3月18~19日に名古屋へ行きました。18日は徳川美術館、19日は名古屋城に行きました。そのときに撮った写真の続きです。

名古屋城へは正門から入り、そこで、「名古屋おもてなし武将隊」の前田利家公に出会いました。その後、天守閣の方に向かいました。金網越しに見た天守閣です。


天守閣の手前には重要文化財指定の西南隅櫓があります。本丸の南西隅にあり、1612年に建造されたそうです。

お濠の中をよく見ると、なんと鹿が一匹いました。こんなところでどうやって暮らしているのでしょう。



近くの木の幹を見ると、ヒヨドリがしがみついていました。何かを食べているようすです。


この場所はちょっとした梅林になっていました。

これが天守閣です。お濠の中ににょきっと建っているような感じです。もともとの天守閣は1612年に建造され、1930年に城郭として初めて国宝に指定されました。その後、空襲で焼失しましたが、1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建されました。しかし、現在は耐震性が低いことから、閉館しているそうです。天守閣の右側には小天守閣があり、天守閣と小天守閣との間は剣塀(つるぎべい)で結ばれています。塀の軒に槍の穂先が並べられているそうです。

北西側から天守閣を見たところです。


天守閣の北側には御深井丸(おふけまる)展示館がありました。

ちょうど野田末吉氏の名古屋土人形が展示されているというので見てみました。

これは鯛車。

鯱車。

絵馬鈴。


それに、山車です。


展示館を出て天守閣の北側を歩いていると、アセビの花が咲いていました。

その横に天守礎石がありました。もともと天守閣の地階穴蔵の地盤の上に置かれていたのですが、天守閣再建の際に現在の位置に移されたとのことです。

天守閣を東側から見たところです。


石垣工事は豊臣系の大名二十名に割り当てられたので、石には担当武将の目印が刻まれたと書かれていました。それで、石垣を見てみました。何か書かれているようですが、よく分かりません。

そして、いよいよ不明門をくぐって本丸に入ることになります。この先は次回に回します。

名古屋城へは正門から入り、そこで、「名古屋おもてなし武将隊」の前田利家公に出会いました。その後、天守閣の方に向かいました。金網越しに見た天守閣です。


天守閣の手前には重要文化財指定の西南隅櫓があります。本丸の南西隅にあり、1612年に建造されたそうです。

お濠の中をよく見ると、なんと鹿が一匹いました。こんなところでどうやって暮らしているのでしょう。



近くの木の幹を見ると、ヒヨドリがしがみついていました。何かを食べているようすです。


この場所はちょっとした梅林になっていました。

これが天守閣です。お濠の中ににょきっと建っているような感じです。もともとの天守閣は1612年に建造され、1930年に城郭として初めて国宝に指定されました。その後、空襲で焼失しましたが、1959年に鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建されました。しかし、現在は耐震性が低いことから、閉館しているそうです。天守閣の右側には小天守閣があり、天守閣と小天守閣との間は剣塀(つるぎべい)で結ばれています。塀の軒に槍の穂先が並べられているそうです。

北西側から天守閣を見たところです。


天守閣の北側には御深井丸(おふけまる)展示館がありました。

ちょうど野田末吉氏の名古屋土人形が展示されているというので見てみました。

これは鯛車。

鯱車。

絵馬鈴。


それに、山車です。


展示館を出て天守閣の北側を歩いていると、アセビの花が咲いていました。

その横に天守礎石がありました。もともと天守閣の地階穴蔵の地盤の上に置かれていたのですが、天守閣再建の際に現在の位置に移されたとのことです。

天守閣を東側から見たところです。


石垣工事は豊臣系の大名二十名に割り当てられたので、石には担当武将の目印が刻まれたと書かれていました。それで、石垣を見てみました。何か書かれているようですが、よく分かりません。

そして、いよいよ不明門をくぐって本丸に入ることになります。この先は次回に回します。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます