社会福祉士×ちょっと図書館司書の関心ごと~参考文献覚え書き

対人援助の実践、人材育成、図書館学を中心に気まぐれに書物をあさり、覚え書きをかねて投稿中~

「死と生の民俗 産湯で始まり、湯灌で終わる」 田原開起(2008)

2013-06-12 10:51:05 | 民俗学
昔の死の儀礼について、広島県在住の高齢者に聞き取り調査を行い、その実態を明らかにしている。
筆者は元高校教師という。そのせいか、文章が丁寧に綴られていて読みやすい。専門書のように難しい言葉が使われていないので、教養を深めるための1冊としても活用できる。

引用
・明治末期~大正期…湯灌の前に家族は白のサラシで死装束を塗っていた。白装束ができあがると寺に連絡をして来てもらい、枕経をあげてもらっていた。その後親族で湯灌をした。
・白のサラシははさみを使わずに手で裂いて縫っていた。縫う糸はこぶをせずに縫っていた。縫うときに「後返し」(行った針の向きを変えること)はしなかった。
 ⇒「糸をこぶにする」ということで、死者がこの世に留まったり、「後返し」をすることによって、死者が後戻りをすることがないように、という計らいが読み取れる(p.45)。
・湯灌の方法…仏壇の前の畳二枚を上げてその上に盥を置いて、みんなで少しづつ洗った。湯灌の湯は、床板をはぐって床の下に捨てた。


現代、医療者や葬祭業者によって提供されている湯灌は、遺された家族のために提供しているという印象が強い。しかしかつて、親族によって行われていた湯灌は、死者があの世に迷わずいけるように、そして遺体の腐敗を最小限に抑えるように(土葬であったため)という、亡くなった人のためにとり行われていたようだ。
もちろん、一連の儀式を行うことで、遺された人たちにとっても何らかの癒しつながっていたに違いないが…。

本書に、盥の紹介があった。
かつては各家に盥があり、産湯の時、嫁が嫁ぎ先の家に初めて入る時、湯灌の時、その都度盥が登場し、節目節目のアイテムであったことが書かれている。
出産、介護、看取りを自分たちの家で行なっていた時代の象徴であったのかもしれない。
今は多くが家族の手から離れている。
現代人は、死を日常のものを感じていないという主張をよく聞くが、本書を通して、なるほどそれは致し方ないのかも…と感じた。

死と生の民俗―産湯で始まり、湯灌で終わる
クリエーター情報なし
近代文芸社
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