)この間から書いていた「新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に関する雑記(第2報)」を書き終えました。今回は実測の感染者数グラフと計算をフィットさせてみたり、ウイルス干渉についても調べてみました。結論的にはごく限られた人数の中で感染が進み、一時的な集団免疫が達成され、感染が収束しているのではという解釈になりました。また、これまでの感染拡大にはウイルス干渉は働いていないというものです。最後に、変異株についても触れてみました。これまでの5波の感染拡大はいずれも異なる変異株によるものですが、一つの株が再び感染拡大することはないのかが気になっていました。ダイヤモンド・プリンセス号での感染の際に調べられたゲノム解析の結果からは、1回の変異が起きるごとに元の株は60-70%に減少するという結果になりました。約2週間に1回変異が起きているとすると、2か月で元の株は10%にまで減少するので、ほとんど消え去ってしまうと考えてもよさそうです。

帯解寺~ベンショ塚古墳

2021-11-21 21:11:59 | 神社・寺・古墳など
奈良散策 第286弾


11月17日午前中に家族と帯解寺に行きました。今ちょうど、秘宝・秘仏公開をしているので、いい機会だと思って行ってみました。帯解寺は奈良市にあるのですが、大和郡山市のすぐ東にあるので、車だと10分くらいで着きます。それで、いつでも行けると思ってこれまで行きませんでした。途中の道が狭いのと、秘宝・秘仏公開で駐車場がいっぱいならばどうしようかと心配だったのですが、行ってみると、駐車場はガラガラ。車を道路沿いの駐車場に止めてから、お寺に行ってみました。





帯解寺の入り口を撮ったものです。帯解寺のいわれを読むと、今から1000年ほど前に、文徳天皇の御妃が、お子さんが産まれなくて悩んでいたときに、帯解子安地蔵菩薩にお祈りしたら無事にご懐妊され、後の清和天皇が産まれたそうです。それで、文徳天皇が喜び、858年に伽藍を建立し、これまで霊松庵と呼ばれていた寺号を帯解寺にしたとのことです。その後も、皇室を初めとした安産・求子祈願霊場として知られているようで、特に皇室との関係が深いお寺です。





こちらは本堂です。



これは信徒会館の清和閣で、こちらでお手洗いをお借りしたら、実は、ここが秘仏・秘宝の拝観場所でした。初めに曼荼羅図や掛け軸などの秘宝を見ました。女性の方に面白く説明していただいたのでよく分かりました。近松門左衛門や志賀直哉の書などがあり、かなりのお宝ではないかと思いました。でも、ガラス張りではなく、壁に所狭しと置かれていました。虫干しを兼ねて公開しているとのことでした。2階は秘仏の展示場で、ボランティアの人に面白おかしく説明していただきました。ここには愛染明王坐像、不動明王座像、虚空蔵菩薩坐像などたくさん展示されていました。平安時代や鎌倉時代の作のものが多いのですが、あまりに身近に置かれていて、修復されてきたので、国宝や重文の指定にはならないと言われていました。ここから本堂に向かいました。ちょうど御祈祷中だったのですが、その横を通って、本尊の帯解子安地蔵菩薩像を拝観することができました。これは重文指定です。檜の寄せ木造りで、ふくよかな感じのする立派な地蔵菩薩像でした。





これは本堂を出たところの写真です。



清和閣に戻る時に見た石庭です。



清和閣の向こうにある新御堂です。



帯解寺の拝観を終わり、次いでだからと近くにある八坂神社と龍象寺に寄り、さらにちょっと離れたところにある八坂神社に行きました。



入り口にあったイヌマキの実です。



神社の中に圓満寺というお寺があります。



ここにはこんな算額があります。天保15年(1844年)に地元の人が算数の問題を考えて献上したもののようです。最初の問題は一辺6尺の正三角形の中に正六角形を入れると、辺の長さはどうなるかという問題で、答えは2尺です。次は星型の中心の正六角形の一辺を3尺とすると、六角形と周囲の三角形に内接する円の直径はという問題です。答えは5.196尺と1.732尺です。いずれも3の平方根を計算しないといけません。どうやって計算したのだろう。3番目の問題は問題文がよく分かりませんでした。



さらに離れたところにあるベンショ塚古墳にも行ってみました。説明によると、古墳時代中期の5世紀前半のこの地方の豪族の前方後円墳だとのことです。奈良市教育委員会の出している「奈良市埋蔵文化財調査概要報告書平成2年度」には、「ベンショ塚古墳の調査」という記事が載っています。それによると、この古墳の後円部頂上に神社を作るという申し出があり、話し合いがもたれたのですが、折り合いがつかず、神社を作る直前の2日間だけ頂上部分の発掘調査が行われたそうです。そのほかの部分は2か月ちょっと発掘調査が行われ、全部で3基の粘土槨の石室と木棺が見つかったとのことです。盗掘が行われていたのですが、1つの木棺からは甲冑や装身具などが発見されたそうです。



その登り口です。





そして頂上にある神社です。森常稲荷大明神と書かれていました。



最後に。帰りに見たネコです。ずいぶん整った顔をしていました。

雑談)今日は矢田丘陵を松尾寺から子供の森まで往復してきました。片道1時間半くらいの行程なので、合計3時間ほどかかりました。今日は休みなので、歩く人、ジョギングする人がいたのですが、特にマウンテンバイクに乗ったいくつかのグループに会いました。全部で30台くらいの自転車が走っていきました。道もバイク用の平らな道と、歩く人のための山道が入り混じっていて、途中、道がよく分からないところがありました。でも、久しぶりのハイキングで気持ちがよかったです。